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古代ヘブライ語を日常語として復活させるのに大きな役割を担ったユダヤ人のエリエゼル・ベン・イェフダは1858年にリトアニア(当時帝政ロシア領)で生まれた。世界各地に散らばったユダヤ人はそれぞれが住む国の言葉を使っていた。ヘブライ語は聖典の中だけの文字の言葉になっており、ヘブライ語で日常生活をする話者は存在しなかった。祖国の復活を夢見て、そのためには、共通の言語としてヘブライ語を復活させることが最も必要であると考えるに至った。医学を学ぶためソルボンヌ大学に留学するが、ヘブライ語で授業が行われるクラスに出会ったのが「ヘブライ語復活」への決意につながったそうだ。
エリエゼルは離散したユダヤ民族を統合させようと考えた。エリエゼルは14歳の時に引き取られたヨナス家にデボラという女性の同志がいた。エリエゼルはデボラと結婚して子供が生まれたら、ヘブライ語だけで育てようと壮大な決心をした。1881年23歳の時、オスマントルコ統治下だったパレスチナに移住する。古代ヘブライ語を日常語として復活させようとする試みである。かつて話者を失った言語が再び話者を取り戻したことはない。言葉は生身の人間が喋り、次代に引き継いでいくことでしか生き残れない。人類史上初めてとも言える大それたことをしようとしたのである。
デボラは結婚してからは、母語のロシア語を使わなかったそうだ。長男のベン・ツィオンは家からも出してもらえず、三歳のころ言語障害の兆候が現れたそうだ。いまなら確実に幼児虐待だ。さらにユダヤ教の聖職者の多くは、ヘブライ語は聖書の言葉・神の言葉であり、世俗的な言語として使用するのは冒涜であるという考えが大勢であった。それでもエリエゼルはヘブライ語の復活に邁進した。
生きた言語として使われていない期間が長すぎた古代ヘブライ語は、日常語として使うためには当時の生活に対応する語彙が不足しすぎていた。エリエゼルはこの空白を埋めるためにはどうすればいいかさらに考えた。先ず、古代ヘブライ語の語幹を見極める。見当たらない場合は、ヘブライ語に近いアラム語(アラム語はシリア・ダマスカス近郊に暮らす少数民族がいまも使う)や、セム語族と同系のアラビア語から探した。膨大な作業量である。
そうこうするうち、ヘブライ語だけで子供を育てているというベン・イェフダ家は、近隣で有名になり、興味を持つ多くの人が訪れてくるようになった。一方、ユダヤ教の聖職者(ラビ)は相変わらず「エリエゼル一家はヘブライ語を冒涜している」と非難した。それでも、エリエゼルはわが子の習得したヘブライ語の純粋性を保つため、他の子供と遊ばせることはなかったそうだ。傍目には狂人としか言いようがない。
エリエゼルはヘブライ語の新聞を発行していたが、3人の子供が産まれ生活は困窮する一方であった。長男のベン・ツィオンは、ようやく普通の学校に行くことになった。しかし、ヘブライ語だけしか喋れないので当然話し相手はいない。学校の先生がフランス語の習得をすすめ、ようやくコミュニケーションができるようになった。1882年に生まれのベン・ツィオンは、およそ2000年を隔てて最初の「復活ヘブライ語を母語とする子供」となった。
困窮の中、妻のデボラが結核で亡くなり、5人の子供のうち3人が亡くなってしまった。デボラの遺言で彼女の妹ヘムダがエリエゼルと再婚し、彼を支えることになる。ヘムダの援助もあり、エリエゼルは現代語としてのヘブライ語辞書の編纂し、「ハビーヴ小学校」(ヘブライ語のみで授業する)のために教科書を執筆し、教壇にも立って子供を教えた。1890年、「ヘブライ語委員会」(後に「ヘブライ言語アカデミー」に改組)が設立されるとその代表に就任した。
その後も、エリエゼルは同胞の反感を買い投獄されるなどしたが、紆余曲折の末1914年2月、「ヘブライ語復活」に勝利した。ヘブライ語はパレスチナに住むユダヤ人の中で主要な言語となり、1919年パレスチナを治めていたイギリスの委任統治当局は、ヘブライ語をパレスチナにおける公用語の一つと宣言。1948年のイスラエルの建国へとつながる。
エリエゼルは23歳のとき、結核で2~3年の命と医者に宣告されながら、我が子を最初の「復活ヘブライ語母語話者」とした。母国語としてのヘブライ語を、人為的につくりだそうという彼の決心は、普通の人間には到底理解できない。60歳を過ぎるまで生き抜いた。その使命感は何とも凄まじい執念である。彼は神の声を聞いたのだろうか?
矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-313.html より転載
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