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他者を軽んじて嫌悪する波動を受けとれば
あなた方もまたそれに似た波動で応戦する
弱みと云えるものは確かに誰にも存在するが
それを気にしていては「人は強くなれない」
勿論強くなる必要など何処にも無いのだ
何故なら弱みなどを感じなければ良いだけだから
だがあなた方はそうして一所懸命に
何かに報いる為に努力する必要性というものを
とかく「日常的」に感じ続けている
何度もここに書くことだが
大抵の人々は「怖れ」に対して打ち勝とうとする結果
何かを「嫌悪し認めない」ということを強く意識するようになる
それが「闘いの波動」を生み続ける原因になる
しかし裏を返せば常にそれは「怖れている事の証」でもあるのだ
人に疑念を抱く事もまた然り
自分自身をも信じる事が出来ていなければ
あなたが何かを精一杯自分の力を出そうとしたとしても
そこに「自分が無い」訳であるから
どうしたって本来の力など出よう筈も無いのである
自分が無いと云う事は「その時」のあなたは
「自分で無い存在としてのもの」を「経験」していると言える
それは勿論「自分」と云うものをあらためて知ろうとする為にである
何かに脅威を感じ怖れたり疑念を抱いたりする時
ほぼ反射的にそれらに対しあなたは怒りを内包する
しかしそれは包み隠されたあなたの心に原因がある
それが「嫌悪する波動」となってあなた自身-存在としてのもの-になる
何かを強く打ち出している時
その波動があなたそのものであると言えるのである
それを'知る'事だけが自身をコントロールする術を得る事に繋がる
この物質世界を観察に依って得たとする多くの知識(見識や学識)は
ますます複雑に物事全般を分類色分けし
それにより人々にとっての有用性を打ち出すかの様に見られるが
知識の用途としての性質は多様性が伺える反面
実際は物事への理解をますます小さく閉じ込めて
限定していくだけの傾向にある
特にという訳でもないが医学的分野にそれが多く見られる様に思うのは
現社会の経済システムと強く結びついているが為である
ただ雑然と措き捨てられているようなもの全般を我々は必ずしも必要としないし
そのように生まれた"知識"を知らなければならない義務などどこににも存在しない
若しくはそうした'雑学'を知れば知る程
我々は身を危険に晒す事になり続ける
知識というものに期待されているのは体系の働きであり
そこに囚われる事で何かを生み出そうとするシステムである
しかしシステムだけが人々にとって重要なのではない
根本的なマインドの働きが欠けていれば
どんなにシステムが完璧であろうと
その働きの中で自身に不都合なものを生み出し続けもするだろう
その事は「この完璧な宇宙の中に生きている我々」が証明している
我々に必要な知識とは「分類する事」により直接理解するものではなく
分類された事により改めて思い出せる事の中に'数多く'存在すると言える
あなた方が嫌悪するものに対して
その行為の中に"人として"のあなた自身の弱さを見ることができぬ限り
あなたは本当の知識を自身の中に呼び起こす事が出来ない
故にいつまでたっても人と云うものを-つまりあなた自身を-理解する事が出来ない
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辛辣な表現に聞こえるかも知れないが
その程度の事も実現出来ない者が
人の世の中を救おうだとか
より良くしようなどととは
考えるだに甚だ滑稽なものではなかろうか
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なぜ意識の呼びかけを
その声をあなたは無視し聞こうとしないのだろうか
あらゆる意識そしてマインド(意識的な心)を携え
肉体の「生」をもった我々と云う存在とは
現在の時点に存在している
その"現時点"での我々が何を求め何を学んだか
"その事"によって我々の清算される未来が変わり
その物質的証拠(過去そうであったという証拠)もまた(現れるに過ぎない)
すべては今に"生んでいる"だけである
〜時間などは存在しない〜
すべての矛盾はこの一言に尽くせる
各時代を表す「我々の意識」は常に同じ課題を持ち
各意識間の様々なレベルでその取り組みが行われて来た
すべて今の我々の意識次第で
時間的なものが(推移)推し量られている
〜すべては同じ場所に存在する〜
「我々はどこからやって来てどこに行くのか」
・我々は何処にも行っていないし何処からも動いていない
「誰かが惑星間を飛び越えやってきて我々の星に来たのだろうか」
何故そう捉えるのだろうか
・それは(これまで)そう捉えることしか出来なかったからだ
"「占有」出来ている"「スペース」など何処にも無い
そのような物質世界など何処にも存在しないのだ
あなたはある意味進歩している
だがある意味一歩も動いていない
これは真実である
さて今最も大事な事をお話ししよう
あなたにとっては真のあなたを無視されることや
否定される様に感じる事は我慢出来ないものであるだろう
嫌悪し批難され続けて来たとする記憶は
すべてあなたにとっていつまでも「脅威」と感じられるものであるだろう
それを思い出す毎にわだかまった感情が攻め倦ねて
あなたは居たたまれない状況を"いつの場にも"感じ取る事になる
そうした"場"にあなたは身を置きたいとは思わなくなるだろう
故にあなたは自身に向き合い闘う準備を整え始めた
その不安や恐れに対処しようとする"必要性"があなたの中に生まれたからだ
しかし今また思いだして欲しい事がある
何よりも先ず大事な事は
(何故そこに恐怖や恐れをあなたが感じるのかはともかくとして)
まずあなたがそれらに対し「私は脅威(恐怖)を感じている」という
素直な想いを自身に吐露することなのである
それを素直に認めると云う事が最終的にあなたが受入れることが
あなた自身に求められている事なのである
自分の居場所を常に"素直な存在"としての自身に「明け渡す」事だけが
「あなた→自身」には求められている事なのである
落ち着かない感情のままのあなたが
あなたの中に"居座って在る"という事実を
あなたがまず「認め」ることであなたを知る手がかりとなる
これは(初歩的かつ全般に渉る)「受入れる」と云う行為そのものであり
このプロセスを経ずして「不要な物事」を「手放す」ことはできない
つまりこのプロセスを経ずして
あなたにが本当に欲しがっていたものを「手に入れる」事は出来ないのである
感じる恐れの原因をあなたの外の世界に探るのではなく
あなたの内面の問題として取り扱う事で物事は大きく進展を見せる
そうでなければあなたはあなた以外の何かに
執拗に攻撃的な感情をぶつけつづけ
そしてあなた自身疲弊しいつまでも
そこにある種の葛藤を感じ続けることだろう
それは言い換えれば「自身をいたぶっている」というだけの話だ
身体に痛みがあればそれを愛でそして手放すと云う事であり
恐怖があればそれを認め受け容れそして手放すと云う事になる
これはひとりひとりの個性意識に目覚めるものすべてが
その意識の奥深くに自身の手で語るべきことなのである
誰かがあなたに慰めを齎してくれるのを期待し続けるのは
あなたがそうした経験を欲していると云うだけの事なのである
自分の外にヒーローを求めれば
そこにあなたとしての力を奪われるだけである
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