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我々の目は捉えられるものだけを認識する
故に見えないものは"無い"のではなく
捉えられていないだけである
故に何も無いと感じる所など無く
すべての空間には"何かがある"と考える方が正しい
また変化などしていないと云える事など世界にひとつとなく
安定するような物事などは実はあり得ない
あなたが変化していないと感じつづける限り
あなたはただそこに苦痛を感じつづける
しかし動かない様に見えるものの内側へと視点がスライドしていけば
目まぐるしくすべては変化し動いている事を知るだろう
不動のものなど存在しえ無い
観察者が「そのように見える」と云う事と"事実"は≒違っている
あなたはその事実にだけ心を向けていればいい
留め置くかのような力の中に流れ続けようとする意思を感じ
拮抗するかに見えるものの関係の中に強い結び付きの力がある
「私」の存在を支える鏡の中の「私」もまた同じ「私」であり
それは反転する鏡のように寄り添う
脳を上からみるように四分割された鏡絵の世界を巡る様にあなたは居り
(分割する十字のそれぞれの境に物事の絵鏡は反転して)
時計回り12(0)から45度・3から45度・6から45度・9から45度→0
脳の3と6と9と12(0)で常にあなたは反転し真逆の"あなた"を支え続けた
その中心をメビウスの輪の中心とみたてて
あなたの存在は常に反転するかに見える
「真逆に位置するあなた」"自身"に支えられて存在する
(裏が表になり表が裏になりながら永続して回り続ける)
中心を通って(3から6へと流れ着く中で)6で完全に満ちて(6から9で欠けていく)
(9から12で)一面から見れば(-側に満ちて12から3に向けて+側に"欠けていく")
無限(LOOP)∞の永遠に8の字が描かれるかの様に見えるが
あなたは常に0を描く輪の上に居る様に感じられる
そして周回し続けて(反転しながら)
自身を理解する旅で自身に出会いつづける
新たな境界に飛び込んでは反転し
常にそれが正(+)の私となる
負(-)の私などどこにも存在しない
あらゆる物事は周期的に変化し続け
抗う事は出来ず
それが産みの喜びであり
変化を怖れ抗えば苦しみを生み出す事が出来るだけである
・垂直へと振幅する意識の方向性と回転による螺旋の階段
12:60から13:20へ
そして新たな周回へと変化する波間に
それまでの時の概念は淡く打ち砕かれる
川面の波を手で打つ様に音をならせばそこに
現れては消え
消えては現れ
見えなかったものが姿を現し始める
対峙するかに見たててきた鏡の中の自分へと新たに自分が生まれ変わり続ける
輪の中に正負の括りは存在しない
常に融合されたひとつだけが軸を中心に回転し存在する
そこにあるものは永遠に広がりを続け
どんな小さなものであれ
あらゆるすべてはその全体性としての永続性を映し出す
かつて栄えた頃の温かで豊かな気候がまた戻ってくる
つまりそういうことである
クローバーは完全に四葉だった頃の記憶を取り戻す
外側などなく内側なども無い
****************
ゲッセマネの祈り
A…wa(あわ)
身体にとてつもなく何かが重くのしかかってくる
そこでイエスが発した
「死ねる程に苦しい」
同感である
何故死ぬる程の苦しみが襲いかかったかは
その時の祈りの感情に在ると言える
事実はどうあれ上記のことは私の経験であり
それに則して感じ取られた事だ
頭を意識的に時計回りに回るOM音
音の階段をどこまでもあがりゆく音と声による精神性の一体感
何たじろぐ事もなく緊張もなく
自然とその高みに引き寄せられていく時
到達しえないかのように見えるオクターブへと誘われる
神聖性の一体感(調和)
(純粋無垢な明るさと波立たぬ喜び)
(自然と心と身体の一体化)
全てのものとの調和
自身の精神性の合一
αア(天)軸・
ωワ(地)輪・
天と地を繋ぐ人の柱での全体性の合一
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