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(回答先: 長い間すっぽかしていたクロノスさんへの返信 投稿者 あっしら 日時 2012 年 12 月 19 日 17:03:28)
あっしらさん、こんにちは。
大へん御無沙汰しております。
そして、クロノス氏の問いかけにたいする今回のあっしらさんの回答に関し、雑感を交えながらの横レスになります。
今年の年浅い頃だったでしょうか、クロノス氏の投稿が目に触れたとき、その聊かナイーブな論調に想いの外唖然とさせられ、あっしらさんなら果たしてどう応えるのだろうかと、暫し想いを巡らせたものです。
それと同時に、嘗てのアルファンド氏の問いかけにたいするあっしらさんの回答の模様が記憶に蘇って来ました。対話内容のレベルに違いこそあれ、今回もそのときと同じように渾身の力を込められた誠意に溢れた内容だと感じたのは、おそらく私だけではありますまい。
私個人(旧HN:如往)は9年程前にあっしらさんにレスし始めた間もない頃から、あっしらさんの投稿行動がここ阿修羅に参集する人々にとって広義に捉えるならば“思惟過程の対象化”に資するべきものであっても、意図的に何らかの行動に誘導するものではないと感じていました。また、それをあっしらさんとの遣り取りやその論調から再確認するのはそれほど難しいことではないと今でも思っています。
“思惟過程の対象化”とは、狭義では“認識(自己の)の対象化”になろうかと想いますが、それぞれに例えば前者にはパラメータ(媒介項)が、後者にはビューポイント(視座・視点)が重要ですが、物事の考察をしていく上で先ずはそれらとの出合いが必要です。そして、究極的にはどちらも自己検証のプロセスが必須条件になることは謂うまでもないでしょう。
そこで、あっしらさんが身を挺して(?)提示されている視座が万能(絶対的なもの)ではないことはあっしらさん自身も十分承知のはず、そのことを逐一論って確信犯的と揶揄されるのであってはあっしらさんの立つ瀬がないかも知れません。
それにしても、あっしらさんは心優しい人だと思います。私なんぞは立場上20代の方々と直に接することが少なくなった昨今、彼らとの時間的空間的(=体験的)な差異をどう埋めたらよいのか想いが到らず、半ば諦めの境地にいます。
固より彼らから差異を埋めることは難しいでしょうから、こちらが何とかしなければならないと思うのですが、思想云々はおろかそれ以前に今日の状況を捉えるための言辞の定義から始めなければならず、まことにもどかしいかぎりです。
Auf wiedersehen.
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