http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/292.html
Tweet |
つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-103.htmlより転載
預言者ノアとその家族たち、そして動物たちのつがいを乗せた方舟は、長い漂流の末に陸に辿り着いた。ノアたちは神に感謝をささげ、船に残ったありったけの食料を炊き出してともに食し、再び大地を踏みしめることの叶ったその日を祝うのであった。
なにしろノアの方舟のことであるから、積み込んであった食料は麦や木の実、豆類がほとんどであったことだろう。それをまとめて麦粥に似たものを炊いたと伝わっている。そして今もそれにちなんで「大地との再会」を祝うこの日を迎えたイスラム教国の町や村、そして家庭では朝から炊き出しの支度をする。方舟の麦粥を忠実に再現したものではなく誰が食べても美味いと感じるようなものに変わってはいるものの、素朴でやさしい味のする麦粥「アシュレ」について書いてみたい。
「アシュレ」とはアラビア語の数詞「10‐アシュラ」から来ている。預言者ノアとその一行が大地に降り立った日はイスラム暦第一月(ムハッラム月)10日にあたる。太陰暦であり閏月を用いないイスラームの暦の一年は365日に11日ほど足りないため信仰にかかわるすべての行事は毎年11日ずつ早く訪れるのだが、今年は去る11月の24日にその日を迎えた。ムハッラム月の残りの二十日間、つまり次の新月の晩がくるまではこのアシュレを何度か味わうことができる。
さて、いったいどのようなものであるか。
粥といっても塩味はつけない。麦と一緒に豆や果物を煮て最後に砂糖を加える「甘味」である。文字で書いてしまうと日本人には馴染みにくいもののようだが、みつ豆や汁粉の遠い親戚だと申せばお分かりいただけるかもしれない。
大麦は研ぎ、ひよこまめ、白いんげんをそれぞれ別に一晩水につけておく。干しぶどう、干し杏、干しプラム、干しりんご、干しいちじく、そのほか家にある乾燥果物がっさいを一緒に茹でる。
台所で作るならばここで圧力鍋のお世話になる。最初に麦を大目の水で七分炊きにする。この時点で炊きすぎると後で溶けてしまうので早めに蓋を開け、大鍋にうつす。水を足し、焦げ付かないように時々かきまぜながら弱火にかける。
次にひよこまめ、づづいて白いんげんも圧力鍋にかけ、それぞれやや硬めに炊いて大鍋に加える。
乾燥果物を茹で汁ともども大鍋に空ける。
さらに生の果物をきざんでくわえる。今は冬なので柑橘類やぶどう、りんごがある。そしてくるみや落花生、杏仁などの木の実も煮る。栗があれば下茹でして加える。それぞれに火がとおった頃に砂糖で甘味をつける。
白玉団子や餅を入れたらさぞ似合うだろうなあ、などと思うほど、日本人の筆者にとって親しみの沸くアシュレである。
大鍋のアシュレを小鉢に分け、ざくろの粒や胡麻、くるみを砕いてちりばめる。それが冷めぬうちに近所の家々へ「召し上がれ」と配ってあるく。ムハッラム月は毎日のように、どこからともなくアシュレがやってくる。寺院の前や市場に大鍋が設けられて道行く人に振舞われる。振舞う側もそれを受ける側も「神のご加護がありますように」と、お互いの平安を祈り謝意を伝える。万物はそもそも神からの賜りもの、神はそれを隣人と分かち合い世に還元することを望むと聖典クルアーンに繰り返し記されている。イスラームに限らずこの世の多くの信仰で教えられていることである。
ノアも、モーゼも、アーダムも、一神教の信者たちにとっては実在の人物であり伝説などではない。楽園を追われたアーダムとエヴァから生まれた子供たちが世界に散らばり今の世の中をつくったと認識している。ヒトの祖先が猿であったなどと言えば笑われるか、下手をすると叱られてしまう。
旧約聖書に記された「創世記」によれば、アダムの死後その子孫たちは時とともに堕落し世の中は業に満ちあふれ、神に跪き天命に従う者は絶えようとしていた。怒れる神は大洪水を呼び起こし生きとしけるものすべてを滅ぼすであろうことを預言者ノアに告知し、しかしノアとその家族だけはこの世に踏みとどまりその子孫たちが人の営みを続けることを許した。方舟をつくり動物という動物の全てのつがいを運び込み、大洪水に備えよとノアに命じた。
クルアーンにも預言者ノアはいくつかの章にわたって記されているが洪水と方舟については旧約の記述とはいささか違いがある。神は堕落の民「ノア族」に対し預言者ノアを遣わして(民族の中のひとりであるノアに預言を与えて)神を畏れ行いを正すよう命じた。しかし聞く耳を持たないノア族を神は見限り、大洪水を起こしこの救いようのない民を滅ぼすとノアに伝えるが、ノアの家族そして最後の日までに改心した者たちには救いを差し延べるとした。そして方舟の作り方、食料の保存のしかたは神がノアに預言という形で与えたとある。
方舟を作るノアは周りからそしりを受け続けた。
「預言者を名乗るノアよ、どうしたことか、今は船大工に身を落としたか」と笑った。
大洪水が近づいた頃に方舟は完成した。食料と動物たちの餌が運び込まれる。
旧約では動物たちを確保するよう神が命じているが、クルアーンでは動物たちが自ら方舟に集まってくるとある。また旧約にある「動物」とは哺乳類、鳥類、爬虫類、昆虫その他全ての動物種であると明記されているのに対しクルアーンにはそのことは触れられていない。
風雲はいよいよ急を告げ天から滝のごとく降る雨の中でノアは人々に改心を求め呼びかけ続けた。しかしそれに耳を貸す者は少なく、八十人がようやくノアに続いたという。ノアの息子たちのひとりケナンも頑として方舟に乗らぬ者の中にあった。高い山にのぼり洪水をやり過ごすのだといい、方舟に乗ること、つまり神にひれ伏すことを拒み現世を選んだのである。ノアは深く嘆き神にケナンを救うことを哀願したがそれは赦されず、水が大地を呑み込むと方舟は溺れるものたちを後にすべり出した。
救いがたいノア族の中からでさえ神とともにあろうとする預言者ノアが現れ神の道を説き続けたことも、その預言者の息子たるケナンでさえその声を聞き入れずに背徳者として沈んでいったことも共に深い何かを訴えている。ケナンが逃げた高い山とてもとより神の創造物であり、神の怒りをかわす力は持ち得ない。
この洪水が何を意味しているかは議論が絶えない。最後の氷河期がおわり海水が急激に上昇したことを指すとするものもあれば中東の一部地域の川の氾濫という考えもある。旧約にあるようにノアがこの世の全ての人間の中でただ一人神の目に適った者とするならば、そのほかの全てを滅ぼすための洪水はそれこそ世界規模でなければならない。しかしクルアーンによれば神が見限ったのはノアの属するノア民族であるとされる。そしてこのノア族の拠点はメソポタミア高原一帯であったとの記録があり、となれば大洪水が指すのはチグリス・ユーフラテスの大氾濫という予測も可能になる。
さらに、ノアの方舟が到着した土地も食い違いがある。旧約ではアララト山、クルアーンではジュディ山となっている。いずれもトルコ東部に実在する山であるが400km以上の隔たりがる。学会で勢力を持つのは当然西欧の学者であり、そうなればキリスト教・ユダヤ教の見地から旧約聖書に記されるようにアララト山をノアの方舟が行き着いたところとする意見が定説となった。(繰り返しになるが、中東でも西欧でも洪水や預言者たちの存在は史実とする考えが強く学会の中にも深く根付いている。近代合理主義とは本来水と油の間柄にある旧約の世界だが、西欧・中東の研究者のあいだでは両者の関連付けを試みる斬新な動きすらある。日本はこういう点では甚だしく遅れているといえる。)
19世紀後半からアララト山一帯の調査がたびたびおこなわれている。方舟と思わしき木造の遺構がオスマントルコ帝国政府により発見されたがなぜか調査を断念、しかしそれにより方舟の存在が世界に知られることになる。その後帝政ロシアが没する直前にロシア軍による大規模な調査が行われたが革命の混乱で資料は散逸、そして二度の世界大戦を経て冷戦時代を迎える。東西の緊張が高まるとアメリカの同盟国となったトルコと旧ソビエトの国境付近に位置するアララト山に調査団が近づくことは不可能となった。その中で唯一調査を進めることができたのはトルコに駐留するアメリカ軍であった。そして今日、ノアの方舟についての議論の材料はほとんど米軍の作成した資料によるもので、また一番の発言権もこの国にある。
きな臭い。
一方でクルアーンに登場するジュディ山はといえば、80年代以降はPKKと呼ばれるクルド人のテロリストの潜伏地帯となり調査隊はおろか軍隊さえも近づけない。いや、近づかないのである。なぜならPKK問題は世に知られるところの民族紛争などではなく、トルコ軍部が深く関わる麻薬と武器の密売組織の隠れ蓑だからである。トルコ東部の、かつては絹の道と呼ばれた交通網をくぐるのは駱駝に積まれた絹や香辛料ではなく、イラン・アフガニスタン方面の麻薬と欧州製の武器弾薬に変わった。加えて国内に軍の権威を誇示するためには暴れるテロリストの鎮圧という茶番が欠かせない。武器を売って麻薬を買う国の肝煎りでトルコ軍が周到に用意したでく人形、それがPKKである。だから間違ってもジュディ山にノアの方舟の聖地などがあっては困る。世界中から注目され、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教すべての信徒たちの巡礼地となり、都市が出来上がり、それでは密売どころではない。この地が本当に新天地であったかどうかは別としてそのような厄介は是非とも避けたいところであろう。
人の思いがいかにあろうと方舟は、どこかに眠る。
アシュレの中身は、木に生る実、育てた実、そしてそのいずれかを蓄えた実、といくつかに分けて考えることができる。
木に生る実は天から「たまわる」ものと素直にとらえることができる。秋には木々が枝も折れんが如く実をつけるとわれわれはその恩恵にじかに触れることができる。
育てた実とは土を耕し、種を蒔き、水を引き、春から秋までを身を粉にして働き手に入れる実りである。土や雨や日の光という天の恵みに「そだてる」という人為が加わる。
冬から春にかけて大地は風雪に閉ざされ木々も土も眠りにつく。が、我々は森の獣のように冬を眠りとおすことができない。海を越え南を目指して飛ぶ翼もない。実りのない冬も食べ続けなければ生きられない。そうして、天から「たまわる」もの、そして人が「そだてる」ことで得たものを、「たくわえる」という知恵をもって冬をしのぐようになった。
夏から秋にかけての豊かな実りを乾かし干して冬の糧とし、正しく保存すれば何年でも蓄えておける。このおかげで飢饉をもやり過ごすことができた。この世に生をうけた者たちはより多く、より長く命を繋ぐことができるようになった。
だが、それは両刃の剣でもあった。たくわえは貧者と富者を生み、弱者と強者を分け、物欲に駆られたもの同士を争わせた。業は業を生む。人々は神の名を騙って争いを仕掛けるまでにのぼせ上った。
万物は神からの賜りものであることを承知しながらも、働いて麦を育てる力、それを乾かし、雨露から守り、蓄える知恵とてそもそもは賜りものであることが次第に忘れられた。そして「そだて」「たくわえ」たものを人の手による「私物」と錯覚した。神の手を振り払った。この断絶は人をいばらの道に引き込んだ。
ノアの故事であるアシュレがならわしとして今に伝わるのは、己に与えられた力と知恵を隣人と分かち合い世に還元せよとの暗示である。その逆を行く我々は、知恵も、力も、恐ろしい仕業のために使い続けている。それは廻り回って我が身に、我が子たちに降りかかるであろう。
人の思いがいかにあろうと方舟は、沈みゆくものを後にする。
我々は新天地に立てるのであろうか
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。