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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-102.htmlより転載
外国の方々が日本語を学ぼうとするとき、数の数え方で泣きたくなるらしい。
一本、一杯、一脚、一丁、一匹、一人、一日、一月、一枚…
なんでこんなに何種類もあるのか理解できないという。
じつは大きく分けて二種類しかない。数詞の「一」を「イチ」と読むか、「ひ」と読むかの違いである。
「イチ、ニ、サン…」は漢語から、つまり中国語の「イー、アー、サン…」から来ている。中国語のなかの客家(ハッカ)語では「イトゥ ニ、サム、スィ」とさらに現代日本語に近くなる。遠い昔に大陸から日本に渡ってきた人々が漢字による言語をもたらし、名詞とその数え方ももちろん中に含まれていた。
一本、一匹、一枚のように「イチ」の音に続く名詞は通常、音読みされる。
「ひ、ふ、み」は漢語がやってくるより昔に日本の地で育まれた「やまとことば」の数詞である。ひとつき、ふたご、みつあみ、よつば…漢語数詞のあとに音読みの名詞が来るのとは逆に、やまと数詞の後に続くのは訓読みの名詞である。
やまと数詞の基本を書き出すとこうなる。
ひ 一
ふ 二
み 三
よ 四
ゐ 五
む 六
な 七
や 八
こ 九
と、そ 十
も、ほ 百
ち 千
よろ 万
「ひとつ」をさらに分解すると。
まず「ひと」と「つ」にわけられる。上述の「個」または「歳」にあたる「つ」を取り去ると「ひと」が残るがこれは数詞語幹の「ひ=1」に格助詞の「と」がついたものである。所属の意を表す上代の格助詞「つ」(例:沖つ白波=沖の白波)がタ行のなかで変化し「ひとつ」「ふたつ」「いつつ」という数え方がうまれた。
「みっつ」は「みつつ」とツ音が二つ重なったために促音に変化した。「よっつ」「むっつ」「やっつ」も同様。
「ななつ」と「ここのつ」はさらに紆余曲折がある。「ここのつ」の「の」も同じく所属を意味する格助詞であるため「ひとつ、ふたつ」と造りは同じであり、さらに「ななつ」は「なのつ」の変形であるためこれも同じである。つまり「ひとつ」から「ここのつ」までを同じ法則で貫いている。
「とお」はちと別格のようである。
現代語でも「二十歳‐はたち」や「二十日‐はつか」というのは、「二十」に「はた」という音を宛てていたからであるが、これは「二(ふ)十(と)」が変化したものである。
「はたち」の「ち」は何を意味するのだろうか、これは「ひとつ」「ふたつ」の「つ」と同じく、もの、としを数えるときの「個」と「歳」である。つまり古代語において「はたち」は「二十歳」であると同時に「二十個」でもあった。「みそぢ」「よそぢ」の「ぢ」、「よろづ」の「づ」も同じく「個・歳」である。歳が三十代であることを「三十路」と書いて表すようになるのは後代のことだ。
音便変化や音の脱落が多いことが日本語を豊かで柔らかいものにしていることは疑いない。しかし同時に日本語を複雑にしているといえる。
こんなことを知っていても酒の肴にもならないなどとおっしゃらないでいただきたい。確かに酒の席で三十路がどうのと話したところで煙たがられるのが関の山であるが、どうかもうすこしお付き合い願いたい。
縄文の頃、たとえば「三十八個(歳)」を何といったか。
「みそじ あまり やっつ」といったらしい(数値のみならば「みそや」)。当時はおそらく数量を明確にする場面は少なかったはず、だいじなのは集落の住民の数や人の年齢などでその他はおおらかであったと考えられる。そうでなければこのような厄介な表現では間に合わない。しかしその後稲作が広まり世の中が複雑になってくると物事を数で管理しなければならない機会が増えていった。そしてその数の桁もどんどん大きくなっていったことだろう。そうなると、合理的な漢語数詞が重宝されるようになったと想像できる。
九十九と書いて「つくも」とよむのは「百‐も」に「付く‐つく」ことを表している。
「八百屋」はご存知のとおり沢山の野菜を商うために八百(=たくさん)の名がついている。これもやまと数詞の「八百」つまり「八‐や」+「百‐ほ」から来ている。
さらに大きな数は「万‐よろ」と表現された。戦前までは食品や生活雑貨をごちゃまぜに商う「よろづ屋」という、今で言うスーパーマーケットのような商売があった。
日本人はやほよろずの神々を畏れ、祝い、その怒りに触れぬよう行いを正して生きたが、「八百万‐やほよろづ」とは桁外れに大きな数を表現する数詞であった。これから導かれるように「10000‐よろ」が桁の大台だった。そしてそれは現代にも引き継がれている。
万.億、兆…と四桁ごとに名前が変わるのは漢語数詞の特徴でもある。(100000を十万とは数えず百千と数えるように西欧の言語では三桁ごとに変わるのに対し漢語数詞がそれに連動しないことは日本人観光客が西洋で外貨を計算するときに混乱を招いている。)これは偶然なのか、どちらか一方が他方に影響を与えたのかはもうわからない。今までにもたびたび書いていることだが、やまとことばの草創期は列島と大陸は陸続きも同然であり人の流れがあった。やまとことばと大陸諸語は互いに影響を与えあっていたと考えたほうが自然であり、大陸文化ありきで日本が常に一方的な影響を受けていたとする日本史観には疑問を持たざるを得ない。
しかし「10000‐よろ」が純然たるやまとことばであることは確かである。10000は10の4乗であり「よろ」の「よ」の音が4の意を含んでいたかもしれないなどと考えると気になって仕方がない。
「数‐かず」の語源は動詞「数ふ‐かぞふ」である。それとおそらく源を同じくする言葉は「重ぬ‐かさぬ」である。ものを重ねてゆくと高さが増してゆく。その高さや大きさ、またその量を「嵩‐かさ」という。現代では体積や容積の意で使う言葉である。話は逸れるがトルコ語の「kasa‐カサ」は箱状の入れ物で「1 kasa、2 kasa」と、ものの(特に農産物の)計量につかうということも見逃せない。
「かず」、「かさ」ともに数量を伝えるための概念、そしてことばである。
そして「かず」は何かの基準を満たしているものに対してそれを認めるときにもつかう。「もののかず」にならないものは「かずのほか」といった。
「ひとり、ふたり…」のその次にくるのは何故か「さんにん」と漢語に変わってしまうのが現代の日本語である。いや、現代を待たずに平安時代中ごろからこうなってしまったようである。古代、人数は以下のように言い表した。
一人 ひとり
二人 ふたり
三人 みたり
四人 よたり
五人 ゐたり
六人 むたり
七人 ななたり
八人 やたり
九人 ここのたり
十人 とたり
八十人 やそたり
八百人 やおたり
こうして見るとあることに気づく。ひ、ふ、み…の数詞のあとに続く「たり(とり)」はどうやら「人‐ひと」を指しているらしい。いや、人そのものというよりはひとをかぞうときの「はかり」のように見える。たとえば水を「一杯」と数えるときの「杯」にあたる。「誰−たれ」が不定の人の代名詞であることからもこれが「たり」の関連語であり「たり」が「人」に関わる言葉であることを後押ししているようである。
「たり」の音をもつやまとことばを捜すとする。
思い当たるのは「足る‐たる」の連用形「足り‐たり」である。これも一筋縄ではいかないことばで、「足」と書いてなぜ「充分」の意になるのかもよく知られていない。
漢字のふるさとの大陸、ここでの「足」にはもとより「脚」と「充分」の両方の意味がある。「足」は膝の象形の「口」と「脚」を意味する「止」の会意文字である。「止」に含まれていた「停止」の意味が「足」に加味された(人は脚の上で停止することからだろうか?)。欲求が満たされることを満足というのは満たされて欲が停止した状態を言うのかもしれない。
漢字を識る以前のわが国では「脚」と「充分」はそれぞれ「あし」と「たる」という無関係のことばだった。器に水のようなものが注がれ、満たされたとき「たる」に至る。そして器から溢れてこぼれゆく水は「垂る‐たる」ことを余儀なくされる。このように、漢字からいったん離れて音を手がかりにやまとことばを追いかけると面白い。
しかし漢字と出会い表意文字である漢字の意味を汲んだために「足」を「あし」と「たる」の両方にあてがってしまう。そんなこんなで、やまとことばは姿が見えにくくなっていった。
人の子としてうまれ、そだち、思い、働き、人としての資質が認められたときはじめて人と呼ぶに「足り‐たり」るとされた。そこでやっと「一人−ひとり、ひたり」と数えられたのであろう。やはり「たり」は人としての条件をさしており、それを満たすこととは成人を意味すると考えられる。
「人‐ひと」ということばの根になるのはこの「ひとり」だったと言えまいか。ひとりの男、あるいはひとりの女として身を立てた者を「ひと」と呼ぶようになったのではないだろうか。
いまだひとの雛形でしかない子供たちを育てながら、つらつらと、思う。
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