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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-100.htmlより転載
前回からつづく
「観自在」、それは三蔵法師がサンスクリット語のアヴァローキテーシュヴァラを観自在菩薩(観音様のこと)と意訳したことで生まれた漢語である。三蔵法師とはご存知西遊記にも描かれる玄奘三蔵のことで、天竺への苦しい旅の末に数々の経典を長安に持ち帰り残りの生涯をその翻訳に捧げた実在の人物である。大乗仏教の真髄をたったの三百字足らずで解く「般若心経」は「観自在菩薩」と唱えることから始まる。おそらくは天平の頃にわが国に伝わった般若心経を通して「自在」の言葉は日本語と化した。
万象を「自在」に「観る」ことができるのが観自在菩薩である。それは我々が自在にものを見ていないことを指摘している。
われわれの眼を曇らせているもの、それはいわずと知れた数々の「欲」である。見るものすべてが商売の種にしか見えないのも、あるいは値踏みをしてしまうのも、逆に値札を見てその価値を認識するのも、地位と収入が人生の価値を決めてしまうのも、またそれに沿った学校教育がなされるのも全ては「欲」、いや「強欲」のたまものである。画家が魂を刻み付けた絵画も投機の材料になり、海を命の源と思わずにゴミ捨て場としか見ず、危険極まりない原発も景気回復のためなら見ないふりができる。
物事を「在るがまま」に捉えることができない、「在るがまま」の自分でいられない。この「強欲」に目を塞がれているうちは「自在」な見方も生き方もできはしない。
逆に「欲」を断ち切り「在るがまま」を受け入れることができたのならば、その魂は自在といえよう。
一枚の紙を通して無限に広がる絵画の世界、あるいは舞台という時空を越えた世界、人間の耳に判別できる範囲の音を組み合わせて奏でる曲、文字に韻を抱き合わせた詩歌、そして彫刻、歌、物語、舞踊…われわれが「自由」と信じて疑わなかったものたちである。しかしこのどれもが厳粛な制約の元で成り立つことを忘れている。
絵であれば紙やカンバスという限られた面積の内で、演奏であればその楽器の独自の音域で、演劇であれば舞台、文学であればその言語の枠の中でのみ展開できる。環境芸術といえど地球の表面積を越えることはない。そこに使い得る材料、さらに表現者の「技巧」を掛け合わせるとさらに制限がかかる。恐ろしく窮屈な世界であるが、それを受け入れその中で心を研ぎ澄まして初めて生まれるのが「作品」であるはず、それは「自由「などではなく「自在」のなせる業でなければ何であろう。
ひむがしの のにかぎろひの たつみへて かへりみすれば つきかたぶきぬ
奈良時代の歌人・柿本人麻呂が軽皇子の狩りに同行しそのときに詠んだ歌である。この歌の背景から意味までを語ろうとすると一冊の本にしても足りない。幼少の軽皇子(後の文武帝)を日の出に、崩御した父(草壁皇子)を月の入りにたとえ、東を「生」、西を「死」ととらえ、狩りという通過儀礼によって立身する皇子を歌いつつも、夜明けに月が西に沈もうとしていることは満月あるいは十六夜であることを語りはるかなる天地の見せる一瞬の姿を鮮やかに捉え、今も色あせることがない。
和歌は五七五七七のたったの三十一音で、月も、日も、大地も、四季も色も香りも自在に歌うことができる。和歌には時に恋心をのせ、時にはこの世の別れを託した。和歌にみられる五七調の韻は日本人の祖語ともいえるやまとことばの独自の韻律である。遠い先祖が日本の地で自在に生きた証を、われわれは言語として託されている。
夏草や つわものどもが 夢の跡
江戸の俳人・松尾芭蕉が奥州平泉にて詠んだ句である。
俳句は和歌よりもさらに少ない五七五の十七音しか持たない。夏草の茂る荒れ野原はかつて奥州藤原氏や義経が夢を追いかけて自在に駆け抜けた地、茂れどもたったひと夏で枯れ行く夏草と、つわものどもが散らした儚い命を重ね合わせている。そしてこの句の後ろには大唐の詩人・杜甫による「國破山河在」が控えており、古今東西を問わぬ「無常」を説いている。
このように、制限の中にあるはずの「自在」は無限の広がりを内包することもできる。
鎌倉の武士たちはまだ幕府に縛られる前の古い生き方を貫いていた。野に馬を駆り、弓を引き、剣の鍛練に明け暮れていた。すわ戦がおこれば郎党をひき連れて馳せ参じ、運は天に預け、討てば祝着、討たれれば命を落とすまでのことと無我に戦う。これが彼らにとっての「自在」であった。義理に押しつぶされて自在でいられなくなることを嫌うゆえに身に余る褒章からは身を引いたという。
しかし御家人として幕府に抱えられ所領安堵が制度化するにつれ主従のつながりは精神から物質へとその重心を移した。頼朝の死とともに求心力を失った鎌倉幕府の混乱に乗じて実権を握った北条氏には誇りを重んじ自在を求める武士たちをまとめ上げる力はなく、ただ蒙古襲来のときに見せた一瞬の輝きを後に一味散々、その幕を閉じることになる。
この時代に庶民、武士たちを問わず新しい仏教がひろまった。それまでの仏教が貴族の保護下で興隆した祈祷や修験、学問を中心とするものであったに対し、富も学問もない人々をも含む人の内面を深めるものへとの変容である。法然や親鸞は念仏を、日蓮は題目を、道元は禅を衆生に説いた。
いかなる者も仏を信じ縋ることをすれば来世で救われる、学問もなく苦しい暮らしを強いられていた庶民たちの間に「念仏」が広まった。在るがままを求めるまでもなく在るがままでしかいられなかった庶民たちは、生まれた土地や身分に縛られながらも現世で多くを望まずに来世で救われる信じることで己の心を縛らぬ術を心得ていた。
うわべの麗しさ、豊かさに惑わされず、富や名声という時流の中にあってそれに流されず、己と対峙し、己の目で物事の内側を見ることが求められる「禅」の精神世界は常に背中合わせの「死」を見据えていなければならない武士たちにたちまち浸透していった。
大陸から伝わった仏教が年月を経て太古の先祖たちの生き方と邂逅しわが国独自の形を得た。この鎌倉新仏教とよばれる信仰は実は当時の日本人にとって「新しいもの」ではなく「懐かしいもの」であったとは言えまいか。それは誰かが意図して捻じ曲げられたのではなく、あたかも木々が芽吹き花を咲かせ実を結び、それをついばむ鳥たちが種を遠くに運びまた実を結ぶが如く、自然(じねん)の求めによりおのずと道が開けたのであろう。自在が、自在を呼ぶ。
「自由」は自らの外を取り巻く境遇にに抵抗する外向きの精神活動である。
「自在」はいかなる境遇にあろうとみずからで在りづけるための心得であり、目的である。その方向は内側を向いている。
自由経済の名のもとに繰り広げられる競争のみの近代社会には「自由」という名の虚無があるのみ、そうなれば「自在」はない。逆にわれわれが自在であることを捨てさえしなければ競争社会などはもとよりない。ありえない。海や山を畏れ日々の糧に手を合わせ、在るがままを好み身に余る富を嫌うわが先祖たちの自在な気質は近代化、合理化、資本主義化とは反りが合うわけもなく、そのような国であった日本を近代の鋳型にはめるためには「自由」を与えて「自在」を忘れさせる必要があった。そしてあっけなく忘れさせられた。
「自由」とは先行する不自由と戦い、蹴破り、打ち負かして奪い取るものであるがそれを手にしたその瞬間、新たな「不自由」に生まれ変わり我々にまた挑みかかる。我々はさらなる自由を求め心に「欲」の炎をともしてその戦いに臨む。生きることが死ぬことを意味するように自由とは不自由をさす。自明である。
地震や台風のおり、その被災者たちの毅然とした行動はよその国の人々を驚かせる。これは恐怖や絶望にあっても自らを失わないようつとめる「自在」の心得からくる。
そして崩壊間際の原発から漏れる放射能の存在をしりつつも騒然とならずに普段の生活を送ろうとするのもある意味で「自在」を求める気質の顕われであるかもしれない。
「放射能はいまさら騒いでも仕方ない。なるようにしかなるまいよ」筆者の父は言う。父ばかりでなく多くの日本人の気持ちではないかと思う。そして父たちの目には反原発を叫び、暮らしを守ろうと立ち上がる人々の姿も往生際が悪いとすら映るようだ。
こう思えてしまうのはいくつかの欠落があるためである。
ひとつは、原発というこの醜くも恐ろしい物がわれわれの「欲」に養われる家畜であることに気づいていない。戦中・戦後に生まれ自由経済とその成長を共にした世代となれば特に気づかない。仕方なしと受け入れるべきは天災であり放射能ではない。先の原発事故が百歩譲って天災によるものであったとしても原発が在ること自体が人災である。
次に、次世代に対する思いが歪んでいることを挙げたい。親たちは大変な苦労をして子供たちに教育を受けさせているのだが、それは教育機関に子供たちを丸投げし対価を貨幣で支払ったに過ぎないことに気がついていない。そしてその「教育」そのものも子供たちを自由経済の中で戦う兵士に仕立てるための「調教」でしかない。親たちには子供たちが競争社会から零れ落ちることを考えれば放射能など虫に刺されたほどにしか感じられず、そして学校や塾に遣ることで親としての義務を果たしていると安心してしまうためそこで思考が停止する。次世代を真に考えるのであれはどうするべきかはここに書くまでもない。
豊かに見える国であるが国民の殆どが借金を抱える。これは身の丈を超えた高価な商品でも誰もが手を出せるよう、その日に手に入るよう仕組まれているから起こる。かつて借金というものは親や知り合いに恥をしのんで頭を下げてするものであったのに今は「ご利用ありがとうございます」と向こうが礼を言うので後ろめたさが消えうせた。誰であろうと現金を一銭も持たずに「自由」に買い物ができる。「金融」はこうして人々を「自由」で縛り「負債者」として掌に握る。
需要なき消費に支えられる日本経済は「自在」とは無縁、しかし「自由」に縛られた者たちはそれに気づく筈もなく、原発を不可欠と信じ放射能もよしとする。
身に降りかかる難事に対し戦々恐々とせず、在るがままを受け入れる姿勢は自在であるが、常に長いものに巻かれてしまうことではない。巻かれる前に身をひるがえす術はいくらでもある。その術を心得た者は自在である。
しかしそうもいかないこともある。
国に降りかかる国難、一国民がこれをひるがえし自在であることは難しい。日本が在りし日の姿を失ったのは在りのままでいられなくなったからではあるが、これにはよその国との関わりが働いた。それでも日本という国が今も存続しているところを見れば今日までの国難を幾度も乗り越えてきたともいえる。が、どこまでか。よその国の主義主張を唱え、よその国が作った政府に政治をさせ、外来語なしでは会話さえ難しくなった。この国のどこまでを日本というのだろう。
「国境のない自由な貿易」を求め武力で世界を脅しつけているのはかつて浦賀に艦隊を引き連れて現れ、開国か砲撃かを迫った「自由の国」である。彼らが祀る女神は右手に邪悪な欲望の炎を掲げ、この世のことわりを鎖に喩えて踏みにじり、闊歩する。
「自由自在」とは意味不明な言葉である。
自由の女神と観自在菩薩を並べて拝む、それに似ている。
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