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「全ての言語はトルコに通ず」?英語もヒンディー語もルーツは同じ、国際研究
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/188.html
投稿者 ピノキ 日時 2012 年 8 月 28 日 22:12:31: /cgEbzQ/iEx0c
 


http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1328655
2012年8月28日 11:43 (AFPBB News)

【8月28日 AFP=時事】英語もヒンディー語も、ロシア語もイタリア語も、みんな起源はトルコ――。こんな国際チームの研究結果がこのほど英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。疫病流行の追跡用に開発されたコンピューター・モデルを使って言語の進化をさかのぼったところ、数百種類のインド・ヨーロッパ語の発祥地は全てトルコに行き着いたという。


 アイスランドからインドまでの広い地域で約30億人が話すインド・ヨーロッパ語には、相互に類似性がある。そのため、発祥の地はどこか、また言語の広がり方や発達の仕方から推測される先史時代の人類について、活発な議論が交わされてきた。


 インド・ヨーロッパ語の起源について有力な説は、今から5000〜6000年前の青銅器時代に、現在のウクライナに近いカスピ海(Caspian Sea)北部の草原から馬や馬車で東西へと散っていった遊牧民たちに由来するというものだ。


 一方、遊牧生活ではなく農業が言語の伝播を促進したという説もあり、約8000〜9500年前のトルコが発祥の地だと主張している。


■共通する単語の系図を作成


 今回の研究では現代語と古代語の双方について、共通する単語(同根語)の大量なデータベースを構築した。たとえば「母」という単語は英語では「mother」だが、オランダ語では「moeder」、スペイン語では「madre」、ロシア語でが「mat」、ギリシャ語では「mitera」、ヒンズー語なら「mam」となる。それから、これらの単語のルーツをたどって言語の「系統樹」を作っていったところ、トルコが共通の祖先だということが分かったという。


 データベースの検証には、世界的に流行する疫病の発生源を追跡するために開発された手法が利用された。生物学者たちは世界各地で病原ウイルスのサンプルを採取し、DNAを解析し、遺伝子変異を検証してウイルスの進化をさかのぼり、発生地を突き止めていく。


 今回の論文の主執筆者であるニュージーランド・オークランド大学(University of Auckland)の進化心理学者、クエンティン・アトキンソン氏(Quentin Atkinson)は、「系統樹さえ分かれば、枝をたどって根元へたどり着ける。同じ手法を言語にも用いた」と説明する。


 アトキンソン氏によれば、生物の進化と「生きている言語」の進化に類似性があることは以前から知られており、かのチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)も『種の起源(Origins of the Species)』や『人類の起源(The Descent of Man)』でこの「興味深い相似性」について触れているという。


■農具と一緒に文化と言語をつかんだ人々


 今回の解析結果について、AFPの電話インタビューに応じたアトキンソン氏は「世界の言語が多様化する中で、農業が果たした役割の重要性を改めて示した重要な例」だと評価した。


 また、初期の人類の移動が農業の普及を促進したとする考古学や遺伝学の研究が今回の分析の基礎にあると指摘。「あらゆる狩猟採集民が欧州にいて、隣人が畑を耕し始めたのを見て自分たちも真似をした、というわけではなかったのだ。実際に人の移動があって、文化も移動していったという証拠を、諸言語が提示している。狩猟採集民は単に鋤(すき)を手にしたのではなく、文化と言語も手にしたのだ」と述べた。(c)AFP=時事/AFPBB News

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ノアとノアの息子たちセム、ハム、ヤペテを乗せた箱舟が流れ着いたアララトの山
もトルコにあるってのも興味深い。

 

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コメント
 
01. 2012年8月29日 00:15:24 : HNPlrBDYLM

トルコというよりヒッタイト人の事ですよね。

ヒッタイトは元々ウクライナの方にいた民族で、そこからトルコに移住してきたみたいですけどね:

一部の比較言語学者は、アナトリア語派は他の印欧語各語派祖語よりも早い時期に原印欧語から分かれたと考えている。「インド・ヒッタイト祖語」を想定して、この用語のうちのインド(印欧祖語)とヒッタイト(アナトリア語派)の間に線引きをし、この両者の分化により印欧祖語とアナトリア語派(アナトリア祖語)の2つが形成されたと考える人もいる。

2003年にニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレー博士らが、分子進化学の方法(DNA配列の類似度から生物種が枝分かれしてきた道筋を明らかにする系統分析)を応用して印欧語族の87言語を対象に2449の基本語を調べ、言語間の近縁関係を数値化しコンピュータ処理して言語の系統樹を作った。その結果紀元前6700年ごろヒッタイト語と分かれた言語がインド・ヨーロッパ祖語の起源であり、ここから紀元前5000年までにギリシャ語派やアルメニア語派が分かれ、紀元前3000年までにゲルマン語派やイタリック語派が出来たことが明らかになったと主張したことがあった。

インド・ヨーロッパ語族の起源として考古学的には、紀元前4000年頃の南ロシアのクルガン文化と、紀元前7000年頃のアナトリア農耕文化の2つの説が有力視されていたが、博士は、以上の結果は時代的にはアナトリア仮説(英語版)を支持するものであると考えたのである[1]。

ただし従来ヒッタイト人の支配層の先祖は古代のいずれかの時期に黒海東岸ないし北岸方面から南下しアナトリアで非印欧語族の原住民(ハッティ人等々)を同化吸収してヒッタイト社会を形成したというのが通説である。このうち政治的に決定的なものは紀元前2000年ごろアナトリアに移動してきた集団とされたが、北方からアナトリアへの文化の移動の波はこの集団のみによるものとは確定していない。さらにヒッタイトが古い時代から一貫してアナトリアにいたという証拠はない。

すなわち、仮に紀元前6700年ごろアナトリア語派の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にアナトリア祖語を形成した集団)が他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にインド・ヨーロッパ祖語を形成した集団)と分かれたとしても、後にヒッタイト支配層に発展することになる集団群のほうがコーカサス北麓からアナトリアへ向かって次々と移動していったという可能性は、インド・ヒッタイト祖語仮説やグレー博士の研究によっても否定することはできないことを見逃してはならない。


マイコープ文化(Maikop)とヤームナヤ文化(Yamna)の位置関係(紀元前3500年ごろ)
後にヒッタイト支配層となる集団のほうがコーカサス北麓の「原郷」から南下していったシナリオでは、紀元前6700年という古い時代にコーカサス北麓ないし黒海北岸の原郷からアナトリアへ向かっての一定距離の移動をしたのち、他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語の原郷集団)がコーカサス北麓のどこかで後の時代にクルガンを作る風習(サマラ文化とドニエプル・ドネツ文化。ただしサマラ文化やドニエプル・ドネツ文化、そしてクヴァリンスク文化およびスレドニ・ストグ文化自体が印欧語族の文化であるとは限らないが、この流れを受けたと考えられているクルガン文化であるヤムナ文化は印欧語族の文化であると推定されている。)を始め、これを発展させてインド・ヨーロッパ祖語の社会文化の基盤を形成し、その後この社会文化が周囲に伝播することで複数のクルガン文化群が形成されていった可能性と全く矛盾しない。

これは紀元前3700-2500年ごろ黒海東岸から南岸にかけて広く存在したマイコープ文化(のちにアナトリア語派の諸国の支配層となっていった集団の文化と考えられる)の初期および同時代の黒海北岸のヤムナ文化(印欧語族の原郷の文化と考えられる)に共通するクルガンの風習によって裏付けられる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88%E8%AA%9E


02. 2012年8月29日 05:21:13 : iQ2MTK29Bw
共同作業をする農業にはより高度な意思の疎通が求められたのでしょう。単に農作業だけではなく、収穫物の管理、司祭、暦、税、支配…狩猟と採取のみで暮らしていた時代とは比較にならないほど複雑な時代が到来します。

ヒッタイト語の「母」は「matr」と発音するとか。

かつてヒッタイトの文化はアンカラ周辺を中心としたトルコ中央部に栄えました。信仰の対象は牛、そして母体でした。その後ローマの支配を受けるようになります。テュルク語を話すトルコ人がアルタイ山中からこの地に現れるのはそのずっと先のことです。

ヒッタイト族が黒海沿岸地方からアナトリアにやってきたという定説に対し、逆にアナトリアから欧州各地に広がったという説もあります。後者の説を採るなら投稿記事に合致しますね。

テュルク語は印欧語とは祖を別にするものですが、日本語とは深い縁があります。水をせき止めるための盛り土などを「seki」と言ったり、動詞の否定形の活用にある「maz/mez」は日本語古語の「〜まじ」に通じるものがあります。


03. 2012年8月29日 19:55:03 : 7lCsCLuDPc
テュルク語は、SOVですし。フィン語、ハンガリー語、モンゴル語、ネパール語、朝鮮語もSOVです。

04. 2012年8月29日 23:16:40 : ZhUzZHEESo
SOVは主語−目的語−動詞の語順に並ぶ言語の型だね。
言語の45%がSOV型というのも意外で驚きだ。

皆さんコメントありがとう。
言語の歴史ってとても面白く、興味深々。
今では国際語の英語も2000年前は存在していなかったとか、言語は古い時代のものほど文法は複雑だとか、なぜどうして?って謎がたくさんだ。


(ピ)


05. 2012年8月30日 00:04:27 : HNPlrBDYLM

ヒッタイト人はやはりトルコの先住民族ではないようですね:

粘土板(ボアズキョイ文書)の解読が進むに従い、更に驚くべき事が明らかになってきました。なんと「ボアズキョイ文書」の中には、シュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、ルウィ語、パラ語、(原)ハッティ語、フルリ語、の7種類もの言語が使い分けられていたそうです。

 そして、当時の国際語であったアッカド語とメソポタミアの古典語のシュメール語以外の5つの言語が、ヒッタイトの国内語として使用されていたことがわかって来たそうです。この事は、当時のヒッタイトの国内に、それらの言葉を使っていた5つつの異なる民族が住んでいた事を意味します。


多民族国家ヒッタイト

 それでは、ヒッタイトにはいったいどのような民族が住んでいたのでしょうか。また、それぞれの民族は、どのような関係にあったのでしょうか。

 実は、(原)ハッティ語を使っていたハッティ族こそが、本来のアナトリア高原の現住民族でした。旧約聖書に出てくるヘテ人、もしくは、アッカド語のハッティも本来はこの民族とその言語のことだったのです。すなわち、この言語こそが、ヒッタイト語と呼ばれるべきだったのです。

 しかし、多くの人々(学者さん達)は、すでに名付けられてしまっているヒッタイト族やヒッタイト語を変更する事による混乱を恐れ、この原住民とその言語に、ハッティもしくは原ヒッタイト(プロト・ヒッタイト)と名付けることを選びました。このハッティ語については、今のところ、系統も不明で、若干の単語の意味が知られているだけです。

 フルリ族とフルリ語は、近年研究が活発になって来ています。
 フルリ族はヒッタイトの東南に当たるコーカサス山地の原住民ですが、早い時期からアッシリアを介してシュメール・アッカドの都市文明に接しており、また前2000年紀のオリエント世界、とくにその北部に広く分布し、政治的にも文化的にも多大な影響力を持っていました。ヒッタイト人が楔形文字を使うようになったのも、フルリ族がメソポタミア文明をヒッタイトへ媒介したためといわれています。
 また、ヒッタイト帝国と一時期覇を競ったミタンニ王国は、フルリ系の人々が打ち立てたもので、ヒッタイトは、この国からも各種の影響を受けているようです。
 フルリ語は、膠着語であり、言語系統としてはコーカサス語族に属しているそうです。

 ルウィ語、パラ語は、ヒッタイト語と共に北方から進入した印欧語民族の言語だそうです。
 これらの印欧語系諸民族のうちでは、前2000年紀の初めころ、ルウィ族が最も早くアナトリアへ進入してきたらしいといわれています。コーカサス山脈の西側を越えて来たこの民族は、ハッティの原住民や、当時アナトリアにカールムを形成していたアッシリアの商人達と接触していただろうと推測されます。
 しかし、彼らは、後から押し寄せてきたヒッタイト族によって押し出され、さらに移動を続ける羽目になったようです。とはいえ、東南のメソポタミアの方角には強力なアッシリア人が控えていたため進入する事は出来ず、ルウィ族はやむなく南から西へ、タウルス山脈に沿ってエーゲ海の方に向かって行ったようです。 こうして、ルウィ族が半島の西南部に建てた国がアルザワ国だそうです。

 楔形文字のヒッタイト語とは別に、象形文字のヒッタイト語もありますが、最近の研究では、この言葉はルウィ語との関連が深いことが解かってきたそうです。(最近の本には、“象形文字ヒッタイト語”ではなく、“象形文字ルウィ語”と表記してあるものを見かけます。)

 パラ語とパラ族については、残念ながら、詳しい事はわかっていないそうです。

http://homepage1.nifty.com/teruminasu/gaiyou.html


06. 2012年9月03日 20:53:46 : v5sE55MwHs
阿修羅掲示板の劣化も、ここまで進んだとは絶句だぜ。

比較言語学の大半は、科学を装った捏造だっちゅうに。

木村愛二先生の目が黒かった時代ならこんなヨタ捏造記事は

阿修羅掲示板には掲載されなかったであろうに。


この疑似科学の目的は「トルコ・ペルシャ・ウクライナなど

西部アジアこそがヨーロッパ半島人にとってご先祖さまのいた地だから

失地回復のためには軍隊や傭兵部隊を派遣してもいいんだ」ちゅう

世論操作じゃないか!阿修羅掲示板の精神に則って考えるとな。


インド・ヨーロッパ語族なるでっち上げが、昔は、

アフリカ人+インド人+アラブ人、を団結させないための

目的でつくられた捏造である証拠は、阿修羅内検索で

「津田元一郎」で検索すると一番効率が良いよ。


他にも「行間を読むかたち」で告発した本を数冊知ってるケドね。


07. 2012年9月03日 21:19:24 : v5sE55MwHs
ヨーロッパ半島語族とは、スワヒリ語・アラブ語などの

アフリカ大陸やアラビア半島との類似性のが高いんだが。

実は比較的近親関係にある民族の労働者どうしの団結を防ぐ目的で

国際戦争屋連中や国際人権屋連中どもが捏造したに間違いないな。

旧大陸?西部の労働者階級に団結されるコトは

オレが支配者の立場にたって考えたらゼッテーにヤだし。


それにしても中国安企部の上を行く、近攻遠交政策を鵜呑みにする

セーヨーの誤用ガクシャの捏造を盲信する連中は多いから

第二次日中戦争とか第二次太平洋戦争に持ってかれないように

気をつけないといけないぞ。



08. 2012年9月06日 20:30:47 : HNPlrBDYLM
木村愛二はパラノイアのクルクルパーだろ。

みんな呆れて笑ってたよ。


09. 2012年9月10日 21:52:53 : v5sE55MwHs
>>08クン、パラノイアのクルクルパーはキミだよwww

少しは竹村健一先生責任編集の、山手書房から出ていた

精神病院の格付けに関する本を読んだらどうかね。

近場の図書館や古本屋の100円均一コーナーにあるよwww


木村愛二先生は、一種の天才的白痴と評価するべき。

大学教授でもできない権力犯罪の暴露が出来ると同時に

小学3年生でも理解できる簡単な理科の問題が出来ず

指摘されると逆ギレを平気で起こして改めることの出来ない

アブナイ人であることを事前に念入れして読むのが正しい見解。


10. 2012年9月11日 05:19:13 : v5sE55MwHs
>>08

精神医学に関する竹村健一先生の上梓本は、第一企画出版からも出ているぞ。

それとみんなって誰?かね、ネトバカウヨのキミの脳内妄想だろwww


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