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あなた方の限定された認識の中に
「これが唯一の真実だ」と言って憚らないものは幾つも存在するようです
対立するかの様に見える関係の中で
それらは互いの真理を支え合っています
しかしそこでは互いに相手を真理と矛盾した存在であるかのように捉え続けています
あなた方にそのように受け止められているリアリティへの認識とは
本来の事実としてのありのままの働きが在る世界とは
全く関係しない所に浮かびあがっているものです
客観的事実として人類全体の側からして見れば
各国各人種毎の主張のそれぞれは
すべて人類の本質としての一側面つまり全体を構成するパートでしか在りません
人類と云う種の潜在的側面をただパート毎に映し出していると云う訳です
よってそれぞれに於いてそれらの認識は唯一の真実ではなく
全体の中のごく一部の限定された認識の一側面でしか無いと云う事です
ひとつのリアリティと称するものはより広大な現実体系の枠組みに包まれて居ます
まったくそれらは確固たる真実と言えるような存在として位置づけられはしないのです
よって真実を知ろうとするならばより広義な解釈を得ようとする心と
自分の本質に向き合おうとする姿もがそこに必要となります
あなたもまた「これが自分だ」と限定して言えるような自己など
この世界の何処にも存在しないのです
改めて問いただします
あなた方が他者に見るであろうすべての人格は
あなた自身から投影されたあなたの潜在的な人格です
国単位または人種としてのアイデンティティーからもそのようになっています
互いに相手に自らの役割に対するふさわしい相手を投影します
あなたが自己の本質的な姿を理解せぬままに
限定された意識の枠組みからあなたが自身を
「私はこういうものだ」と自ら決定しています
そのことにより自己の本質として潜在する役割の中から限定した自己を選び出しています
そしてそれ以外を不必要なものとして自己の本質の潜在的な部分を切り分けようとします
あなたが徹底して善であるべきだとするならば
あなたは悪の自分と対峙しなければなりません
自身の本質から切り離した本質の一部を外部の者を利用しその人格を投影します
他者をもまた「限定された人格以外の何ものでもない」とそのように看做すのです
あなたが限定された自己的存在でなければ他者もまた同様です
しかしあなたはそれを理解しようとさえしません
そうしてある意味あなたの中に向き合うべき「あなたの本質」を相手役としての他者に与えています
相手に常に引きつけられるのは何故かお分かりでしょう
それはあなたから切り離されたあなたの本質の一部でありつづけるからです
そうやって自らとの闘いを演じようとするのです
故にそうして生み出されたあなたに認識される人格像の全ては
あなたという存在に潜在する自己であるのです
それらはすべてあなたに帰属するものです
その中から単にあなたは固有に見えるひとつの姿を選び出しているだけです
他者を評価し讃えるうちはそれは宝と映るでしょう
しかし自身や他者を蔑んだり憐れんだり否定し嫌悪しつづけるうちは
自己的な存在の本質をいつまでも誤解し続ける事になります
そうした限定された感じ方を生み出す考え方-概念-が存在します
そこでは何かを強く肯定するからには
何かを否定し続けなければなら無いと感じる事になります
こうした単純な出来事にあなた方はまったく気付いていません
そうした自動化された反応自体が何故起こるかと云う事さえも
あなた方には全く理解してこようとしなかった様に思われます
あなた方は外部から齎された知性に依るが為に
理性的である事がよくて直感はあやふやで信頼できないものだとしています
そのどちらもがあなたの本質であるのにです
また理性的であるからには内なる自己の感情を怖れもしています
何故なら感情は時に抑え込みが利かず一度暴れ出すとコントロールできないものだと経験により感じているからです
故に悪魔の囁きは常に弱い心
つまり人間の貪欲さから発せられるとして忌み嫌っています
これは白を聖視して素晴らしいと感じれば黒が危険だと見なされる仕組みと
完全に一致しています
見えるものが確かで見えないものを畏怖し否定する
昼動くのが良いことで夜動くのは悪いこと
光が良くて闇は危険であると云う訳です
そのようにあるひとつの概念
「善悪の概念」を基盤として
人類の既存の社会活動や人間的振る舞いといったモラル全般は
慣習化されそこに人間的だとする社会が築かれていったという訳です
そのようなものに実質的に人間性を謳える正当性や根拠など何処にもありません
そこに繰り広げられる感情の爆発や無力感による人格の崩壊
競争原理 生存を脅かす脅威 存在する権利の獲得 評価主義
すべてはそうした本質としての自己を理解しない事により産まれて居ります
押し付けられた宗教観やまたそこに対峙するモラルといった様相をも呈して
「人の在り方としての正しさ」をその「必要性」をもって
常々主張する義務感の為だけにそれらは現れています
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