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つれづればなhttp://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-97.htmlより転載
イスラム世界は去る7月20日を以ってラマダーン−断食月を迎えた。星降る新月の夜から30夜数える次の新月までのあいだ、日中の飲食を絶つ。今年の断食月は夏の盛りにやって来た。
イスラム教国はみな、西暦とヒジュラ暦の両方を使っている。行政は西暦に沿って行われ、信仰に関わる行事はヒジュラ暦が用いられる。
日本の旧暦とおなじく太陰暦であるヒジュラ暦は新月から新月をひと月(平均29日半)とするために西暦よりも11日ほど早く一年が終わってしまう。しかし閏月を設けずに数え続けるので季節は次第にずれてゆく。33年で、一巡する。
断食といってもひと月丸ごと飲まず食わずで過ごすわけではない(無理)。教義にもとづいて飲食から遠ざかるのは空が白みはじめる時刻から日の入りまでである。モスクから響くアザーンの声がその時を知らせる。日没とともに飲食の禁は解かれ(イフタール)、一杯の水から食事を始める。そして真夜中にまた食事をとり翌日に備える(サフール)。
夏は日がながいので断食する時間も長くなる。ここトルコでは毎日およそ18時間、真昼は40℃の猛暑、今年を挟んだ数年は最もしんどい断食月を過ごすことになる。逆に南半球の国々では真冬である。こちらで渇ききっている頃にあちらでは寒さの中で空腹に耐えていることになる。そして16年ほど経てばこの季節は逆転する。なぜか公平にできているこの仕組みは地球が丸いことなど知られていなかった時代から守られている。
仏教の世界でも座禅や無言の行などとともに断食は精神修養のひとつにかぞえられており、日本人からしてみればそれほど受け入れがたい習慣ではなく一般人でも専門家の指導の下で体験できる。そして断食は体の働きを整えることもよく知られている。しかし大きな違いは、日本では断食がもともと僧の修行としての色が濃いのに対し、イスラームのそれは教徒すべてに義務として課されていることである。
断食の義務はイスラム教徒としての自覚が持てる年にまで育った男女のうち体と心に病がない者にあるとされる。妊婦や乳飲み子を持つ母親はその限りではなく、母子のどちらかに害が及ぶようであればしなくてもよい。産褥期と月経中の女性は体調に関わらず断食しない。日中も薬の投与を続けなければならない病人、断食することで回復が遅れる病人、怪我人、また虚弱者も断食してはいけない。そして気のふれたものが断食をしても、させてもいけない。
イスラームの断食は、クルアーンに神がそう望んだとのみ記されておりなぜ行うのかは触れられていない。もとより神の望みに勝るものはなくその理由を突き詰めるなど畏れ多いことではあるが、単に飲食から遠ざかるだけの行事と捉えていたのでは意味がない。
日没までの断食をどう感じるかは人それぞれ、しかしどんなに辛かろうが終りがみえている。日が沈めは食べ物にありつけるのだし、なにより断食月は次の新月になれば終わるのだ。いつ終わるか知れぬ飢えに苦しむ者たちがいるこの世、たったひと月の断食で彼らとその苦しみを「分かち合う」ことなどできまいが、しかし少なくともそれに思いを馳せることはできよう。ここが断食の入り口である。
一杯の水に喉が鳴る。これを堪えることができるならば、もはや奪うことから遠ざかることができる。
あと少しで日が沈む。これを待つことができるならば、もはや目先の欲に狂うことはない。
内側にある「欲」が爪を立てる、この獣を飼い慣らすことができれば、人の道を違うまい。
人々はそれを試されている。
心のありかの体はどうか。
心にくらべて体のほうはもっと賢くできている。十数時間の断食は最初の数日こそ堪えはするがその後はすんなりと慣れてしまう。消化器も泌尿器も、限られた水分と栄養で一日をどうやりくりするか勝手に考えてくれる。白く乾いてしまった唇も三日もすれば元に戻る。
中が空になると胃は何か溶かすものはないかと盛んに働き出す。このときの違和感が空腹感である。溶かすものが見つからないとやがて停止する。腸も胃が動かなければ仕事をやめる。食べる暇がなくて空腹をやり過ごしてしまうのはこれである。しかし自らを維持するために常に栄養を求める体は胃腸からの栄養補給に見込みがなければ別の行動に出る。
血や臓器の中の脂肪や毒素を分解し栄養として消費し始める。体に停滞し濁った水分を絞り出す。
たとえば日本の子供たちの多くは空腹を知らない。それだけ食べ物が有り余る証拠だが、過剰な栄養を摂り続けた子供たちの体には消費しきれなかった養分が居座り、その子の体のつくりによって肥満や虚弱、あるいは病の種となる。いずれ成長した彼らはすでに物騒なものを体の中に抱えており、その体がいつ襲われようが不思議ではない。さまざまな成人病、あるいは癌がそれである。
ほとんどの病は生活習慣病であって、癌を体質だの遺伝だのとするのは大きな誤解である。遺伝するのは体の特徴であって癌ではない。生まれた後の悪習慣に作られた毒素が親から受け継いだ体の弱いところを選んで虐め、そうして病をつくる。体質などというものは自分の体をよく知ってさえいればいくらでも作りかえられる。
月経中や産褥期の女性が断食を許されないのは穢れた存在として差別しているというのもまた誤解である。この時期に古い血は失われ新しく作られる。すなわち体の浄化が行すでに行われている最中に無用な負担をかけないためである。
「たべる」こと、人にとってこれほど重要なことはない。
しかし今やこの行為と上手く付き合うことのなんと難しいことか。世界を見れば、戦争や旱魃あるいは貧しさからひもじい思いをする者の数と、そして飽食による肥満と病に悩む者の数はほぼ等しい。この世から飢餓をなくすためと銘打たれて世に出た遺伝子組み換え食品はその恐ろしい正体が暴かれつつある。農業から離れた市民は地球の裏側から農薬でまぶした食べ物を買い付ける。食品産業は消費者の味覚と視覚を刺激するために手をつくし、その後は医療産業がいろいろと手をつくしてくれる。そのときにはもう限られたものしか口にできない。
かつては土地のもの、季節のものしか手に入らず、収穫期には冬を越すための保存食を家々で作った。食べられないところは牛にやるか、肥やしにするか、乾かして焚きつけにした。
かつては医者もいなければ、病人もそれほどいなかった。
断食には、身に余るものを使い果たし、血を清め、穢れを体から押し出す力がある。
日没までに幾度か感じる空腹などは、そのときに体の悪が退治されていることを思えば、心地よい。
しかし胃や腸の壁が荒れている人はこの退治がはじまる前に降参してしまう。胃腸が自身を溶かしだすからである。言うまでもなく胃腸の荒れは生活の荒れの現われであり、ここを正さない限りは始まらない。だから酒や煙草、過食、好色、過眠、怠惰、体に害を為すほど働くこと、悪感情を抱くこと、これらはクルアーンに「避くべきこと」として記されている。この世で生きるための体は神からの「預かり物」であり、それを粗略に扱えば病という形で罰が与えられる。それでも悔恨せぬ者はあの世でさらに痛い目をみると、そう記されている。
絶えず何かを飲み食べする、煙草が離せない、そういう癖があると人よりも辛い思いをする。断食の辛さは日ごろの悪癖の裏返しとも言える。そして夜明けの礼拝を欠かさない者は食事のために真夜中に起きることも苦にはならない。
そして日没、空になった胃袋は思ったほど食べ物を受け付けられない。まず水を飲み、そして水分の多い食事を少量とる。胃腸を疲れさせないよう獣肉や卵はなるべく避けチーズやヨーグルトなどの発酵食品をえらぶ。野菜と果物は季節のものを摂るとよい。夏、スイカやきゅうりの繊維は腸にとどまり水分を長時間保持してくれる。体を冷やす夏野菜を天日で干すとその効果が 逆になり、冬に体を温める食材になる。そして柑橘類は冬の渇きを潤してくれる。
そのひとくちを噛みしめるたび、日々の糧に感謝を、そして事欠く者たちのために祈りをささげる。
世の中を人の入れ物と考えるとどうなるか。
働いて富を得ることを悪とはしておらず、むしろ奨励するのがイスラームである。ただしひたすら蓄財することは堅く禁じられている。世の中の富とは体にとっての栄養のようなものであり、滞れば脂肪や病巣にしかならないのである。富めるものは喜捨(ザカート)をして弱者を助け、寺院や学校、井戸や道を作らねばならない。そこで雇用がうまれればその富は分配されて世の中が成長する。弱者たちは世の中に守られる。
富める者、力のある者が欲に任せて富を掻き集めれば、弱い者は虐げられ彼らの中にも恨みの火がともる。それは鎖となり世の中は腐れゆくだろう。だからこそ神は富を吐き出すことを命じている。
断食月のあいだ人々は貧者に施しを惜しまない。近所衆や親戚のなかで困っている者はいないか、食べられない者がいないか調べて助け合う。モスクの前の広場には仮設の食堂が設けられ、誰かしらの寄付によって毎晩のように食事が振舞われる。日々の暮らしに事欠かない者たちも勿論この食事に加わることができる。賑わえば、賑わうほど神は喜び、あまたの加護が降り注ぐからである。
常に神の加護を求めて行動することこそがイスラームの根本であり、どうするべきかはクルアーンにすべて記されている。厳しい修行で悟りを開くことは求められておらず、生き方に対する回答を最初から与えられている。どうあるべきかは預言者ムハマンドの生涯がその手本として示されている。
「ラマダーン」は「断食」そのものと解されがちだが元は太陰暦第九月の呼称である。六世紀の終わりにメッカに生まれたムハマンドは毎年ラマダーン月になると山の洞窟で瞑想をするようになっていた。610年、齢40を迎えたムハマンドがこの年も洞窟に篭っていると、ジブリール(大天使ガブリエル)があらわれてムハマンドが神に預言者として選ばれたことを告げ、そして最初の啓示が与えられた。ラマダーン月も終わりに近づいたある日のことである。その後22年にわたりムハマンドを通してこの世にもたらされた神の啓示をまとめたものがクルアーンである。イスラム世界は今もこの日の前夜を「宿命の夜」と呼び深い祈りのなかで朝を迎える。ひと月近い断食が終わろうとする頃、醜い穢れが拭い去られようとする頃である。
クルアーンは決して難解な書ではない。イスラム教国に生まれさえすれば誰でもその文章を理解することができる。しかし文章を解するのと心のなかに刻むことは同じではない。石油太りで身動きのとれない王族も、痩せた体で痩せた土を耕す民衆もいずれもイスラム教徒である。欲に羽交い絞めにされた心は、蝕まれた体に逆らえない心は、富を生み出すためだけにある世に生きる心は乾き萎縮し固く閉ざされる。そこに何かが沁みわたる筈もなく、父の声、母の声さえ届かない。ましてや姿の見えない神の声がどうして聞こえようか。
「人々よ、なぜわからぬのか」「いつになればわかるのか」
預言の書クルアーンは始終そう問いかける形で書かれている。あたかもこの世が神の望まぬ姿に向かって変わりつづけるであろうことを示すかの如く。それがこの世の宿命であるならばそこに生きる人も宿命を共にする他ない。しかし逆らい得ぬ宿命の中にあっても神の加護を求め穢れを断ち切ろうとする者たちは必ずや、あまねく慈悲につつまれるであろう、クルアーンにはそう記されている。
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