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2013年6月 7日 神州の泉
ごく普通の青年が、ごく普通の感覚で、ごくまともなことを言うだけで、この国の代表的な報道公器は彼のアナウンサーとしての職業的な自己同一性を剥奪し、彼の伝えるという使命を奪っている。
神州の泉はテレビ、ラジオを問わず、NHKのアナウンサー全般について、かなり以前からある一つの定型的な印象を持っている。それを言う前に堀潤氏の素直な言葉を見てみよう。
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堀 潤 JUN HORI @8bit_HORIJUN
震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら「精度の信頼性に欠ける」とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない。
2013年3月11日 2:29 PM
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堀潤氏は報道公器として使命とは、国民の生命・財産を守るためであり、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを公表しなかったのは、公共放送の在り方、本分を捨てる不作為であるとはっきり自覚しているようだ。
しかも、NHKは文部科学省の考えに沿ってSPEEDIのデータを公表することを控えたのであり、NHKが“知らせること”の責任を放棄したという捉え方をしている。これは全くその通りであり、報道機関は多少の不確実性を孕んでいても、国民の命に係わる緊急性を持つニュースは最優先で報道するべきである。
報道した結果が不正確で不確実なものだったことが分かっても、視聴者は安全を優先した報道を責めたりはしないと思う。それよりも罪深いことは、国民の生死にかかわる政府筋の情報を握ったまま、それを体面や既得権益の思惑に従って、外に出さないことのほうが万倍も罪深い。
その意味で、堀潤氏はごく当たり前のことを言っているだけであり、そのことを以てして、彼が局内にいられないようなシステムに成り下がっているNHKは異常であり、報道公器としての使命を放棄している。
アナウンサーは政治的に重要なことを伝えてこそのアナウンサーである。少し話は飛ぶが、若いころから神州の泉は毎年1月の成人の日に開催されていたNHK主催のアピールコンテストである『NHK青年の主張全国コンクール・青春メッセージ』を冷ややかな目で見ていた。
このコンクールに選抜された青年主張者たちには悪いが、主張論文の内容から政治性がいっさい捨象され、毒にも薬にもならないどうでもいいようなことを、目に力を入れ、声に力を入れて訥々(とつとつ)主張していた光景に、神州の泉は若かったが一人で呆れかえっていた。
こんな愚にも付かない内容を、誰がどういう主旨で評価するのかと最初は見ていた。政治的にはいっさい当たり障りのない内容で、外国から来て日本の農家の仕事に戸惑い、日々研鑽するうちに仕事に慣れて来たとか、牛がすくすく育ってきたことに感動したとか、別に知らなくてもいいような主張を真剣に朗読する姿は、そのうち一つの“お笑いテースト”として見るようになっていた。
これが成人式に始まるたびに「ああ、またNHKの官製視野狭窄コンテストが始まったな」という思いで楽しむようになっていた。そのうち芸能人がお笑い番組でこの“青年の主張“をパロディ化するシーンも増えていた。
印象に残っているのは、フジテレビ系列で、1980年ごろからやっていたお笑いバラエティ番組、『オレたちひょうきん族』で、タレントの山田邦子氏が、この『『NHK青年の主張全国コンクール』を見事にパロディ化したので、本当に腹の底から笑ったことを覚えている。
内容はよく覚えていないが、山田邦子氏が戯画化した青年の主張は、たしか農家で仕事をした経験を読み上げたもので、まったくどうでもよい農家の事柄(エピソード)を2、3掲げながら、目と声に力を込めて、素晴らしい経験に満ちた生活を送っている今日この頃ですというような落ちで締めくくったが、全体のあまりの意味のなさに笑い転げてしまった思い出がある。
この話はNHKの現役アナウンサーの基本姿勢に共通している物がある。NHKのアナウンサーはテレビ、ラジオ問わず、極めて神経質に話題から政治性を捨象し、どうでもよい話題にエネルギーを注いでいる。
まるで彼らの仕事が、世の中の事象から政治性を剥奪して政治の重要な問題が発生していないかのような態度を取り続け、その代わり、彼らはグルメや天気、旅の話題などに“命懸け”でエネルギーを注ぐ。
話がグルメや外国の風物詩などの話題に及ぶと、彼らアナウンサーたちは我が意を得たとばかり生き生きして饒舌になる。海外の話題でも、そこまでやるのかというように政治問題を忌避し、グルメや現地習俗の話題に目をらんらんと輝かす。NHKのアナウンサーはアホと呼ばれても仕方がない。かなり昔から、彼らのどこがエリートなんだと思っていた。
国民から視聴料を徴収していながら、政治批判を極力回避し、国民の生命、財産の安全に寄与しないばかりか、グルメや旅番組の話題など、どうでもよい当たり障りのないことにしか真剣にならないアナウンサーばかりである。彼らを養成する国営放送って必要なのか!?
普通の感性を持つ堀潤氏が呆れるのも無理はない。
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