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2013年05月25日 22:51 門田隆将
3日前のブログで『“誤訳”で増幅される「政治家発言」を憂う』と題して、橋下徹・大阪市長の従軍慰安婦発言について取り上げさせてもらった。
外国では、橋下氏の発言の内容が「大坂市長は、軍には当時“性奴隷(sex slaves)”が必要だった、と発言している」と報じられ、より大きな反発を受けていることを指摘させてもらった。
知人からも直接、問い合わせが来るなど、非常に大きな反響となり、一般の方々の関心の高さに驚いた。その中に、「では、従軍慰安婦を英語ではなんと表わせばいいのか」という質問が少なからずあった。
私は、英語の専門家でもなんでもないので、ふさわしい表現があるなら、是非ご教示いただきたいが、強いて言うなら、「licensed prostitutes in military (軍における公娼)」と表現すべきではないか、と考えている。
英語圏では、慰安婦を直訳した「comfort woman(慰める女性)」という表現もあるそうだが、私は実質的な意味として「licensed prostitutes in military」ではないか、と思う。
3日前のブログでも書いたように、貧困に支配されていたあの時代、家族を助けるために自らの身を売り、色街で働く薄幸な女性は数多くいた。そして、その中に軍を相手に独占的に営業する「P屋」と呼ばれる慰安所で働いた女性もいた。
それは、日本国内にとどまらず、朝鮮半島やそのほかの地域の出身の女性も沢山いた。現代史家の秦郁彦氏は、戦時中のソウルの新聞に「慰安婦至急大募集 月収300円、本人来談」という業者による広告が何回も出ていたことを指摘している。
秦氏によれば、当時の日本兵の月給は10円前後だったというから、慰安婦は、「兵士の30倍の月収」を提示されていたことになる。それは、貧困の時代の哀しい「現実」である。歴史を振り返る時、自らの身を売って家族を助けようとした健気(けなげ)な女性が数多くいた不幸な時代のことを噛みしめることは大切だと思う。
しかし、そのことが日本を貶める目的のもとに、史実をねじ曲げてまで、「日本が国家として、嫌がる婦女子を強制的に連行し、性奴隷(sex slaves)とした」という“レイプ国家”としてのレッテルを貼られるとしたら、それは「違います」という声を上げることは重要だと思う。
なぜなら、その史実に反したことがもし確定したなら、私たちの子や孫、そしてひ孫の世代にどんな影響を与えるかということを考えるからである。「嘘も百回言えば真実となる」というが、こういう問題は絶対に、嘘を許してはならないと思う。
それと共に、1991年に従軍慰安婦を「強制連行」したとして突如、これを問題化させた朝日新聞の報道の罪の深さをあらためて感じる。史実をねじ曲げてまで日本と日本の若者の将来の障害になりつづけることをこの新聞が「創り上げたこと」にどうしても思いを致さざるを得ないのである。
もし、韓国に自国の歴史をねじ曲げてまで、他国から糾弾される“もと”を創り上げる新聞があれば、たちまち国民の総バッシングを受け、読者から愛想を尽かされ、経営破綻するに違いない。
しかし、日本では、今も立派に経営が成り立ち、従軍慰安婦の「強制連行」について、訂正すらしなくても許されている。私は、そのことが不思議でならない。
昨日、韓国の中央日報が、原爆投下は「神の懲罰だ」と主張したコラムを掲載し、物議を醸している。しかし、もし、何十万人もの罪もない若い女性を強制連行(拉致)し、慰安所に監禁し、強姦しつづけた過去が日本にあるなら、韓国にそんな論評が出ても不思議ではないと思う。
ひとつの誤った記述、報道が日本と韓国という二つの国の国民の距離を広げ、もはやいかんともしがたい亀裂を生じさせていることを私は残念に思う。この問題にかかわるジャーナリストたちは、そのことを振り返ってみるべきだろう。
私は、家族のために、生活のために、身を売らざるを得なかった薄幸な女性が数多くいたあの時代のつらさを思うと同時に、彼女たちの恵まれなかった人生に深く同情する。そして、同時に“レイプ国家”といういわれなきレッテルによって、これから「国際舞台」で苦しんでいく日本の若者たちにも、深く同情する。
私は、『太平洋戦争 最後の証言』シリーズをはじめ、太平洋戦争の最前線で戦った老兵たちを全国に訪ね、その遺言とも言うべき証言を紹介するノンフィクション作品を何冊も上梓している。
あの不幸な時代に、家族と国のために戦い、不運にも命を落としていった若者たちの「無念」を語る生き残り兵士たちの証言を直接この耳で聞いているだけに、そういう思いを余計に抱くのかもしれない。
ジャーナリストには、「真実」に対するあくなき探究心と同時に、謙虚に事実を見ようとする姿勢がなにより必要だと思う。従軍慰安婦報道にかかわる人たちには、政治家たちの片言隻句を捉えるのではなく、どこまでも「真実」に対して忠実、かつ真摯(しんし)であって欲しいと心から願う。
http://www.kadotaryusho.com/blog/2013/05/post_696.html
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