http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/684.html
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「日本が南京で行った暴行についてその真相をお話し下さい。
我が軍が南京城壁に攻撃を集中したのは、昭和12年12月7日(筆者注・10日)でありました。これより早く上海の中国軍から手痛い抵抗を蒙った日本軍は、その一週間後その恨みを一時に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到したのであります。
この南京の大虐殺こそ、近代史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子二万名が惨殺されたのであります。
南京城内の各街路は、数週間にわたり惨死者の流した血に彩られ、またバラバラに散乱した死体で街全体が覆われたのであります。この間血に狂った日本兵士らは、非戦闘員を捕え手当り次第に殺戮、略奪を逞しくし、また語ることも憚る暴行を敢て致しました。
日本軍入城後数週間というものは、一体南京市内でどういうことが起ったのか、非戦闘員たる中国人の保護に任ずるため踏み止まった外国人が、一体どういう運命に遭遇したのか、これは杳として知ることは出来ませんでした。というのはかかる真相の漏洩より予想される不測の反響を慮った我が軍部が、あらゆる報道の出所を封じて、厳重なる検閲を実施したからであります。だが結局この真相は白日の下露呈されました。そしてかかる日本軍の常軌を離れた行動そのものに対しては、その大部分の責任が、これを抑え切れなかった軍部自体の負うべきものなることが判明致しました。
集団的な略奪、テロ行為、暴行等人道上許すべからざる行為は、市内至るところで行われました。はじめ南京城市民は、もしも日本軍さえ入城してくれるなら、中国軍の退却のドサクサにまぎれた暴行略奪も終るだろう、と期待したものです。ところが彼らの希望は無残にも裏切られたのみならず、更に大なる恐怖に直面することとなったのであります。
こうした暴行事件は南京初め保定その他華北の占領都市でも見られることですが、これは明らかに日本軍将校が煽動して起したものであり、彼等の中には自から街頭に出て商店の略奪を指揮したものもあったといわれています。日本軍の捕虜となった中国兵を集め、これを四、五十人ずつロープで縛り、束にして惨殺したのもまた日本軍将校の命令であったのです。
日本軍兵士は、街頭や家庭の婦人を襲撃し、暴行を拒んだものは銃剣で突き殺し、老いたるは六十歳の婦人から、若きは十一歳の少女まで見逃しませんでした・・・・」
(GHQの指示でNHKが作成したラジオ番組「真相箱」http://mizumajyoukou.jp/?News%2F2010-01-24)
「バラバラに散乱した死体で街全体が覆われたのであります」とはショッキングな内容だが、これは、「大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後の被占領期、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策の一環として、昭和20年(1945年)12月9日より10回に亘(わた)りNHKラジオ第1放送及び第2放送で同時放送された宣伝番組」(wiki)である。
太平洋戦争で、原爆投下で非戦闘員十数万人を虐殺するという「戦争犯罪」を犯したアメリカが自らの罪をもみ消すために行ったものだ。
(当時、広島には朝鮮半島からの工員が従事しており、朝鮮人も大勢死んだ。)
戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるため、太平洋戦争後に連合国軍最高司令官総司令部による日本占領管理政策として行われたというウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの一環であった。
これは、小沢攻撃、TPP礼賛等を見れば分かるが、現在も続く、アメリカによるプレスコード=マスコミ規制そのもの。
中帰連や西早稲田のサヨク等朝鮮・中国の影響下にあるサヨクが行う宣伝活動の大本はここにある。
歴史を知らなければ、こんなプロパガンダにころっと騙され、修学旅行で韓国人に土下座したり。集団権結婚で奴隷になる。
<参考リンク>
◆眞相はかうだ
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ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9E%E7%9B%B8%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%86%E3%81%A0
『眞相はかうだ』は『太平洋戦争史』の劇化したもので、これらGHQによるプロパガンダは「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に対する罪、現在及び将来の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」を眼目として開始され、「大東亜戦争」という言葉の抹殺及びそれに代る「太平洋戦争」という言葉の導入によってそれが持つ意味、価値観が入れ替えられることとなった[7]。
◆ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0
それと平行し、GHQは翌9日からNHKのラジオを利用して「眞相はかうだ」の放送を開始した。番組はその後、「眞相箱」等へ名称や体裁を変えつつ続行された。1948年(昭和23年)以降番組は民間情報教育局 (CIE) の指示によりキャンペーンを行う ...
◆GHQの占領政策としてのマスコミ規制考(れんだいこ)
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ronpyo/mascomiron/history/ghqseisakuco.html
占領軍は、日本の放送に民主主義的な、戦前の日本のものよりはよいと思えるシステムをもたらす一方で、日本の放送に強権的に介入し、自分たちの都合のよいように統制していた。CIS(民間情報局)に設けられたCCD(民間検閲支隊)の検閲は比較的知られているが、民間情報教育局CIEでも露骨な介入が行われた。 その典型例が『真相はかうだ』で、企画・脚本・演出のすべてをCIEラジオ課が担当し、しかもNHK制作と見せかけた「やらせ」キャンペーン番組。NHK「20世紀放送史」によると、効果音を駆使し速いテンポでたたみかけるように「南京大虐殺」や「バターン死の行進」などを再現して聞かせた(ドキュメンタリードラマの手本としては、得るところが大きかった)。聴取率アップのため日曜夜8時〜8時半のゴールデンタイムを選び、しかも前後を人気娯楽番組で固めてあったという。
しかし、あまりに露骨に支配層や日本軍の残虐ぶりを描いたため、聴取者からの評判は極めて悪く、非難の投書が殺到。駐米大使の野村吉三郎が真珠湾攻撃を知りながら対米交渉を続けてアメリカを騙したと放送した回では、聴いていた野村本人が新聞に投書し反論。CIEは放送協会会長・大橋八郎に、野村への再反論を放送せよと指示したが、大橋は野村から直に話を聞き、野村のほうが正しいと認め、CIEの指示を無視した・・
◆なぜ南京大虐殺は捏造されたのか?
http://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0
◆「南京大虐殺」は捏造だった
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm
◆ピース大阪からの日本軍の加害行為展示撤去に抗議を!
レイバーネット日本-2013/02/18
http://www.labornetjp.org/news/2013/1361258032279staff01
転載情報 ピース大阪からの日本軍の加害行為展示撤去に抗議を! 大阪府によるピースおおさかの展示から南京大虐殺など旧日本軍の加害行為に関する展示を撤去することは、全く許せないことです。下記サイトから、ぜひ抗議してください。
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