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前書きに断りが入っているように3分の2は昨年の7月末に刊行され評判を呼んだ『戦後史の正体』とほぼ同じ内容。新しいものは、昨年12月総選挙投票日直前の『週刊ポスト』2012/08/17・24号「2012年と1960年 国民の怒りが政権を打倒する日」に掲載された孫崎氏と高橋洋一氏、長谷川幸洋氏との対談(鼎談)と新たに追加された章がある。余計なことだが、『週刊ポスト』を発行する小学館の「二匹目のドジョウ」をねらった感が強い。最初から『戦後史の正体』を発行しろよと言いたい。
追加された章については野田政権の本質を突いており、孫崎氏のツイッターや他のブロガーも既に指摘していることである。「アミテージ」の発言(アメリカ首脳の本音)がオブラートを着せないでそのまま伝えられるぐらい、全く無能な野田内閣だった。その通りだと思う。政権交代でいい面があったとすれば、アメリカの本音を日本政府がうまくごまかしてきたことを多くの人が知ることになったことだけだ。
わたしはこの鼎談の中での高橋氏と長谷川氏の発言が非常に気に入らない。高橋氏と長谷川氏の言葉の端々に傍観者としての発言が散見される。もう一歩踏み込むことをせず、安全なところで発言しているように感じてしまう。
まず、この高橋氏は冤罪とも言われる「窃盗事件」の落とし前のつかないままで、テレビ出演や言論活動を何事もなかったかのように再開した。ぜひこの決着をつけてから発言して欲しい。何とも中途半端だ。冤罪なのに司法取引で罪を認めたのであれば、その発言をそのまま信じるわけにいかないし、本当に窃盗したのであればテレビや新聞・雑誌などのメディアで発言するのはいかがなものだろうか。
長谷川氏は現在、東京新聞・中日新聞論説副主幹であり、自他共に認める日本でも有数の「ジャーナリスト」である。いわば‘功なり名を遂げた’人である。その彼がまだ‘ぬるま湯の中に浸かった’発言が多すぎるのではないだろうか。ぜひ‘「ジャーナリスト」魂のお手本’を世に示してほしいと願う。
鼎談での彼らの発言でわたしがおかしいと思うところを引用する。(青字は私的コメント)
引用開始:
■間接民主主義への不信感
(この人たちはもっと日本社会のエリートとして「民主主義」について熱い発言をして行動すべきではないのか?こんなの傍観者の意見でしかない。彼らは改革すべき点を一番よく知る立場にいる/いた、第一義の改革に奔走すべき当事者だと思うのだが…)
(略)
高橋:(略)だからやむを得ず直接的な行動に出るしかなくなったのではないか。
ただ、目的達成のためには、最終的には選挙しなければいかんともし難いわけです。果たして彼らは選挙に行くのか。そこが僕にはまだわからない。
長谷川:僕はデモを毎週取材していますが、(略)年配男性の中には、昔こんなことがあったよな、ということを知っている人たちもいる。
それから女性が多い。お母さんたちは子どもの安全をどうしてくれるのかって、本当に怒っている。
(略)
高橋:長谷川さんは学生運動やっていたから血が騒いでいるんじゃない?
長谷川:もっと原理的に考えてますよ(笑)。政治とは議員バッジをつけた人がやることだとみんな思っていた。新聞の政治面も政党と国会議員の話が主でしょう。だけど本来、政治は「普通の人々」がするものですよ。
(略)
長谷川:60年や70年安保と決定的に違うのは、福島原発事故で国土の3%が事実上失われ、放射能で故郷に住めなくなった10数万人の”さまよえる人々”が厳然と存在していること。この人たちがいる以上、運動の火は絶対消えない。メディアも見捨てない。
■安保闘争は従米派に利用された
(略)
週刊ポスト:その50年後の2009年に鳩山内閣が普天間基地の県外・国外移転を掲げたが、やはり潰された。
(略)
長谷川:普天間基地の移転先である辺野古にV字滑走路をつくるというのも、最初からオスプレイ配備のためだったんだから。昨日今日の話ではない。
(ずっと前から知っていたという自慢話だけ?)
■「米国の意向」を捏造する官僚
(略)
長谷川:鳩山さんにできるはずがない。”辞表を出させる”発言は09年の2月だったが、その年の6月30日の会見で撤回した。その会見で何が起きたか。死亡していた故人名義の献金問題を釈明させられたわけです。
(そこまで分かっているなら何で「鳩山さん」の援護射撃をしないのだ。)
(略)
■「米国の意向」を捏造する官僚
高橋:(鳩山さんは)財務省に(弱みを)握られちゃったわけだよ。
長谷川:官房副長官は法務・検察と財務・国税と週一回定例会議を開いて、政治家トップの弱みを情報交換している。鳩山さんはそこで弱みを握られたから政権を取っても政治主導なんてできるはずがなかった。
(国のトップの政策決定が意図的にゆがめられていることに二人とも平気なのか?)
(略)
■60年安保体制からの「脱」(この部分が一番あきれた)
(略)
長谷川:新聞がいっせいに社説で「決められる政治」と書いたのには裏があるんです。「決められない政治からの脱却」というキャッチフレーズが最初に出たのは、今年1月の施政方針演説。各紙の足並みが揃ったのは、財務省が論説懇(論説委員との懇談会)で完璧にレクチャーしたからだと思います。
(それだったらなぜ「ジャーナリスト」として追及しない?)
高橋:論説委員は財務省のポチの典型ですね。私も課長のときに、各紙の論説委員を回ってレクしていたが、同じ情報を流しても記事に濃淡が出る。そうすると上から「レクが不十分だったんじゃないか」と怒られるわけ。それで論説に、「ここが違っている」と注意する。結果的に濃淡さえも全く同じ「財務省のリリース」が紙面に載る。
(「ポチ」発言を連発しつづけるだけで、解決策を探ろうという姿勢がない。おそらく「優等生」の典型で、状況の理解や把握にかけては素晴らしいが、次のステップである解決策の提示、判断や決断へ行く過程の筋道が見えない。)
長谷川:メディアは公正、客観的な報道だとか、真実の追求なんていうけど、役所にすれば情報操作の対象でしかない。
(分かっているなら、もっともっと大きな声で発言して欲しい。)
高橋:当たり前じゃない。こっちが流した情報をそのまま書くんだから。
(分かっているなら、メディアの姿勢を追及して欲しい。)
長谷川:私は財政制度等審議会臨時委員という「特上のポチ」だったから(笑)、(略)私が米国とカナダに行ったときには財務省から主計局の若手が2人同行して、報告書も彼らが書いてくれた。
(こんなことを「ジャーナリスト」として糺す努力をしているのか?「特上のポチ」と言って笑っている場合か?)
(略)
長谷川:はっきり言って、新聞の経済記者が主計局とケンカして財政の記事を書けるかというと、普通は書けない。逆に、役所のポチになって情報を貰えば、どんどん餌を貰って太っていき、社内で出世もできる。それを断ち切ると記者は生きて行く場所を失う気持ちになる。
(「ジャーナリスト」としての発言としては恥ずかしいと思うのだが?義憤はないのか?)
高橋:だけど長谷川さんは脱ポチでしょう?私は脱官僚で、孫崎さんは脱米国。そうした「脱」の動きが様々な場所で起こっている。この流れを吸い上げる中間的な存在が出てくれば、変革の可能性はある。
(自分も「ポチ」じゃなかったのか?「この流れを吸い上げる中間的な存在が出てくれば」は人任せの究極?)
(略)
引用終わり:
最後に僭越ながら、孫崎氏について意見を言わせていただく。
氏の著述の中でも「小沢一郎」をとても評価しているにもかかわらず、「私は小沢さんには会ったことが無い」といつも断って(予防線を張って)いる。二人の考え方はかなり近いと思うのに、この二人の間には何らかのわだかまりがあるのだろうか。湾岸戦争の時のPKO活動の強行の時何らかの軋轢があり、それを引きずっているのだろうかと勘ぐってしまう。
孫崎氏がメディアに露出してさかんに発言されるようになったのは、2012年の始め頃からだった。その時点からすでに「小沢一郎」が政界・政局のキーマンであることはご存じの筈だから、接点はあったと思う。どちらからも積極的に共同戦線を張ろうと言う意思はなかったのだろうか?鳩山氏とは何度も話し合っておられるようなのに…
孫崎氏は小沢新党が「森ゆうこ議員」を首相候補に掲げれば、国民的な風が吹く可能性があると発言している。実現しないという前提であえて申し上げると言っているので、何らかの話し合いがあったともとれる。
矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-317.html より転載
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