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http://www.asahi.com/national/update/0122/TKY201301220257.html
2013年1月22日19時19分 朝日新聞
アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、朝日新聞社などが加盟する内閣記者会は22日、政府が公表していない被害者の氏名と年齢のうち少なくとも死亡が確認された7人分の公表を安倍晋三首相と菅義偉官房長官に申し入れた。
申入書では「事件に対する国民の関心は非常に高く、日本政府が公的に安否確認を行うとともに、情報収集、救出、帰国支援に全面的に関与している」と指摘。「最も基礎的な情報」である氏名と年齢の公表を求めている。
日本政府は2004年4月と10月にイラクで起きた人質事件では被害者の氏名を公表している。菅氏は22日午後の記者会見で、氏名の公表について「(被害者の勤務先である)日揮がご家族の意向をまとめている。しばらく様子を見守りたい」と語った。
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人質事件 家族や知人から悲しみの声
動画 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130122/k10014981601000.html
1月22日 18時59分 NHK
アルジェリアで起きたイスラム武装勢力による人質事件で死亡が確認された日本人の家族や知人からは、理不尽に命が奪われたことへの憤りや悲しみの声が聞かれました。
伊藤文博さん(59)
死亡が確認された7人のうち1人、日揮の社員の伊藤文博さん(59)は宮城県南三陸町出身で、岩手県の一関工業高等専門学校を卒業したあと東京工業大学に進学し、博士課程を修了しました。
日揮では、アルジェリア開発プロジェクトの部長を務めるなど、アルジェリアの滞在経験も豊富で、長く現地の資源開発に携わってきました。
母校の後輩の育成にも熱心に取り組み、高等専門学校では、みずからの仕事の内容や技術者の心構えなどについて、たびたび講演していました。
伊藤さんは、野鳥の観察会の会員になってバードウォッチングを楽しむなど趣味も大切にしていたということです。
<母親“いちばん頼りにしている息子だった”>
宮城県南三陸町に住んでいた母親のフクコさん(82)は、自宅を津波で流され、仮設住宅で独りで暮らしています。
フクコさんは、まもなく60歳になる文博さんが、来月、還暦の集まりに出席するために地元に戻るという連絡を受け、文博さんに会うのを心待ちにしていたということです。
今月11日には、出張でアルジェリアに出発すると文博さんから電話がかかってきたということで、これが最後の会話になりました。
フクコさんは「こんなことがあるなんて思わなかった。今は泣くだけで何もできず、ご飯ものどを通らない。私の方がダメになりそう」と時折、涙ぐみながら答えました。
文博さんの人柄については、「電話が来たときに『しっかり食べてるか?』と気遣ってくれる、心優しい子だった。一番頼りにしている本当にいい息子だった」と落ち込んだ様子で話していました。
<友人“夢であってほしい”>
伊藤さんが、来月、出席する予定だった地元の還暦祝いの幹事の1人で、宮城県南三陸町の公立志津川病院の横山孝明事務長(59)は「還暦祝いに出席するという電話が正月に伊藤さんからあり、そのときは『会うことを楽しみにしている』と元気な声で話していました。世界で活躍していた人がこのような事件に巻き込まれることに憤りを感じます。伊藤さんと会えることを楽しみにしていたので、夢であってほしいです」と話していました。
伊藤さんの幼なじみで、小中学校で同級生だった宮城県南三陸町の職員、三浦源一郎さん(59)は「幼いころは家も近く、よく一緒に遊んでいました。中学時代の伊藤さんは頭がよく、ブラスバンド部でトランペットを吹いていました。なぜこのようなことが起きてしまったのだろうと思うとつらいです」と話していました。
また、同じく小中学校で同級生だった町職員の錦部泰子さん(59)は「来月、予定されている地区の還暦のお祝いで、久しぶりに会えると思って楽しみにしていました。世界で活躍されている罪のない方が、このようなことで亡くなることに憤りを感じます」と話していました。
<野鳥が好きだった>
伊藤さんは幼いころから野鳥が好きで、地元の野鳥の観察グループ「愛鳥会」のメンバーに加わっていました。
伊藤さんが30年ほど前、観察グループの創立30周年の記念文集に寄せた文章では、アルジェリアやマレーシアなどで見た鳥のことに触れていて、「このときほど鳥を見る楽しみに感謝したことはない。日本ではたまにしかお目にかかれない鳥も見たし、また、当然、日本では見られない鳥も見た。外国製の図鑑が鉛筆やボールペンの書き込みで、少しずつ賑やかになっていく」と記されていました。
伊藤さんと小学校時代からの友人で、野鳥観察の趣味を通じて交流していた宮城県南三陸町の三浦孝夫さん(64)は「アルジェリアの人質事件をニュースで知ったとき、まず、伊藤さんのことが頭に浮かびました。伊藤さんは小さいころからおとなしく、まじめな人で、鳥の観察力はずばぬけて優秀でした。大人になってからも、帰省したときは、私の家を訪ねてくれて親交が深かったので、今回のことはうそだと信じたい」と話しました。
また、三浦さんは「伊藤さんはアルジェリアに行った際、お土産に砂漠の砂を持って来てくれたり、砂漠にいる鳥の話をしてくれたりした。会社を退職したら、地元の南三陸町で一緒に鳥の観察をしたかっただけに、残念でなりません」と話していました。
渕田六郎さん(64)
亡くなった渕田六郎さん(64)は、昭和23年、鹿児島県肝付町で9人きょうだいの末っ子として生まれました。
兄の渕田光信さんによりますと、渕田さんは地元・鹿児島県の鹿屋市にある工業高校では空手部で活躍し、卒業後は大手建設会社に入りました。英語が得意で、長年、世界各地で現場監督などを務めてきました。
渕田さんは定年前に大手建設会社を退職していましたが、この年末に、帰省した際には、退職した会社からの依頼でアルジェリアに行くことになったと話していたということです。
<兄“本当に残念”>
渕田さんの兄で鹿児島県肝付町の渕田光信さんは(70)、22日朝、親族を通じてアルジェリアで六郎さんの遺体が確認されたと伝えられたということです。
兄の光信さんは、「兄思いの優しい弟でした。この年末に帰省していたときには、一緒にカラオケに行ったし、今度帰ってきたら、温泉に行こうという話もしたばかりでした。まさかこんなことになるとは思っていなかったので、本当に残念です」と話していました。
また、渕田さんの義理の兄で、鹿児島県肝付町の廻実義さん(73)は「突然のことだったので驚いています。本当に残念です」と話していました。
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