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新聞休刊日というものがある。月に一回前後のペースで、日本新聞協会に所属している新聞社は、新聞の発行をしない。この日は、宅配もなく、駅売りもない。つまり特殊な例外を除いて、日本全国から新聞がそっくり消えてしまうのだ。
僕はいくつかの国で暮らして新聞を読んできたけれど、新聞が休みを取るなどという話しは聞いたことがない。
毎日出すから日刊紙なのであって、一回休んだら意味がないと思うのだが。
あなたの心臓は「毎日、せっせと働いていて疲れるから、今日は悪いけれど一旦休むわ」なんて言いますか?事件は毎日どこかで起きているし、そもそも、新聞は社会の鼓動を伝える公器ではないのでしょうか?
「お互いときどき交代で休みましょうや」というなら、百歩ゆずってありかもしれない。しかし、全国の新聞が同じ日に、横並びで揃って新聞を出さないのはいくらなんで酷い。
新聞社は「新聞配達の人を休ませるためだ」というが、そんなの就労条件を考慮すればいことであって、それを理由に新聞を出さないというのは、目的と手段が完全に逆転している。
逆になぜアメリカで休みなしの宅配ができて、日本ではできないのか、その理由を知りたい。
前にこの手のことを書いたら、新聞社のお偉方がすっ飛んできて、レクチャーみないなものをぶっていったことがあった。要するにソフトな脅しだ。だから、多くの人は口を閉ざす。
横並びのいじめというのはきっと日本社会の基本体質だと思うが、談合やいじめを、声高に批判するメディアが、自分でも同じことをしている。あげくのはてには、記事も横並びで、裏取りもしないまま掲載していることもある。まったく情けないものだ。
こんなことしていたら今にひどい目にあうぞと思っていたら、案の条というか、人々はだんだん新聞を読まなくなってきた。
結局、新聞休刊日ができたおかげで、人々はそれに慣れて、「新聞がなくたって、べつに不自由ないじゃん」と考えるようになったのかもしれない。
だとしたら、要するに自分で自分の首を絞めたようなものである。
僕は、新聞を買う喜びを感じるのはもう「ニューヨーク・タイムズ・ブックビュー」くらいになってしまった。これもインターネットで読めるんだけれど、日曜日の朝にあのずしりと重い日曜版を買い行く愉しみは、ほかに替えがたい。「ん、日曜版って何?」みたいなことにならないといいけれども。
批判は批判として(それくらいの意見を述べる権利はあるはずだが)、新聞社のみなさん、いろいろと大変でしょうががんばってください。(村上ラジオ2より)
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