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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121110-00000303-bjournal-soci
Business Journal 11月10日(土)14時20分配信
【前回までのあらすじ】
ーー巨大新聞社・大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介社長は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に、合併の話を持ちかけていた。しかし、基本合意を目前に控え、事務的な詰めに入ろうとしたところで、急に合併に後ろ向きな姿勢を見せ始めた村尾。その背景には、一般企業では考えられないような、新聞業界独特の経営事情があったーー。
「お待たせしました。ようやく料理が届きました」
老女将は村尾の奥まで進み、ビール瓶を入れた籠から一本取り出し、栓を抜いた。「さあ、お一つ、どうぞ」と言って、2人のグラスのお酌をした。2人が軽くグラスを上げるのを見て、老女将は格子戸のところに戻った。突き出しと前菜をちゃぶ台に並べ終わると、もう一度聞いた。「あとの料理は、まだよろしいですか」。
松野が腕時計をみた。午後7時10分だった。「2人が来てからでいいな」。老女将が部屋を出るのを見届け、松野が切り出した。
「若い連中が来るまでに、いくつか確認しないといけないことがあるから、話を急ごう」
「わかりましたけど、うちの株式問題についても理解していただきたいんですよ」
「わかったよ。どういうことなんだ」
「先輩の大都は社主で大変なのはよくわかりますが、うちは株主の全員が社員とOBです。現役社員は私に人事権があるんで、どうにでもなりますが、OBは簡単じゃないんです」
「OBだけで3分の1以上持っているのか」
「ええ、そうです。持ち株比率を現役とOBでみると、ちょうど半々くらいなんです」
「でも、新聞社の経営形態はどこも同じだろ。違いは、社主がいるかいないかだけだろう」
「社主は一人、親族などがいても数名でしょ。でも、OB株主は数百人いるんです」
「相手がたくさんいるから大変、というのか」
「そうなんですよ。考えようによっては社主より厄介です」
日本の新聞社の多くは大手全国紙、地方紙に関係なく、世界中どこの国を探しても存在しない、「天然記念物」的な株式会社として運営されている。戦後のどさくさの中で制定された日刊新聞法という「遺物」に基づき会社を組織し、後生大事に守っているからだ。
日刊新聞法は新聞社の株主を「新聞事業に関係する者」に限り、譲渡制限を認めている。この法律に基づき、株式会社を組織すれば、どんなに日本の経済規模が拡大しても、新聞社の株式を保有できる株主が限られるので、資本市場から資金調達することが難しいなど問題もあるが、その半面、経営陣による私物化に好都合なのだ。
実際、新聞社の大半は極端な過小資本である。部数第1位の大都は年間売り上げが4000億円を超すのに、資本金はわずか6億円である。部数第3位の日亜も売り上げが2500億円前後あるのに、資本金は30億円である。年間売り上げが2000億円を超す、新聞社以外の大企業で、資本金が100億円未満の会社は皆無と言っても過言ではないだろう。
●外部からのチェックが働かない
新聞が建前として常々主張しているように、企業には社会的責任がある。その責任は規模が大きくなればなるほど重くなる。その行動は、さまざまな角度からチェックされていなければならない。しかし、新聞社の場合は、仲間内しか株主が存在しないうえ、マスコミも身内には批判の目を向けない。もちろん、監督官庁はなく、行政からのチェックもない。
つまり、新聞社は外部からのチェック機能がほとんど働かない。ジャーナリストとしての自覚のある優秀な経営者がいないと、堕落するリスクの大きい、特殊な株式会社なのだ。
いずれにせよ、社主の存在しない新聞社の経営者は、「怖いものなし」の環境に置かれているわけだが、のどに刺さった小骨くらいの存在はある。それがOB株主である。
現役社員の株主は経営陣が人事権を持っているので、99%刃向かう心配はない。だが、退職したOB株主は現役社員と同じというわけにはいかない。だから、大都にしても日亜にしても、定年退職した社員を、世間並みを逸脱した、破格の捨て扶持で飼い殺しにするのだ。
OBには、「札びらで頬を叩く」ような経営陣の行為と、不快に思う者もないわけではない。しかし、背に腹は代えられないのが実情で、経営陣に眉をひそめたくなるような行為があったり、経営のかじ取りがおかしいと思ったりしても、見て見ぬふりをすることが多い。
それでも、OB株主は経営陣に刃向かうリスクがまったくないとはいえず、唯我独尊、傍若無人に振る舞うことに慣れた新聞経営者にとっては、常に気になる。特に、合併のように新聞社の行く末に関わる重大な経営問題であれば、記者出身のOBは、ああでもない、こうでもないと言い出す可能性が高い。
●OBという名の「のどに刺さった小骨」
だから、OB株主はのどに刺さった小骨のような存在なのである。そのまま放置しても命に別条はないが、取り除かないと気になって仕方がないので、大抵は小骨を取り除く。だが、OB株主は小骨のようには取り除けない。
村尾の説明に今一つ納得できない風情の松野は、ちゃぶ台のビールを取り上げ、独酌(どくしゃく)した。一息に飲み干すと、突き出しの和え物をつまみながら、続けた。
「社主のいないところは、みな同じなのかね。君の所だけの特殊な事情はないのかい?」
「国民新聞もOB株主は気になる存在ですが、うちだけの特殊な事情もあります」
「特殊な事情?」
「うちは合併会社だからです。旧日々出身と旧亜細亜出身で考え方に違いがあります」
「旧日々はリベラル路線だったな。対米協調路線の今の日亜の姿勢に不満があるのかね」
「それはあります。でも、旧日々出身のOBの持ち株はあまり多くないんです。拒否権の心配はありません」
「それじゃあ、旧亜細亜のほうか」
「そうなんですよ。旧亜細亜OBが、やっかいなんです」
村尾はこう言うと、合併した日亜の資本金や株主構成がどう変わったかを解説し始めた。
●後を引く、過去の合併
昭和45年、旧日々と旧亜細亜が合併した時、両社の資本金はそれぞれ2億円、1億円、発行価格(旧額面)は50円で、発行済株式数はわずか400万株、200万株だった。合併に際して、存続会社にどっちがなってもよかったが、歴史が古く、規模も大きい旧日々が存続し、旧亜細亜はなくなった。
合併時点で、旧日々の部数は270万部だった。対する旧亜細亜は80万部で、旧日々の部数が旧亜細亜の3倍以上だった。存続会社が旧日々になって当然だったわけだが、経営状況に格差があれば、合併比率も問題になる。しかし、当時の両社は多額の累積損失を抱え、債務超過スレスレだった。文字通りの対等合併でだれも異論はなく、旧日々の株主同様に、旧亜細亜の株主にも一株持っていれば、日亜株一株が与えられた。
合併前の両社は戦前から社主が存在せず、社員・OBですべての株式を保有する形態の新聞社だった。従業員数は旧日々4000人、旧亜細亜2000人、OBを含めた株主数も同じく2対1だった。要するに、日亜は合併時点で株主数だけでなく、その保有割合も旧日々OB・社員が3分の2、旧亜細亜OB・社員が3分の1の株式を持つ株式会社だった。
この株式保有割合が今日まで続いていれば、左翼的なジャーナリストが多かった旧日々出身の株主の、対米追随路線の現在の日亜の報道姿勢に対する不満が燻り、経営陣の目の上のたんこぶになっていたはずである。
松野は話し好きだが、黙って聞くのは苦手である。先をせかすように、嘴をはさんだ。
「どうして旧日々OBの株主は、心配しなくてもいいんだい? 君の話は前置きが長すぎるよ。昔のことはいいから、今はどうなんだ」
「まあ、待ってください。先輩」
村尾は、先をせかす松野のグラスと自分のグラスにビールを注いだ。
「一杯やってください。あと少しですから。最初から説明しないと、わからないんです」
「そうか。じゃあ、続けろよ」
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
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