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多様性の芽を摘み異論を排除する日本の幼稚な言論空間に変化を!
http://diamond.jp/articles/-/26217
2012年10月11日 週刊 上杉隆 :ダイヤモンド・オンライン
また、始まった。
いったい彼らや彼女らが自らの幼稚な言動に気付くのはいつのことか。もしかして、数年間、いや場合によっては永遠に気づかないのかもしれない。
3.11は日本社会を大きく分断させることになった。それは私が当初から予測していた通りだし、1年半が経過した今、まさにそうした状況になっている。
とりわけそれは原発事故、それにともなう放射能と被曝の問題で顕著だ。
また、そうした状況はしばらくの間、おそらく4年から5年か、あるいはもっと長く続くだろうと当時、私が予測をしていたことは本コラムの読者ならばご存じだろう。
さらにそうした状況を引き起こすのは他でもない、本来ならば多様な価値観を担保すべきメディア、もしくはそこで仕事をしている者だとも指摘したのだが、残念ながらその通りになっている。
というのも日本の場合、言論界にいるそうした人々こそ、記者クラブシステムに洗脳され、単純な一元化された情報こそ正しいと盲信、崇める傾向にあるからだ。
先週の本コラムでいえば、朝日新聞、毎日新聞の二人の記者や江川紹子氏などがその代表例だろう。
http://diamond.jp/articles/-/25865
もちろん彼らが間違いだということを言っているわけではないし、私が正しいと主張しているわけでもない。
問題はそうした人々の発言が、多様性の芽を摘んで、異論を排除し、なかば狂信的な言論空間を形作っていることに多くの日本人が気づかないことにある。
いや、気づかないどころではない。そうした過度に単純化され、飼い慣らされた言論社会を好む日本人の習性と相まって、極めて幼稚で感情的な言動が独り歩きし、あの戦前の危険な独裁の風潮さえ生み出そうとしているのだ。
■言論のキャッチボールを封印していた理由
たとえば、ここ数日、私自身に起きた予想通りの情況をみてもそうだ。
10月、私は半年間、封印していたそうした人々への論争の「ボール投げ」を再開した。
言論のキャッチボールを封印していた理由は、あまりに感情的な人々と論争しても、将来の健全化への生産性に乏しいこと、さらには、3.11からの約一年間、そうした人々に気付かせようとラジオやテレビ、あるいは講演では必ず語ってきた次のようなことが、私自身にとっては皮肉なことだが、かなり実現の目を見たと感じてきたからだ。
「人間は誰もが間違いを犯します。それはNHKや朝日新聞などの大手メディアだろうが、インターネットなどのSNSだろうが同じです。もちろん、政治も、官僚も、学者も間違いを犯します。神でもない限りそれは必然なのです。だから、私も間違いを犯します。健全な懐疑主義こそ正しいリテラシーのあり方の第一歩です。みなさん、さっそくいまこの場で、私の発言を疑うことから始めてください」
私自身がこう言い続けてきたおかげか、上杉隆という人物が発する情報への健全な懐疑の精神が広まってきた。ただ、個人的にはそこまでは良かったのが、一部の扇動者たちによって、情報ではなく私自身へ根拠のない個人攻撃が相対的に強まったのが、予想されたとはいえ残念だった。
それを放置した結果、それが日本社会の不幸のひとつといえばそれまでだが、その表出の仕方が極端で、議論ではなく、匿名の誹謗中傷が蔓延ることになった。
一年も経った頃には、町山智弘氏がツイッターでつぶやいたように「キンタマ蹴り潰すぞ!」というような下品で感情的な罵倒が目立つようになったのだ。
ちょうど、その頃、私はそうした作業とは別により建設的な言論空間の改革のための準備と運営に忙殺され始めた。
自由報道協会の公益法人化のための準備とミドルメディア構想「NO BORDER」のスタートである。さらには本業であるゴルフの仕事も、春のシーズン到来とともに忙しさを増してきた。
そしてこの10月、メディア・インキュベーション・カンパニーの社長としての私の本来の仕事に目途がつき、とくに10月1日の自由報道協会の公益法人化達成を受け、幼稚な人々とのキャッチボールを再開したというわけである。
■後付けでの他者攻撃“新聞記事盗用疑惑”の事例
さて、話を戻そう。
1年半前、私は、記者クラブメディアやそこで仕事をする者は、原発事故でのメルトダウンや放射性物質の飛散、あるいは被曝についての自らの事実誤認やミスを糊塗するため、まずは時間稼ぎをし、その後、必ずや後付けで他者を攻撃するだろう、と予言した。
それはいつの時代も、具体的にいえば、私が日本のメディアとその人々たちと付き合ってきたこの20年もの間、ずっとそうだったのだが、実際、今回もその通りになっている。
たとえば、江川氏をはじめそうした人々が、ここ数日、私が新聞の記事を盗用したと盛んにインターネット上で煽っているが、これこそ、こうした事例を解説するにふさわしいものだ。
〈上杉氏は、2011年9月22日のダイヤモンド・オンラインの記事およびそれを収めた著作において、昨年3月の原発事故後の各国による退避措置のリストを掲載している。これは3月23日配信のメルマガからの転載としているが、内容は並び順から言葉遣いに至るまで3月19日付の読売新聞に掲載されたリストと同一である〉
まず、本質を見失ってほしくないために言うが、当時、そうした人々は、海外政府やメディアの発表を、「そんな事実はない」「デマだ」と言っていたのだ。そうした自分たちの間違いはこのように消えてしまっている。
そして指摘の部分だが、江川氏はじめツイッターなどでいつも個人攻撃をする稚拙な人々は、この新聞の2011年3月19日付の記事を私が盗用したと決めつけている。
だが、わたしがこの情報を最初に話したのは3月16日の文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」、東京FM「タイムライン」であり、その情報とさらに、オバマ米大統領のホワイトハウス演説をもとに枝野幸男官房長官に質問をぶつけたのは3月18日の午後のことだ。
あの震災直後の多忙と絶望の一週間の最中に、どうやって私が3月19日の読売新聞の記事を知ったのか不思議だ。
もう、これだけ説明すれば、十分だろう。あとは、江川氏ら扇動する者たちが読売新聞に取材すれば済むだけだ。
少しだけヒントを出せば、当時、私は自らの情報に関しては著作権などの権利を解除していた。たとえばメルマガなどに載った情報も、問い合わせがあれば、「緊急事態です。人道的見地からも、どうぞ自由に転載してください」と言っていた。
だが、私はそれによって他者に権利侵害を訴えることなど考えもしなかった。なぜなら、そうした情報は被曝の危険性のあるすべての住民のものだったし、なにより日本人全体が共有すべき多様な情報のひとつだと信じていたからだ。
冒頭示したように、元ジャーナリストの私は、もはや幼稚な日本現代の言論空間で、自らの正しさを証明しようとは思わない。だからこうしたことがずっと続いたこの一年半、扇動者たちのを発言を放置し、とくに江川氏については、同じ自由報道協会にいた元同志として外野の煽りによる「分断」の象徴となることを避けるために、ただの一度もメンションを返さなかったのだ。
そう、もう一度言おう。当時の問題は、海外の政府やメディアがこの事故に対して、自国民の安全の為にどういう施策を採用したかということに尽きる。
どうしても引用の問題を炎上させたいのならば、そもそもこの海外避難情報のソースはすべて各国大使館のHPであることをもうひとつだけ付け加えておこう。
■過渡期の現状は日本の言論空間が成長するために不可欠のプロセス
さて、本題に戻ろう。いまの日本の最大の問題は、排他的な言動によって日本社会を分断させているこうした人々が再び増殖していることだ。
残念ではあるが、尊敬するジャーナリストである江川紹子氏までが、そうした幼稚な人々の仲間に入ってしまった。これも3.11によって、私が知ってしまった哀しい現実のひとつだろうか。
だが、これは過渡期なのだ。哀しいが、日本の言論空間が成長するための不可欠のプロセスなのだ。
確かに、彼ら、彼女らは世界の言論レベルからすれば幼稚ではあり、そうした人々に健全な言論社会とは何かを気付かせることは無理かもしれない。
変わって、そうした無知ゆえに可哀想な扇動者たちを、優しく舞台から退場させることも、成熟した多様な言論空間への第一歩なのかしれない。
いま、私はそう思っている。
3.11以降、大手メディアやそこに追従する者たちは、恐怖に慄いてきた。自らの間違いが白日の下に知らされ、罵倒を受けることを――。
だが、恐れることはない。間違いは誰にでもある。みな、そうした間違いであるならば、訂正さえすれば誰もが許すはずだ。少なくとも、私の勤めた米国のメディアはそうだったし、私自身も日々そうあろうと努力を続けている。
江川氏をはじめ、日本の言論界をリードしてきたジャーナリストたちには早く目を覚ましてほしい。そして、自らの幼稚な姿勢を改めてほしい。
いま「NO BORDER」などに参加しているジャーナリストの多くが、現在の日本の言論界の「分断」の情況を憂慮している。
情報の多様性と、他者との違いを認める価値観こそ、健全な言論社会、ひいては民主主義を成熟させるための不可欠な姿勢だ。
まだ間に合う。だが、そろそろ変わらなければ、日本は、本当に手遅れになるかもしれない。
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