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新聞が太鼓を叩いた81年前の「柳条湖事件」
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2012-09-18 07:04:56 生き生き箕面通信
おはようございます。
生き生き箕面通信1379(120918)をお届けします。
・新聞が太鼓を叩いた81年前の「柳条湖事件」
中国奉天郊外の柳条湖付近で、9月18日午後10時20分、満州鉄道を
爆発しました。昭和6年(1931年)の出来事です。現地関東軍の高級参謀、
板垣征四郎大佐が第29連隊長と独立守備歩兵第2大隊長を呼びつけ、
「張学良軍の攻撃である。奉天城、北大営を攻撃せよ」と、断固として命
令を下しました。以上は、半藤一利氏の「昭和史」(文庫本版、上巻)から
の引用です。
この柳条湖事件に至るまでには、伏線がありました。「昭和恐慌」と呼
ばれる昭和4年(1929)からの大不況があり、東北では娘を身売りに出さ
ざるを得ない状況にあえいでいた。当時中佐の石原莞爾が昭和6年5月
に「日本の運命を開くには、満州を領有することが不可欠である」とする
私見を発表、このあと「満蒙は日本の生命線である」というフレーズが国
民の間に広く、深く刷り込まれていきました。満蒙の植民地化が進み、
きな臭さが増し始めたのです。
事態を憂慮した昭和天皇は、南次郎陸軍大臣を呼び「軍紀を引きしめよ」
としかりつける一方、若槻礼次郎首相には「日中親善を基調にすることを
忘れないように」と、クギをさしました。これを受けて、陸軍は建川美次少将
を現地関東軍に送り、暴発しないよう説得に当たらせます。ところが、現地
ではうやむやにして、結局、陰謀計画を実行、戦端を開いたのです。
すると、それまで冷静さを保っていた新聞も一転して、例えば朝日新聞は
19日の論説委員会で、これは日露戦争以来の日本の大方針であり、正当
な権益の擁護の戦いであるということが確認され、20日午前7時の号外は
「奉天軍(中国軍)の計画的行動」という見出しで、特派員の至急報を掲載、
日本陸軍の陰謀計画の一端を担いました。
ラジオも、午前6時半からのラジオ体操を中断して、「目下激戦中」の緊
急報をはじめ、次々に臨時ニュースを流す。新聞も負けずに「号外」を連発。
世論操縦に積極的な軍部以上に、朝日、毎日を先頭に競って太鼓を叩き
ました。朝日がやれば。毎日も負けるもんかと大宣伝。当時の政治部記者、
前芝確三は「事変が起こった後、社内で口の悪いのが自嘲的に『毎日新聞
後援・関東軍主催・満州戦争』などといっていた」と振りかえっていたそうです。
それより先、朝日首脳は陸軍有力者を料亭に招き、それまでの批判的な
記事を謝罪したうえ、出征軍人慰問義援金として金十万円を寄付もしました。
その後は軍部の機密費で料亭でのごちそうにあずかり、軍閥謳歌に至った
そうです。
中国は、子どものころから徹底した反日教育をしたと伝えられています。
一方、日本は現代史をまったく学ばない。定年退職期を迎えた団塊の世代
も、日本の現代史にはほとんど無知の状態です。「柳条湖事件」といわれて
も、「なんのこっちゃ」とキョトンとしています。私たちは、学び直さなければな
らないことがたくさんあります。
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