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余計なことは言わなくてもいい。メディアは真実を報じるだけでいい。
http://www.amakiblog.com/archives/2012/08/03/
2012年08月03日 天木直人のブログ
きょう8月3日の毎日新聞の「金言」というコラムで専門編集委員なる肩書きの
西川恵という新聞記者が書いていた。
五輪報道への過度の偏重が、何か重要な事柄に対する関心を人々から
そらすことになってはいないかと。
本来、メディアの責務として国民に伝え続けるべき事柄を、五輪を理由に
怠っていないか、と。
それは我々読者の言うセリフだ。
我々が知りたいことは、メディアはそれをこれまで意図的に行うことがなかったか、
ということだ。
権力側とつるんで権力側にとって都合の悪いことが起きるタイミングでほかの
ニュースをぶつけて情報隠しの手伝いをしてこなかったか、ということである。
専門編集委員などという肩書を持つ以上、そういうことがあったかどうかは
当然知っているだろう。
それを白状してみせよ。
「大きな世界的なイベントがあれば、そこに殺到するのはメディアの性(サガ)
である。ある程度、そこの報道で占められるのは仕方がない。ただ重要なこと
は、行け行けとばかりそこに埋没するのではなく・・・相対的・客観的な目と感覚
である」
西川記者はそのような一般論でこのコラムを締めくくっているがそんな事を
書いてお茶を濁してはいけない。
真実を語ればいいのである。
読者にとっては編集委員の凡百な意見などよりも一つの真実を知ることで
十分である。
◇
金言:五輪報道の位置付け=西川恵
http://mainichi.jp/opinion/news/20120803ddm003070018000c.html
毎日新聞 2012年08月03日 東京朝刊
<kin−gon>
私がメディアの人間ということもあるだろうが、ロンドン五輪報道に厳しい感想や指摘をもらう。「テレビははしゃぎすぎではないですか」「五輪報道でしばらく政治、経済はお休みですか」と。
テレビ画面の中で司会者たちだけが「感動した」「素晴らしい」とはしゃぎ、あおり立てる。日本選手の苦労話、師弟愛、友情が、お定まりの美談に仕立てられ、連日、紙面を埋める。五輪報道が放送時間や紙面の多くを占領し、伝えられるべきものが脇にやられている……。指摘はざっとこんな内容だ。
今大会は、イスラム教との関係でこれまで女性選手を派遣していなかったサウジアラビア、ブルネイ、カタールが女性選手の派遣を決め、五輪史上初めてすべての国・地域から女性選手が参加した。全競技に女性が臨むのも初めて。男女平等の観点から記念すべき大会だ。
3日にはサウジの女性の柔道選手が髪を隠すヘジャブをつけて試合に出る。試合中、ヘジャブが乱れたらどうするのか、関心は尽きない。
そんなロンドン大会にあって、報道がある程度、放送枠や紙面を占領するのはやむを得ないだろう。興味深い記事や企画もある。日本選手の活躍に声援を送るのは当然のことだ。ただそれを認めたうえで、寄せられる指摘にはうなずかざるを得ない点がある。
私なりに言うなら、五輪報道への過度の偏重が、何か重要な事柄に対する関心を人々からそらすことになってはいないかということだ。言い方を変えるなら、本来、メディアの責務として国民に伝え続けるべき事柄を、五輪を理由に怠っていないか、ということである。
五輪の季節はこんなもの、という意見もあるだろう。しかし先週まで、あふれかえるほど大きなニュースが続いていたのである。官邸をとり巻く大デモ、大飯原発の再稼働の是非、「エネルギー・環境戦略」の取りまとめの行方、参院の消費増税論議、民主党の分裂と野田政権の動向。オスプレイ配備も現在進行形である。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)もある。
どれも世論を二分する、日本の将来に深くかかわる事柄だ。それが一時休戦のように、五輪の平和な光景が取って代わった。
大きな世界的なイベントがあれば、そこに殺到するのはメディアの性(さが)である。ある程度、そこの報道で占められるのは仕方ない。ただ重要なことは、行け行けとばかりにそこに埋没するのではなく、全体の中で五輪報道を位置づける相対的・客観的な目と感覚である。(専門編集委員)
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