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橋下をもちあげ、小沢をつぶすマスコミ報道相変わらず
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2012-07-15 ひょう吉の疑問
何を言ってもマスコミが批判しない政治家というのは怪しい。
橋下徹が何を言っているのかよりも、それに対してマスコミがどういう報道をするかのほうが大切だ。
橋下の発言の中身に私はさして興味はない。
なぜならその中身は空疎だから。荒唐無稽であるから。奇をてらったことを言っているに過ぎないから。
それよりも、どんなに中身のないことを言ってもマスコミから批判されないのはなぜなのか、そのほうに興味がある。
こういう政治家が出るようになったのは、小泉純一郎からだ。
小泉政権がどんなに国民のためにならない政権であったかは明らかだ。
マスコミのヤラセによって熱狂的な支持が集まった。
しかし、いまだにその検証は行われていない。
自民党もその総括を行わないどころか、ほおかむりを決め込み小泉政治などなかったかのような顔をしている。
何を言っても批判されない政治家に、もう1人石原慎太郎がいる。
これもうさんくさい。
そしてその息子が自民党の幹事長を務めている。
もし自民党が返り咲けば、この息子が日本の首相になるというバカなシナリオも考えられる。
それに対して何を言っても批判されるのが小沢一郎だ。
彼への批判は、たんに政治姿勢のみならず、私生活、人格破壊の領域にまで及んでいる。
日本のマスコミは、NHKや日本テレビを筆頭に、政治権力のヒエラルキー構造の中に組み込まれている。
彼らのする報道は真実のままではない。必ずバイアスがかかっている。色つき報道なのだ。
それに対してネット上の言論は、玉石混淆ではあるが、政治的なバイアスはかかっていない。
個人の思いがそのままに述べられている。
政治権力のヒエラルキー構造を気にする必要はない。
今の日本では、このマスコミ言論とネット言論が、水と油、真っ二つに割れている。
そして今このネット情報によって政治的な行動を起こす人々が増えてきた。
官邸前の金曜デモはその一つだ。
政治の動きは、自民党から民主党へ、民主党から第三極へと大きく流れている。
第三極のなかでも、マスコミによって、橋下はもちあげられ、小沢はこきおろされる、という構図は相変わらず続いている。
無党派層が国民の過半数を占めるなかで、
小沢新党を支持する、支持しない、の二分法による世論調査に一体どんな意味があるのか。
そこには数字のトリックが使われている。
無党派層が過半数を占めるのなら、その時点で過半数は『支持しない』を選ぶだろう。
そんな中で4人に1人が『支持する』を選ぶのは、大変な数字なのに、それが伝わらない報道になっている。
『小沢新党広がらず』、新聞紙上にはそういう見出しが踊っている。
こういうのは数字のトリックである。
マスコミは小沢新党をつぶそうと躍起である。
一方、橋下グループに関しては、何を根拠にしているのか分からないまま、第三極の中心に橋下徹が据えられて、第三極の勢力地図が描かれていたりする。
ここには明確な根拠も、それを裏付ける数字もない。イメージ操作である。
橋下が、野ブタ批判から、野ブタ支持に発言を一転させたことについても、マスコミは何の批判もしない。
常にマスコミは橋下の味方なのである。
自民 → 民主 → 第三極、という大きな流れのなかで見たとき、
橋下徹という男は、第三極潰しに利用される可能性が大きい。
もっといえば、小沢に対抗する若き英雄、といった姿が予想される。
しかしここは冷静に考えるべきである。
彼の政治的実績は何なのか。
彼は何を目指しているのか。
一テレビ芸人がなぜここまで注目されるのか。
彼は一匹狼を装っているが、決してそんなことはない。
彼がマスコミに注目されるきっかけになった光市母子殺害事件についても、彼はそれを知名度アップに利用しただけで、何の責任も取ろうとしていない。
今では知らん顔である。
一匹狼を装うテレビ芸人が、ここまでマスコミ挙げて応援されている異常さにこそ、この国の政治の異常さがある。
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