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大スクープはこうして生まれた 大阪地検特捜部証拠改ざん事件報道を、朝日・板橋洋佳記者と語る
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2011年6月 3日 asiapress :「日々担々」資料ブログ
大スクープはこうして生まれた
大阪地検特捜部証拠改ざん事件報道を、朝日・板橋記者と語る (1)
(asiapress2011年6月 3日)
http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/06/03100811.php
【はじめに】
昨年9月21日、朝日新聞朝刊に歴史に残る記事が掲載された。
見出しは「検事 押収資料を改ざんか」
大阪地検特捜部の主任検事によって押収証拠のデータが改ざんされたことを報じる大スクープであった。
その後周知のように、検察組織は激震に見舞われその存在が根本から問われることになった。
この記事の取材をしたのは、社会部の検察担当の板橋洋佳(いたばし・ひろよし)さんら朝日新聞大阪本社の検察担当記者たちだった。
検察特捜部という国家権力の中枢で起こった不正事件は、どのような取材を経て世に出るに至ったのか。板橋記者にその経緯と意味を聞き、「権力を取材すること」「ジャーナリストの仕事」について討論する会を、2011年3月5日(土)大阪で開いた。この連載はその会の模様を整理したものである。(石丸次郎)
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第1回 公判の中で変わっていく元係長や厚労省職員の供述
(板橋)
みなさん、はじめまして。板橋洋佳と申します。朝日新聞の大阪本社社会グループ・司法記者クラブ(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)に属し、検察担当をしております。
東京ではこれまで3回、講演する機会をいただきましたが、大阪では今回が初めてです。大阪のみなさん、今日は率直にお話させていただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
わたしたちの調査報道がきっかけで、改ざんをした特捜検事、その上司である特捜部長、副部長が逮捕され、検事総長も辞任する事態になりました。振り返りますと、一連の報道を通じて何が問われたのかというと、やはり記者の存在意義なのではないかと私は思っています。それは記者の基本姿勢や基本動作が問われているということです。もっといえば、取材力が問われているんだということを、自分に問いかける事件でした。
今日は、そんな記者としての存在意義を含め、一連の取材経緯を通して、実際どのようにわたしたちが考えて行動したのかをお話したいと思います。
取材の端緒は、公判で感じた些細な疑問からでした。
2010年1月から、無罪となった村木さんの公判が始まります。私は捜査段階から検察担当をしていたので、今回の公判が注目を浴びるというのはわかっていましたから、上司の司法記者クラブのキャップと話をして、公判に応援取材にはいることになりました。
少し司法記者クラブのお話をさせていただきますと、現在の朝日新聞の大阪司法記者クラブには公判をメインに取材する裁判担当(平賀拓哉、岡本玄)、大阪地検特捜部などを取材する検察担当(板橋洋佳、野上英文)、それを束ねるキャップ(村上英樹)の計5人で構成されています。この5人で、フロッピーディスクをめぐる証拠改ざんの取材をしました。
話を戻しますと、捜査段階では、元係長の上村さんや厚労省職員などほぼ全員が村木さんの事件への関与を認める「村木さんの指示で偽の証明書が作られた」という供述をしていました。
捜査段階を取材していた当時の私は、村木さんの関与を認める供述は本当ですか、と特捜幹部や検察関係者に聞くと、「村木の関与は間違いない」「10本の矢が刺さっている」と話しました。特捜部は、2009年5月、6月には、いろいろな供述から村木さんの関与は立証できるとしていました。
ところが、公判になると、最も大切だとされていた元係長の上村さんの供述が変わっていくわけです。「村木さんの関与はありません。自分の単独犯行です」と。残りの厚労省の同僚たちも公判の証人尋問の中で、「検察に言ったことは違います。供述を押しつけられました。村木さんの関与はないと思います」と供述が変わります。それは、2010年1月〜3月の頃です。
自分で取材してきた話と公判の供述の話はどっちが本当なのか、「このズレは何なのだろうか」、そういう疑問を傍聴するなかで感じました。これが、取材を始めた出発点でした。同僚の野上と「郵便不正事件の捜査ミス、捜査のズレを探ってみよう」となったのが、2010年3月末でした。
検察担当の記者の主な役割は、これから特捜部が手がける事件を取材するのがメインです。社会性や公共性、公益性のある背景を伝えていくことは何なのかを考え、取材します。ですから、郵便不正事件の捜査ミスを探るというような過去を振り返る検証作業は、これまでとはベクトルが真逆な方向に取材をしていくことになります。
野上記者と一緒に取材を始めるにあたって、無闇に探っても仕方ないので、目の前で起きていることを手がかりにしようと考えました。
つまり、村木さんの弁護団が公判の中で主張していることをきっかけにしました。ただ、主張をそのまま記事にするのでなく、主張を裏付ける内部の証言や証拠を入手して、弁護団の主張の一歩先を探ろうと自分たちのなかでハードルをつくりました。
第2回 検察の捜査を検証するなかでの3つの疑問
(板橋)
取材する際、3つ、テーマを念頭においていました。
1つ目は、フロッピーディスクをめぐっての検察の主張と客観証拠のズレです。
公判で、虚偽公文書作成の証拠として出されたフロッピーディスクの最終更新日時は、2004年6月1日未明となっていました。
ところが、虚偽公文書の作成が6月1日未明だとすると、6月上旬に村木さんから上村さんに虚偽証明書作成の指示があったという検察側の主張と客観的な証拠が矛盾してしまいます。
それを見つけた弁護団から、この矛盾をどう説明するのかという話が公判で出ていたのです。
そこで私は、捜査の見立てと矛盾するフロッピーディスクを、特捜部は当時どのように考えていたのか、矛盾するのをわかっていながら、なぜ事件化に踏み切ったのか、あるいは、フロッピーディスクのデータをどういうふうに特捜部が解釈したのか、を1つ目の取材テーマにしました。
それを解明すれば、先程の一歩先の話になると考えました。
2つ目は、証明書発行の口利きをしたとされる国会議員の口利き当日の行動を確認していなかったということです。
検察のストーリーによると、自称障害者団体が厚労省に虚偽証明書を出して下さいとお願いするときに、国会議員が絡んでいました。
その議員が、自称障害者団体から依頼を受けて、厚労省の村木さんの上司の部長に、「知り合いの団体が証明書を欲しがっているからよろしく」と依頼し、部下の村木さんが指示をしたという構図でした。
しかし、その議員が自称障害者団体から依頼を受けたとされる日、議員は千葉県にゴルフに行っていたということを弁護側が公判で明らかにするわけです。そして、その議員に対する検察の任意聴取が、村木さんの起訴後にされていることも公判で明らかになりました。
つまり、村木さんを逮捕して起訴した後に、事件の入口となる議員の任意の聴取をしているのです。さらに特捜部はこの段階でも、ゴルフに行っていたことを確認していないのです。弁護団は裏付け捜査の甘さではないか、と公判で主張していました。
私は、国会議員の任意聴取を、村木さんを起訴した後に先送りした理由、つまり特捜部の判断を探れば、弁護団の主張の一歩先の話になると考えました。そして、これを2つ目のテーマに掲げました。
3つ目は、取り調べメモです。
検事が対象者を取り調べる際、供述調書を作る前に、メモを書くんですね。調書の下書きのようなものです。弁護側は公判で、そのメモを証拠提出しなさいと検察に求めていました。
ところが、特捜部の検事たちはメモは捨てました、と言って一切出さなかったんです。彼らの論理で言えば、メモはあくまで控えであって調書こそすべてだというのです。
そこで私は、メモを捨てた理由、あるいは取り調べメモをめぐる検察側の本音を3つ目の取材テーマとしました。
テーマを掲げたものの、しかし、最初はまったく取材はうまくいきませんでした。
さきほどもお話した通り、検察担当記者の仕事は特捜部の未来の動きを探ることです。ところが、いきなり過去の話をするわけです。
取材している検察関係者たちに、「当時の取材を振り返って問題はありますか」って質問するわけです。それに対して、実はね、なんてはじめから言う人はなかなかいません。
「なぜそんな過去の話を掘り下げるんだ。しかもいま公判で有罪を立証中なのに」と言われるのです。
非常に苦しい時間が1、2か月ほど続きました。しかし、ここで諦めてしまっては、その先はないですから、しつこく聞いていこうと、そのために検察担当記者は毎朝、毎晩、検察関係者に取材しているわけですから。
ここで取材をやめると、私たちは検察担当の仕事を放棄したことになります。
信頼関係ができているような関係者と話をする中で、すこしずつ引き出していきます。そのような取材を継続する中で、少しずつ捜査ミスの輪郭がみえてきます。
第3回 積み重ねられた捜査ミス
(板橋)
先程述べた国会議員の件ですが、実は村木さんを起訴する前に、任意聴取をしようという話が大阪地検内であがっていることが取材でわかってきました。
では、なぜしなかったのか。その理由は、政治への配慮だったのです。
村木さんの起訴直前の2009年6月末から7月あたりは総選挙をするかしないかが取りざたされている時期でした。その議員は現職の議員ということもあり、大阪地検特捜部は、全国の検察を統括する最高検察庁に聴取していいかとお伺いを立てているのです。
すると、最高検察の幹部から、選挙もあるかもしれないし控えた方がいいんじゃないかという話がでて、大阪地検特捜部は任意聴取を見送っていた、ということがわかりました。
政治、つまり選挙への配慮から聴取が遅れたことは、私はニュースだと思いました。
事件のキーマンとなる議員の任意聴取を政治に配慮して遅らせること自体もそうですが、疑惑があれば、捜査当局として聞くべきだと思うし、それによってゴルフに行っていたことがわかれば、もしかしたら村木さんの起訴自体が見送られたかもしれない、とても重要なターニングポイントと思いました。
こんな話がわかってくるのが、2010年5月、6月あたりです。
取り調べメモに関しても、5、6年前に最高検察庁が、必要なメモは保存しておきなさいという内部通知を全国の検察庁に出していたこともわかりました。さらに取り調べメモをめぐっては、過去の別の裁判で、開示するべきだと裁判官から言われていました。
最高検察庁からの通知文を入手した上で、検察関係者に取材し、この通知に反しているじゃないかと、メモを残していないというのはおかしいんじゃないかというような視点から、取材をすすめました。
最後にフロッピーディスクのデータの件です。
2010年5月末、村木さんの公判をめぐって、裁判長が、検察官が作成した供述調書が証拠として認められないという判断を下しました。それまでは、検察官の調書は信用性が高いという扱いをされていました。
だから、検察が提出する供述調書は、これまでの裁判でほぼすべてが証拠として認められていたのです。
しかし、今回の郵便不正事件に限っては認められませんでした。おそらく公判の中で、「検事に言わされました」と述べている証人が多くいたこともあり、裁判長もそこをふまえて判断したのでしょう。
検察が証拠として公判に提出した大半の供述調書が認められないことは、異例のことでした。そういう中で、取材をすすめると、最高検察庁がこのフロッピーディスクの件をめぐって、内部調査を極秘裏にしていたことがわかりました。
これも極めて異例のことです。村木さんが有罪か無罪かがわかる前に、最高検察庁が、今回の捜査に問題はないのか、大阪地検特捜部に内部調査の指示を出していたのです。
これがどんな調査かというと、そもそも弁護団が主張しているフロッピーディスクの最終更新日時をめぐる矛盾を、当時の特捜部はどう判断していたのか、まさにわたしたちが疑問に思っていることを最高検察庁も問題視していたのです。
取材を深めていくなかで、のちに逮捕されることになる主任検事がフロッピーディスクの最終更新日時の矛盾については把握していたけれど、特捜部長ら幹部に、捜査ストーリーと矛盾する客観証拠があるということを報告していなかったことがわかりました。
つまり、特捜部として判断していたわけではなくて、現場でまとめている主任検事が単純に上に報告しなかった構図がみえてきました。
しかし、わたしたちの取材では、なぜ主任検事が報告しなかったのかという理由はわからないままでした。それが分からないと、記事としてはインパクトに欠ける、と考えました。そこで、主任検事がなぜ上司に報告しなかったのかという動機に焦点を当てます。それが2010年6月、7月の頃です。
そして、その疑問を、ある検察関係者にぶつけたところ、証拠改ざんの話が出てくるわけです。
第4回 証拠のフロッピーディスクを検察が改ざん
(板橋)
情報源の特定につながってしまうので、ある検察関係者としか言えないのですが、その人の話によれば、上司に報告しなかったのは事実だと思うが、理由はわからないというのです。
そして、捜査ミスをめぐるディスカッションをする中で、実は主任検事がフロッピーディスクのデータを6月1日から8日頃に変えたということ、つまり、証拠となるフロッピーディスクのデータを捜査の見立てにあうように改ざんしたという話を聞き出せたわけです。
その話を聞いたときは改ざんした日付は特定できませんでしたが、8日ごろに改ざんしたとすると、6月上旬に村木さんが部下の元係長に指示をしたという検察が主張しているストーリーにぴったり合うんですね。
客観証拠をさわるというのは想像を絶していましたから、それは衝撃でした。たとえば銀行通帳の記載や携帯電話の履歴等は、信じられる情報だと、みなさん受けとめますよね。刑事裁判でも同じです。客観証拠とはそういうものです。
そういう客観証拠があるからこそ、裁判員裁判などで、短い期間で迅速な結論を導きだせるともいえるわけです。
客観証拠を自分の都合の良いように変えたということは、そういう刑事裁判の根幹をも崩すことになると考え、なんとしても記事にして世に出さなければいけないと考えました。
しかし、その段階では、たった一人の内部証言しかなかったし、しかも匿名になるというのはわかりきっていましたから、こんな匿名証言があるとすぐに記事にしても、検察側にそんな証言は知らないと言われてしまえば、それまでです。
証言だけに頼らず、証言を裏付ける確固たる証拠を得なければいけないと考えました。
そして、フロッピーディスクを改ざんしていた、という証言を裏付けるために私が思いついたのがフロッピーディスクのデータの「鑑定」という手段でした。
私は朝日新聞で記者として働く以前は、栃木県の下野新聞という地方紙で記者をしていました。栃木は、冤罪事件として記憶に新しい菅谷さんの足利事件があったまさに地元です。
私は下野を辞める直前に、菅谷さんの弁護団が、最新のDNA鑑定技術での再鑑定を訴える記事を2006年の終わりに書いたのですが、その記憶が「鑑定」という手段を想起させました。
先程話した検察関係者との話の中で、改ざんされたフロッピーディスクは検察にないということがわかりました。
そのフロッピーディスクを入手し、鑑定してデータ改ざんの痕跡をみつけることができれば、非常に強い事実として、つまり調査報道記事として、読者に伝えることができると考えました。
2010年8月、改ざんされたフロッピーディスクの入手を次の目標にして取材をすると、フロッピーディスクは、虚偽証明書を作った元係長に返還されていたことがわかりました。
元係長の主任弁護人の鈴木一郎弁護士(大阪弁護士会所属)は、刑事弁護の専門として知られている弁護士でした。公判上の対策としてマスコミ対応をほとんどしないことでも有名でした。
わたしは鈴木弁護士には率直に話をしました。
「フロッピーディスクのデータを検察側が改ざんしているという情報を取材で得ました。それを証明するために、フロッピーディスクのデータを解析に出したい。協力して欲しい」と。
当時の私は安易に考えていて、簡単に「いいですよ」と言ってくれると思っていたんです。ところが、鈴木弁護士に断られました。そんな話は信じられないし、何も協力できない、と言われました。
実は、鈴木弁護士たちも返還された証拠フロッピーディスクのデータをみて、最終更新日時が6月8日になっていることを確認していたんです。でも、公判で提出されたフロッピーディスクの中身が書いてある捜査報告書には、最終更新日時は6月1日と書かれているわけです。
当初、鈴木弁護士もすごく混乱したそうです。
もしかしたら元係長自身が6月8日と偽造してしまったのではないかと疑念を抱いたり、あるいは検察の罠で、これを表に出させることで弁護団の弁護活動を混乱させようとしているんじゃないかと疑ったり、いろんな悩みを弁護団が抱えていた時期でした。
そのような時期に、弁護団の中で最も秘匿している話を私がいきなり確認しに行ったわけですから、鈴木弁護士も簡単に認めるわけにはいかなかったのです。.
第5回 証拠のフロッピーディスクを鑑定する
(板橋)
鈴木弁護士には、取材のとき、次のように訊かれたことがあります。
「あなたは裁判担当の記者?検察担当の記者?」と。私は検察担当の記者です、と言いました。
すると、鈴木弁護士は、「検察担当の記者が、検察を批判できるんですか」と言いました。非常に重い問いかけだったと思います。
記者クラブに所属する記者、もっと言えば、捜査当局の担当記者は捜査側に立った報道をしていると思われているということを感じました。検察担当記者への不信感を感じました。
わたしたちの気持ちとしては、そんな思いはなく、是々非々でやっています。それは、大阪府警担当の記者などほかの同僚記者も同じだと思います。でも、市民の側、弁護士の側からするとそうは見られてはいないということです。
私は鈴木弁護士に、「検察担当の記者だからこそ今回の改ざんの情報に辿りつけたと思っています。検察担当の記者だから、検察関係者を取材するなかでつかんだ話なんです。検察担当記者が記事にすることに意味があると思います」という話をしました。
また、私が下野新聞にいたときに、知的障害者が強盗容疑で逮捕・起訴されたあとに実は真犯人が見つかっていたという事実を記事にした話も鈴木弁護士にしました。警察や検察はその事実を発表していませんでした。警察担当記者のときに、警察の批判記事を書き続けた経験が私にはありました。
そんな経験から今回も覚悟はありますと伝えました。そうしたら、ようやく「そこまでやる気があるならわかった」と言ってくれたのでした。
鈴木弁護士は、「あなたパクられるかもしれないよ」という話をされました。検察というところは検察自身の不祥事を表に出そうとした人間をかつて逮捕したことがあります。検察の裏金を報道機関などに明らかにしようとした当時の幹部を大阪高検が逮捕した件です。
わたしたちが取材していることが検察にわかってしまえば、証拠改ざんの事実を記事にする前に逮捕されるかもしれない、ということを鈴木弁護士は言っていたのです。
証拠改ざんを取材するにあたって、私の上司の村上や同僚の野上とは、逮捕されるかもしれないということは話をしていました。
逮捕が怖いからと記事を書かなければ、わたしたちがこの問題を隠すことになる。やれるだけのことはやってみようということになっていたので、鈴木弁護士から問われた時は、その覚悟もありますと、即座に答えました。
ようやくその段階になって、フロッピーディスクのデータが「6月8日」になっていることを教えてくれたのです。2010年8月下旬の話です。
ただ、鈴木弁護士には、フロッピーディスク持ち主の元係長の承諾をとって欲しいということを言われました。弁護人としては当然のことです。そういうなかで、元係長に会い、承諾を得ることができました。
次にわたしたちが考えたことは、どこに鑑定をやってもらうのかということでした。
このような電子データ調査は、フォレンジックと呼ばれています。フォレンジックは、データの鑑定、データの鑑識みたいなものです。
インターネットで「フォレンジック」で検索すると、いろんな民間会社が出てきます。その中でどこを選ぶのか。
いろんな会社に電話して確認すると、フロッピーディスクは古い記録媒体なので、ほとんどの会社はやったことがないと言われました。とりあえずやってみて、1か月後にやはり駄目だったっということもあるという会社もありました。
あとで検察から記事に対して突っ込まれないように、丁寧に裏付け取材を重ねるというのが取材班で決めたルールでした。ただ、裁判には1審判決から控訴できる期間が2週間と決まっています。
ですから、村木さんへの判決が言い渡される2010年9月10日から9月24日までになんとか記事にしたい、と考えていました。そうすれば、仮に村木さんが有罪になったとしても、それを逆転するきっかけになるかもしれない。
あるいは無罪判決が出て、検察が控訴しようとしても、証拠改ざんが明らかになれば、控訴を取り下げるか、止めるきっかけになるかもしれないと思っていました。
フロッピーディスクの鑑定は、東京にある大手情報セキュリティー会社にやってもらうことになりました。鈴木弁護士との日程調整の中で、フロッピーディスクの鑑定依頼を出せたのは2010年9月15日のことです。
速報値でかまわないので、わかったらすぐに連絡下さいということで会社とのやりとりをしていきました。あまり時間がかかるようであれば会社を変えますとも伝え、可能なかぎり急いでやってもらうようにしました。
そうしたところ、9月18日、データに改ざんの跡がみられるということがわかりました。決定的だったのが、データを改ざんした2009年7月13日という日付がフロッピーディスクの解析でわかったことでした。
検察がフロッピーディスクを元係長に返還したのが7月16日なので、明らかに検察の手元にフロッピーディスクがある時にデータが改ざんされていることを示していました。
さらに、最終更新日時を変えるには、特殊なソフトが必要で、意図的にやらないと無理だという結果も出ました。これで7月に引き出した内部証言を裏付ける証拠がそろったわけです。
2010年9月19,20,21日は3連休でした。24日が控訴期限でしたから、この3連休中になんとか記事にしようということになりました。
2010年9月19日、わたしたちの取材のことを検察幹部に伝えました。大阪地検は翌日の9月20日に主任検事を内部調査し、データを改ざんしたという事実を認めました。わたしたちはその証言を取材で得たうえで、調査報道記事として9月21日付朝刊に掲載しました。
第6回 新聞社=組織ジャーナリズムの力
(板橋)
社内の話をしますと、キャップの村上は証拠改ざんの話を、フロッピーディスクが入手でき鑑定ができるという確証を得る8月末まで上司には伝えていませんでした。
極大な不祥事だからこそ、どういう形で情報がもれるかわからず秘匿する必要があった、と調査報道の取材経験が長い村上が判断した結果でした。
社内でもわたしたち取材班しか当時知らなかった。
9月になって、上司のデスクや部長に取材結果のプレゼンをして、こういう取材経緯で内部証言を得て、証言を裏付ける客観的証拠もそろっていることを伝え、記事にする承諾を得ていきました。
結果的には記事を掲載した日に、最高検察庁が、改ざんした主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕しました。
そんなに早く逮捕するとは思いませんでしたので、寝耳に水でした。ネットなど一部で言われていますが、最高検察庁と朝日新聞はグルで、いろいろ動きを合わせていたということは、まったくありません。
結果的に逮捕にいたったのは、それだけ証言と裏付ける客観証拠をふくめて取材結果の精度が高かったといえると考えています。
今回の証拠改ざんは検察にとって、最高検察庁が逮捕に動くというぐらい、非常に重く受け止められた事件でした。最高検は東京司法クラブの記者が担当していますから、最高検が捜査に動くという段階で大阪司法クラブとすると取材が難しくなってくるわけです。
そこで、東京司法記者クラブの記者たちとの連携がスムーズにいったことは重要なことです。
組織ジャーナリズムの力といっていいのか、新聞社の力といえばいいのか、大阪と東京の連携が非常にうまく進み、東京の司法クラブ記者たちがその後の捜査の動きを詳細に探ってくれ、全国的な取材になっていきました。
また一方で、朝日新聞だけの孤独な闘いになるかもしれないという恐怖もありました。
他のメディアが一切この件を報道しないいようであれば、朝日新聞社だけで続報も書いて、この事件が問題だといわなければいけない。そうなると、非常に孤独です。他の新聞社が書かないということは、ある意味で敵になるということですから。
現実は、一報を書いた段階で他の新聞社、テレビも含めて、たくさんの続報が報じられました。
検察というこれまで批判の対象にならなかった組織に対して、ほかのメディアも含めて取材の矛先が向いたという点で、他社の取材活動はとても心強いと感じました。
いつもはライバルとして取材していますが、他者の記者も取材することによって、ひとつの事実からどんどん広がり全体像がみえるようになる。
ひとつの新聞社だけの取材では、取材力がいたらず、完全な絵として出せないことも可能性としてはあると私は考えています。
もっといえば、フリーランスの記者たちの力もあったと思います。証拠改ざん事件の発覚前になりますが、村木さんの公判状況を本にして詳しく伝えたフリーの記者でいえば、江川紹子さんや魚住昭さん、今西憲之さんたちがいます。
そういったフリーライターのみなさんとは別に、新聞社という組織に属し、日常的に検察関係者を取材する検察担当の記者は、なにができるのかということになります。
検察担当というのは、朝日新聞でいえば、私と野上の二人しかいません。私と野上が記事を出さなければ大阪地検の記事は朝日新聞の紙面に載らない。
そういうふうに自分たちを追い込んで取材をするなかで、わたしたちがやれることは、検察の捜査を検証することではないかと考えたわけです。
それが結果的に、検察の証拠改ざんという埋もれた事実を明らかにすることにつながりました。
第7回 公開議論・質疑応答
(1)なぜ検察関係者から改ざんの話を聞き出せたのか
パネリスト:石丸次郎(アジアプレス・インターナショナル)
板橋洋佳(朝日新聞記者)
司会:合田創(自由ジャーナリストクラブ)
(石丸)
自己紹介をお願いします。
(板橋)
わたし自身の話を少しだけさせていただきます。
なぜ検察関係者から捜査ミスの話を聞き出せたのかということをよくきかれます。
その答えになるかはわかりませんが、私は記者になった理由も含めて自分のことを取材相手になるべく話すようにしています。
私は高校2年の時、17歳の時に、父をがんで亡くしました。このときに気付いたのが当たり前のことなんですが、人は死ぬと話ができない、死んでしまうと会うこともできないということです。
父がなぜ母と結婚したのか、どういう思いで繊維業を経営していたのか、そういったことがなにも聞けなかった。
生きているうちに話を聞き、記録に残さないといけないと思っているときに 中学校時代の恩師から元朝日新聞記者の本多勝一さんが書いた「殺される側の論理」を薦められました。
本を読み、自分の体験とあいまって、わたしもされる側から見た、取り残された側から見た視点で、ものを書く記者になりたいと考えました。
大学に入ると母もがんになり、私が22歳で地方紙の記者になった年に亡くなりました。される側の視点を忘れない記者になりたい気持ちがより一層強まりました。
これが、わたしの原点です。
新聞記者の仕事はなにかというと、そのまま字の通りで、新しいことを聞いて記す者だとわたしは思っています。新しい話というのは、なにも不正だけではなくて、世の中でがんばっている人たちの話もあります。
新しい話ということにこだわり、埋もれている事実や隠された事実を記録していくために取材力を高めたいと考えています。
どうやって検察関係者から話を聞き出すのかということに戻れば、今のような自分の話をするだけでなく、なぜ検事になったのかという話も聞かせてもらい、組織の問題も一緒に話し合える関係を作ろうと心がけてきました。
(合田)
石丸さんから板橋記者の話に対して感想をお願いします。
(石丸)
私も記者で、主に朝鮮半島の取材をしています。同じ記者とはいえ、検察とかお役所とか官邸、そういう所に詰めて、いわば権力機関を担当記者として取材したことはありません。
担当をもって取材することがちょっとぴんとこないんです。
担当記者という環境のなかで、権力に取り込まれてしまうとか、東京で政治部の記者が国会議員の応援団になってしまうといった話はいっぱいあります。
検察組織は権力行使の最前線機関ですから、板橋さんがどうつきあっているのかなあと、いろいろ訊きたいと思っています。
先程のスクープに至るお話でポイントはどこかっていうと、検察関係者が、フロッピーディスクの改ざんを前田さんがしていることを教えてくれた点だと思います。板橋さんのことを信頼して、検察内部の話をしてくれたわけですよね。
なぜ板橋さんに話をしたのか、どういう目的、あるいは意図、裏があったのか、その人とはどういう信頼関係があったのか、どういう経緯で話をしてもらえたのか、そこをお話していただきたいと思います。
(板橋)
取材源の特定につながってしまうので、話せることが限られますが、そこはご了承願いたいと思います。
話をしてもらえた検察関係者は、検察内部の重要な情報を自ら進んで教えてあげるということではありませんでした。
検察を崩壊させてやろうとかではなく、客観証拠に手をつけたということへの嫌悪感というか、その重大さを共有できたことが話を引き出せたことにつながったのかなとは思っています。
(石丸)
その検察関係者は主任検事が客観証拠に手をつけたということに怒っていたんですか。
(板橋)
怒っていたという表現が正しいかというのは難しいですね。
当時、データ改ざんの話は検察内部で隠されていた話です。客観証拠に手をつけたことへの嫌悪感はその人と共有できたとは感じていますが、話した理由は、私を信頼してくれたといえば簡単だし、聞こえはいいのでしょうが、正直いえば、私にも確証がありません。
ただ、不正があったら私は書く、ということは常々言い続けてきました。
(石丸)
その方は朝日新聞に書いてもらい、公にすることで一石を投じたいということはあったのでしょうか?
(板橋)
自らすすんで明らかにするという意味での内部告発者ではなかったと思っています。
(石丸)
なぜ読売でなく、毎日でもNHKでもなく、日経でもなく、朝日新聞だけだったのでしょうか。あるいは板橋さんだったから話が聞けたということでしょうか?
(板橋)
どうでしょう...。情報源の特定につながるのではご容赦願いたいのですが、朝日だから、その人がおつきあいをしてくれたとは思っていません。
もう一ついえるのは、検察の捜査ミスを探す取材を最も深くしていたのは、私と野上記者だったと思っています。その取材が証拠改ざんにつながる出発点であったことは間違いありません。
(石丸)
会場のみなさんも思うかもしれませんが、このような重大事件の特ダネを確保したら、他社が嗅ぎつけてないか気になると思うんです。
他社に負けたくないと当然考え、自分こそが一番に記事を出したいと思いますよね。その検察関係者には、他社の記者には話を漏らしてほしくないとは考えませんでしたか?
(板橋)
その段階では、他社の記者との勝負ではなくて、この取材をやり遂げられるかどうかという意味で、自分自身との闘いになっていましたね。
(合田)
会場にお配りしたQ&Aカードで参加者から質問をいただいています。
事件が記事になるまでの板橋さんの気持ちには、無実の被告を救おうという気持ちがあったのでしょうか。
(板橋)
誤解を恐れずに言いますと、NOですね。
村木さんには、無罪判決前に各社よりいち早く、単独インタビューをさせてもらい、判決前の心情を聞かせてもらいました。その中で、村木さんの気持ちに共感できたとも感じました。
ただ、私が気に入った人だから救いたいとか、人柄がいいから助けたいというのが取材の原点になってしまうのは、私としてはちょっと違うなと思っています。
逆に言えば自分が気に入らない人だったら、救おうと思わないとなってしまいます。感情面というより、ファクトがみつかるか、どうかです。ファクトがあれば、きちんと裏付け取材して記事にする、それを出発点にしたいと、記者として私は考えています。
たとえ担当する検察組織であっても、検察に不正のファクトがあれば、それは表に出そうということです。
(合田)
具体的な質問があります。鈴木弁護士に接触していたのは板橋さんだけですか。
フロッピーディスクの鑑定をセキュリティー会社にだすとき、その正体を明らかにしましたか。そのとき、セキュリティー会社側の反応はいかがでした。
(板橋)
鈴木弁護士に接触していたのは私だけでした。もっといえば、なんらかの内部証言を得て、フロッピーディスクを裏付けに使おうとしていたのも朝日新聞だけでした。
セキュリティー会社には検察ということは伝えていません。鈴木弁護士も解析依頼をするときは立ち会ってもらったので、なんらかの裁判関係の解析であるとはセキュリティー会社側もわかっていたと思います。
データをきちんと解析してほしいとは伝えましたが、すべてを話したわけではありません。
第8回 公開議論・質疑応答 (2)報道機関と権力の関係
(合田)
ジャーナリズムにとって今回の大スクープというか、板橋さんのお仕事はどういう意味を持っていたのか、という話に移っていこうと思います。
それに関わって、検察に不都合な記事を載せて、検察からの報復はありませんか。検察庁への登庁停止とか、会見、カメラ、質問の禁止という話を聞くこともあります。
記者クラブを含めて、唯々諾々としてそれを受け入れるのか。声を押しとどめる社内、社外の勢力はあるのでしょうか。
(板橋)
証拠改ざんの記事を書いたあと、検察庁への出入り禁止はありませんでした。朝日新聞だけ会見に出られないということもなかった。
出入り禁止になることについても、組織として、個人として、それぞれ考えがあると思いますが、個人的にはどちらでもいいと思っています。
逮捕の発表を場に参加できなくなるリスクはあるので、一般的には不利益にはなりますが、他のルートや検察関係者から情報をとれる関係があれば、こだわる必要はないのかなと考えています。
(石丸)
権力との関係ということに集中してお訊きしたいと思います。
大阪高検の三井さんが裏金事件を暴露しようとした直前に逮捕されました。三井さん自身は検察の中の人でした。外部の、たとえばジャーナリストを口封じ的に、報復として逮捕するようなことがあれば、大変な問題です。
検察との関係のなかで、どの程度までの危険を想定しながら取材していたんでしょうか。
(合田)
それは記者の逮捕もありうるということですが、その容疑はなんでしょうか。
(板橋)
考えていたのは守秘義務違反、つまり国家公務員法違反です。それ以外では、警戒しすぎだと思われるかもしれませんが、例えば書店に行った際に、鞄に本を入れられて万引きで逮捕されるとかですね。いろいろ想定はしましたが、尾行されたことも結果的にありませんでした。
つまり、杞憂におわったのが実情です。
検察組織にも、改ざんをした検事とは違って、証拠と法に基づいて真面目にやっている検事たちがいます。組織全部がだめというわけではありません。
当然、きちんと物事を判断できる検察幹部や現場の検事たちもいますから、おそらく逮捕はないだろうと思っていましたが、危機管理としては想定していました。
(会場から)
プラットホームから突き落とされたりとかは考えませんでしたか。
(板橋)
電車に乗らないようにはしていましたが、そんなところまでいくと、ミステリー小説になってきますね。
(石丸)
権力との関係でもう少しお訊きしたいと思います。朝日以外のメディアの大阪の司法のキャップだった方が、自分の社が同様の取材をしていたら、記事として出せなかっただろう、とはっきり僕に言いました。
この事件にふたをするかわりに、後日優先的にネタをあげるとか、おそらく上層部がそのような取引を検察とする可能性が高かっただろう、というわけです。
板橋さん自身は、記事を表に出せるのか、あるいは握りつぶされる、取り引きされる可能性についてどの程度まで考えながら取材していましたか?
(板橋)
だからこそ、きちんと証言だけでなく、裏付け取材もして、読者に対して伝えられる完成形にすることを考えていました。それは社内に対しても、繋がるものだと思っていました。
疑惑を得た程度の取材では、記事にならないと上司に言われるのは当然ですしね。記事の扱いを小さくしようという話もありませんでした。
(石丸)
検察がかぎつけて、逮捕でないけども記事をつぶしにかかるという事態は想定しませんでしたか?慎重を期して行動されていたと思うのですが、どんな対策をとっていましたか?
(板橋)
キャップの村上や野上とは、対策について話し合い、重要な取材メモは社内メールでは流さないようにしていました。捜査資料や取材メモも、取材班以外は知らない社内のあるところに隠していました。わたしたちが証拠改ざんに関する取材をしているということは、検察側にもれてなかったと思っています。
(石丸)
検察は感づいてなかったということですね。
(板橋)
仮に感づいていたとしても、新聞社の記者を逮捕することは相当な事態に発展するということは、検察もわかっていたと思います。担当していたから、彼らがどこまでやるのかというのがなんとなく感じられるのですが、念のために最低限必要な対策はとっていました。
(合田)
関連して会場からのご質問があります。ネタ元に対して検察内部に犯人探しはありませんか?
(板橋)
そういう可能性もあるので、証言だけでなく、鑑定をして客観的に証言の裏付けをとろうと考えていました。証言だけをメインに記事にしていたら、証言をした犯人探しがあったかもしれませんね。
(合田)
多くの記者たちの中でも疑問となっていることですが、フロッピーディスクの改ざんに対して検察はどういうつもりでいたのだろうかということです。書面で6月1日とすでに出ている矛盾を、どう言いくるめるつもりだったのでしょうか。予想の話で結構ですので、お答え願えますでしょうか。
(板橋)
最高検の捜査に対しての主任検事は、手元に置いておきたくなかった、と供述しています。もうひとつは、捜査の見立てと矛盾するフロッピーディスクのデータが記された捜査報告書が、弁護側に証拠開示されるとは主任検事は考えていなかったということでしょう。
本来は主任検事がきちんと全部の証拠をみて、それらを公判部に引き継いでいくものです。引き継ぐということは、それが証拠で弁護側に開示されてもオーケーという判断ですから、検察としては間が抜けていたとしかいいようがありません。
第9回 公開議論・質疑応答 (3)冤罪報道 メディアは誰が監視するのか
(合田)
では、会場からのふたつのご質問を紹介します。
ひとつ目は、権力を監視するのはメディアの役割であるというのはその通りだと思いますが、そのメディアが正しい取材をしているのかということに関しては誰が監視していると思いますか。
村木さんが、メディアも権力をもった特殊な組織であるからしっかりしてほしい、と言っておられますが、その点についてはどう思いますか。
もうひとつは、どうすれば冤罪報道を規制できるでしょうか。
(板橋)
メディアはだれが監視できるのか。ひとつ言えるのは、読者だと思います。読者からすると、私たちの声なんか聞かないんじゃないか、と思われるかもしれませんが、その声が多く集まれば集まるほど、大きな力になると思っています。
これは私からのお願いでもありますが、朝日新聞を読んで思ったことをネットでも電話でもいいので投稿してほしいのです。
大切なのは、もし不満がある場合は、「取材力が足りない」と言ってほしいと思っています。
資料を分析すること、内部証言や内部資料を得ること、わかりやすい記事にすることなどを取材力と定義すれば、記者にとって、取材力がたりないと言われるのが一番効果があるのではないかと思います。
読者からそういう指摘があれば、私なら奮起します。
それと、もしよろしければ、いい記事があれば、その取材力を褒めていただければと思います。「子どもじゃないか」と怒られるかもしれませんが、読者のみなさんから、今回の記事よかったよ、と言われるとやっぱり現場の記者は嬉しいんです。
また、マスメディアの監視ということで、もうひとついえば、フリーランスのジャーナリストの存在も大きいと思います。
冤罪報道に関しては、わたしは朝日新聞を代表して言える立場ではないので難しいんですが、担当の記者が自覚を持たなければいけないと考えています。
結局、取材しているのは、個々の現場の記者です。社長とか編集局長がやれと言っているからではなく、現場の記者たちが自ら勉強して、取材をつづけることに尽きるんです。
結果的に冤罪を生む報道に加担してしまったら、それに対してどういうアクション起こせるのかも問われていると思っています。つまり、捜査ミスをみつける取材をするとかですね。
(合田)
いい記事があれば褒めてほしい、ということについて補足しますと、昨年の12月18日、青山学院大学で、「人権と報道連絡会のシンポジウム、検察とメディア」というのが行われています。
そこで、ジャーナリストの青木理さんがこういうことをおっしゃっています。
「新聞記者個人を見ると優秀な人が多くいる。総体としてみると検察べったりの記事が多い。しかし、いい記事が出たときは褒めることだ。このスクープは素晴らしい、とメールやファックスを送り伝えること。これが結構効く。その前提として署名記事にすることがある」
つまり、批判もあれば、褒めるということもある。メディアに関して、市民が関与していく大きなポイントだといえます。
では、石丸さん。メディア自身の権力の問題、この大きなテーマをフリーランスからみて、深めていってください。
(石丸)
個々の記者の心掛けということでは異論はまったくありません。
一方で、これまでの冤罪報道被害ということを考えると、やはりメディアが組織として犯した過ち、構造としての弱点をみざるを得ません。
村木さんの事件も、各社、検察の情報をうのみにして書いていたわけです。犯人扱いとまでは言わないけれども、非常に厳しい書き方をしていたわけです。
それは村木さんの事件から始まったわけではなく、ずっと昔から、事件取材は検察から情報をもらって、それをたれ流すということをメディアが繰り返してきた。
それが冤罪を生む大きな原因の一つになってきたのです。
言いかえると、冤罪にメディア自身が、あるいはわたしたち記者が、冤罪を作るということに加担してきたことは具体的にあったわけです。
足利事件でも、大変なご苦労された、といった報道一色になりましたけど、振り返って18年前に逮捕された時の菅谷さんについて、マスメディアは無茶苦茶書いていたわけですよ。
朝日新聞のなかでは、どういったことが議論されているのか。
あるいは、現場の記者たちはジャーナリストとして、冤罪報道に対する批判に対して、犯してきた過ちに対して、どう向きあおうとしているのか、それとたれ流し報道批判に対して、板橋さん自身がお考えになっていることを聞かせてください。
(板橋)
わたしの考えをお話しさせていただきます。
捜査情報の場合、新聞社の考えとしては、そこに公共性・公益性があることが記事を載せる前提です。
たとえば、誰かが逮捕されたとします。それが政治家や公務員といった公人である場合、もしくは社会的に影響力のある大企業の幹部などの公人に準じる立場であれば、逮捕の報道も読者に知らせるべき公益性があると考えます。
その人がどういう供述をしているのかも公益性がある情報のひとつといえるかもしれません。
村木さんの件でいえば、厚生労働省の現役の局長が逮捕されるというのはニュースだと捉えている点は否定できないと思います。ただ捜査情報をもとにした記事に偏ってしまっていないかという点が問われているのだと思います。
つまり、スクープとは何なのかということなのです。新聞社をはじめメディアのなかで、特ダネ、スクープとは何なのかという話をしたときに、その定義があいまいなんです。
捜査情報を他社よりも早く書く、これも特ダネ。今回みたいな権力監視の記事も特ダネである。今のメディア業界では、なんでも特ダネになってしまうんですね。
捜査情報の報道とでも、決して捜査当局から頼まれて書いたものではありません。
もちろんすべての朝日新聞の取材経緯を私は把握していませんので、少なくとも私はそういうことはなかったです。なんらかの情報を入手して、読者に伝えるべき社会性、公益性があるかどうかを判断した上で掲載していると思います。
ただ、他の新聞社も同じ話を書きだすと、どこかの誰かが書かせているのではないかと思われてしまうのかもしれません。
求められているのは、昔から言われていることでなにも目新しいことではありませんが、当局発表とは違う視点からの特ダネ、スクープ、記者が自分で調べて書くことです。
以前から指摘されていることを、どうやって現場で愚直に実践していくかが、問われていると僕は考えています。
私の身近でいえば同僚の野上記者は、今回の報道を経験することで、これから記者としてどういう取材をしていくのかをあらためて考えるきっかけになったと言っています。
私を含め、何を書くべきなのかを悩みながら取材している記者はたくさんいます。
ただ組織として求められていることが、いずれ発表される捜査情報も特ダネという話になってくると、人間どうしても求められたものにたいして結果を出していこうとしますから、それはどこの組織でも同じだと思うのですが、そのへんを考え直したほうがいいいのではないかと個人的には思います。
組織として、特ダネをどう定義付けるのかではないでしょうか。
(石丸)
もう少し突っ込ませてもらいます。
村木さんが逮捕されました。これは重大な事実です。それを伝えるのは当然やらなければいけないことだと思います。
僕も含めて胸に手を当てて考えなければならないと思うのは、メディア、ジャーナリストが、リークというか権力機関からの情報提供に乗っかって、冤罪に加担する報道をして来た過ちを犯してきたという事実です。
なぜ警察がこういう容疑で逮捕したのか。もっともらしいことが裁判が始まる前から書かれているわけですよね。こんなことやったらしいとか周辺取材で人格の話まで出てくるわけです。
「昔からケチな人でした」とかおまけを書くわけですよ。世間がその人にたいしてマイナスイメージを持ってしまうことがわかっていてもです。村木さんのときだってそうです。ロス事件のときもひどかった。
つまりメディア、ジャーナリストが冤罪に加担してきたことにたいする自覚をしなければならないということです。
とりわけ警察に一番近いところで接している板橋さんが何か考えていることがあれば教えてください。
(板橋)
まさに石丸さんが仰ったとおりで、逮捕段階から証拠が甘いとか捜査ミスがあるという話がとれればそれはベストですね。それは取材力にも関わってきますが、なかなか難しいのが現実です。
わたし自身がどんなことに気をつけているのかといえば、警察が隠している捜査ミスがあれば、それがあとでわかったとしても、きちんと取材して記事にすることが担当記者として問われていると考えています。
第10回 公開議論・質疑応答 (4)ジャーナリストとしての取材姿勢
(合田)
郵便不正事件というのは、そもそもが朝日新聞のスクープですよね。
厳しい言い方をしますと、同業他社のなかには検察幹部の言葉として「朝日新聞に毒まんじゅうを食わされた」というのがあります。
(板橋)
郵便割引制度が広告会社や障害者団体に悪用されています、と朝日新聞が調査報道として書いた。
それを結果的に大阪地検特捜部が事件にしたわけです。
そして、特捜部が制度悪用の原因を探る独自の捜査で、厚生労働省から偽の証明書が障害者団体に発行されていて、それは制度悪用につながっていることをつかみ、村木さん元係長を逮捕した。朝日が毒を仕込んだわけではありません。
(合田)
会場からの意見のなかにもあったんですが、そもそも朝日が持ち込んだ話で、マッチポンプではないかということが事実としてあると思います。
板橋さんに言うのは酷な話で、失礼を承知の上でお尋ねしたいのですが、これはちゃんと触れておかなければならないので、そのことについてのご意見をお聞かせください。
(板橋)
繰り返してしまいますが、自称障害者団体が郵便割引制度を悪用しているという記事を書いたのは、確かに朝日新聞です。
結果的に、大阪地検特捜部が悪用している団体の捜査に入り、村木さんの事件に関しては朝日新聞の報道に関係なく、大阪地検特捜部が独自の内偵捜査で虚偽証明書が発行されていて、厚労省が絡んでいるという話を掴んだということなんです。
事実の話でいえば、朝日新聞の調査報道として、村木さんが事件に関与しているとは書いていません。
個人的な考えを述べると、なんらかの犯罪行為があって、それを調べられるのは捜査機関しかないのは間違いありません。情報はどこから得るかというと、一般市民や新聞、雑誌の記事、テレビのニュース、あるいは組織の内部告発などとなります。
捜査機関を一切信じないということではなく、法と証拠に基づいてきちんと捜査してくれればいいわけです。やってないのであればちゃんと直してほしいし、その原因を徹底的に検証してほしい、と思っています。
問題なのは、検察組織に記者がおもねてしまって、あるいは捜査の瑕疵を見つける取材が難しいとあきらめてしまって、結果的に当局とは違う見方の記事が多くないという状態だと思います。
この考えも、以前から指摘されていることで当たり前のことですね。この当たり前のことを自分たちの取材力で、どこまで実践できるかだと思います。
私個人のことでいえば、これからどんな記事を読者に届けられるかだと思います。
(合田)
では、会場からの質問を続けます。
「記者としてなぜと疑問を持つことはたいへん重要であると改めて教えられました。この取材姿勢は板橋さん個人の自覚によるものなのか、それとも朝日新聞の記者教育なのか」
というご質問であります。
(板橋)
わたしは1999年に地方紙の記者になり、2007年2月から朝日新聞の記者になりました。率直にいえば、記者としての基本的なことを教えてもらったのは、地方紙のメンバーです。
では、朝日新聞からなにも教わっていないかといえばそうではなくて、下野新聞にいるときから朝日新聞の報道スタイルといったものを、新聞を読む中で学ばせてもらっているといえます。
今回の取材でいうと、見出しをつける人がいたり、デザインをして分かりやすく紙面をレイアウトしてくれる人がいたり、固有名詞など基本的な事実を校閲してくれる人がいたりと、そういう点において新聞社の力をあらためて実感しました。
わかりやすい文章をコンパクトに作るのは苦労の結実だとわたしは思っています。
また、9月21日の初報をきっかけに、連載企画をスタートするなどは組織としての力なのかなとも思います。もちろん、完璧だったと自己満足しているわけでなく、読者が知りたい情報にどこまで合致できたのかという反省もあります。
(合田)
新聞社ごとに、個人的に親しい検事はいるのでしょうか、という質問です。
(板橋)
私が知っている限りでは、「新聞社ごと」にはないと思います。
各々、個人と個人の関係性があってつながっていくものなので、外側からみると社ごとのようにみえるのかもしれませんが、結果的に向き合うのは個人と個人です。
組織として朝日新聞が大好きだから、朝日新聞の記者ならなんでも言うよ、という方はいらっしゃらないと思います。
(合田)
佐賀さんのご家族についての報道がほとんどみられず、娘さんのことがこれからも報道されないことを願っていますが、今後はどうでしょうか。
(板橋)
結論から言えば、ないと思います。
最近の報道では、ひとつの犯罪が起こったときに、事件に関与していない家族のことを伝えるべきでないという判断がありますし、今回のケースでいうと、大坪さんや佐賀さんのご家族がお二人の承諾なしに登場する機会はないと現場の記者として考えています。
この話の流れでお話させていただくと、人間としての悩み、内情についての取材が足りなかったと思っています。特に前田さんの場合がそうです。
改ざんに至った動機、組織からなにか求められていたのかもしれない、そのあたりの息づかい、生きざまが、今回の記事で伝えられなかった点です。
もちろん今回の最初の記事では、前田さんの改ざん行為そのものを証明することが最優先の課題だったので、心情面までは難しかったのかもしれませんが、取材に携わった者としては、結果として、埋まっていないピースだなと思っています。
左・板橋洋佳(朝日新聞記者) 右・石丸次郎(アジアプレス・インターナショナル)
(石丸)
前田さんはなぜあんなことをしてしまったのでしょう。ストーリーを作って、それに当てはめて、起訴に持ち込んでいくということに評価を得ていたと伝えられていますが、なぜ彼は証拠のデータを改ざんするまで追い込まれていったのか。
いまの段階で、なぜこんなことが起こったと思いますか。
(板橋)
特捜部のプレッシャーに耐えられなかった結果だったと思っています。特捜部長に、村木さんを事件にするのは君に与えられたミッションだ、といわれたという話です。
これが本当の動機だったのかといわれるとわかりませんけど。朝日新聞でも、この事件はお前が担当だ、といわれることもありますが、それを言った上司がすべて悪いのかといえば、それには少し違和感を持ちます。
やはり前田さんの気持ちに弱さがあったのかもしれません。
ただ、特捜部という組織の持つ雰囲気が現場の検事たちに与えるプレッシャーは相当なものなんだろうというのは感じます。逮捕して起訴するという自己完結型の組織は特捜部だけですから、独特の雰囲気や空気があるのかもしれません。
それは現場だけではなく、特捜部長や副部長にもあったのかなとも思います。
(合田)
それと関連してですが、紙面化するにあたって、たとえば前田さんへ直接の取材はしなかったのですか。
(板橋)
結論から言うと、記事の掲載前にはしていません。直接取材はしないという判断をしました。
理由はいくつかあります。
私たちが指摘するまで改ざん行為を調査にせず、むしろ検察内で隠そうとしている状況のなかで、記者が突然、当事者の前田さんに、「あなたやりましたよね」と言ったときに、前田さんが重要な証拠物であるパソコンを壊したり、あるいは逃亡したり、そういうことにつながってしまうのではないかというリスクを考えました。
もうひとつは前田さんへの直接の取材がなくても、客観的な証拠としてフロッピーディスクデータの分析結果と内部証言があれば、改ざん行為は十分に証明できると考えました。
もちろん、直接、本人の話を聞く場合もありますので、ケースバイケースです。直接取材をしないかわりに、検察の内部調査での彼の弁明を初報の記事に盛り込みました。
(合田)
今回は不正をスクープすることができたわけですが、紙面化に至らなかった、証拠が不十分で紙面化できずに取材が終わってしまったことは以前にありましたか。
(板橋)
検察担当になってからは、重要なものは記事にできたと思っています。
ただ、報道する自由があると同時に報道しない自由もメディアにはあると思います。裏付けが十分でないのに、記事は書けません。そうなると、求められるのは、個々の記者に求められている取材力なのかなと自分に言い聞かせています。
(合田)
今回、板橋さんはたいへんなスクープで新聞協会賞を受賞されました。新聞協会賞の選考過程で、現在進行形ではないんですかという論議もあったと聞きます。
前田さんの公判もこれからですし、大坪さん、佐賀さんふたりは否認してますよね。皮肉なことですけど、全面可視化を要求されているわけです。
踏み込んで申し上げると、特捜部長・副部長も公判の進展もわからないわけですよね。
特捜部長・副部長はよくご存知なんですよね。
(板橋)
他社と同じように、取材対象ではあったということです。また、賞をとったのが早いということでしょうか。
(合田)
新聞協会はベストなタイミングで出されたものだと思っています。
新聞協会の見識と思います。少なくともまだ取材対象として不安定な要素もあるわけで、特捜部が無罪になることもあります。それは板橋さんのお仕事とは関係ないかもしれないけれど、そのあたりの流れをどのようにお考えでしょうか。
(板橋)
特捜部長・副部長が逮捕されるまでに、検察が何らかの不正をしていてそのファクトがつかめて裏付けがとれれば、書くと思います。賞をとったから書かないということにはなりません。
(合田)
多くの現職の記者に話を聞きましたが、9月21日の衝撃は忘れられないと言っています。このスクープは、圧倒的なファクトであるフロッピーディスクという動かない証拠をもって、しかも最高検に事件の着手をさせました。
現職の特捜部の検事を逮捕して、地検が家宅捜索を受けます。こういうところまで持ち込んだことについて、新聞協会賞をとれなければ、新聞の危機だとも思います。
そういう意味で、歴史的な素晴らしいスクープだと思っています。
最終回 公開議論・質疑応答 (5)取材とは、ジャーナリズムとは...
(石丸)
検察・警察取材を、わたしはやったことがありません。夜討ち朝駆けという手法があります。
朝早くから晩遅くまで検事、刑事の家に張り付いてでコメントをとるというふうに理解しておりますけど、具体的にいつどこに行って、どんなことをするのか教えてもらえますか。
(板橋)
夜討ち朝駆けが必要かというと、結論から言えば、必要ないんです。
話を聞ける環境が作れれば、何時間も待つ必要はないわけで、一対一で話ができる環境を作れるかどうかが問われているんです。
手段は、携帯電話だろうがメールだろうが、どんな手段でもいい。自宅前だと確実に帰ってくるということで、会う確率が高いために、いわゆる朝まわり夜まわりという手段があると僕は理解しています。
ただ、これが常態化してくると、自宅前で待つことが目的に思ってしまう記者も出てきてしまうわけです。
(会場から)
今回の事件で、改ざんの事実を教えてくれた検察関係者とはどういうふうにして関係を築いていったのですか。
(板橋)
その検察関係者の自宅がわかっていたかどうかも含めて言えないですが、知り合ったきっかけは朝まわり夜まわりではあります。それ以外のことは、情報源の特定につながってしまう可能性があるので勘弁していただければと思います。
いずれにしても、私が求めているのは本音で話ができるかどうかです。相手の言い分を聞くだけでなく、こちらからの疑問にも相手が答えてくれる関係を目指したいと思っています。
(石丸)
朝まわり、夜まわりといった現場に多くの記者が投入されていますが、ものすごく無駄だと思うんです。こんなことやっているのは日本のメディアだけじゃないかと。韓国やアメリカもメディアもやってないですよ。なぜ日本は夜回り朝まわりをやらなければならないのでしょうか。
(板橋)
手法が目的になってしまっているのだと思います。待っているという行為が取材していることと思ってしまうのではないでしょうか。
10時間待ちました、すごくがんばったでしょう、というような記者にはなりたくないなと考えています。
(会場から)
板橋さんは、「特オチ」のおそれを感じたことはありますか。
(板橋)
他の記者が何の話を取材しているのだろうと気になるのが記者の心理としてはあります。自分だけ知らない情報があるのかなと不安になるときもありますね。そういう焦りには振り回されないようにやっているつもりですが、なかなか難しいですね。
(石丸)
目的化しているのが問題ですよね。待たれる方にしても、嫌だと思いますが、やめてくれという話にはならないんでしょうか。
(板橋)
当然、なりますが、欠かせない取材相手あれば会うための努力をします。自宅に来るのをやめてくれ、と言われたら、では時間をとってくださいと話をするようにしています、朝も夜も来ませんから週に一回でもいいから時間を作ってくださいと。
記者によって手法は違いますから、朝まわり夜まわりで家の前で待つことが相手に誠意を見せると考えている記者もいるかもしれません。
(石丸)
そういうことが制度化してしまっていることについてはどう思いますか。
(板橋)
何のために、朝回り、夜回りをやるかです。目的がちゃんと明確にあって、それに行き着くための手段として朝回り夜回りがあるはず。
上司から言われたとか、「特オチ」がこわいからとか目的があいまいのまま朝まわり夜まわりをしたくないなとわたしは考えています。
(石丸)
「特オチ」というのはメディアの用語なんですよ。ジャーナリズムの用語ではない。
要するにメディア業界の用語ですよ。「特オチ」はメディアのなかの評価のものさしでしかないわけです。
たとえば、読売、日経、毎日には同じニュースが出ているけど、朝日だけがなかった。朝日だけは遅れて夕刊には書きました、ということがあっても読者にとってはどうでもいい話です。
今回の独自ネタのスクープは別ですけど、発表ものにおいて、遅れたら怒られるわけですよね。
(板橋)
そういった特落ちという「文化」があるのは間違いないですね。ただ、毎回、上司が怒るかといえばそうではないんですよ。
(合田)
「制度」とか「文化」というよりも、ほとんど伝統芸能の所作・様式みたいなものなんですよ。それがいま、かなり崩れかけているのかもしれません。それを崩すために今回のスクープは大きかったのかもしれません。
大阪地検特捜部がいったいなにをやってきたのかといえば、一番すごい事件が、自分たちでやってしまった今回の事件だったともいえます。
そういう意味では、大阪地検特捜部の一番の花形は結局なんだったのかということなります。いまの夜討ち朝駆けの所作もふくめて「王様は裸だった」みたいな感じになってきているのではないかとも思えるのですが、どうでしょうか。
(板橋)
検察の調書が裁判の証拠として認められなかったということを紹介しましたが、これまでほぼすべての検察調書が証拠として認められてきたなかで、検察の供述は信用できないことを裁判長が認めた意義はあるといえます。
(石丸)
これからメディアは変わらなければなりません。今までは競争相手が朝日は読売、NHKだけを考えればよかったわけですが、いまはブログ、ツイッタ―というメディアもあります。
いわゆるジャーナリストではない人たちがどんどん発信していくわけです。マスメディア間の抜いた、抜かれたという競争はナンセンスになってしまう。
マスメディア間の競争を担保してしまう原因のひとつが記者クラブなんですね。そこには他の人が入れない排除の構造があって。そこでしか情報がもらえないという状況が作られて、そこで競争することになってしまう。
夜討ち朝駆けも同じ論理です。そこに行けば捜査情報をもらえるから行く。
こんな「伝統芸能」は一日も早くなくなって、オープンな競争になればいい。「特オチ」のような発想ではなく、なにを大事にやっていくのかは、他社との比較ではなく、メディア、記者自身が主体的にやっていくことですね。
(板橋)
新聞でスクープをすると、紙面が大きくとれるんですよ。紙面が大きくとれるということは記事の量が増えるということなんです。ですから、先に書こうという気持ちの一端もご理解してもらえたらと思います。
伝えるべきことが紙面の都合でたくさん書けないのなら、やっぱり特ダネとして書いて、記事を大きく取り上げてほしいと思うのが記者の心情です。
(会場から)
朝日新聞の大阪府警の捜査一課を担当しております後藤洋平と申します。夜討ち朝駆けの件で、都島の警察幹部の官舎に行くことが多いのですが、どうしても捜査当局は都合のいいことを言ってくることが多い。
イラクと戦争をしているアメリカ軍に従軍記者として付いて、犯人の供述を報道するときに、「アメリカ軍が言うにはイラクの言い分はこうである」という記事を書いている、書かされている。
これはすごく不自然で変えるべきだとおもっているんですが、今後、どうしたら、そのようなことが変わっていくんでしょうか。板橋さんはどうお考えですか。
(板橋)
同じ社で記者をしている者同士なので一緒に変えましょう、という話です。読者の力もいただいて、変えていく努力をしていかなければならないと思っています。
(会場から)
板橋さんが強調されたのが取材力ということですが、取材力はどうやって高めていくのですか。
(板橋)
取材力には、的確に質問する力、資料や証言を分析する力、最後に文章にする力も含まれていると思います。基本は、取材相手から話を聞かせてもらう力でしょうか。
記者は相手から話を伺わせてもらって、はじめて成り立つ職業です。それはいい話でも悪い話でも。誠実に相手と向きあいながらも、自分が聞きたい話は繰り返しきいていかなければならない。
このバランスのなかで相手に認めてもらう。それに加えて、自分が話を聞けないなら、別の記者を取材に来させますぐらいのファクトに対するこだわり、情熱も必要なのではないかと考えています。
(石丸)
今回改めて考えたのは、ジャーナリストは個人だということです。
組織でやることも、もちろんあります。でも記事を書いて、実のあるものにしていくのは、日々の努力だろうし、誠実な態度だろうし、執念だろうし、志だと思うんですね。
それは個人だろうと改めて思いました。
メディアの危機が叫ばれて久しいですね。
テレビも新聞もいわゆるビジネスモデルの袋小路に入りつつあって、これは世界的な傾向ですけれども、日本の場合も新聞社、テレビ局が売り上げを落としているというなかで、人減らしとか支局を閉鎖するとかいろんなことが起こっています。
ただ、だからといって、ジャーナリストであるわたしたちがやるべきことの中身は、核心に近づくためにどうしたらいいのかということであってまったく変わらないわけです。
結局、取材は個人の営みだということを、改めて板橋さんの話を聞いて確認しました。
いま、発信したい、表現したい人間にとってとてもいい時代でもあります。一昔前は、私たちは新聞や雑誌に寄稿するチャンスをもらわなければ影響力のある発信はできなかった。
ところがインターネットはもちろんのこと、携帯、アイパッドのような端末の発達によって伝えたいことを発信することが可能になってきました。でも、その中身は同じですよね。新聞社もフリーランスもやることは同じです。
間違いなく言えるのは変動の時期にきているということ。
メディアの凋落というかたちで表現されることが多いですけれども、そうではなくて、これは新しいジャーナリズムの発展、転換、楽しいことができる、面白いことができる、そういう時代に差し掛かっていると考えていきたいと思います。
(板橋)
記者をしていますと、取材相手に目がいき、読者の存在を忘れてしまうことがあります。でも今回のような講演の機会をいただいて、読者のみなさんとこんなに近くで率直な意見を交わすことに少し興奮しています。
検察の不正だけでなく、まだ読者に伝えられていない、埋もれているファクトが世の中にはいっぱいあります。そういう事実を地道に探り分析して記事にしていくことが記者の仕事と思いながら、日々の取材をがんばります。今日はお時間をいただき、ありがとうござました。
【2011年3月5日(土) エル・大阪2F 文化プラザにて】
★板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞大阪本社 社会グループ記者(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)
1976年、栃木県足利市で生まれる。99年4月、栃木県の地方紙・下野新聞に入社。2007年2月に朝日新聞に移り、神戸総局を経て08年4月から大阪本社社会グループ。09年4月から大阪司法記者クラブで検察担当。11年5月より東京社会部に移る。共著に、下野新聞時代に取材した「狙われた自治体−ごみ行政の闇に消えた命」(岩波書店)。
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古川利明の同時代ウォッチング
http://toshiaki.exblog.jp/12480689/
この「FD改竄」のネタを引っ張ってきた「板橋洋佳クン」の経歴なんかも、サラっと触れてあって、いろいろと見えてくる。彼は、やっぱり、地元は栃木ケンなんだな。県立足利高校を出ておるんだが、高校時代にお父さんをガンで亡くし、それもあって、野球を辞めて、大学は学費免除のある法政に入って、99年に下野シンブンに入社しておるんだな。
ところが、ブンヤになってまもなく、今度がお母さんが、もともと、乳がんを患っておったのが、転移して、容態が悪化し、亡くなったということで、20代前半でご両親を亡くして、苦労してるんだ。ただ、そういう「生い立ち」が、彼のブンヤとしての根っこにあるんだろうなあ、というのが、よく分かる。「人間の痛み」ということに寄り添える感受性の深さとでもいうのか、想像力だよなあ。それが根底にあるのだと思う。
下野時代に、その知的障碍者の冤罪ジケンだったかな、それを取り上げておったということと、繋がってると思う。で、あの元北道道警釧路方面ホンブ長の「原田宏二」のオッサンの、宇都宮での講演に来ておったっていうのと、どこかで繋がっておるんだろうなあ。そこで会うたってのも、何かの「縁」だったのかもしれんなあ。ワシの『新聞記者卒業』(第三書館)を読んだって言っておったのを、思い出す。
その下野シンブンには、約7年いて、それで、朝日の「途中採用」を受けて、転職したんだな。初任地が神戸シキョクで、そこに1年チョットおって、それから、大阪の社会ブに上がったということだが、配属されてすぐに、能登半島での地震があって、その応援に行かされたんだが、ぬあんと、朝日では「新人扱い」ってことで、マトモに取材させてもらえず、ホンマ、「ゴミ拾い」みたいなことをヤラされておったってんだよな(笑)。ま、アソコは、コイツも、ギョー怪内では「公知の事実」だが、「ヒエラルキー」っていうか、身分制度っていうよりも、「カースト制度」があるんで、途中入社の転職組、つまり、「外様」は出世のラインが外れておるからなあ。
とはいえ、シンブン社ってのは、ナンダカンダと言ったところで、「ネタを引っ張ってくる人間が、強い」ってことで、結局、落合博実のオッサンも、編集イインで定年までおれたんで、そういう点については、きちんと評価するカイシャではあると思う。
#さらに、「上」の続きで、もう一つ、オモロかったのは、そのキャップである「村上英樹クン」ってのは、実は、今度のアンケンは、「リベンジだった」ってんだよなあ。要は、三井環のオッサンが口封じタイホされたとき、チケン担当で、「ある社に、当日の夕刊で、オッサンがその日の朝、西宮の自宅から、任意同行をかけられ、クルマに乗せられるところの写真を、抜かれた!」と、それがトラウマになっておったってんだが、コレは、ヨミが抜いたんだよな。
ただ、この「三井環のオッサンを、口封じタイホへ」のネタなんてのは、そんな、フツーの夜討ち朝駆けで取れるハナシぢゃねえって。ワシが掴んでおるハナシでは、このヨミのネタを引っ張ってきたのは、社会部チョーもやっておって、例の「有月怪」のメンツとして名前と連ねておる、あの「谷高志」っていうことだからなあ。だから、それは、自分んとこの「村山治」や「房園茂」、大毎社会ブの「吉山利嗣」並みに、当局と「一体化」しておらんことには、抜けねえネタだって。勿論、ジケン担当のブンヤとして、「抜かれて悔しい」っていうキモチは、よくわかるが、アレはどうせ、99・999%、ヨミ以外の他社は、知らんかったハナシだろうから、気にすることはない。アレも、「鳥越俊太郎のオッサンとこの、ザ・スクープに、顔出しで喋る」っていう、「ご注進」のバーターだったっていうからなあ。だから、キャップになって、あのときのリベンジが果たせて、よかったぢゃないか(笑)
#んで、もう少し、「上」の続きで、今回の「FD改竄ジケン」のスッパ抜きが、ぬあんで、「大阪発」だったのか、やっと、わかったあ。っていうのは、アレは、「上村勉」の弁護人だろうなあ、それが、「大阪の弁護士」で、そのFDを、その弁護士が持っておったってことなんだな。コイツは、ジケンの舞台は東京(=霞が関etc)で、ヒギシャも、基本的には「東」の方なんだが、ソーサをしたのが大阪チケンで、コーハンも大阪チサイになるんで、だから、「地元の弁護士」も弁護団に入ったってことなんだな。だから、あの前田恒彦が、ピャーッとFDをいじくり回して、返送したっていうのも、たぶん、その弁護士んとこだったんだろうなあ。
圧巻は、ネタを引っ張ってくる板橋洋佳クンと、その弁護士とのやりとりで、弁護士は「チケン担当のアナタに、記事が書けるのか?」って言ったってことだが、そんなのは、当然だよなあ。それに対する切り返しが、「チケン担当だから、ココまで来ました」だったってことだからなあ。ネタ元だって、バカぢゃねえんだから、「渡す先」は選ぶからなあ。
この板橋クンは、大学を出て、「99年入社」っていうと、まだ、三十路前半か。若いな。いよいよ、コレから脂が乗ってくる時期だな。ワシも、カイシャにおったら、今頃は、本社のデスクだろうから、こういう有能な若いキシャを育てんとなんだよな。コレに続くブンヤが、他社を含めて、ドンドン出てくることを、ワシは望む。そういえば、今、『実話』で、珠玉の実録ノベル『悪逆』を連載中の三井環のオッサンも、よく言ってた。「自分は、ゲンバが好きだった」。ブンヤも捜査官も、「職人」ってのは、須らくそうだと思うが、手取り足取り教え込むっていうよりも、「上司や先輩の動きを盗む」っていうもんだからなあ。オッサンも「そういう上司の後姿を見て、部下も育っていく」と言っておったが、ブンヤも同じだ。
それを考えると、ワシら四十路以上のブンヤが、もっと、しっかりせんとアカンと、つくづく思う。本当に、「我々より、上」の世代のセキニンってのは、あのフクシマ第1原発見ても、分かるように、重大かつ深刻だよなあ。ツケを全部、若い後世の世代に押し付けるなんていう、バカげたことだけは、させてはならん。それだけは、間違いないし、全く申し開きができんよなあ。
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