http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/112.html
Tweet |
洋上加工船のラインの片隅で狭い事務室に陣取り日に18時間も無口に外人労働者たちに指示を与える隻腕の日本人工場マネージャー。毎朝部下たちの一時間前に出社し、ひがな一日ウイスキーブレンドに打ち込む洋酒工場のブレンダー。7割は死亡するという野戦病院さながらの白血病病棟で毎日死と直面しつつ孤軍奮闘する血液内科医。
彼らは重い責務を担い多くの不満を抱きながらも確かに自らの行為・職務に満足している。組織、共同体への帰属感や時に陶酔の域にまで達する同僚、部下たちとの一体感、社会的承認に満足している。しかし、そのめったに笑わない自信のある顔つきや所作に、歴戦の勇士のような取り払いようもない暗さ、宿命観、受動性がにじみ出ている。
前回、特攻企業戦士である大企業・大組織のプロフェッショナルについて論じたが、彼らはいずれも団塊世代か団塊ジュニアだ。その彼らは痛々しいほど真面目で生一本な人間たちだ。その真面目な社員たちが真面目に勤続して現在のトッププロフェッショナルとなったわけだが、どこか悲壮で暗い義務感や責任感にうちひしがれているのはどうしてだろう。おれは出来る人間だ、俺がいないと現場は回らないと自負し、仕事は大変だがその中核として働く自分に存在価値を見出す彼らに、なぜ暗い圧迫感や閉塞感、不幸感がただようのだろう。欧米のプロフェッショナルならもっとハッピーなんじゃないか。
思うにそれはきつい労働条件や職場の人間関係、自らの理想との乖離等、結局、プロの技能を発揮する上での企業内の基礎的あるいは周辺上の諸状況の悪さにあるんじゃないだろうか。例えば万年人手不足は経営側にとってみれば人件費節約だし、硬直的企業組織も年功序列等を支えるための必須事項だ。そのような非科学的組織形態の中でプロフェッショナルはもがき苦しみ、齟齬を自らの中で何とか調整して中核の歯車として組織を動かしている。それは毎晩遅く帰宅し週末は家でごろごろしてむっつりとして家族サービスもしない平均的中年サラリーマンの仕事中の勇士でもある。だが、目を欧米に転ずるに全ての経済活動は利益を目的としたいわばビジネスチャンスであり、苦しければ辞めるのが理性的経済行動である。そこでは呻吟しながら苦汗労働を続けるのはよほど職にあぶれた人々か発展途上国の低カーストぐらいであってとても誉められた状態とは看做されない。
しかし、ともかくも辛苦を乗り越え日本の職業人は高度成長を成し遂げてきたわけであるが、バブル以降は状況は一変してきている。簡単に言えばその日本流プロフェッショナルの流儀が世界で通じなくなってきている、あるいは他国のプロフェッショナルの流儀に完璧に敗北に帰しつつあるのだ。10年前までの「プロジェクトx」はそんな時代に夢をもう一度と高度成長期の伝説・神話を再現してみたが、今や一時は世界を席巻した日本企業の劣勢は火を見るよりも明らかですでに家電やITは陥落し、虎の子の自動車もいつまで持つかわからない。最後の期待は高技術をもった中小企業だなどといっているが、手かせ足かせをつけて散々大企業中心でやってきたくせにマスコミも官僚も虫が良すぎる。
そのような「プロジェクトx」的な企業伝説が通じなくなりつつある中で最後の日本経済神話のよりどころは職人的な技能や技術を有する「プロフェッショナル」たちだ。NHKの企画部も相当頭をひねったに違いない。ここは超人的プロに焦点を当てようと。しかし、それはあたかも戦中の正規戦の戦術戦略に望みを絶たれた旧軍指導部が、捨て身の特攻や切り込み隊で超人的個人たちに望みを託したのに軌をいつにしている。思えばこのような超人物語は日本人の大好物とするところだ。古くは爆弾三勇士に始まり宇宙戦艦大和しかり超人ヒーロー特撮やスポコンヒーローと空想的秘密兵器や秘技を持って社会や国家の劣勢を一気に挽回する超人待望論は一種のポピュリズムやファシズムにも低通するのか。そして物理的に劣位になればなるほど限りなく精神論が浸透してくるのだ。精神一到なにごとか云々だ。だが、このようなプロフェッショナル像が望まれまた多くのプロフェッショナルが必死に精進すればするほど凡人には住みにくい社会や企業環境となってくる。
だが、そのような真面目で単純な救国いや救社的な超人的プロフェッショナル像がかぎりなく現代日本の非社会的偶像たるニートにダブってくるのだ。団塊世代や団塊ジュニアである意味流動的状況に不器用なプロフェッショナルたちが70年代80年代に生まれていたらどうなっていたであろうか。転職も転社もしないあるいはできなかったド真面目なかれらは就職氷河期で新卒入社が出来なかったり、リクルート転職広告に踊らされたり、リストラの憂き目に会ったりしたら、フリーターや非正規としてしぶとく惨めに食いつなげることが出来るだろうか。おそらくは引きこもってニート化する者のほうが多いのではないか。部屋にこもるのと職にこもるのは意外とあまり違いはないのじゃないか。違うのは後者が大きな負担の下にやっと社会性や経済性を保っていることだけである。
そういう意味で「プロジェクトx」が高度成長期に捧げたオマージュであると同じく、プロフェッショナル賞賛とはニート気味の一般人のかろうじて共同体へ属することの出来たであろう過去への回想なのかもしれない。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評13掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。