07. 2013年1月15日 01:39:32
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【第769回】 2013年1月15日 週刊ダイヤモンド編集部 安倍新政権20兆円緊急経済対策 赤字だけが残る懸念ぬぐえず 再開された経済財政諮問会議。膨らむ一方の財政赤字を解消する方針を示せるか Photo:JIJI ?“アベノミクス”がいよいよ始動した。経済再生を最優先課題とする安倍晋三首相は7日、経済3団体の新年祝賀パーティで「大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間の投資を引き出す成長戦略の3本の矢によって、経済を成長させていく」との方針を示した。 ?その方針に沿って、2012年度補正予算を含む緊急経済対策が策定された。補正予算の規模は13.1兆円。これに地方や民間企業の負担分などを含めると対策の規模は20兆円に達する。 ?公共投資には12年度当初予算とほぼ同額の約5兆円を充てる。古い道路やトンネル、河川などの補修、復興事業などがその内訳だ。 ?加えて、国際協力銀行と民間の協力でファンドを設立し、日本企業の海外企業買収やアジアでのインフラ整備に出資する。iPS細胞の実用化やスーパーコンピュータの「京(けい)」などの先端技術開発支援にも資金を振り向ける。 ?こうした財政出動で、13年度の成長率は0.5〜0.6%は上向くと見込まれている。ただ、財政出動による成長率押し上げは一過性のもの。1990年代には、景気が落ち込むたびに、公共投資を積み増す経済対策が講じられたが、その効果は短期間で消え、財政赤字だけが積み上がっていった。 ?同じ轍を踏まないためには、財政出動で一時的に成長率が上向いている間に、成長戦略の実行で中長期の成長力を向上させなければならない。「成長戦略で最も重要なのは規制緩和」(河野龍太郎・BNPパリバ証券経済調査本部長)である。しかし、これまでの政権は、既得権益の壁を崩せず、大きな効果を挙げられなかった。 ?また、今回の補正予算のための国債増発額は5兆円前後に上る。13年度予算でも新規国債発行額は50兆円前後に達する見込み。財政赤字は膨らむ一方だ。 ?安倍政権は日本銀行に強力な金融緩和と2%の物価上昇率目標の設定を求めている。緩和を継続すれば、物価上昇率2%が達成できる公算はある。しかし、物価上昇は金利上昇を招く。そのときに財政再建の道筋が見えていなければ、財政悪化を危惧して長期金利が急上昇する懸念はぬぐえない。長期金利が上昇すれば、国債の利払い費が増大し、国債を大量に保有する銀行が多大なる損失を抱えることになる。 ?財政再建には高齢化で増大する社会保障費抑制が必須だ。安倍首相も、財政再建への道筋を経済財政諮問会議の骨太の方針で示す意向だ。しかし、今回の経済対策では70〜74歳の医療費の窓口負担割合を本来の2割ではなく、従来通り1割に据え置く措置の継続が盛り込まれている。社会保障費にメスを入れられるのか疑問が残る。 ?歴代の政権が先送りしてきた実効ある成長戦略遂行と社会保障費抑制、これらの施策を早期に実現しなければ、今回の緊急経済対策も財政赤字を増やすだけの結果に終わるだろう。 ?(「週刊ダイヤモンド」編集部?竹田孝洋) http://diamond.jp/articles/print/30516 JBpress>ニュース・経営>政治 [政治] 安倍新政権に望むのは「目線」を下げた政治 人間らしい保守の論理を大切に 2013年01月15日(Tue) 筆坂 秀世 自民党安倍政権が上々のスタートを切ったように思える。株価は上昇し、円安傾向も続いている。閣僚の顔ぶれを見ても、安定感を感じる。党役員の布陣も良い。バランス感覚に優れ、外交にも造詣の深い高村正彦副総裁、論理的に物事を考え、喋れる石破茂幹事長、それに高市早苗政調会長、野田聖子総務会長と2人の女性を登用したのも良い。 このなかで何度か酒を酌み交わし、個人的に知っているのは野田聖子氏だけだが、彼女はまず他人の悪口を言ったことがない。民主党と政権交代した際も、「いまさら民主党の批判をしても仕方がない。政権を奪われた自民党自身の反省こそが大事だ」と語っていた。負け犬の遠吠えよりも、みずからの在り方を見つめ直すという姿勢は、政治家として大事なことだ。彼女なら、むずかしい党内のまとめ役も、その人柄でやりこなしていくことだろう。 石破氏の厳しさは大事 石破幹事長が新人議員に対し、年末年始の「行動計画表」を提出させ、それをチェックすることを厳命したことが話題を呼んだ。新聞各紙は、無派閥の石破氏が新人教育の主体を派閥から党本部に移すことで、幹事長としての求心力を強めようという狙いがある、などといういつもの浅薄な「裏読み」記事を報じているが、私はまったく違う見方をしている。 自民党が野に下ったのは、誰の責任でもない、自民党自身の責任であった。政治などまともに考えたこともないような小泉チルドレンの大量当選、事務所費問題などの相次ぐスキャンダル、不安定雇用と失業の増大、消えた年金記録など、さまざまな失政が重なったためだ。 そのために民主党が上手くやれるかどうか不安を感じながらも、有権者は民主党を選んだ。今回の選挙でも議席は飛躍的に増えたが、得票数が増えたわけではない。石破氏は、この現実を直視している。この厳しさ、真剣さは今の自民党には、何よりも必要なことだ。 目線を下げよ 6年前の第1次安倍政権の時は、絶大な人気を誇った小泉純一郎首相の後継ということもあり、あまりにも力みかえっていたと思う。例えば「美しい国、日本。」というスローガンだ。悪い言葉ではない。だが当時、大変違和感があった。 最近、その違和感の原因が分かった気がする。「美しい国」という表現は、一種の理想社会を目指す論理だからだ。現実には、美しいだけの国などというものは存在するわけがない。美しさの裏には、醜さもあるものだ。表があれば、裏もある。それが人間社会である。やはり地に足が着いていないスローガンだったのだ。 「日本を、取り戻す。」というスローガンにも、安倍晋三首相の思いが込められているのであろうが、同じ臭いを感じてしまう。政治家である以上、理想を持つのはまったく悪いことではない。だが同時に政治家には、リアリティーがなければならない。 民主党の失敗は、現実よりも「こうあるべきだ」というところから出発したことにある。「脱官僚・政治主導」「普天間基地を最低でも県外」等々がそれだ。ここには物事の手順だとか、困難さだとかがまったく考慮されていない。これは平たく言えば、頭の中だけ、あるいは上から目線、あるいは力みということなのだ。 安倍首相の側近であり、今回の選挙で復帰を果たした萩生田光一議員が、落選中の3年余の間に自民党の反省すべき点を見つめ直したとして、次のような指摘を行っている。 〈まず、最たるものは自民党のブルジョア体質である。実に世襲議員が多いうえに、エリート意識が強い官僚も多く、国民の目線と政策が合っていなかった〉 〈自民党の経済政策も結局、大企業や経団連向けだった。党の部会の議論も世界金融の話に終始し、地元の信用組合からお金を借りられない中小企業や、シャッターが閉まった商店街への配慮が欠けていた〉 〈教育行政も同じです。歴代首相は小学校から私立に入り、圧倒的多数の子どもが通う公立小中学校のことを知らない。だから現場とミスマッチを起こす〉 貴重な指摘だと思う。側近のこの目線を生かして、国民の期待に応えてほしい。 「保守」とは何か 「金持ち喧嘩せず」という言葉があるが、かつての自民党にはその趣があった。「清濁併せ飲む」という度量があった。「水清ければ魚棲まず」と言われるように、現実社会は無菌社会ではない。失敗もすれば、過ちを犯すこともある。どんな公正な人間であろうとしても、利己心や邪心から逃れることはできない。それが人間だ。 人間をそういうものとして包摂していく、それが保守の強さであったと思う。 政治に理想は必要である。だが古今東西、理想的な国などは存在しない。この社会には、多様な人間が存在する。思想も、宗教も、出自もばらばらだ。1つの価値観で統一された国家は、為政者にとっては実にやりやすい国家である。だがそんな国家は、かつてのナチスドイツや軍国主義日本、旧ソ連など独裁国家や専制国家でしかありえない。 私自身の懺悔にもなるのだが、理想的な人間と思想によって、理想的な社会を実現することが可能だと錯覚したのが、共産主義であった。だが旧ソ連を見ても、中国を見ても、あんな無残な社会しか実現できなかった。ユートピア(現実には存在しない社会)は、やはりユートピアだったのだ。 保守の出発点は、欠陥だらけの人間が理想的な社会など実現できるはずがないという前提に立脚し、しかし、社会をより良い方向に漸次改革することは可能だという立場に立つ、これが保守だと私は思う。その意味では、非常に人間らしいのだ。安倍首相には、この保守の論理を大切にしてほしいと願う。 経済対策の最終目標は雇用にあり 安倍政権は、20兆円規模の大型補正予算を組むと言われている。結構なことである。公共事業も、金融政策、財政政策、成長戦略も大いにやってもらいたい。 ただ経済政策の究極の目標は、言うまでもない経世済民、すなわち世を治め、民を救うことである。このことだけは忘れないでほしい。 中でも最重要の課題として取り組んでほしいのが雇用である。失業対策である。 失業ぐらい人の心を傷つけるものはない。これは「あなたは、この社会には必要がありません」と言われるのと同じことだからである。この世に生を受けた人間は、誰でもこの社会に有用な人間になりたいと願っている。その人がどんな仕事に就こうが、それは関係ない。 私は若い人と話をする時、いつも言うことがある。それは「この世に不要な人間など1人もいない。必要だから生まれてきたんだ。だから自分のことをまず何よりも大切にすべきだ」ということである。 それでなくても若い時というのは、「自分はどうして生まれてきたのか」「自分などこの世には必要がない」などと、自己嫌悪に陥るものである。その若者たちが、働く場所すらない。あってもせいぜい派遣労働者で、解雇自由の立場に置かれている。こんな状態を放置して、「安定した、良い社会」を実現できるわけがない。安倍政権には、安定した雇用をこそ、ぜひ「取り戻して」ほしいものだ。 日本は独立国か? 最後に一言。安倍首相は憲法改正を、選挙でも公約した。アメリカ占領下で作られた憲法を改正し、自主的な憲法をというのがその趣旨だ。 現在の日本を取り巻く国際情勢、アジア情勢に鑑みれば、日米同盟が重要なことはよく分かる。だが普天間基地やオスプレイ配備問題をとってみても、果たして日本は本当に独立国と言えるのだろうか。アメリカの属国ではないのか。そこで本当に自主的な憲法が作れるのか。 この問題は、今後、集団的自衛権の問題も含めて、追々論じていきたいと思う。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36902 第9回 世界で起きている「3つの変化」に迫る
Open Talent Economy Working-Learning-Playing Continuous Change Management 2013年1月15日(火) キャメル・ヤマモト しばらくコラムをお休みしていたが、前回までのお話は「起承転結」で言えば、「起・承」だった。今回は「転」で転がしてみたい。というのも、昨年11月は仕事と休暇を兼ねてほとんど海外で過ごし(シンガポール、カイロ、北京)、久しぶりにペースを変えて節目的な思考を試みたので、そのささやかな成果を皆さんにご紹介したい。 さて、このコラムではグローバル人材になるために有効そうなハウツー(How To)の話をしてきた。今回は、その話の前提においてある種の変化が起きていることについてお話しする。 前提の変化とは、世界の潮目の変化のようなものであり、そこがよく見えてきて体感できるようになれば、そういう前提条件の中で使うハウツーにも貴重なガイドとなるだろう。私もまだ手探り状態だが、この前提条件の変化とその変化がハウツーに及ぼす影響について書いてみたい。 変化は3つの言葉で象徴される。「Open Talent Economy(人材開放型経済)」、「Working-Learning-Playing(仕事即学習即遊び)」、「Continuous Change Management(常時変革)」の3つだ。 3にこだわる私は、既にこの3つの変化に3文字のニックネームをつけた。OTE(人開経)、WLP(仕学遊)、CCM(常変管)。1つずつ説明しよう。 人材がある場所に囲い込まれずに、オープンに動く経済 第1の変化を表す言葉はOpen Talent Economy(人材開放型経済=OTE, 人開経)だ。これは、米デロイトのヒューマンキャピタルグループが提唱しているもので、その意味合いは、人材がある場所に囲い込まれずに、オープンに動く経済だ。そういう経済における企業の在り方を考えていこうというものである。 類義語として、Mobile Talent EconomyやNetworked Talent Economyという言葉も出されている。グローバル化と情報化が掛け合わさった今の世界に特徴的な状況をタレントの目線でとらえたものとも言えよう。 まずは、企業の中で自分が所属する部門に囲い込まれずに、他の部門とも壁をなくして協力しながら働く(協働)。さらには、企業の外の人材(タレント)とも協働する。 企業の外には、国の外も含まれる。個人ばかりでなく、企業同士の関係(組織レベルの関係)でも、タレントを介してオープンな関係になる。そこでは既存の情報システムに加えてソーシャルメディアも取り込まれる。さらに、人間だけなく、様々な情報分析を行う情報プログラムや3Dマニュファクチャリングのようなシステムも、人間と同様にこのオープンな環境に入ってくる。 つまり、マネジメントの対象がいわゆる個人だけでなく、もっと広がるという意味まで含まれている。様々な人、様々な組織、様々な情報プログラムが、すべて実在するモノ(Entity)として企業活動に参加し、価値を生み出していく。人間に限らない、実在するモノをどう扱うか。それがこれからの課題だろう。人間も人間関係だけでなく、情報プログラムとどう付き合うかが極めて重要になってきた。 加えて、人間にとって、自分が所属する部門だけでなく、会社内の様々な部門(実在するモノ)とどう密接に連携していくか、社外や買収相手、提携相手の組織とどう関係するか。こうしたことが、Open Talent Economyでは中心的なテーマになる。その意味ではHuman ResourcesやTalentを超えたEntity Managementという考えになっていくだろう。 仕事と学習、遊びがワンセット 変化を表す2つ目の言葉は、Working-Learning-Playing (WLP、仕学遊)である。この言葉は、昨年10月末から11月はじめにシンガポールで開催された「ASTD(American Society of Training and Development)」で使われたキーワードをいじりつつ、ゲーミフィケーションの意味を込めて加えてみたものだ。 例えば、ASTDのキーノートスピーカーのダニエル・H・キム博士(Dr. Daniel H. Kim)は、情報革命・ソーシャルメディア革命という文脈において、能力開発や学習の在り方、リーダーの役割などの面で起きている変化について話をした。 何をしてどういう結果を出すかということの変革を求めるFirst Order Changeよりも、そういうことをする人とその人のMental Modelそのものを変えること、つまりSecond Order Changeの重要性を説いた。言い換えれば、WhyやWhat、Howよりも、それらを考え出すWhoの重要性に注目した。 自分について考えるとよく分かるが、全身全霊を傾けて活動している時間、つまり自分のMental Modelの全体を使いこなしている時間というのは極めて限られている。多くは頭(Brain)のごく一部を使う、単なる知的作業者として働いている。本当の自分のポテンシャルを生かしきるような働き方にはなかなかならない。 他方で、今の世の中、人々がお金を払うモノやサービスを創り出すには、それこそ全身全霊を動員し、自分や仲間の頭のみでなく、Heart and Mindまで駆動させることが必要だろう。 しかも、そうした創造活動は、それ自体が、新しいことに取り組む「学習」であろう。果たして仕事(Work)と学習(Learning)は一体化する。加えて、そういうふうにトータルな自分が駆動する際には、遊び(Play)に熱中するような面白さも伴うのが自然だろう。 ワークとラーニング、そしてプレイがワンセットになって初めて、頭(Brain)と情(Heart)と心(Mind)の共同動員に成功する。キム博士の話はそのあたりを狙ったものだと私は受け止めた。 そのように人々のMental Setを全体的に動員するという視点から、リーダーの役割も再考される。キム博士は、第1世代の創業リーダー、第2世代のトランズアクショナル・リーダー(ものごとを仕組化して効率的にマネージするリーダー)を経て、今求められるのが第3世代のトランスフォーメーショナル・リーダー(TL)だと言う。TLは人々をインスパイアして、人間の存在・思考の本質にまで届くような影響力を及ぼし、そういう深いレベルで人々を巻き込めるようなリーダーである。 マネジメント手法をKnowledge Worker向きに替える ASTDでは、元米グーグルで育成プログラムを担当したジュリー・クロウ(Julie Clow)氏が、別のセッションでこんな話をした。 彼女は、今のマネジメント手法は(人材マネジメントも含めて)工業ワーカー時代の名残が強いが、これをKnowledge Worker向きに切り替えるためには革命的なルールの変更が必要であると主張する。そのほとんどのポイントは既にどこかで聞いたことではあるが、組織における実践となると、なるほど彼女が言うように、多くの組織はまだ時代に追いついていない。 例えば、朝9時から夕方5時までという勤務体制は明らかに工業化時代にできたものだろう(それを基準にした残業という考え方も含めて)。そういう今までのマネジメントを支配したルールに変えて新しいルールとして彼女は次のようなポイントを指摘した。 (1)Impact not Activities(結果やインパクト重視): 結果に至るプロセスでは完全な自由を与える。 (2)True urgency, not false urgency(見せかけではなく本当の緊急案件に集中する) 本当の緊急案件に対応する時はエネルギーが湧いてくるが、見せかけの緊急案件(例えば上司が不要に気にしているだけなど)だと、エネルギーは湧かない。 (3)Strengths, not job slots(職務記述書ではなくて本人の強み) 各人の強みに焦点を当てよう、各人の職務の定義ではなく。 ジュリー自身の例で言うと、彼女のチームは彼女も含めて3人で、職務的に言うと皆Instruction Designer(育成プログラムのデザイナー)だが、1人ずつの強みが異なるので、役割は分かれている。 ジュリーは、戦略的なビッグピクチャーを描くのが得意。ナンシー(仮名)は、聞き上手でファシリテーションやリクルーティングが得意。フィオリーナ(仮名)は、新しい人脈を開拓したり、チームを形成したりするのが得意。つまり3人の職務は同じだが、タレント(才能)が異なるのでそれを生かすのが大切だ。 (4)Right thing, not everything (すべてではなくて、まさに正しいことに集中) 情報洪水の中では焦点を正しく定めることが大切である。 (5)Grassroots, not top down(上からの押し付けでなくて草の根からの自発性) ああせい、こうせいというボスよりも、草の根の人々全体から集合知を汲み上げることが大切だ。 要するに、グーグルでの体験的な事例に基づきながら、「人が自発的に自分のやりやすい方法で新しいことを学習しながらそれを応用して、遊び的な創造性を発揮すること」を最優先したマネジメントの方法を提唱している。 あるべき姿と現状のギャップを埋めていく 第3の変化はContinuous Change Management (CCM、常時変)、つまり、常時変化時代の変革である。英語は私のフレーズだが、その中身は、デロイトのヒューマンキャピタルグループが戦略的変革(Strategic Change)の中核的なアイデアとして出したものだ。 これまでの変革論は、一方で将来時点(例えば3年先)のあるべき姿を描き、他方で現状を分析して、両者のギャップを明らかにしたうえで、そのギャップをステップ・バイ・ステップで、時間をかけて埋めていくという方式だった。 ところが、人材開放型経済(より一般的には開放型経済)では、変化は常に発生しているという想定に立ち、変革も常時行うというように考える。この新しい変化・変革は、ゲーミフィケーションの世界で、午前中に仮説を作りそれを発信し、午後データ(参加者の反応としての行動データ)を見て、仮説を検証し、修正する、というのがイメージ的に近いのだろう。 さて、Open Talent EconomyとWorking-Learning-PlayingとContinuous Change Managementは、それぞれ言葉としては多少目新しいにせよ、考え方としてはそれほど新しいということでもないだろう。しかし、これらを組み合わせて見ると、私たちがとんでもない流動性の真っただ中に身を置いているというイメージが、改めて浮かんでこないだろうか。 自分のコントロールを超えた力とどう付き合うか そのイメージは、一方で自分のコントロールできない流動的な力にさいなまれるという意味では脅威であるが、他方で自分のコントロールを超えたこともなし得るという意味ではチャンスである。いずれにしても、「自分のコントロールを超えた力とどう付き合うか」がこの新しい前提としての世界における課題である。それは新しい人間観を紡ぎだす試みでもある。 もとより、私が本コラムでこれまで述べてきているハウツーは、自分がコントロールできることのみをしっかりコントロールしましょうという意味のハウツーに限定したものではなかった。アウトライン法を含めて(第1回参照)、コントロールし難いところもうまく使っていこうということを含めていた。 しかし、コントロールできるかできないかという切り分けにぴたりと焦点を当てて、それぞれに相応しいハウツーを割り当てていたわけではなかった。切り分けは不明確だった。 ところが、今回述べたような新しい前提を目の前にすると、コントロールできない諸力とどう付き合うかを、改めて明確な課題として設定し、コントロールを超えた諸力にどう対処し、どう生かすかを考える必要がありそうだ。そのような視点からこのコラムのテーマであるHow To Think like a Global Leaderについて、改めて考え直すこととした。その手始めとして、その場合のスタンスというかトーンについて簡単に述べてみたい。 自ら「流れ」を創り出す 1つは、この世界的な流動性の波に、サーファーのように乗る工夫が必要だろう。間断なく押し寄せる流動性の波に流され、さいなまれるのではなくて、主体的に乗りこなすのである。 乗りこなすポイントは、意外性や偶然性とうまく付き合い、うまく生かす術を創りつつ、新しく学び続ける姿勢だろう。 その1つの方向性は、自分から「流れ」を創り出すことだろう(攻撃は最大の防御なり)。 自分から作り出す「流れ」とはこんなイメージである。 (1)Open Talent Economyから貪欲に情報や智恵を取り込み、 (2)それが及ぼす自分の内部の深いところの反応を確認し(WLP)、 (3) 自分を変化させ、自分を流動性のある波に乗せて共鳴させることだ(CCM)。 例えば、(2)について少し解説すると、こんな感じだ。 この流動のただ中で、私の内部の奥深くまで、他のタレントの影響が届く、私の深いところもそれに不断に反応している。ただし、そのほとんどを私は普段は意識できていない。でも、私の深部への働きかけ、それに対する私の反応、それは必ず起きている。 その声を私が聞き取ることができるか? 流動的で多様な外力にほぼ無意識で反応する私の内力、その声をきけるか? さらに、私以外の人々にも内なる声を聞いてもらい、私の内なる声と聞き比べてもらえるか? 聞こうとするか? こうした(1)(2)(3)というプロセスは、いわば、「流れ」のイメージに合わせたものだが、そういうプロセスをそもそも起動すること、つまり、そもそも、波に乗ろうとすることに当たっては、勇気も必要だろう。 どうなるか分からないのだが、とにかく乗ってみようと決断して、乗り出す、という勇気である(勇気以外にも、いくつかの態度・メンタルセットが必要になるがこれは今後改めて考えたい。これは、ある意味で、新しい状況における新しい人間観に相応しい「人間力」を考えることにつながるだろう)。 次回から、この線の話をもう少し掘り下げつつ、とらえどころのないところから、とらえられそうなところへつなげる話をしてみたい(といっても、偶然の起き方次第ではある)。 キャメル・ヤマモト 【肩書き】 デロイトトーマツ コンサルティング ディレクター(2007年4月〜)、 ビジネスブレークスルー大学教授(2010年4月〜) 【略歴】 島根県松江市出身、愛知県生まれ。東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。エジプト、英国、サウジアラビア、および東京に勤務。その間、エジプトでアラビア語を習得、オックスフォード大学大学院中東政治・宗教問題を研究。青山学院大学大学院異文化マネジメント修士課程修了。外務省を退職後、外資系人事コンサルティング会社に入社。のちに、別の外資系人事コンサルティング会社に転じ、2002年まではシリコン・バレーに。2003年7月から2006年6月まで中国・上海に駐在、アジア太平洋大学大学院講師を経て、現職。 【主な著書】 『世界標準の仕事術』(日本実業出版社)、『世界で稼ぐ人、中国に使われる人、日本でくすぶる人』(幻冬舎)、『稼ぐ人、安い人、余る人』(幻冬舎)、『鷲の人、龍の人、桜の人』(集英社)、『はまる人、はもる人、はめる人』(朝日新聞社)、『グローバルリーダー開発シナリオ』(日本経済新聞社)、『グローバル人材マネジメント論』(東洋経済新報社)、ほか。 グローバル時代を生き抜くための術を伝授する
日本企業のグローバル化にともなって、ビジネスマンに求められる役割は大きく変わろうとしている。外国人社員が配属されて英語による会議に参加する機会が増えたり、外国人上司に業務を報告したりといったことが、現実に起きてくる可能性が出てきた。そこで、グローバル人材になるにはどうしたらいいのか、本コラムで紹介する。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20130108/241973/?ST=print JBpress>海外>The Economist [The Economist] 我々はトイレに勝る革新を起こせるのか? イノベーションの減速と経済成長を巡る議論 2013年01月15日(Tue) The Economist (英エコノミスト誌 2013年1月12日号)
イノベーションが減速しているという懸念は大げさに語られすぎている。とはいえ、政府はイノベーションを後押しする必要がある。 目が回るような勢いで技術が進歩するせいで、我々は現代を史上最も革新的な時代だと考えがちだ。スマートフォンとスーパーコンピューターがあり、ビッグデータとナノテクノロジーがあり、遺伝子治療と幹細胞移植がある。 各国の政府や大学、企業は、総額で年間1兆4000億ドルほどを研究開発に費やしている。かつてこれほどの額が研究開発に注ぎ込まれたことはなかった。 エコノミスト誌の最新号の表紙は、ロダンの考える人がトイレに座っている様子を描いた〔AFPBB News〕
だが、近年では誰ひとりとして、本誌(英エコノミスト)の今週号の表紙を飾った発明品の半分でも役に立つものを考案していない。簡素なトイレは、清潔な外観と直観的なユーザーインターフェースにより、無数の人々の生活に変革をもたらした。 19世紀後半から20世紀前半の人々の頭脳から生まれたのは、近代的な公衆衛生だけではない。自動車、飛行機、電話、ラジオ、抗生物質もその時代に生み出された。 現代科学は、これらと同じくらいの影響力を持つものを1つも生み出せていない。イノベーションのペースが落ちていると考える人が増えている理由はそこにある。 興味深いことに、そうした悲観的な人たちの中には、トイレと比較して近年の発明力のなさを評価することを提案した米国の経済学者ロバート・ゴードン氏などの学者だけでなく、フェイスブックを支えたベンチャーキャピタリストのピーター・ティール氏のような起業家も含まれている。 悲観論者たちが正しければ、その意味するところは大きい。経済は何かを増やすことで、成長を生み出すことができる。労働者を増やし、投資を増やし、教育を増やせば、成長が生まれる。 だが、1人当たりの生産量を持続的に増やすためには(収入と福祉の向上には欠かせないことだ)、既に持っているものをより良い形で使うことが求められる――言い換えれば、それがイノベーションだ。イノベーションのスピードや、そのイノベーションが普及するスピードが落ちると、ほかの条件が同じであれば、成長も減速することになる。 暗く悲観的な生産性の数字 マルサスが我々は皆、飢えるだろうと予言して以来、人類の創意工夫は、様々な破滅の予言が誤りであることを証明してきた。だが最近では、イノベーションの影響力が確かに弱まっているように見える。 例えば、1980年以降の米国の平均寿命の伸び率は、20世紀初めよりも落ちている。1世紀ほど前に急上昇した移動速度も、少なくとも先進国では、1世代前よりも遅くなっていることが珍しくない。 ゴードン氏によれば、生産性も悲観論者の主張を裏付けているという。生産性は19世紀半ばに上昇し始め、20世紀初頭に加速し、1970年代初めまではかなりよく持続した。その後、急激に低下し、コンピューター化により1990年代後半に上昇したものの、2000年代半ばに再び低下した。 だが、そのパターンは、悲観論者たちが主張するほど決定的に暗いものではない。平均寿命は、先進国でもまだ上昇を続けている。電化後の生産性の向上は、なだらかに増えたのではなく、ある時点で急激に上昇したものだった。2004年以降の低下は、発明が基本的に欠如しているというよりは、恐らく経済危機の影響を強く受けたものだろう。 それに、現代のイノベーションのインパクトを見限るには、まだ早すぎる。 現世代の技術的進歩への貢献は、ほとんどが情報技術(IT)の分野で生まれたものだ。電化により、発電場所から遠く離れた場所でエネルギーを使用できるようになり、あらゆることが変化したように、コンピューティング技術と通信技術も、それを持たない場合の人間の能力をはるかに超える形で計算や人とのつながりを可能にし、生活やビジネスを変革している。 だが、電気の場合と同じように、企業がそれを使いこなす方法を身につけるには時間がかかる。そのため、その影響力を余さず実感できるようになるまでには、まだ何十年もかかるだろう。 コンピューターの力は、既にIT分野を大きく超えて、劇的な進歩に寄与している。3次元(3D)印刷は、新たな産業革命を引き起こす可能性がある。米グーグルのつくった無人自動車のような自律走行車は、10年以内に街で普通に目にできるようになるかもしれない。人工装具の性能は、本物の四肢に急速に追いつきつつある。 こうしたイノベーションがいずれどれほど大きな意味を持つことになるかを判断するには時期尚早ではあるものの、グローバル化している現代は、イノベーションにとって実りの多い時代であるはずだ。 現代は、100年前よりもはるかに多くの頭脳が活動している。クールな新製品の開発レースには、米国と欧州の発明家に加え、日本、ブラジル、インド、中国の発明家が参加してきた。 基礎研究に公的支出を このように、21世紀もイノベーションの活力の流れは衰えないと考えてよい十分な根拠がある。だが、それを妨げるものに警戒すべき理由もある。最大の危険要因は、政府だ。 政府が今より小さかった時代には、イノベーションも今より容易だった。製造業者は、規則違反を言い立てる役人に煩わされることなく、新たな製法を導入したり、設計を変更したりできた。 近年、医薬品が厳しく検査され、工場の排出物が規制されているのは良いことだ。だが、役人というものは、公益のために必要なものよりもはるかに多くの規則をつくりがちだ。そして、複雑に入り組んだお役所仕事は、イノベーションを抑圧する。 イノベーションを促進するための規則でさえ、その多くはあまり機能していない。例えば、欧米の知的財産保護制度は、利点の疑わしい特許を与えすぎているせいで混乱に陥っている。 国は、自身のイノベーションの受け入れでも明らかに失敗している。公的部門では、生産性がほとんど停滞している。公務員の労働組合は、政府が業績評価指標――民間では経営者にイノベーションを促してきたもの――を公表することさえ、しばしば妨げてきた。 ITには、医療と教育の分野で生産性を高める大きな余地がある。だがそれも、そうした分野が変化に対してもっとオープンになればの話だ。 1970年代以前の先進国の急速な成長は、インフラ(下水道など)と基礎研究への公的支出に後押しされていた。コンピューター、インターネット、食品技術における緑の革命は、いずれも直接的な商業目的を持たない科学から生まれたものだ。 公的支出がイノベーションをもたらす威力の最も顕著な例が、戦争だ。ジェットエンジンは言うまでもなく、無人飛行機や義肢の驚異的な新技術は、その威力のほろ苦い証しだ。現在のように財政が逼迫した時期であっても、炭素回収・貯留といった分野の基礎研究に投じる資金は、やはり捻出しなければならない。 結局は人類次第 起業家の邪魔をせず、公的部門を改革し、賢く投資する――政府がこうしたことをうまくこなせば、その見返りは大きいだろう。イノベーションが減速するリスクは現実のものだが、その危険は避けることができる。 実際にそうなるかどうかは、人類の運命のほとんどの側面と同じく、人類自身にかかっている。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36914
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