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Right the Ship・・通貨戦争が生む金融共同幻想「絶望的な時が絶望的な行動を生む」
http://precursor.blog55.fc2.com/blog-entry-541.html
■今やスイスと英国は通貨戦争状態にある、もし試みたとしても・・貨幣を切り下げる事ができない様に思える。
イングランド銀行は、量的緩和で英国通貨を引き下げようと全ての筋肉を緊張させているが、何が起きているのだろうか?。
スイス国立銀行は、スレッドニードル通り(バンク・オブ・イングランド)に対し、あからさまな英国国債の購入爆撃という切り札を使っている。 ただ彼等は印刷し、そして買うのである。
スイス及び英国の中央銀行は、互いに対する通貨戦争を効果的に「激しく無く」闘っている状況にある。
ある者は、- 15倍の大きさの - 日本が円を引き下げるべく自らの核爆弾的な計画を携えて参加し、アジア諸国が追従した場合に起きる事を、好奇心を持って見ている。
中央銀行の保有高に関する最新の IMF のデータは、これまでに記録された先進国の中央銀行によるポンド建て国債の最大の急増を示している。 それは、第3四半期に$790億から$980億へ跳ね上がったのだ。
通常これらの保有高は安定しているので、SNB に責任がある事は明白である。 既にスイスは、フランを€1.20に維持すべく彼等が狂わんばかりに介入した事で、ユーロ債については飽いている。 彼等自身の使命により、彼等は精力的に多様化を図ってきた。
既に SNB は、昨年のユーロ圏の財政赤字の半分をカバーするのに十分な、$800億の EMU 債を購入したとアナリスト達は述べている。 彼等は、イタリアからドイツへの資本逃避の導管として本質的な役割を演じてきた。
それ以来、伝えられるところでは豪ドル、ルーニー(加ドル)、スカンジナビア諸国通貨、ウォン?、レアル?へ手を広げたという事であるが、それらを上回ってポンドを購入しているのだ。 「もし貴方がユーロ、ドル、円を好まない場合、この「醜い競争」には他に行くべき場所があまり無いのです。」と、HSBC の通貨主任であるデイビッド・ブルームは語った。
★「誰もが自国通貨を弱くしようと同時に試みているのです。 スイスは其処から逃げ出し、今度は日本が試みようとしているのです。 スカンジナビア諸国は髪を掻き毟(むし)っているのです。 トルコは、経済が過熱しているにも拘わらず金利を引き下げ、通貨の上昇を望んでいない為に与信を制御しているのです。」
「政策立案者達は、もしも貴方が4年前に彼等が実施すべきだと彼等に示唆していたら囚人服を着せられて拘置所に放り込まれていたであろう事を行っているのです。
★もはや、この市場において私は如何なる事も排除しません。 絶望的な時が絶望的な行動を生むのです。」と彼は語った。
ベルリンが AAA を失って彼等の債務に取り組む事となり、スターリングは間も無く勢いを失うであろうとブルーム氏は語った。 「今年、米ドルに対し$1.52、そしてユーロに対し€0.88と、私達はスターリングの見通しを劇的に引き下げたのです。 ポンドは多くの圧力を受けようとしています。」
宜しい。
このブログは、民主的な国家の勇敢な擁護者であるスイスを攻撃する意図を持っていない。
★彼等が行っている事は、全く理解できる事なのだ。 その様な介入は、総合的にグローバルな刺激を創り出しており、デフレの世界においては害となるよりも良い事を行っているのだ。
それでも、我々は非常に奇妙な状況にいる。
★世界の大部分は、バランスを戻すべく安い通貨及び高い金利の構造を必要としているのだ。 しかし、彼等の全てが安い通貨を持つ事はできないのである。
その様な状態は、グリーンスパンの時代から我々に遺されている変形した構造なのである。 又は、中国の影響、或いは、それらは同じものなのだろうか?。
FRBがファウスト的な協定を作り、嘗て無く下落した実質金利を選択した1990年代半ばに腐敗が始まったと、輝けるバーナード・コノリー(欧州委員会の元通貨ディレクターで、後に AIG のグローバル・ストラテジスト)は述べている。
何か、この混乱から我々が抜け出す考えはあるだろうか?。(抜粋)
◆ハイパーインフレが起こるとき
http://blog.livedoor.jp/clj2010/archives/65758492.html
日銀にインフレ(物價上昇)目標設定を要求する安倍政權が發足したことで、言論界の一部ではインフレへの警戒心が高まり、ハイパーインフレ(急激な物價上昇)の發生を警告する聲さへある。これに對し、日本はデフレ(物價下落)に苦しんでゐるのだから、心配は時期尚早だと反論する向きもあらう。だがそのやうにインフレへの心配は無用といふ心理が社會に廣がつたときこそ、ハイパーインフレは起こりやすくなる。一昨年刊行されたアダム・ファーガソン『ハイパーインフレの悪夢――ドイツ「国家破綻の歴史」は警告する』(黒輪篤嗣・桐谷知未譯、新潮社)を讀むと、それがよくわかる。
この本で描かれるのは、第一次世界大戰後のドイツを襲つた有名なハイパーインフレである。戰爭で息子を失つた夫婦が、生活のために蓄へてゐたカネまで無價値になり、自殺に追ひ込まれた話(109頁)や、買ひ物客がカネを入れて運んでゐたかごやスーツケースを泥棒に盜まれたが、中身のカネは地面に放り出されてゐたといふ話(179頁)など、異常な物價高にまつはる悲喜劇は一般の歴史書でもよく觸れられるので、割愛しよう。ここでぜひ紹介したいのは、ハイパーインフレの原因の眞相である。
よく語られる説は、ドイツがヴェルサイユ條約で要求された巨額の賠償金を支拂ふため、紙幣を大量に發行し、それが急激なインフレを招いたといふものだ。しかしこれは正確ではない。なぜなら「インフレ率は賠償金が問題になるずっと前から桁外れだった」(301頁)からである。その理由は、戰時中、戰費を調達する都合上、中央銀行であるドイツ帝國銀行(ライヒスバンク)が短期國債を裏附けに紙幣を發行できるやう制度が變更され、大幅な金融緩和が實施されたことにある。
さらに重大なのは、終戰後も、別の理由から金融緩和が續けられたことである。これには政府、勞働組合、産業界、中央銀行それぞれが關係してゐた。
まづ政府と勞組である。終戰後しばらく、ドイツの産業界はマルク安のおかげで輸出が有利になり、大幅に業績を伸ばした。ところが最終的な賠償額が合意に達しかけたのをきつかけにマルクが一時上昇すると、企業業績の惡化から失業率が一氣に上がり、1920年夏には六パーセントに達する。「以後、政府、労働組合ともに、マルクを犠牲にしてでも完全雇用を目指すようになった」(61頁)。つまり金融緩和を求めた。とくに政治家は「通貨が少しでも不足すれば、たちまち社会不安が起こると……考えた」(102頁)。
産業界も同じだった。「有力な産業資本家の多くは、為替相場の継続的な下落によってのみ、ドイツは中立的な市場で競争力を保てるという乱暴な考えを捨てなかった。目先の利益さえ得られればいいという姿勢だった」(102頁)。ドイツ一の富豪で産業界隨一の實力者フーゴー・シュティンネスに言はせると、「インフレは完全雇用を保証する手段であり、望ましいどころか、思いやりのある政府が取り得る唯一の政策」(106頁)だつた。シュティンネスは「国民の生活を維持するためには、それ以外に方法はないとまで言いきった」。
ライヒスバンク總裁のルドルフ・ハーフェンシュタインも、基本的に産業界と同じ考へを抱いてゐた。當時の英外交官の言葉を借りれば、「壊滅的な影響をもたらすとは夢にも思わず、喜び勇んで〔紙幣の〕印刷機のハンドルを回した」(同)。
もう一つ加へるとすれば、報道機關だらう。國内經濟紙は、ライヒスバンクによる金融緩和について「批判的には報じなかった」(同)。それどころか、積極的に後押しした新聞もあつた。有力金融紙ベルリナー・ベルゼン・クーリエ(ベルリン株式新報)はかう論陣を張つた。
今の状況では、通貨の減価そのものより、金〔かね〕が不足することのほうが、悪影響をもたらす。……紙幣の量が現在の3倍に増えても、通貨の安定のさしたる障害にはならないだろう。/それまでは、紙幣を印刷しよう!(122頁)
このやうに、社會の有力者層が國内景氣を支へるためインフレを許容し、歡迎するムードを廣めたことが、ハイパーインフレをもたらす素地になつたのである。「1920年、21年、22年と日々が過ぎるあいだ、つけ払いは先延ばしにされた。予期されるインフレの影響がいっそう恐ろしくなるにつれ、延期はいっそう(むずかしくではなく)たやすくなった」(305頁)。賠償金の支拂ひはこれを増幅させたにすぎない。
いまの日本で、インフレ賛成論者の多くは「目標値を超える大幅なインフレになったら、そこで金融を引き締めればよい」と主張する。だが政治的に決定された目標は、いつでも政治的に變更されうる。政治家にとつてインフレ目標値といふルールは、景氣を一時的にでも良くして有權者の人氣を集める手段にすぎないのだから、物價上昇率が目標値に達しても、景氣が良くならなければ、ルールそのものを變更する議論が勢ひを増すのは目に見えてゐる。かつてのドイツと同じやうに、政治家たちは「継続的なインフレのせいで生じている明らかに危険な状況は、見えていないか、無視」(102頁)することだらう。
ドイツのハイパーインフレは、ある日突然起こつたのではない。1923年末、マルクは第一次大戰勃發前夜の一兆分の一まで値下がりし、紙くず同然となるが、さうなるまでにはおよそ十年の時間がかかつた。「下落の始まりは、ゆるやかだった」(26頁)のである。心配するのに早すぎることはない。
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