http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/800.html
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http://blog.livedoor.jp/mkubo1/archives/51376644.html
ロイターに浜田宏一名誉教授のインタビュー記事を見つけました。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE8BQ04C20121227?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
浜田教授は、元々、金融緩和の必要性を説いていましたので、それを実践しているだけなのですね。
金融緩和をやる時は、もっと、インパクトを出して、大胆にやるべきだということでしょうね。
ここまでは、私もおおよそ同意できるのです。
次は、日銀法の改正をと言っています。
ここは、教授には悪いですが、同意しかねますね。
物価の目標は政府が決めるべきで、日銀は、それに対して、責任を負うべきだということです。
なるほど。
その点だけを日銀法改正するというのであれば、まあ、分からなくもないですが…
でも、物価の目標を決めるのも、日銀がいいような気がしますね。
最後は、補正予算(財政)について述べていますが、財政再建を優先するべきだといっています。
さすが、分かっているのですね。
日本の財政は危機的ではないが、深刻であり、景気回復を優先すべきだということです。
金融緩和で、景気が上向き、清秋が増えれば、財政再建に使うべきだと。
消費税も景気回復後で、最小限度の税率が望ましいということです。
必要な公共事業はすべきだが、財政による振興政策はむしろ考えない方が日本経済の健全な発展に重要だと言っています。
日銀法の改正については、意見が異なりますが、後は、ほとんど同じ考えですね。
(別に私がまねっこしているわけではないので・・・)
なんか、イメージは、安倍政権の頭脳みたいな感じですが、金融緩和の部分は、確かに頭脳として、浜田教授がフル回転している感じですが、財政については、まったくの正反対の考えですね。
無責任なことを言えば、(意見の対立で)内閣官房参与を辞めるのではないかと、なんとなく、浜田教授が心配に思えてきました。
というのも、自民党の戦略は、金融緩和はより、財政出動(バラマキ)こそが、彼らのホンネ(もっともやりたい政策)だと思うからです。
すべては、参院選に勝つためなのでしょうが…
金融緩和は、日銀という悪役を仕立てて、悪人退治の構図を天下に示し、万来の拍手を得て、自民党復活を演じたのだろうなと思うのですね。
確かに、日銀にも、落ち度はあったのでしょうが、安倍さんが言うほど、ひどいとは思いませんね。
そもそも、白川さんを選んだのは、自民党なのですからね。
それはともかく、日銀悪役の劇には、浜田教授が必要であったということでしょうね。
もし、安倍首相が浜田教授を信用しているのであれば、公共事業拡大とはならないのです。
だから、安倍首相(というか自民党)は、確信犯でしょうね。
バラマキ復活をねらっているのだと思いますよ。
実際、地方の土建屋さんは、(仕事が増えると)喜んでいるという話を聞きました。
当たらずとも遠からずでしょうね。
ただ、簡単には、大規模な財政出動とはいかないと思いますよ。
財政に関しては、財務省も口出すでしょうが、場合によっては、米国や欧州も、本格的に口を出してくるでしょうね。
金利が上がらない限り大丈夫なのですが、金利が上がったら終わりですからね。
◆中央銀行の働きの変化・・帰ってきた 本物の「ケインジアン」!
http://www.adpweb.com/eco/
■二つの独立性
今日、自分が常識人と思っているほとんどの人は、紙幣を発行できるのは権威のある中央銀行のみと思い込んでいる。しかし明治維新直後の日本やFRB設立以前の米国には、むしろ紙幣は政府から独立した民間銀行が発行すべきという考えが根強くあった。
米国にこのような発想があったのは、発券業務を連邦政府や政府の息が掛った中央銀行に独占させることに警戒感があったからである。
米国の発券事情を視察した伊藤博文は、米国の発券制度を日本に導入しようとした。これに対して明治政府内には、欧州のように中央銀行による発券を主張する者もいた。しかし伊藤博文はこれらの意見を抑えた。明治5年(1872年)に国立銀行法ができ、渋沢栄一の第一銀行などが生まれた。
国立銀行法を改正し、国立銀行に一定の不換紙幣の発行を認めた。これによって国立銀行の設立ラッシュが起り、日銀が設立された明治15年(1882年)には143行もの国立銀行が存在していた。
このように明治時代の前半は、紙幣の流通が入り乱れていた。西南の役の後、日本の経済活動は活発になり、経済成長に伴って物価も上昇してきた。これに対して大隈重信は増税を実施し物価上昇の沈静化を試みた。この結果、物価は落着きを見せ始めた。しかしこの時の物価上昇によって、政府紙幣や国立銀行の発券が物価上昇の原因と決めつける声が大きくなった。そこで欧州のように中央銀行に発券業務を集中させることになり、明治15年(1882年)に日銀が設立された。
世間には「日銀が日銀券を発行することによって、政府紙幣や国立銀行の銀行券を整理しインフレが治まった」という誤解がある。しかし日銀が兌換紙幣を発券したのは、設立の3年後の明治18年(1885年)であり、既に物価は落着いていた。むしろ松方政義(総理大臣、大蔵大臣)が、その後政府紙幣などを整理し過ぎたため日本経済はデフレに陥った。いわゆる松方デフレである。
デフレによって自作農は没落した。今日の構造改革派は、これによって地方の人々が都会に出てきて近代産業が発展したという詭弁を使う。しかし都会の生活が輝かしかった時代であり、自作農が没落しなくとも、都会には人が集まったと考えられる。このように構造改革派は嘘つき集団である。
ここで筆者は、中央銀行と政府の関係が問題になっていることに触れる。いわゆる「中央銀行の独立性」の話である。FRB設立以前の米国の民間の発券銀行こそ、政府から干渉を受けないのだから最も独立性を持ったものと言える。
もう一つの独立性は主に欧州のように、政府が深く関与している中央銀行と政府の関係である。特に過去に度が過ぎた通貨発行でインフレが起ったと思い込んでいる(実際には第一次世界大戦でドイツの生産設備が破壊されたからと筆者は認識しているが)、ドイツでは中央銀行(ドイツ連邦銀行)は政府の経済政策に金融面で協力したがらない。ドイツ人はインフレが原因でナチスが台頭したと思っている。さらにドイツの中央銀行は、国際協調を考えない。ちなみにドイツの融通の利かない金融政策がきっかに1987年のブラックマンデー(世界的な株価の暴落)が起った。
このドイツ連邦銀行のような唯我独尊的な行動を「中央銀行の独立性」と理解している人々が多い。
このように一口に「中央銀行の独立性」と言っても、民間銀行であったFRB以前の米国の発券銀行や明治維新政府時代の国立銀行の政府からの独立性と、
欧州の政府の息の掛った中央銀行の政府からの独立性といった二つがある。
世間ではこの二つの「中央銀行の独立性」ついて混乱がある。
■ニーズの変化に対応する中央銀行
中央銀行と政府の関係を計るには、発行済みの国債をどの程度中央銀行が買っているかを見るのも一つの方法である。日本と米国は15%程度なのに対して、ドイツとフランスはほぼゼロである(ユーロ加盟前)。しかし同じ欧州であっても英国は、5.5%ほどイングランド銀行が国債を保有している。特に英国では、政府によってインフレターゲットが中央銀行に課せられている。
また時代が移り、経済の様子が変われば、中央銀行に求められる働きも変化する。最も変わったのは米国であろう。政府から最も独立していた民間の発券銀行から、政府とほぼ一体と見られるFRBに生まれ変わったのである(1907年にロンドンで手形割引を拒否され金融危機が起った)。FRB設立は、権力の分権にこだわる上院議員が地元に帰っているクリスマス休暇中に抜打ち的に行われた。
むしろ近年ではFRBは失業率にまで関与しこれに責任を持っている。ただし権力分権や小さな政府を指向する共和党内には、このようなFRBの機能拡大に反対する声が大きい。また日本でも日銀が生まれ、それまでの国立銀行は後に普通銀行に転換している。
ユーロ加盟国の中央銀行もECB(欧州中央銀行)誕生によって、かなりの機能がECBに移った。ただECBは、最近まで、ドイツ連邦銀行の影響が強く極めて保守的であった。欧州の債務危機に対しても、国債の買入れといった政策には強い抵抗を示していた。しかしそれでは埒があかないので、ECB総裁の交代を機にドイツの反対を押切って加盟国の国債の買入れに大きく転換した。
また政府から一番独立していると言われているドイツ連邦銀行であっても、総裁、副総裁は政府の推薦であり、理事は議会が承認する。各国の中央銀行の幹部の人事は政府が決めている。昔の米国の発券銀行のように、完全に政府から独立している中央銀行は今日では見られない。
「中央銀行の独立性」なんて暢気なことを言っているのは平時だけである。ECBの無制限の国債買入れなど、昔のように中央銀行が物価上昇だけを見ているわけには行かない状況になっている。ましてやFRB設立前のように発券銀行が完全な民間銀行という時代は二度と来ないと考える。
このように中央銀行の機能や在り方は、時代とともに、あるいは経済情勢の変化とともに変わってしかるべきである。しかし今日においても、日銀の独立性をむきになって叫んでいる者がいる。このような人々は、独立性を脅かせばハイパーインフレが起ると有りもしない事態を警告している。筆者は、デフレが深刻化していた1997年に、独立性を前面に出した日銀法改正に奔走していたこのような人々は、何を考えているかと思っていた。
このように時代のニーズが変わるにつれ変化してきたのが世界の中央銀行である。これが絶対的に正しい姿というものはないと筆者は考える。中央銀行は政府が作り幹部も国が決めるのだから、その国の実情に合わせて中央銀行を設計し直せば良いのである。筆者はずっとそう思ってきた。00/7/17(第171号)「日銀から通貨庁へ(その1)」や00/7/24(第172号)「日銀から通貨庁へ(その2)」他で発案した通貨庁もそのような考えを反映している。
話はちょっと変わるが、安倍総理が内閣府参与として浜田宏一エール大学教授を招いたことに筆者は注目している。本誌は03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で教授を取上げたことがある。本誌の「死んでいるマネーサプライ」「凍り付いたマネーサプライ」と教授の「保蔵されたマネーサプライ」は同じ意味と筆者は理解している。
教授は、デフレ克服に「インフレ目標の設定」を提唱している。安倍政権の「インフレ目標の設定」はこの浜田教授の考えが影響していると考えられる。ただ、当時、筆者が違和感を持ったのは、教授が「インフレ目標」を達成する手段として、日銀がETF(株価指数連動型上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)を購入することが有効としていることであった。
筆者は、デフレ克服には単純に財政政策を用いれば良いと考える。安倍政権も10兆円の補正予算を組む方針である(ただ10兆円のうちどれだけが「真水」なのか筆者は注目している)。ところでETF(株価指数連動型上場投資信託)やREIT(不動産投資信託)の購入にこだわって、浜田教授がこれに異を唱えているという話は聞かない。
筆者は、浜田教授は日本では数少ないケインジアンの一人と認識している。米国のケイジアンは積極的に政府に入り、現実的な政策を提案する。象牙の塔に籠り、経済理論の精緻化に努める新古典派とケインジアンは対極をなす。実際、現実のマクロ経済を見ず(あえて見ることを避け)、理論を精緻化しても何になると筆者は考える。
自称だけがケインジアンの経済学者が、これまでも日本政府に関与してきた。しかし本物のケインジアンが日本政府に関与するのは始めてかもしれない。政府の経済政策に経済学者が深く関与することが当り前の米国での生活が長いだけに、浜田参与には期待できる。ちなみに浜田教授は、白川日銀総裁の学生時代の恩師である。一方の白川日銀総裁は、ケインジアンの天敵と目されるシカゴ学派の牙城であるシカゴ大に2年間留学していて、学業が優れていたから大学に残れと言われていたという。この師弟対決も見物である。 (一部省略、抜粋)
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