http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/729.html
Tweet |
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34294
2012年12月11日(火)週刊現代 :現代ビジネス
韓国籍の産業スパイ≠ェ、中国の鉄鋼大手に機密情報を売り渡した。蓋を開けると、その技術は日本企業が開発したものだった---。アジアを舞台に繰り広げられた熾烈な企業間競争の内幕に迫る。
■損害は1100億円
〈損害賠償等請求事件 訴訟物の価額 金1105億4120万円〉
〈被告POSCOが、(中略)田中氏、大蔵氏、被告瀬田及び山下氏(仮名、原本では実名=編集部注)らをはじめとする日本に居住する原告の元社員、その他の日本における複数の協力者と共謀の上、(中略)高額の対価を支払うのと引き換えに、(中略)高品質の方向性電磁鋼板の量産を極めて短期間で成功させたことにより、原告に対して巨額の損害を被らせた〉
請求額約1100億円、印紙代だけで1億1657万円(!)という超巨額の賠償請求訴訟が今年4月、東京地裁に提起された。
原告は日本最大の鉄鋼メーカー・新日鉄(現・新日鉄住金)、被告は韓国の鉄鋼最大手・ポスコ。原告側代理人には、日本最大のローファーム・西村あさひ法律事務所の15人の弁護士の名前がずらりと並ぶ。
訴状によると、ポスコと新日鉄元社員が結託して門外不出の技術をポスコへ漏洩していたというのだ。
ただし、一方のポスコも7月にこの訴えが無効だと韓国国内で地裁に提訴。両国にまたがった法廷闘争に発展している。
訴状で「実行犯」と名指しされた元新日鉄社員は4人いる。
田中氏:'87年3月に新日鉄を退社。その2ヵ月後に鉄鋼業に関する設備等を事業目的とする会社を設立。
大蔵氏:新日鉄を経て、元日新製鋼常務。田中氏と親しく、同氏が設立した会社の代表取締役を務めたこともある。
瀬田氏:'95年3月に新日鉄退社。その直後から浦項工科大学校にて客員教授を務め、ポスコと共同研究等を行った。
山下氏:'92年3月に新日鉄を退社。翌年、鋼板などの熱処理炉の設計等を事業目的とする会社を設立。
このうちの一人は、本誌の取材に、「新日鉄住金に全面的に協力しており、私から話すことはありません」と口を閉ざした。
しかし、本誌は関係者への取材によって「実行犯」が会社関係者に語った証言内容を掴んだ。以下、再構成する---。
「ポスコは複数の新日鉄OBを介して、いくつかのルートから最先端技術を入手しています。もとより私の頭の中にある知識や、体に染み込んだノウハウは私のものです。それを正当な手段でポスコに提供しただけです。
新日鉄を退社した後、私の持つノウハウは同業他社との公平なコンペを経て、ポスコが鋼板の技術として正式に採用しました。
このビジネスで、オペレート指導も含めてポスコから数億円を得ました。設計士に設計料を支払ったり、何年間にもわたって毎月のようにポスコに出向いて現地指導を行ったりしています。そう考えると、この報酬は法外な金額ではありませんし、また提供した技術はすでに特許が切れているものです。新日鉄がそのノウハウもすべて自社のものだと主張していることに正直、不満を感じます。
そもそも電磁鋼板とは、発電所の変圧器などに使われる特殊な鋼板で、新日鉄が約3割と世界一のシェアを握っています。新日鉄が製造技術をライセンス供与した企業のシェアは4割に上り、この鋼板に関して新日鉄は圧倒的な優位を維持してきた。ポスコなどの中韓のメーカーにとって垂涎の的だったのです」
■同情の余地はあるのか
田中氏、大蔵氏は新日鉄の関連会社・日新製鋼に出向になり、同社の研究所にポストを得た。
大蔵氏は'73年に優れた技術開発に対して贈られる「大河内賞」にも輝いた国内でも有数の技術者だ。こういうきわめて優秀な技術者でさえ新日鉄は社内で厚遇することなく、出向させていたという。
「新日鉄が技術者に報いることは少なかった。電磁鋼板の技術を集中的に開発していた'70年代から'80年代にかけて、技術者が発明した特許には1件につき、わずか1000円から1500円程度の手当が支払われただけでした。
たとえば、鉄鋼生産でトン当たり2万円のコストダウンができる設備方式を開発したとしましょう。月に1万tの粗鋼を生産したら、2億円のコストダウンになる。しかし、これだけの功績を残しても、会社からもらう給料は何の発明もしていない社員と同じなのです。
ある技術者はあまりに悔しくて、特許訴訟で有名な弁護士に相談したそうです。ただ、そのときには出願から20年が経過し、特許は切れて時効になっていました。弁護士からは惜しかった、と言われたそうです」
実行犯の一人とされた田中氏は新日鉄を退社後、鉄鋼業に関する技術指導などを行う会社を自ら設立した。まもなくここに大蔵氏が合流し、ポスコをはじめ海外の鉄鋼メーカーを相手に営業を展開するようになった。
同社は当初、鉄鋼に塗るコーティング薬を開発してポスコに販売するビジネスを行っていた。このビジネスは新日鉄の事業とはバッティングしないが、それでも新日鉄からクレームをつけられたという。
こうして田中氏の会社とポスコとの関係が深まるなかで、電磁鋼板の製造技術が流れたようだ。
技術流出ルートはそれだけではない。瀬田氏はより深く技術流出に関わっていると新日鉄側は見ている。
瀬田氏は約32年間新日鉄に勤め、研究職社員として電磁鋼板の技術開発に従事してきた。しかし、ある日会社から、「明日から出てこなくていい」とリストラを示唆された。そのため、韓国の大学に研究者として応募し、転職したという。
その大学がポスコの前身、浦項総合製鉄が設立した浦項工科大学校だった。瀬田氏は語学が堪能だったこともあり、客員教授として迎えられ、ポスコとの共同研究を行う。この研究によっても電磁鋼板の技術が流出した可能性がある。
「電磁鋼板の原理や処理方法を入手したところで、それを直ちに製品化できるわけではありません。そこでポスコが目をつけたのが、電磁鋼板の製造設備のノウハウでした」
■中国にも技術が流出
ポスコは'04年から飛躍的に電磁鋼板の品質を上げ、シェアを約2割にまで伸ばした。その背後に、日本人技術者の技術提供があったようだ。
新日鉄は、ポスコ社の製品の性能が自社製品と酷似していることから、ポスコによる技術の不正取得を疑ったが、決定的な証拠を掴むには至らなかった。
事態が急変したのは'07年のこと。ポスコの元社員が電磁鋼板の製造技術を中国の鉄鋼大手・宝山鋼鉄に流出させた疑いで逮捕され、翌'08年に韓国で有罪判決が下ったのだ。
その公判で「中国に提供した技術は、もともと新日鉄のものだ」との証言が飛び出し、機密情報をポスコに伝えていた新日鉄元社員の存在が明らかになった。
新日鉄関係者によれば、当時の社長(宗岡正二現新日鉄住金会長)がこれに驚き、部下に徹底的に調べろという指示を出したという。「実行犯」は、周囲にこう語っていたという。
「退職にあたって秘密保持の誓約書は書かされていますが、私たちも生きていかなければならない。自分たちのしたことに後ろめたさはありません」
*
これが、本誌が取材で知り得た新日鉄の技術流出事件≠フ深層である。
日本企業が抱える本質的な問題点はどこにあるのか。経済評論家の山崎元氏がこう話す。
「日本企業は技術者に対して、情報を漏らさないという誓約書を書かせるなどしています。しかし、そんなことをするよりも新しい商品開発に乗り出すことのほうが大切です。人材が流出するのは、韓国や中国の企業に問題があるからではない。技術者が活躍できなかったり、彼らのやる気を失わせたりしている日本企業の側に問題があることに気づくべきです」
■サムスンが狙っているもの
このような事例は、氷山の一角にすぎない。
今年10月に経済産業省がまとめたアンケート調査によると、従業員301人以上の大規模製造業の8社に1社で、過去5年以内に企業秘密の漏洩があったことが判明している。過半数の企業で退職者の再就職先を十分に把握していないことも分かった。
「サムスン電子の日本人顧問から突然、自宅に電話がかかってきたのは'00年春のことでした」
こう話すのは元ソニーの技術者、小黒正樹氏である。21年間勤めたソニー時代に、300件を超える特許を取得した小黒氏がサムスンに転じる決意をしたのは、会社に対する不満があったからだ。
「一言で言えば、ソニーは次世代の商品を発明できるエンジニアよりも、管理者を優遇する会社になってしまったのです。
'95年に出井(伸之)さんが社長になり、デジタル・ドリーム・キッズ≠ニいうスローガンを掲げていましたが、彼は技術が分からないばかりか、工場に足を運ぶこともなかった。技術も現場も分かろうとしないトップに、技術者は心を開きません。無駄を排除することだけに専念する企業に5年後、10年後に花が咲く技術を生み出す余力はないのです」
サムスンからの熱心な誘いに根負けする形で、小黒氏は話だけでも聞いてみようと休暇をとり、韓国のサムスン電子本社に赴いた。
「応対に出てきたのは専務でした。意外だったのは、彼がひたすら『わが社の弱みはここだ』という話をしたことです。それを聞いて、この会社は自社を冷静に分析している、ここなら自分の能力が発揮できるかもしれないと思い、誘いを受けることに決めたんです」
用意された肩書は、日本企業の役員待遇にあたる「研究委員」。家族を日本に残しての単身赴任だったが、110m2以上のマンションに、ルノーサムスン製自家用車と運転手、日本語が堪能な秘書も用意された。年俸はソニー時代の約1・5倍だったという。
サムスンに転じた小黒氏が面食らったのは、ソニーと基本設計がまったく違うサムスンのデジタルビデオシステムに、ソニーのノウハウをそっくりそのまま採用したいと言われたときだ。
「基本構造が違うので無理だ」と言う小黒氏に、現場の社員は「ソニーのやり方を教えてください」と執拗に求めてきたという。
「やがて気がつきましたよ。要するに彼らは技術者が欲しいのではなく、技術者が持っているノウハウが欲しいだけだと。ところが日本の技術者のなかには、それが分からない人もいて、親切にノウハウを教えたら、そのとたんお払い箱にされる例をいくつも見てきました」
サムスンの李健熙会長から直々に口説かれ、'94年から約10年間常務として勤務した吉川良三氏は自身の体験からこう振り返る。
「サムスンは自分たちに技術がないことを自覚していて、『ジャパン・プロジェクト』といって横浜市に拠点をつくり、日本技術者を高待遇で雇っていました。今は『一本釣り』のようなことはやっておらず、一つの製品やソフトなど、チーム単位で、かつ3年契約といった形で雇うようです。日本では終わった技術でも、サムスンでは必要とされるわけですから、エンジニアにとっては幸せなことと言えるかもしれません」
パナソニックの創業者・松下幸之助氏は「松下は人をつくる会社です。あわせて電気製品もつくっています」と、人材の重要性を強調した。だが、今の日本が行っているのは目先の帳尻を合わすためのリストラばかりだ。技術者たちの目は死んでいないか。そこから問い直さなくては、日本企業の復活はない。
「週刊現代」2012年12月15日号より
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。