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日本企業は迫り来る反グローバリズムの時代に備えよ
『静かなる大恐慌』の著者、柴山桂太・滋賀大学准教授に聞く
2012年11月26日(月) 石黒 千賀子
近著『静かなる大恐慌』で、リーマンショック以降の経済状況は既に「大恐慌」であり、それは1920年代の恐慌と同様、「グローバル化がもたらした結果」であると指摘した。
そのため世界は今後、確実に「グローバル化への揺り戻しの時代」に突入し、保護主義が台頭してくると警告する。国内市場の縮小とグローバル化に対応すべく海外事業の強化・拡大に力を入れてきた日本企業――。だが、時代の大きな転換点を迎えるに当たり、日本企業は歴史的大局観を持って、「グローバル化はいつまでも続く」などという幻想は捨て去り、基本的認識を改めるべきだと警鐘を鳴らす。その考え方を聞いた。
(聞き手は石黒 千賀子)
『静かなる恐慌』が売れています。既に4刷で2万4000部。アマゾンの「ベストセラー商品ランキング」の「新書」及び「経済学・経済事情」の分野でもトップ5に入っています(11月22日時点)。本の冒頭から、今起きているのは「静かなる恐慌」だと説明され、衝撃を受けた読者も少なくないと思います。
柴山:そうかもしれません。しかし、リーマンショック以降の一連の危機は、やはり従来の不況とは全く違う。戦前の大恐慌の時に比べて経済運営の知恵が増えたおかげで、現代は政府の役割と規模が圧倒的に大きくなっており、各国間で協調もある程度できたので、極端な経済崩壊には至らなかったというだけです。本質的には今の経済状況は大恐慌に匹敵する危機の水準にあると考えるべきです。
今回の危機を俯瞰しなければ今後を見通すのは難しい
柴山桂太(しばやま・けいた)氏
1974年東京生まれ。京都大学経済学部卒業後、京都大学人間・環境学研究科博士課程に進むが、2002年滋賀大学経済学部講師に就任、2004年同助教授、2007年から同社会システム科准教授に。専門は経済思想、現代社会論。主な共著に、『グローバル恐慌の真相』、『危機の思想』、『成長なき時代の「国家」を構想する』など。
(撮影:村田和聡)
しかし、それ以上に私が本で強調したかったのは、歴史的な視点というか、俯瞰して今回の危機の全体像を捉える必要があるということです。でなければ、今後を見通すことは難しい。戦前の大恐慌、そして今回は政府が介入したから「静かなる大恐慌」なわけですが、いずれもなぜ起きたのか――。それは、これまであまり指摘されていないかもしれませんが、グローバル化という動きを抜きには語れない。
今、起きているグローバル化は、近代史以降では2回目の動きです。19世紀後半から世界の貿易や投資が拡大し、その規模はこれまで我々が推定していたよりもはるかに大きいものだったことが歴史学の世界では標準的な見解となりつつあります。当時も世界経済の統合が今と同じように進んでいたということです。
グローバル化が進むと必然的にバブルが起きる。特に世界の中心でバブルが起きてはじけると、危機は一気に世界に波及する。
1929年の恐慌も米国経済がおかしくなって、それが1931年に欧州に波及し、さらに南米へと世界に飛び火していった。こうなると何が起きるか。グローバル化に対する強い反動です。米国、英国は当時、即座にブロック経済を実施し、結局そのしわ寄せは当時の途上国だった日本やドイツに行き、両国は追い詰められていった。
確かに1870年代から第1次大戦前夜の1913年にかけてGDP(国内総生産)に占める輸出の割合は、英米仏独だけでなくブラジルでも大きくなっていましたし(49ページ)、資本移動もGDP比で見ると、英仏日やアルゼンチンは1914年のほうが1989〜96年より高いレベルにあって(50ページ)、驚きました。
世界全体で見た場合、資本移動や貿易の水準が20世紀初頭の水準に戻ったのは、ごく最近のことです。おもしろいのは、時代の空気も当時と今はよく似ていることです。
グローバル化が進めば世界は本当に平和になるのか
米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマン氏が著書で、外国資本が大量に投資を行っている国同士は、外国資本に見放されるリスクを冒してまで戦争をするとは思えない、という主張を展開しました。世界はそれだけ平和になっている、と。一方、英国の経済学者、ケインズも著書『平和の経済的帰結』の中で同じような見方を披露しています。第1次大戦前を振り返って当時、ロンドン市民の誰もがグローバル化のもたらした平和と繁栄が「正常で確実なもので、一層の改善に向かうと信じていた」と書いている。
しかし、本当にそうでしょうか。
現実には英国とドイツは戦争を起こし、欧州全体も戦争へ突入していった。20世紀初めのドイツの最大の輸出先は英国で、英国にとってもドイツは2番目の貿易相手国だったにもかかわらずです。経済の相互依存が必ずしも平和をもたらすわけではないということを歴史は証明している。
だから、今回の危機も今後、国際的な緊張を高め、ひいては保護主義を招くことになるということでしょうか。世界は大恐慌、そして2度の大戦を起こした教訓を生かすことはできないかもしれない、ということでしょうか。
今回の危機は長期化します。回復する局面が多少あってもじわじわ下の方に引きずられていく。
日本も1991年にバブルがはじけて事態が本当に深刻になったのは、6年後の97〜98年。巨大なバブル崩壊による不況は、じわじわ来るのが特徴です。そう考えると、今回の危機は米国で言うと、2014年頃からこそいよいよ深刻になっていく。
将来の見通し、状況認識を間違えればすべてを誤る
問題は、日本政府や日本企業がこうしたシナリオを想定しているのか、という点です。戦略は政府も企業も個別の条件で考えればいい。しかし、大きく見て将来がどの方向に向かうのかという見通しを間違えたら戦略も何もありません。状況認識を間違えたら、全部間違える。
今の危機が一過性で、2〜3年もすれば景気は回復に向かい、再び世界中の投資や貿易が活発になると見るのであれば、苦しくても将来業績が上がるはずだから今のうちに海外投資を進めよう、となる。しかし反対に、中国の反日デモなどいわば前触れで、今後形を変えて様々な事件が発生し、海外投資リスクは上がっていくと見るのであれば当然、企業戦略は異なってきます。
つまり、グローバル化は歴史の必然で、今後ずっとこのまま続いて最後は「国境なき時代」がやってくるんだといった考え方はもはや通用しないと私は見ています。そういう観点から、企業も国も長期の戦略を練り直す必要があるのではないか、ということを提言したかった。
グローバル化は民主主義と対立する
今後、反グローバル化の動きが必ず出てくると判断された理由は?
理由は2つあります。まず1つは各国内の国内問題で、グローバル化と民主主義は時として対立するということです。
グローバル化は、国内産業と海外で活躍する企業、都市と農村、資産を持っている老人と仕事のない若者、といった具合に国内を不可避的に分裂する傾向に導く。そして、グローバル化が進めば進むほど、外に出られない人たちはグローバル化に反対する。今のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を巡る議論も好例です。政府がやりたいと言っても、民主主義は議会政治。反対派が少数派であっても何らかの形で彼らの意見、主張を政策に反映させる必要が出てきます。
カール・ポランニーというハンガリー生まれのユダヤ系オーストリア人経済学者が、1930年代以前までは金本位制、国際協調、自由主義できていた各国がなぜ、突然、ファシズムとかニューディール、保護主義に大転換していったのかという研究を行い、『大転換(The Great Transformation)』という本を1944年に書いています。
その中で大転換は、いわば自由化が行き過ぎたことに対する一種の反動、いわば振り子の反動として起きたと説明しています。近代経済は常にこの二重運動の中で進んできた。極端に自由化を進めると、その反動として規制や保護を強化していく。そして、また自由化して競争する、という繰り返しでしょう。
19世紀はものすごい勢いで自由化に向かい、100年かけて振れていった。そのことが、第1次大戦後の崩壊を招きました。各国とも問題の解決を図ろうとしたが、結局、大恐慌をきっかけに極端な反動のほうに向かってしまった、という内容です。
ポランニーの指摘する「社会の合理性」がグローバル化を阻む
ポランニーは、自由化が仮に「経済合理性」だとすると、それに対する反動としていわば「社会の合理性」みたいなものがあると指摘しています。やはり、我々は生まれ持った家族とか共同体がバラバラになることには耐えられないし、今ある社会を守ろうとする。そこに人間の「生きる」という意味で、かなり重要な価値、プライオリティーがあります。そのプライオリティーの下での合理性を考えると、農業分野などでは政府に対して保護してくれという話が当然、出てくる。
経済学者が考えるほど経済政策は合理的には実行できません。それはあくまでも非常にシンプルな仮定を置いたモデルの世界だからです。現実には政策の判断とか、人々の意思決定は、経済学者のような合理性では動いていない。
本来は経済合理性と社会の合理性をうまくバランスさせることが必要ですが、経済環境が厳しくなってくると、それが難しくなる。政治家は「グローバル化を推進することが世界の利益だ」との主張から、ある意味、自分の足元を固める必要に迫られる。経済の嵐がひどくなる中、やはり自国の雇用を守り、自国の産業を守ることが優先順位となっていく。
米国のように量的緩和第3弾(QE3)を打っても経済の回復に力強さが見えない――いわゆるジャパナイゼーションの兆候が出てくる――と、いよいよ通常の手とは違う手段を使う可能性が浮上してくる。かくして、遅かれ早かれ世界では今後、必ず保護主義、反グローバリズムの動きが出てくるでしょう。実際、一部で既にそうした動きが見られます。
つまり、これからは政治と経済の関係、社会と経済の関係をもっと考えていく必要がある時代に入ったということです。戦前の恐慌に加えて、今回、再び恐慌が繰り返されたことで、グローバル化というのはやはり、「各国内に相当の反動を作り出す」というか、「続かないものである」という仮説の説得力を高めたのではないかと思います。
グローバル化は世界のパワーバランスも変える
今後、反グローバル化の動きが必ず出てくるというもう1つの理由はなんでしょう。
グローバル化は国家間の関係を変えます。それが各国間の対立にもつながっていくということです。
第1次グローバル化の時代には、近代化で遅れていたドイツが輸出で急成長を遂げ、1910年代に英国をGDPで抜きました。軍拡も進め、海軍世界1位だった英国を脅かす存在となった。英国の経済・軍事的優位は失われ、欧州諸国のパワーバランスを変えたことが、潜在的に欧州情勢を不安定にし、第1次大戦へとつながっていったわけです。
この20年間のグローバル化の最大の勝ち組は中国です。中国が今後、成長し続ける、もしくは成長しなくても軍事費を増やし続けるとなると、当然、何か起こるでしょう。
冒頭のほうでも言いましたが、戦前の恐慌は最後は南米に飛び火した。今回の危機も恐らく最後はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)といった新興国に波及し、その中でかつて日本やドイツが体験したような政治的混乱、地政学的な緊張のようなものが発生してくるでしょう。
その意味では尖閣諸島の国有化問題などなくても、遅かれ早かれ何かの理由で日中の間であの種の問題は起きたと思います。つまり、歴史は繰り返さないけれども、同じようなパターンで危機は繰り返されるということです。
現在の恐慌がどれくらい続くかは不明です。最悪の場合、国家の衝突とか日中関係のさらなる冷却化という可能性があるわけで、こうなると不況という次元の話ではなくなる。経済だけに目を向けていればいいのではなく、外交、軍事、政治も含めてトータルに国が動く必要が出てくる。その場合、国民の優先順位を含め、相当先が見えなくなる。
経済というのは大きな流れがあるので、過去の経験からある程度法則性を見出すことは可能です。しかし、政治や外交は予測不可能です。
つまり、波が静かな時なら日本企業はいくらでも冒険に出られますが、海が荒れ模様の時に冒険に出ていいのかという問題です。しかも、成長余地のある途上国というのは、先進国と異なり、経済の危機が波及した時、政府が何をするか分からない。まったく予想できない。外資に対して厳しい規制を課したり、資産を国有化したりする可能性もある。
だからこそ、日本企業は今、立ち止まって海外戦略が抱えるリスクを見直す必要がある…。
世界がグローバル化したら、日本だってグローバル化せざるを得ない。ただ、言いたいのは、今のグローバル化の流れは5年後か10年後かには必ず止まり、反転してくるということを頭に入れておく必要がある、ということです。日本は米国や欧州連合(EU)に比べ経済規模が小さい。それだけに自らが抱えるリスクを再認識し、考える必要があるはずです。
石黒 千賀子(いしぐろ・ちかこ)
日経ビジネス副編集長。
キーパーソンに聞く
日経ビジネスのデスクが、話題の人、旬の人にインタビューします。このコラムを開けば毎日1人、新しいキーパーソンに出会えます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121122/239902/?ST=print
JBpress>ニュース・経営>ビジネス・ななめ読み [ニッポンビジネス・ななめ読み]
家電業界の「風船爆弾」はいつ破裂するのか
演出された特需の終焉に中国の不買運動が追い打ち
2012年11月26日(Mon) 相場 英雄
?シャープやパナソニックが相次いで通期業績見通しの大幅な下方修正に追い込まれたのはご存じの通り。当欄で何度も指摘してきた通り、薄型テレビやスマートフォンといった主力事業が国際競争で“完敗”したことが主因だ。
?シャープやパナソニックという2大メーカーのほか、他の日系企業も構図はほぼ一緒。国際競争の激化と価格競争はある程度見通せたはずなのに、これを放置してきた各社経営陣の判断ミスは痛い。
?この構図は日本のある業界がたどった過程に酷似している。問題の根っ子を読み解くキーワードは“風船爆弾”だ。
「風船爆弾破裂」というババを引くのは誰?
?「デジタル家電など本業で負け組になっている」・・・。
?10月31日の津賀一宏パナソニック社長のこの発言を新聞で読んだ直後、私はこう思った。想定していたよりも随分早いな、と。
?2011年1月12日付の当欄で、私はこんな記事を寄せた。「日本からテレビメーカーがなくなる日」。また同月31日付では「スマフォの部品メーカーに蔓延する『嫌日ムード』」。両記事ともに、日本の家電メーカーが注力していた薄型テレビ、そしてスマートフォンの凋落を予測した内容だった。
?シャープが2012年10月に発表した通期の業績予想修正では、最終赤字が4500億円に膨らんだ。パナソニックにしても、通期最終損益見通しを500億円の黒字から7650億円の赤字へと修正した。
?一連の出来事について、日本の産業界を長らくウォッチしてきた外資系通信社のベテラン記者がこんなことを私に告げた。「かつて銀行業界を担当していたころ、“風船ゲーム”という隠語があった」・・・。
?バブル崩壊後の日本では、銀行の不良債権問題が顕在化し、社会問題にまで発展した。「不良債権処理を先送りしながら歴代のトップが交代する。この間、風船がどんどん膨らみ、最後の経営陣が『風船爆弾破裂』というババを引く」(同)。
?ベテラン記者は、この構図を現在の電機業界に当てはめているのだ。
?奇しくも、パナソニックの津賀社長はこんなことを会見で吐露した。
?「利益が出ないサイクルから逃れるために過去10年で多額の投資を行ってきたが、それが失敗し、巨額の減損を実施。また利益が出ない体質に戻るというサイクルを繰り返している」・・・
?津賀社長が“ババ”を引いたかどうかを論じるのが本稿の趣旨ではない。だが、「普通の会社ではないことをしっかり自覚することからスタートしなければならない」という思い切った発言を行ったことは、同社だけでなく、他のメーカー各社経営陣も重く受け止めなければならない。
?というのも、かつて銀行界が不良債権処理で苦しみ抜いたときと決定的に違うのは、「国際的な価格競争がより先鋭化し、日本メーカーの投資回収サイクルが全く追いついていない」(米系証券アナリスト)という現状があるからだ。
?こうした状況を、先のベテラン記者はこう評する。
?「成功体験からの期間が短ければ短いほど病巣に気付かないで手遅れ度が増す」
?シャープは液晶で、パナソニックはプラズマで。また両社ともに米アップルや韓国サムスン電子の2大巨頭のスマートフォン市場を切り崩すと鼻息が荒かった時期があるのだ。パナソニックは、津賀社長が踏み込んだ発言をどう実行に移すか、また他社がこれに倣って戦略を大転換させるのか。日本の電機業界はまさに崖っ縁にある。
すでに食い尽くされた“公的資金”
?不良債権処理に苦しむ邦銀は、かつて公的資金投入という大規模な外科手術を受けてなんとか再生した。
?また、この間に合併を繰り返すことで業界の勢力図そのものが激変した。この構図が再び家電業界に適用できるのか。
?残念ながら答えはノーだ。
?2012年9月の当欄で「日本経済を待ち受ける『モルヒネ切れ』の苦しみ」として触れたが、家電エコポイント制度、あるいは地デジ転換による一連の施策、いや演出された“特需”は、「業界全体を救済するため、政府が投入した実質的な公的資金だった」(先のアナリスト)。
?換言すれば、すでに公的資金を食い尽くし、その反動減が如実に業績修正に表れているのが現在の各社の置かれた立場なのだ。
?今後、こうした悲惨な状況に中国市場での不買運動の余波など負の要因がずしりと響いてくる。
?銀行は公共の資金決済網を担っている上に、日本の金融危機が海外経済に悪影響をもたらすことへの危機感から救済された。だが、家電業界に「公共性」という括りは当てはまらない。本当の試練はこれからなのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36582
【第21回】 2012年11月26日 伊藤元重 [東京大学大学院経済学研究科教授、総合研究開発機構(NIRA)理事長]
問題は農業のみにあらず。時代に遅れた各種制度の「内なる国際化」を進めよ!
周辺国の変化についていけず硬直化する日本のシステム
多くの面で優れているはずと言われる日本のシステムだが、いま明らかに硬直化が進んでいる。人口が増加し、経済が右肩上がりで伸びているかぎりは、変化の糊シロも大きい。旧来の制度をある程度残しておいても、新しい分野がどんどん伸びていく。そうした活力ある部分を多くの国民が観察できるので、より好ましい制度にシフトしていくことができるのだ。
しかし、人口の減少が始まり、日本経済の硬直化が始まった。日本が変わったというよりも、周りの国が大きく変化したのに、日本がその変化についていけないのだ。アジアのどこに行っても、「日本はどうしてしまったのか」という質問を受けることが多い。日本びいきの人であるほど、日本のこの体たらくを残念に思っているようだ。
前回とりあげた農業がその典型だ。いま議論すべきは、農業を残すのか潰すのかというような時代錯誤の論点ではない。農業は残すに決まっている。重要なのは、将来が見えない今の制度にこだわって衰退を受け入れるのか、それともこの機会に大胆な改革を試みて、若者が農業の未来に期待を持てるような姿に変えていくのかという問題なのだ。
農業だけが例外というわけではない。医療や介護でも、教育でも、金融システムでも、制度を硬直化させてはいけない。社会を海外に開いていくことで日本の制度をより好ましい形に変えていく──そうした気概が求められているのだ。TPP(環太平洋経済連携協定)の論議も、そうした国の形に関わる大きな議論でなくてはいけない。
世界に誇る医療制度も
足下では崩壊が起きている
日本の医療制度は素晴らしい──そう医療関係者は主張する。先進国の中では最も低い医療費で抑えている。国民の平均寿命は世界最長あるいはそれに近い水準である。国民皆保険でフリーアクセスが確保されており、国民はいつでもどの病院にでも行ける。
たしかに、戦後から築き上げてきた日本の医療制度には、誇るべき点が少なくない。いい部分は残せばよい。しかし足下を見れば、医療崩壊とも呼べるようなさまざまな問題が起きている。
高齢化によって医療費は確実に増大している。このままいけば、どんなに増税しても、あるいは社会保険料を引き上げても、医療費をカバーするのは難しいように見える。医療現場も荒れている。大病院や専門病院に勤める医師は、過酷な労働条件の中でぎりぎりの治療を続けている。自分たちの生活を犠牲にして治療を続ける現場の医師たちには頭が下がる思いだ。しかし、そもそもこうした状態が放置されているのは、医療制度そのものに問題があるとしか考えられない。
医療の国際標準化の流れがあり、国際的な評価機関が個々の病院を国際標準に達しているかどうか評価する仕組みがある。韓国もタイもシンガポールも、多くの病院が次々にこの国際規格の基準に合格している。国際評価機関は何人もの調査員を派遣して、長い時間をかけて病院のいろいろな部分をチェックして合格判定を出すようだ。
日本ではこの規格に合格した病院が三つしかないそうだ。千葉の亀田総合病院と東京のNTT東日本関東病院、そして聖路加国際病院である。
それ以外にこの規格に合格した病院があるとは聞いたことがない。日本は日本のやり方で高いレベルの質の医療を提供しているのだから、国際基準に合格するかどうかは重要ではない──そう主張する医療関係者も多いだろう。しかし、本当に高い質であれば、多くのアジアの病院が合格している国際規格ぐらい、簡単にパスしてもよさそうに思える。
日本人が、日本の中で、日本人だけを見ていると、いつの間にか世界の流れとは大きく外れてしまう可能性がある。世界が大きく変化しているのは、さまざまな環境が動いているので、それに対応しているのだ。医療の世界でも、10年前、20年前と同じでよいはずはない。
ここで医療のあるべき姿を詳しく述べる紙幅はないが、もしよろしければ、『日本の医療は変えられる』(伊藤元重+総合研究開発機構編著、東洋経済新報社)をお読みいただきたい。いずれにせよ重要なことは、日本の仕組みがおかしくなっているかどうかチェックする一つの有力な手法は、海外と比較してみることである。そして改革をするためには、国内市場を開放していくのが最も効果的なのだ。
外を知ることで見える
自国のおかしさ
ノーベル経済学賞を受賞した英国の経済学者の故ジョン・リチャード・ヒックス教授は、次のような興味深いコメントをしている。 The best of all monopoly profits is a quiet life. 「独占のよいところは平和なところである」と訳せばよいのだろう。
独占が続けば、倒産も価格変動も解雇もない。いままでと同じように安定的な中でゆっくりとやっていける。独占が崩れれば競争になるし、倒産も価格暴落も解雇もあるかもしれない。そういう意味である。
ヒックス教授はもちろん、これを皮肉として言っている。独占は当事者にとっては平和でよいかもしれないが、それによって多くの国民が少しずつ搾取されているのだ。しかし、独占の中に浸かっている国民はそれが当たり前と思ってしまう。だからあえて独占が問題だと思わないかもしれない。
しかし、もし海外に行けば、自分の国のおかしなことが見えてくる。なぜこんなに価格が高いのか、なぜこんなに不自由なのか、といったことが海外との比較で初めて見えてくる。
ヒックス教授の話の独占を、保護政策や時代遅れのシステムに置き換えても同じようなことが言える。農業保護政策のよいところは平和なことだ。倒産も廃業もなく、同じような生活を続けることができる。しかし、消費者は高い農産物を買わされている。海外での食料価格を経験して、初めて日本の問題点に気がつく。
教育制度でも、医療制度でも同じだ。日本の旧来の制度を守っていれば、何も変化が起こらない。ある意味できわめて平和だと言える。しかし、そうした中で、旧来の制度がどんどん腐っていく。時代の変化に対応できなくなってくる。そうした中で海外での生活経験があると、日本のいいところ、悪いところが見えてくる。
海外の変化を刺激として
日本の国内制度を変える
海外の変化を刺激として、日本の国内制度を変えていく。これが内なる国際化ということだ。海外の制度を全て丸呑みせよと言っているわけではない。よいところだけ採用し、悪いところは真似なければよいのだ。残念ながらいまや、日本の制度がどの点でも世界で最も優れているなどという自信はとても持てない。海外の仕組みを取り入れなければならない点があまりにも多い。
制度というものは時間をかけて少しずつ確立していく。賛成・反対いろいろな勢力の政治的な調整の中で、落としどころを探っている。いま日本で確立している制度は、そうした政治的な均衡の結果である。これを内側から変えるのは容易なことではない。いろいろな利害関係を調整した結果できた制度を変えようとすれば、相当なエネルギーを必要とする。だから政治家も官僚もそうした改革を避けようとする。結局、行き着くところまで行ってしまう。
国内の政治的な均衡としての制度を、社会の望ましい方向に変えていくためには、国内以外のところに変化の原動力を求める必要がある。外に社会を開くことによって、変化の力を強めるのだ。
政治的な外圧を利用しようというだけではない。それも必要だが、開放経済がもたらす外からの経済的、社会的な刺激が、変化の原動力となる。
たとえば、若い人が自由に海外に留学できるようになり、海外の人がもっと日本の大学で教えられるようになれば、日本の大学教育は大きく変わらざるをえないだろう。旧来の仕組みだけにこだわった大学は、学生を集めることができなくなる。だから、9月入学でも、英語によるプログラムでも、そして留学生の拡大でも、大学の対外開放につながる動きは必要なのである。
TPPは、表面的には地域内の自由貿易協定の話だけのように見える。しかし本当に重要なことは、これが日本の国の形に深く関わっているということである。TPPに限らず、日本の市場や社会を外に向かって開放していくことによって、内なる開放をいかに実現するか──これが日本の将来にとって大きな課題である。
http://diamond.jp/articles/print/28387
日本の医療は変えられる
単行本 2009/12発行
伊藤元重・総合研究開発機構 編著 東洋経済新報社 発行
本書は、医療の第一線で活躍する専門家の方々が、日本の医療の厳しい現状をどう捉え、 どこに解決策を見出そうとしているのかを明らかにし、日本の医療問題解決への新たな可能性を探ろうとするものである。
伊藤元重NIRA理事長による第1部では、 医療の専門家の方々との対談を踏まえ、わが国の医療が抱える課題を経済学の視点から捉え直し、 これからの社会で医療の持つ新たな可能性を見据えた施策の必要性を指摘する。
第2部では、 医療の高度化に伴う専門分化の進展と高齢化に伴う慢性疾病の増加、という現状に対応するために、 医療制度改革が必要となっていることについて、現代医療の様々な現場から根本的かつ具体的な提言を行っている。 @専門医の地域配分を考えること、A総合診療医を育成していくこと、B開業医と連携しつつ基幹病院を核に地域医療を再構築していくこと、 C医療の「見える化」により医療の質の向上と無駄の削減を急ぎ、D医療データに基づく政策の立案を行うことを提言する。さらに、 E先端医療技術や新薬の研究開発体制を確保し、グローバルな医療産業を育成していく必要性などを指摘する。そのうえで、 こうした医療制度の改革には利害関係者だけではなく、患者を含めた一人ひとりの国民が、 高齢化社会における医療のあり方について考えていく必要があることを指摘する。 いずれの論稿も医療の専門家と伊藤理事長との対談を踏まえたものであり、医療の現場からの発信として具体的な提言であるばかりでなく、 制度疲労を起こしつつある現場で、よりよい医療を提供しようと尽力する人々の熱い思いもまた伝わってくる。
■目 次
はじめに
<第1部>医療を考える経済学の視点
問題解決の手がかりは産業化への発想転換 伊藤元重
<第2部>日本の医療を変える―― 先端からの発言
第1章 大学病院から見る日本の医療の課題
永井良三 東京大学大学院医学系研究科教授
第2章 既存制度の矛盾を見据えて大胆な改革を
黒川 清 政策研究大学院大学教授/前日本学術会議会長
第3章 医療制度改革は国の視点から地域の視点へ
池上直己 慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室教授
第4章 「見える化」で医療は変わる
川渕孝一 東京医科歯科大学大学院教授
第5章 「医師不足」にどう対応するか
山本修三 社団法人日本病院会会長
第6章 医療情報の開示で患者は救えるか
飯塚敏晃 慶應義塾大学経済学部教授
第7章 大病院再生への突破口
落合慈之 NTT東日本関東病院病院長
第8章 医療政策に必要なのはデータに基づいた議論
井伊雅子 一橋大学国際・ 公共政策大学院教授
第9章 医療と医学教育の何を米国に学ぶか
石川義弘 横浜市立大学大学院医学研究科長・循環制御医学教授
第10章 医療資源の適正配分に向けて
近藤正晃ジェームス
日本医療政策機構副代表理事/
東京大学先端科学技術研究センター特任准教授
2009年12月発行、四六版・256ページ、ISBN978-4-492-70125-6、 定価(本体)2,400円(税別)
(NIRA研究プロジェクト)
「少子高齢化に対応した日本の医療制度設計に関する研究」
本書は一般書店でお求めいただけます.
<書籍関連記事>
http://www.nira.or.jp/outgoing/report/entry/n091203_416.html
http://www.nira.or.jp/theme/entry/n080825_253.html
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