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【第128回】 2012年11月19日 池上正樹 [ジャーナリスト]
一度レールを外れるとバイトにすら就けない!
高学歴ワーキングプアの抜け出せない苦しい現実
いまの日本には、「社会のレール」から離脱したことのない人たちには想像もつかないような課題が、目の前に立ちふさがっているのではないか。
様々な事情で、一旦、レールから外れた人たちの多くは、その後、仕事に就くことができないまま、本人の意思を超えて、引きこもらざるを得ないような日々を送っている。この国で「引きこもり」の長期化・高年齢化が進む背景は、想像以上に根が深い。
いったいなぜ、こんな状況が起きるのだろうか。
以前もお伝えしたように、当連載第120回の「1年に300社以上の採用試験に落ち続けた40代男性」を取り上げた記事には13日現在、53万以上のアクセスがあり、 前々回の「大卒無業者になる人の共通点」をテーマにした記事にも、約22万アクセスの反響があった。
また、その後も読者からは、記事にある“再就職難民”や“大卒無職者”に関して、数多くの感想や体験談、情報等が寄せられた。
今回も、そんな反響の中から、記事への引用をご了承いただいた方の感想等について、固有名詞を特定されないように多少編集させていただいたうえで紹介したい。
高卒が就けるアルバイトもできない?
高学歴ワーキングプアの苦悩
<一度職を離れると再就職は難しい。私も同じ状況にあります>
こう明かすのは、博士号を取得した後、関東地方の大学で、研究員として10年以上勤めたものの、上司との関係悪化から雇い止めになった女性。いまは、いわゆる「高学歴ワーキングプア」の状態にあるという。
<再び研究職に就くためには教授クラスの推薦状が必要ですが、私に推薦状を書く上司はいませんでした。研究職に未練がありましたが、なにより働かなくてはなりません。前職に未練などと言っていられません>
彼女は、ハローワークに行き、求職相談をして派遣会社に登録。求職活動に励んだ。しかし、まったく仕事はなかった。
「博士さまを、社員として雇う会社はない」
というのが断られる理由だ。経歴を詐称しなければ、雇ってもらえないということなのだろうか。
<マスコミでは高卒、中退者の方の就職難が取り上げられますが、高学歴者も、学歴を理由に職を断られます>
アルバイト募集をみて履歴書を出すと、
「こんな高学歴なのに、うちでバイトしたいというのか? ふざけているのか?」
と、怒鳴られた。
<ふざけるもなにも、私は仕事をして収入を得たい、という当たり前のことを考え、当たり前に職を求めているだけなのですが、私に仕事はありません。アルバイトもできません。
なりたい職業を目指して努力し、そのための手段として高学歴をとったのですが、あきらめて他に職を求めると、高卒が就けるバイトの仕事にすらつくことができない。それが“高学歴無職者”の現状なのです>
会社を辞めて大学院へ行けば
二度と“安定コース”には戻れない
“高学歴”になるにはお金がかかるということだと、彼女は説明する。
<大学院進学には学費も生活費もかかりますが、高齢の親に、おんぶに抱っこはできません。実家がよほど裕福でない限り、バイトに時間を割くと、研究に差し支えるため、奨学金に頼ることになります。そうして大学院生は大学院終了時、学位と共に奨学金という長期返済の負債を抱えて社会へ出ます。高学歴無職者の何割かは、ただの“収入がない”無職者ではありません。“抱えた借金(奨学金)を返せない”無職者なのです>
彼女は、会社を退職してパート生活している中高年の人たちと一緒に働いたことがあった。そのとき、彼らは「お金を貯めて、大学院へ行きたい」「修士学位をとって、きちんとした仕事に就きたい」などと言っていたという。
<私は、博士なのにワーキングプアの状態を隠していたので何も言えなかったのですが、「大学院はやめたほうがいい!」と止めたくてなりませんでした。正規の仕事を持っている人が、仕事上のステップアップの手段として、修士や博士をとるのはありかもしれません。ただ、中高年の求職者が学位を取っても、何の役にも立ちません。逆に、まともな職に就く機会が遠ざかるばかりです。
大卒→正規採用→定年という安定コースから外れた場合、新たに修士や博士をとったとしても、元の安定コースに戻る助けにはなりません。助かるのは、授業料を受けとる大学院だけというのが真実です。少子化によって学生が減るなか、社会人に門戸をひらく大学院が増えていますが、ある意味、不安を感じています>
ハローワークで紹介された“ブラック企業”に入社
上司からの厳しい叱責でうつ病に…
近畿地方に住む30歳代の男性は、新卒時にメーカーから内定をもらった。しかし、研修中に腰を痛め、内定を辞退。そこから“転落人生”が始まったという。
<卒業後、就職活動をする気力もなく、アルバイトを始めました。そこも3ヵ月だけのバイトで、内々に評価はいただいていたのですが、結局、期限満了で退職となりました。
2年後、外郭団体に契約社員として入社しました。そこでは業務のチームリーダーを任され、自分は“社会から必要とされている”と実感できました。
あの時代は本当に充実感に溢れ、仕事仲間もでき、自分自身、社会の歯車にガッチリとかみ合っていることが体感できた時期でもありました>
しかし、その会社には2年ほど在籍した末、契約満了で退職した。
その後、彼はハローワークに行き、職業訓練校を卒業。その年の暮れ、今度は営業マンとして、ある流通企業に入社した。
入社したきっかけは、ハローワークだった。突然、自宅に、この会社の求人票が送られてきたのだという。窓口に行くと、こう言われた。
「ああ、君のような年齢の人をこの会社が求めているんだ。よかったら受けてみるかい?」
渡りに船とばかりに、彼はすぐに面接を受けて、この会社に入社する。
ところが、半年ほどでうつ病になり、退職を余儀なくされた。
<原因は上司からの叱責や厳しいノルマでした。私の精神は、ここで完璧に打ち砕かれました。ボロボロになっていた私に、上司は「そんなことでは社会で通用しない。会社を辞めてほしい」と退職勧告をしてきたのです。後でわかったことですが、その会社には過去、労働基準局から何度も注意が来ていたことを知りました。そんな会社の求人を平気で受け付けるハローワークにも腹が立ちました>
ハローワーク間で、情報共有ができていないという話は、他の経験者からも聞いたことがある。そこでは“ブラック企業”だとわかっていても、隣のハローワークでは募集できてしまう現実が、実際にあるのだ。
<もっと制度を見直し、過去にそういったことがあった会社は、求人を出さないくらいの処置が必要だと思います。精神的に弱い人間は来るなと言われているようで、とても悲しくなりました。精神的に弱い人でも働ける職場があってほしい。私はそう思います>
役所の臨時職員になるも半年で退社
一生懸命働いても正職員の道は遠い
彼は結局、会社を退職してから数年間、実家にいた。その間、両親とは喧嘩になり、職は見つからず、自暴自棄になり、自殺まで考えたという。
その後、役所の臨時職員の試験があり、合格した。
「役所」の響きには憧れていた。そこでの仕事は忙しかったものの、充実感があった。
役所の職員と雑談したとき、臨時職員の受験に自分のような無職者が何千人も来たことを話すと、
「へえ〜…世の中、不況なんだねえ」
そう他人事のように言われた。なんとも悔しかったことを覚えている。
その役所も、半年後に退職した。
「こんなに仕事を頑張ってくれたんだから、正職員に引き上げる制度があってもいいのに…」
周りから、そう評価されるくらい、一生懸命頑張った。
しかし、正職員に引き上げられることはなかった。
こうした公務員の正規職員を巡る問題も、時代の流れなのか、最近、増えてきている。表に出ていない公務員の雇用上の話は、まだ数多くあるのではないだろうか。
彼は、こう続ける。
<現在、私は減っていく口座残高を見ながら、ハローワークに行き、アルバイト情報誌を見る毎日です。
空白期間は、1年半を超えました。もう時間がありません。それでも一息ついて休めない社会に息苦しさを感じます。
皆様の今後のご健勝をお祈り申し上げております>
空白期間を乗り越える方法はあるか?
自宅でSNSを駆使した自立の道も
読者の方々からいただいた1つひとつのメールは、それぞれの人生が詰まっているだけに、いずれも長文が多く、その思いが伝わってくる。
短く編集して、可能な限り、たくさんの方の思いを紹介したいと思っていた。しかし、文面をなかなか切ることができず、お二方のお話だけで、すっかり長くなってしまった。
今回は、この辺にして、他の方の感想等についてはまた随時、紹介していきたい。
そして、いま、この国で起きている現実を体験者の視点から知ってもらうことによって、この世の中の仕組みを、自分たちで変革していくための起爆材料につなげていきたいと思っている。
最後に、前述の男性から、再びこんなメールをいただいた。
<現在、私は自宅でWEBサイト運営をしながら若干の収入を得て暮らす毎日です。外で仕事を見つけたい気持ちはありますが、見つからないならいっそのこと、収入の目処が立てば、個人事業主として仕事をしていけたらなと思い、そちらの情報も集めております。
周りから見れば、歩みの遅い亀でしょう。しかし、私の中で少しでも希望になることがあれば、それに向かって努力していきたいと考えるようになりました>
前向きで素敵な文面だったので、このまま引用させていただいた。
筆者の周囲の当事者たちの間でも、正職には就かなくても、自宅やソーシャルメディアなどで収入を得て自立していこうという動きが起きている。こうした模索は、“歩みの遅い亀”のように、とてもゆっくりではあるけれど、彼らは前を見て1歩1歩確実に動き始めている。
この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)
<お知らせ>
筆者の新刊『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)池上正樹/加藤順子・共著が刊行されました。3.11、 学校管理下で、なぜ74人もの児童たちが、大津波の犠牲になったのか。なぜ、「山へ逃げよう」という児童たちの懸命な訴えが聞き入れられず、校庭に待機し 続けたのか。同書は、十数回に及ぶ情報開示請求や、綿密な遺族や生存者らの取材を基に、これまでひた隠しにされてきた「空白の51分」の悲劇を浮き彫りに していく。
http://diamond.jp/articles/print/28112
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