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(回答先: 年金減額遅れ13年10月から 「もらいすぎ」9.6兆円に 高齢者優遇現役世代にツケ 70〜74歳医療費自己負担増先送り 投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 17 日 10:36:56)
【政策ウォッチ編・第2回】 2012年11月16日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
生活保護基準切り下げは年金・医療改革の序章!?保護費削減が困難にする受給者の再起
――政策ウォッチ編・第2回
2012年8月に「税と社会保障の一体改革」が成立して以後、生活保護制度に関する議論は、日毎に活発かつ具体的になっている。
そもそも、生活保護制度が保障しているはずの「健康で文化的な最低限度の生活」とは、いったい何だろうか? 生活保護基準とは、どのような基準であるべきなのだろうか?
今回は、厚生労働省・生活保護基準部会と、生活保護基準引き下げに反対する弁護士・司法書士の思いを中心に紹介する。
「再起へのバネ」でもあった生活保護制度は
過去のものになってしまうのか?
2006年夏のある日、筆者は居住地である東京都杉並区の福祉事務所で、自分の窮状について相談していた。
2005年に発生した運動障害のため、筆者は一時的に数多くの収入機会を失った。同時に、車いすなどの補装具に関する出費が増大した。経済的にも社会的にも精神的にも追い詰められた筆者は、社会福祉協議会の貸付を受けられないかと考えていたのだった。しかし当時の筆者は、社会福祉協議会と福祉事務所の違いが分からず、誤って福祉事務所に行ってしまった。
丁寧な態度で相談に応じた同世代の女性ケースワーカーは、その場で「権利なんですから、利用して下さい」と生活保護申請を勧め、生活保護費の計算結果と申請書を手渡した。自分が受給できる生活保護費を知った筆者は、「え? こんなに? この金額なら、充分に態勢を立て直せる」と思った。そして「ダメでもともと、もう少し頑張ってみよう、最後には生活保護があるんだから」と明るい気持ちになった。その後、状況を打開するために積極的に動きはじめた筆者は、さまざまな機会に恵まれた。現在のところ、生活保護は一度も申請せずに済んでいる。
生活保護基準は、不充分ながら、憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を実現してきた。現在は、生活保護費の範囲でも、ささやかな余裕をまったく生み出せないわけではない。余裕を生み出すための工夫は、自信につながる。その自信が、再起や向上のための試みを支えてくれる。そんな生活を思い描きながらの日々が、暗いものになるわけはない。適切に運用されているセーフティネットは、実際には利用しない人に対しても、精神安定剤や元気の源として機能するのだ。
筆者は今、「自分の経験を、過去の『良かった時代』の話として語りたくない」と切実に願いながら、この記事を書いている。6年前の自分と同じように追い詰められている方々は、今この瞬間も、日本に数多いのだろう。そういう方々にとっての光となる制度が、さらに明るい光として輝く近未来であることを心から願いつつ、毎日、生活保護制度改革に関するニュースを読んでいる。
「生活保護基準切り下げありき」で進む
厚生労働省・基準部会の議論
基準部会会場。今回の社会保障審議会・生活保護基準部会は、厚生労働省内の会議室で開催された。筆者は傍聴券の抽選に漏れたが、当選した生活保護当事者のご厚意により、入場できた
Photo by Yoshiko Miwa
生活保護費は、毎年決定される。決定の根拠となっているのは生活保護基準だ。生活保護基準を決定するのは、厚生労働省・社会保障審議会・生活保護基準部会(以下、基準部会)である。基準の決定は、5年に1回行われる。本年、2012年は、基準決定の年にあたる。
2012年11月9日、厚生労働省において、第11回基準部会が開催された。第1回基準部会が2012年4月に開催されてから、既に10回の議論が積み重ねられている。年内に行われる生活保護基準決定を控え、議論は大詰めへと差し掛かっている。
第11回基準部会の最初には、「第1十分位を基準として生活保護基準を定めてよいのかどうか」が確認された。結論は「妥当」となった。
「第1十分位」とは、日本の総人口のうち年間収入の低い方から10%の人口ということである。日本の貧困率は、2009年に16%であった。自動的に、第1十分位の上限の収入は、貧困線(注1)より少なくなる。もちろん、現在の生活保護基準よりも低い。
(注1)
貧困率の計算を行う時に、「貧困」の基準とする収入。2009年の調査時には、1世帯あたり112万円。
このことの問題点は、多様な立場の人々から指摘されている。第1十分位を基準とすることに対し、貧困層を支援する立場の人々は「低すぎる」と指摘する。生活保護費削減を至上命題とする立場の人々は「高すぎる」と指摘する。財務省は、第1五十分位(下位2%)を基準とすることを妥当としている。
現在、基準部会で行われている検討は、一言で言えば、
「生活保護基準を貧困線以下にする」
ということだ。ならば、「健康で文化的な最低限度の生活」とは何であるかを、改めて問い直す必要があるだろう。
「年に1回下着を買える」が充足された生活?
厚生労働省の不思議な論理
厚生労働省・社会援護局保護課は、基準部会開催に際し、この問題への回答を一応は用意していた。
第10回基準部会における委員の依頼資料等
7ページ・8ページ、「耐久財の保有状況等について」によれば、
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「一般市民の過半数が必要であると考えている必需品については、第1十分位と第3五分位(注2)の普及率に概ね差がなく、(筆者注:第1十分位でも)必需品が充足されている状況が確認された」
とある。
(注2)
日本の総人口を収入別に5等分した場合、下位からも上位からも3番目(中央)に来る20%の階層。厚みのある中流層が存在する場合には、「中流」と考えてよい。
表を見る限り、最貧層である第1十分位と第3五分位の間に、顕著な差を見出すのは困難だ。明確な差といえるほどの差がついているのは、「生命保険(年金含む)に加入」のみである。第1十分位には、生命保険に加入できない生活保護世帯の世帯員も含まれているからである。
差の少ない項目を見てみると、「少なくとも年に1、2回程度は下着を購入」「風邪をひいた時に医者にかかるか市販薬を飲む」「冷蔵庫」「親族の冠婚葬祭に少なくともときどきは出席」「全員に十分なふとんがある」……日本で市民生活を送るに当たっての最低の前提条件というべき項目、むしろ「ない」ことが重大な問題となる必須項目ばかりである。このような必須項目では、階層による差はつきにくいであろう。「何が必需品であるか」に関しては、第4回基準部会でアンケート項目が検討されている。生存を満たすための必需品だけを検討のために恣意的に選択したわけではないようだが、結果として、選択されている「必需品」は、そのようなものばかりだ。
この資料の元となっているのは、「平成22年家庭の生活実態及び生活意識に関する調査(厚生労働省保護課)」であるが、まだ最終的な報告書はまとめられていない。参考までに、平成21年全国消費実態調査より「年間収入階級・年間収入十分位階級・世帯主の年齢階級別1000世帯当たり主要耐久消費財の所有数量及び普及率 (総世帯)」を見てみると(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001027311&cycode=0の23)、生命や生活の維持に強く関係する物品・社会活動を営む上で必須の物品・職業生活を維持・発展させるために必須の物品で、大きく差がついている。その一部を抜粋する。
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これらの物品は、ないからといって、すべての人に対して直ちに生命の維持を困難にするわけではない。しかし、たとえば、いわゆる「ワーキング・プア」層の求職活動が携帯電話抜きに成立しうるだろうか? 第1十分位の消費実態から新しい生活保護基準が定められれば、生活保護受給者は携帯電話を実質的に所持できなくなり、交友関係の維持も就職活動もできなくなるかもしれない。
どういう結果のために、謎だらけの計算を?
再現性のある「透明性」の不透明さ
第11回基準部会では、この他にも、特別控除(臨時的就労に必要な経費を認め、生活保護受給者の可処分所得を実質的に高くする制度)に関する議論(前述「第10回基準部会における委員の依頼資料等」)や、新しい基準の妥当性を定量的に分析することに関する議論が行われた。この分析により、再現性・透明性が担保されるという。
特別控除に関しては、「生活保護から脱却させる手段として有効かどうか」という論点からの議論が主に行われた。可能かどうか・当事者のその後にとってどうであるかと無関係に、「生活保護受給者を生活保護から脱却させるには」が議論されている印象を受けた。この議論の結果は早々に、特別控除を廃止する方針として、厚生労働省の検討に反映された(11月13日、共同通信の報道)。もはや、削減のための削減以外は考慮されていない感じである。
また、「定量的な分析」として説明された内容(注3)は、かつて計算機シミュレーションの研究に従事していた筆者の脳内を、「線形にならない可能性が高い説明変数も含まれているのに、全部まとめて回帰分析でいいのかな?」「消費水準が桁レベルでばらつく可能性は最初からないのに、なぜ(常用)対数? 分散を計算して外れ値を除外しないのはなぜ?」「パラメータが少なくとも8つある状態で、結果の妥当性をどうやって担保できるのかな?」などと疑問符だらけにする内容であった。「この計算で『結果はこのようになりましたから、生活保護基準は引き下げられるべきです』と言われても」というのが正直なところである。
(注3)
第11回基準部会資料2
「これまでの部会における議論を踏まえた具体的な検証方法等について」
生活保護基準切り下げの次に起こるのは……?
「生活保護問題全国対策会議」の法律家たちに聞く
こくぼ・てつろう
弁護士。1965年生まれ。学生時代に脳性マヒの障害者たちと出会い、長年にわたり貧困問題に関わっている。「生活保護問題対策全国会議」事務局長のほか、日本弁護士連合会・貧困対策問題対策本部で事務局次長も務める
Photo by Yoshiko Miwa
そもそも、増加の一途といっても、まだまだ社会保障費全体からみれば「多大」とはいえない生活保護費が、なぜ問題にされるのだろうか?
「生活保護問題全国対策会議(以下「対策会議」)」事務局の弁護士・小久保哲郎氏は、
「生活保護制度に連動する制度は多いです。税金の減免、子どもを持つ親に対する就学補助、国民健康保険料など。生活保護費削減そのものの効果は小さくても、波及効果が大きいです」
という。では、もしも生活保護基準が切り下げられたら、次に何が起こるか。
「年金や医療費など、次の社会保障削減が行われるでしょう。財務省にとって、生活保護費は『聖域』でしたが、叩いて切り崩すことができれば、社会保障削減を次のステップへと進めることができます。だから、生活保護が繰り返しターゲットにされるんです」
とくたけ・さとこ
司法書士。業務として多重債務問題に関わるうちに、クライアントの生活再建という見地から生活保護問題に関心を持つようになり、申請の同行をはじめたという。「生活保護問題対策全国会議」事務局
Photo by Yoshiko Miwa
前回、2007年の生活保護基準検討では、自民党政権下、舛添要一厚生労働大臣(当時)が生活保護基準を切り下げる方針とした。「対策会議」は、この時に結成された。同年7月、福岡県北九州市で、生活保護を辞退させられた男性が「おにぎり食べたい」と書き残して餓死した事件が報道されていたにもかかわらず、政府は諮問機関による形式的な検討で、生活保護基準を切り下げようとしていた。「対策会議」は反対運動を展開した。結果として、生活保護基準切り下げは見送られた。今回、2012年はどうなるだろうか? まだまだ、事態は予断を許さない。
小久保氏とともに「対策会議」の事務局を支える司法書士・徳武聡子氏は、
「一番切り下げやすくて、反対の声が出にくいところを叩くんでしょうね。年金削減・医療費負担増は、反対の声が大きいですから。だから『生活保護基準切り下げ』なんだと思います」
という。確かに、「年金削減」「医療費負担増」には大きな反対運動が予想される。しかし、生活保護バッシング・生活保護費削減に対しては、反対の声は、同調する多数の声にかき消されてしまいそうだ。
では、いわゆる「生活保護叩き」に走る人々は、どのような人なのだろうか?
「苦しい人が多いんです。生活保護を受給する権利があるのに、受けずに頑張っていたりする人です。恥の意識が強くて、自己責任論を内面化しているんですね。自分は必死で頑張っていますから、生活保護受給者に対して『何であいつは』と思ってしまうんです」(小久保氏)
その「苦しい人」たちは、実のところ、自分の首を締めているだけではないだろうか?
「そうです。手をつなぐべきなのに、怒りの矛先を向けてしまう。日本の社会が変わる可能性を考えていないんですね。でも、良い社会の仕組みは、できた方がいいし、実現できます。ヨーロッパの先進国の実例もあります。それが腑に落ちたら、そいう人たちも変わるかもしれません」(小久保氏)
しかし、TV・週刊誌で展開された生活保護バッシングには、多くの人々が共感を表明し、同調した。
「バッシングに同調する方だけでなく、『なんだか、このバッシングはおかしい』という方もいます。ネットを活用して、地道に声を届けなくては、と思っています。バッシングで冷静さを失っている方には、なかなか通じませんが」(徳武氏)
そもそも、生活保護について議論する前提となる知識を、一般日本人は充分に持っているだろうか?
「税についても社会保障についても、学校教育できちんと教えられていません。おかしいと思います。『自分は納税しているから』と生活保護バッシングをする方がいますけれども、税金を払っているということは、威張れることでしょうか? 生活保護受給者は、払うべき税金を払っていないわけではありません。納税の義務を免除されているだけです」(徳武氏)
では、生活保護という制度によって、何が守られているのだろうか。
「基準部会」当日、厚生労働省前で行われた抗議活動。生活保護当事者の他に、労働組合関係者・障害者運動家・貧困者支援団体関係者など、多様な立場の人々が参加した
Photo by Yoshiko Miwa
「小学校のかけっこでは、同じスタートで同じ地盤を走るけど、順位は自己責任ですよね? 生活保護は、スタートと地盤を同じにして、誰もが『自立』の入り口に立てるようにするものです。就労は『自立』そのものではなく、『自立』の手段の1つです」(徳武氏)
明快に語る徳武氏は、最後に少し表情を曇らせた。
「1人だけ砂利道を走らされたりしないのが、小学校のかけっこじゃないですか。だけど、砂利道を走らされる人がいて、しかたなく走っていたら『そこを選んだお前が悪い』と言われる。それが今ですよね」(徳武氏)
自分が苦境にあればあるほど、自己責任論はぶつけられやすい。あからさまに反論することも難しい。しかし少なくとも、「そうだ、その通りだ」と自分を責める必要はない。現在の生活保護制度は、まだ、理不尽を自分に強いない生き方を支持する制度である。
次回は、11月14日の厚生労働省・生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会(第10回)と、11月16日からの事業仕分け(新仕分け)を中心に紹介する。困窮者の生活支援は、誰によって、どのように議論されているだろうか? その結果は、どのように政策に反映されようとしているだろうか? それは、困窮者だけの問題だろうか?
<お知らせ>
本連載は、大幅な加筆を行った後、2013年2月、日本評論社より書籍「生活保護のリアル」として刊行する予定です。どうぞ、書籍版にもご期待ください。
http://diamond.jp/articles/print/28031
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