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【第27回】 2012年11月15日 安東泰志 [ニューホライズン キャピタル 取締役会長兼社長]
金融庁が検討する銀行の出資規制緩和は資本市場を破壊する「悪い規制緩和」だ
規制緩和と聞けば、先進的な分野への民間の事業参入を可能にするなど、良い面ばかりを思い浮かべがちである。だが、世の中には、既得権益を守るための「悪い規制緩和」も存在する。
現在、金融審議会で議論が進んでいる銀行の出資規制緩和がその典型だ。銀行主導の日本独特のコーポレートガバナンス、株式の持ち合いによる緊張感のない経営へのノスタルジーが、時として亡霊のように現れ、日本の資本市場を破壊している。これは、連載第18回で触れたように、経団連が社外取締役の義務化など、世界標準のコーポレートガナバンスの整備に強硬に反対するのと表裏一体の関係にある。
銀行はなぜ出資が
規制されているのか
銀行の出資規制は、独占禁止法と銀行法に定めがある。独占禁止法(銀行による国内の会社の5%を超す議決権保有を禁止)は、事業支配力の過度の集中による優越的地位の乱用を防止することに主眼が置かれ、銀行法(銀行が国内の一般事業会社の5%を超す議決権保有を禁止、銀行持株会社とその子会社の合算で15%を超す議決権保有を禁止)は、銀行が本業以外の事業により健全性を損なうことがないようにすることに主眼が置かれている。
考えてみれば、これらの規制は、現在の世界情勢に鑑み、まずます重要性を増していると言えよう。すなわち、グローバル化する世界の中で、コーポレートガバナンスのあり方もOECD原則などに基づき標準化されつつあり、日本企業がグローバルに戦わなければならない中、日本独特のガバナンス慣行は、早急に改善されなければならない時期にある。
また、連載第3回で触れたように、リーマンショックの反省を踏まえて、銀行持ち株会社の肥大化と業務多角化による収益の変動に歯止めをかけるべく、米国におけるドット・フランク法の制定をはじめ、世界的に銀行の業務範囲や投資を規制強化する方向にある。
また、連載第15回で述べたように、バーゼルVと呼ばれる銀行の新たな自己資本比率規制でも、自己資本比率自体の引き上げはもちろん、流動性の規制も強化される方向にあるため、銀行の株式保有も自ずと制限される。そもそも、金融庁も、金融検査マニュアルにおいて銀行に「統合的リスク管理」を求めており、銀行の株式保有リスクをいかに減少させるかというのは、長期的な課題の一つだったはずである。
したがって、銀行の出資規制は、現情勢下にあっては、むしろ一層強化されなければならない喫緊の課題と言っても過言ではない。それなのに、なぜ今、逆に規制緩和なのか。
世界の金融規制の
方向性と真逆のもの
銀行の持ち株規制は、実は、すでになし崩し的に緩和されてきている。以前から担保権の実行によって取得した株式や、銀行のベンチャーキャピタルがベンチャー企業に出資する場合などは、一定の条件下で持ち株規制の例外となっていたが、これらはある意味で自然なことである。
しかし、その後、合理的な経営改善計画に基づく債務の株式化(DES)の場合や、投資専門子会社が事業再生会社に出資する場合などが、例外として追加されたあたりから、銀行に積極的に融資先の株式を持たせようという意図が、感じられる政策になってきた。
その延長線上にあるのが、今回の規制緩和の議論である。規制緩和が必要とされる根拠は、大きく分けて以下の通りである。
@地域経済の再生や活性化のために、金融機関が資本提供すべきではないか。
A銀行からの出資による安定株主増加が、企業の信用力を増すのではないか。
B銀行のベンチャーキャピタルや投資専門子会社に認める投資対象を増やせば、もっと効果を挙げられるのではないか。銀行本体で取り組んでもいいのではないか。
そして、銀行の決算上、持分法適用とならない15%〜20%程度までの議決権保有を認め、投資対象によっては、子会社や銀行本体から企業の支配権を握る程度の議決権の保有さえも、認められる方向で議論が進んでいるようである。
しかし、結論から言えば、これらはすべてピント外れの代物である。
そもそも、銀行の役割はなんだろうか。銀行は、預金・融資・決済といった社会インフラを担う重要な公共的存在であり、また、公共的存在であるがゆえに、有形無形の措置により手厚く保護されているのである。たとえば、日銀による大量の低利資金供給で、最大のメリットを受けているのは銀行であるが、それは公共的存在であるゆえに黙認されているのだ。だからこそ、銀行経営には統合的なリスク管理が要求され、損益の最大振幅が自己資本の範囲内に収まるように運営されなければならないのだ。
逆に言えば、銀行の経営はリスクに抑制的でなければならない。それが現在の世界の金融規制の方向性である。銀行に株式を保有させる、特に、流動性(現金化のしやすさ)に乏しい地方の未公開企業の株式を取得させるという発想は、世界の金融規制の方向性と真逆のものである。
第二に、優越的地位の乱用と利益相反をどう考えているのだろうか。銀行が企業の株主になり、議決権を持つということは、銀行が企業経営に参画するということに他ならない。銀行は、その企業から担保を取り、融資をし、金利収入を得ている。銀行が第一に求めるのは自行の債権保全や金利収入であって、必ずしもその企業の株主価値の増大ではない。融資を受け、株式も握られた企業は、銀行に逆らうことはできないのであるから、企業経営は銀行のために行われることになる。
日本全体として資金不足であった高度成長期は、どっちみち銀行が企業の死命を握っていたので、それでもよかったのだが、その後のグローバル化した経済環境にあっては、これが長らく日本企業の活力を殺いできたのである。
第三に、日本企業のガバナンスのあり方をどう考えているのだろうか。企業は、銀行だけではなく、幅広いステークホルダー、特に株主利益の極大化を目指して経営されるべきものである。株式の持ち合いや銀行による企業支配に安住し、内輪の論理で経営者を選び、株主利益をないがしろにしてきたツケが、昨年のオリンパス事件や大王製紙事件であろう。
日本の政策当局は、なぜ銀行ばかりにこの国の資本市場まで委ねようとするのであろうか。銀行が融資のみならず、資本市場までも牛耳り、銀行の利益を優先し、一般株主や投資家の利益を損なうような市場が、国際金融市場になり得るのだろうか。
企業金融の環境整備は
王道を行くべし
このようなことを言うと、「誰が地域企業、ベンチャー企業、事業再生が必要な企業に投資をしてくれるのか」「誰が安定株主になってくれるのか」という反論が聞こえてきそうである。これに対し、筆者は、王道を行く政策を早急に取るべきと考える。
第一に、公開企業・未公開企業を問わず、企業側が甘えを捨てるべきである。安定株主を得ようとする前に、株主にとって魅力的な企業になるように努力するのが王道である。そのために、どのようなガバナンス体制を採用すればいいのか、どのような経営目標を立てればいいのかを考えるのが経営者の仕事である。
第二に、国を挙げて、銀行と利益相反のない独立系のベンチャーキャピタルや企業再生ファンドを育成すべきである。これらは、欧米では銀行と並び立つか、それ以上の存在感を持って企業金融の一翼を担っており、多数のベンチャー企業を生み出し、企業の再生・再編を実現させてきた。それに関連する融資で銀行も潤っている。
連載第22回・23回で詳述したように、欧米でベンチャーキャピタルや企業再生ファンドが勃興した大きな理由の一つは、規制緩和による年金資金の流入である。日本も、公的年金・郵貯・簡保資金の運用規制緩和や、企業年金等に対する分散投資の義務付け等によって、巨額の資金をベンチャーキャピタルや企業再生ファンド経由で企業に流すことができるのだ。これこそ、「良い規制緩和」なのではないだろうか。
第三に、過渡期においては、銀行以外の投資家にインセンティブを付けて企業に投資してもらうことも必要であろう。たとえば、エンジェル税制として、個人や企業からのベンチャー企業への投資が損失になった場合には税額控除を認める。本当に必要な地域企業であれば、国や自治体が補助金という形を取って、企業の資本を充実させてもいい。
ともかく、銀行が企業の議決権を取るような政策だけは取ってはならない。銀行がすべきことは、融資機能を最大限発揮して企業を支えることであって、企業経営に参画することではないはずだし、他の株主に対してその結果責任も負えないはずである。
http://diamond.jp/articles/print/27949
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