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先週の『ニューズウィーク日本版』(2012−11・14)のP.46・47に掲載されたダライ・ラマ氏関係の記事である。
チベット問題と総称される中国(共産党・政府)とチベット人との確執は、武力制圧された08年以降、焼身自殺という“非暴力・非服従”的闘争形態が広がっている。
昨日まで日本に滞在していた?ダライ・ラマ氏も、13日に行った国会議員向けの講演で、この焼身自殺抗議の意味するところを中国政府が熟慮しきちんと調査するよう求めたとされる。
(この講演会には次期内閣総理大臣にいちばん近い政治家とも言われている安倍自民党総裁も出席し、その後の会合で、チッベト人の「人権が弾圧されている現状を変えていくために全力を尽くしていくことを誓う」と気勢を上げたという。主要メディアは、中国に機を遣ってと思われるが、来日したダライ・ラマ氏の活動ぶりや政治家との接触を抑制的にしか報じていない)
「仏教徒マルクス主義者」「若い頃、中共への入党を考慮した」という前置きは、本気7割・ジョーク3割というものだろうと推測する。
中国政府は、ダライ・ラマ氏を蛇蝎のごとく嫌っている。ダライ・ラマ氏を反中国のネタとして利用したい勢力が数多く存在するとしても、ダライ・ラマ氏自身は、中国共産党に対し超然の態度を貫いている。
ダライ・ラマ氏と中国共産党(中共)との関係は、中国政府が言う「チベット解放」(1950年)後も、しばらくはけっして悪いものではなかった。
ダライ・ラマ氏は、毛沢東・周恩来・劉少奇・朱徳らと会談(1954年)した後、人民中国との協調関係に傾いたくらいである。
この時期に、ダライ・ラマ氏は、次期中共総書記・中国国家主席に就任すると見られている習近平氏の父親習仲勲氏(元副首相)に友好的な関係を築いたことを認めている。
中共との関係が険悪になっていった契機は、1958年から始まる「チベット動乱」で、ダライ・ラマ氏は59年にインドへの亡命を敢行する。
その後漢族がチベット地域に大量に流れ込み、文化大革命の嵐がチベット自治区も襲い、文革後の「改革開放」は中国的近代化の波をチベット持ち込むことになり、チベット人の反中国意識は「ダライ・ラマ復帰」と強く結びつくようになっていく。
中国政府の“ダライ・ラマ嫌い”は、ダライ・ラマ氏が“分離独立”を唆していることを建前にしているが、そこに源泉があると思っている。
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ダライ・ラマ、銀行家を導く
企業倫理:「強欲な詐欺師」のレッテルを貼られた金融界の大物たちにチベット仏教界の最高指導者が信頼回復のための行動規範を示す
「私は仏教徒のマルクス主義者です」―ダライ・ラマ14世がそう語り始めると、会場の銀行家たちは一斉に眉をひそめた。
「若い頃は中国共産党に入ろうと思っていました」
チベット仏教の最高指導者はそう言って笑うと、懐からティッシュを出して眼鏡を拭いた。
会場の会議室には、ほかにも僧侶たちが数人いた。褐色の衣を着た彼らを取り巻くのはスーツ姿のビジネスマンたち。JPモルガン・チェースなど金融大手の幹部や顧問弁護士、会計士、経済学者といった顔触れだ。
先月、この風変わりな会合をイギリスで主催したのはロンドンに本拠を置くシンクタンク、レガタム研究所だ。「金融危機以降、より倫理的な金融システムを探ることが重要課題になっている。あっと驚くような視点が欲しいと思った」と、同研究所のジェフリー・ゲドミン所長は趣旨を説明する。
会場にいた米大手投資銀行の幹部が言うように、金融業界にとっては「人々の信頼を取り戻す」ことが喫緊の課題だ。
銀行家たちはダライ・ラマの存在感に圧倒されながらも、警戒心を解いてはいなかった。冗談を交えてレクチャーは続いた。
「心の込もっていない慈善は中国製の安い服みたいなもの。見掛けはよくてもすぐ破れます」
レガタム研究所のスタッフが質問した。「規制強化で金融機関は改善されるでしょうか」
これには参加者たちが失笑を漏らした。彼らを代表して一人が言った。「いくら規制しても必ず抜け穴が見つかるさ」
ダライ・ラマが静かにその後を続けた。「政府は母親ではない。お上の指示を仰ぐのは、封建時代の発想です」
この発言を聞いて、銀行家たちは少し安心したようだった。
銀行家たちからも質問が出た。「富裕層に高い税率を課すことについて、どう思われますか」
ダライ・ラマの答えはこうだ。「富める者は貧しい者に施しをすべきだが、一番大切なのは、貧しい人たちが自力で何かを成し遂げることです」
形だけの教育ではタメ
銀行家からも意見が出た。「われわれは強欲な詐欺師じゃない。問題は構造的欠陥だ。収
益サイクルが極端に短くなり、手っ取り早く稼ぐことしか考えられなくなった。昔は創業者一族の所有する地域に根差した会社があったが、グローバル時代にそんなものは通用しない」
そうは言っても、金融危機後には企業倫理の重要性を見直す動きも出てきた。例えば、社会貢献で一定の要件を満たした企業を「ベネフィット・コーポレーション」に認定する制度だ(既にアウトドアウエアのパタゴニアなどが認証を受けている。
ダライ・ラマのレクチャーにも参加したコンサルタント会社ブラックストーン・グループの取締役ジテシユ・ガディアらは「グローバル企業憲章」を制定した。「忠誠心と愛情を持って経営に当たります。株主や従業員や社会を犠牲にして、自己利益を追求することは厳に慎みます」といった内容だ。
こうした動きはダライ・ラマの考えとも一致する。どちらも規制を強化するより、個人の行動を変えようという立場だ。
ダライ・ラマは新著『宗教を越えて』(邦訳・サンガ)で「金融危機の元凶は突き詰めれば人間の強欲だ」と説いている。「適度を知り節度を守るのではなく、利益の拡大に血眼になった結果だ」と。
これに対する処方箋は、「世俗的な倫理」を身に付けることだ。銀行家たちを相手に、ダライ・ラマは笑いながらこう諭した。「慎みある行動を取れば血圧が下がることが医学的に証明されていますよ」
イギリスの若手哲学者ジュールズ・エバンスによると、「金融機関が従業員に倫理教育を行うのは、必ずしも新しい試みではない」。シティグループが不正取引疑惑に揺れた05年、当時の総帥チャールズ・プリンスは倫理原則を導入。不正行為を通報するホットラインが設置され、26万人のスタッフ全員が倫理教育を受けることになった。
倫理教育より母親の愛情
だがエバンスによると、その3年後には同社は住宅バブルに乗じてサブプライムローン関連の高リスク商品を顧客に売り付けていた。「これまでの倫理教育は結局、形だけだった」
エバンスは新しい教育プログラムを作成中だ。「スタッフ一人一人が絶えず取引の倫理性を自問し、この取引はおかしいと思ったら、堂々と上司に言えるようにしなければ」
倫理教育は学校でもカリキュラムに組み込む必要があるが、それ以前の教育が重要だと、ダライ・ラマは言う。「母親の愛情を受けて育った子供は精神的に満たされるが、それが欠けると、強欲で怒りっぽくて情緒不安定になる」というのだ。
家族の愛情と自己責任を重視し、政府の介入に否定的な点で、「仏教徒のマルクス主義者」は温かみのある保守派といった感じだった。ダライ・ラマと銀行家たちは意外にも多くの共通点を持つことが分かった。
レクチャーが終わると、銀行家たちはダライ・ラマに駆け寄ってツーショット写真を撮らせてもらった。「母に写真を見せたいんです」と一人が言った。
僧侶たちが並んでドアのほうに向かうと、銀行家たちは握手の手を差し伸べた。僧侶たちは彼らの手を取って引き寄せ、親愛の情を込めてハグをした。まるで幼子を安心させるように。
ピーター・ポメランツェフ(英テレビプロデューサー)
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