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不況は、単純で人為的な問題だ!
『さっさと不況を終わらせろ』/『ポジティブ病の国、アメリカ』
2012年11月14日(水) ザ・絶賛エディターズ
【私が編集した本読んで下さい!】
『さっさと不況を終わらせろ』担当:飛鳥新社(現在) 富川直泰
『さっさと不況を終わらせろ』ポール・クルーグマン著、山形浩生訳、早川書房
今もっとも信頼できる経済学者といえばこの人、ポール・クルーグマン教授の最新刊『さっさと不況を終わらせろ』。おかげさまで7月の発売直後から大変景気よく(?)売れております。なんでも道端カレンさんも読んでくださったそうで……ありがとうございます。あ、ファンです。
本書の主張はきわめて明快。目下の世界大不況は、ダメな政策の結果生じた、本来こうむる必要のない被害なのだとクルーグマンは言い切ります。解決策は簡単で、政府と中央銀行は財政出動と金融緩和をセットでドンとやる! 不況下で増税だの財政緊縮だのは愚の骨頂! いやはや、どこかの国のトップが聞いたらどう思うでしょうか。
さて快刀乱麻をそのまま体現したような本書の中で、クルーグマンは目下の経済危機をめぐって面白い指摘をしています。書評などではあまり言及されていない部分なので、今回はちょっとそこをご紹介させてください。
1つは「大きな問題には、大きな原因があるはずだ」という思いこみです。
今回のような大惨事が、些細な原因で起こるわけがない、というわけですね。実際、世界の金融経済担当者たちが「今回の危機の背景には、複雑に絡まった根深い構造的な問題が云々」と説明するのを、私たちは何度耳にしたことでしょうか。
もう1つは、今回の経済危機を「道徳劇」だとみなす傾向です。
つまり経済危機は、これまでの放蕩に対する当然の「報い」であり、甘んじて苦しみを被らなければならない、というわけです。財政的な浪費が問題なら、対応策は財政緊縮しかない!という発想になるわけで、クルーグマンによれば、案外この道徳観が、緩和政策が進まない原因のひとつじゃないかというのです。
2つとも間違っている、とクルーグマンは言います。今回の危機は「浪費」が原因ではなく、ダメな政策によって引き起こされた、本来無用なはずの苦しみである。そして問題の大きさに比して解決法は、(少なくとも経済的には)あきれるほど単純で、「時には100ドルのバッテリー交換だけで、動かなくなっていた3万ドルの車が動き出す」ものなのだと。
合理的楽観主義をいまこそ
クルーグマンによる具体的な検証と提言はぜひ本書をお読みいただくとして、私が面白いなと思ったのはこういうことです――。何かまずいことが起こった時、しかめっ面をして「複雑で構造的な問題だ」「耐え忍ばなければならない」と言うと、なにやら思慮深いリアリストに見えます。逆に「原因も解決策もシンプルだ」という人はノーテンキなアホに見える。
でもシンプルな論を語る人が、かならずしもノーテンキでアホなわけではありません。冷静かつ合理的に現実を検証し、その結果希望が見えるなら、賢しらに悲観論を振りかざさず理にかなった希望を語ろうとする立場のことを、科学ジャーナリストのマット・リドレーは「合理的楽観主義」と呼びます。すくなくともこの点で、クルーグマンもまさに合理的楽観主義者なわけです。
一見もっともらしい、この不合理で悲観的な「思いこみ」が、実は不況突破の足かせになっているのでは――。クルーグマンのこの指摘、みなさんはどうお考えになるでしょうか。
さてそんな本書の翻訳をお願いしたのは、『クルーグマン教授の経済入門』の翻訳等で日本でクルーグマンをブレイクさせた、あの山形浩生さんです。
山形さんといえば、某大手シンクタンクでのコンサルタント業のかたわら、バロウズからケインズまで縦横無尽にカバーするスーパー翻訳家/評論家。各出版社から翻訳依頼が殺到しており、つねに10冊近いバックオーダーをかかえておられる超多忙人です。そして今回のクルーグマン新作は、まさに「今が旬」の内容ですから、一日も早く書店にならべたい。するとスケジュールは相当タイトになり……。さて、はたして翻訳をお引き受けいただけるものでしょうか。
さらに当時、山形さんにはすでに別の本の翻訳を依頼ずみだったのですが、本書の翻訳権を取得後、急遽「割り込み追加オーダー」のご相談を(おそるおそる)させていただきました。かなりの突貫スケジュールにもかかわらず、山形さんのお返事は速攻、「おお、やります!」。いやあ嬉しかったですね。
そうしてできあがったのが本書です。クルーグマンの持ち味である「重厚な学者文とはほど遠い、ユーモアと怒りの共存した文」まで的確に再現して下さった山形さんいわく、
「本書を読んで、一人でも多くの人が現状の各種政策の愚かさに気がついてくれればとは思う。財政出動しようよ。かなり手遅れとはいえ、復興まともにやって、教育やインフラ補修にどんどん予算だそうよ。そして予算つけるだけでなく、それをちゃんと消化しようよ。必要なら予算執行の細かい基準とか緩めようよ。日銀は、すでにやっている国債引き受けをもっと認められた枠いっぱいにやろうよ。それ以外にも、自分たちの保身だけでなく、日本の人々のことももっと考えてよ。そして増税なんて今やることじゃないでしょうに! そういうことを理解してくれる人が、少しでも増えてくれれば──。
一人でも理解できる人が増えてくれたら
こう書きながらも、それがどれほどはかない望みかは、知らないわけじゃない。それでも、一人でもそうしたごく基本的な部分を理解できる人が増えることで、日本経済の未来はすこしはよくなるはずだ、とぼくは信じている。報われない信仰かもしれないけれど…… そのために、本書がごくわずかでも役立つことがあれば、大いなる幸せだ」(本書「訳者解説」より)
担当編集者としてこれに付け加える言葉はありません(と言いつつ、長々と綴ってしまいましたが)。ぜひ皆さま、お手にとっていただければと思います。
【そんな私が「やられた!」の1冊】
『ポジティブ病の国、アメリカ』バーバラ・エーレンライク著、中島由華訳、河出書房新社
『ポジティブ病の国、アメリカ』バーバラ・エーレンライク著、中島由華訳、河出書房新社
さて、そんな目下の経済危機に、もう1つ「意外な病根」を見出した本を最近読んで面白かったので、おまけでご紹介させてください。バーバラ・エーレンライクの『ポジティブ病の国、アメリカ』(中島由華訳、河出書房新社)がそれです。
アメリカにおいて「ポジティブ・シンキング」という思想がどのような歴史的経緯で生まれ、広まったのかを解き明かしたのがこの本。とりわけスリリングなのは、アメリカにおける所得格差が異常なほど開いていく1980年代から、金融危機を経て現在にいたるまでの企業事情を、アンソニー・ロビンスやロンダ・バーンといった自己啓発家たちの台頭と結びつけて論じた部分です。
エーレンライクによれば、ある時期からアメリカの企業文化は、冷静な市場調査やデータ分析よりも、直感やひらめきで行動する「カリスマ経営者」を重んじるようになったといいます。「ミスター直感」と呼ばれたリーマンブラザーズ社長のジョー・グレゴリーや、住宅ローン大手のカントリーワイド・フィナンシャル社CEOのアンジェロ・モジロのように、詳細なリスク分析ではなく自らの楽観的なカンに頼る経営者が増える。そしてイケイケドンドンの社風の中、耳の痛い進言をする部下たちは次々とお払い箱にされるようになります。
そんな金融業界のポジティブシンキング・ムードを支えた一因として著者が挙げるのが、モチベーショナル・コーチと呼ばれる自己啓発家たちの存在です。
アンソニー・ロビンスらモチベーショナル・コーチたちは、数多くの金融会社をクライアントにかかえています。クリス・ガードナーのように、ベア・スターンズのトレーダーを辞してモチベーショナル・コーチに転身した人もいるほどです(ガードナーの半生記『幸せのちから』はウィル・スミス主演で映画にもなりました)。
現場から上がってくるネガティブな情報や分析をシャットアウトし、ひたすらポジティブな直感とポジティブな情報にフォーカスし続ける経営者たちが、いくつもの凶兆を見逃したこと。それがサブプライムローンの崩壊と金融危機を招く一因となったのでは……というのがエーレンライクの見立てです。
著者はまた、庶民がサブプライムローンに殺到した背景にも、この国特有のポジティブシンキング・イデオロギーとそれを煽る人々がいたことを指摘します。
たとえば当時、ジョエル・オースティーンら一部のメガチャーチのカリスマ牧師たちは「神のおかげであなたも家が買える」「神はあなたがたにもっと多くのものを用意して下さっている」と語り会衆を沸かせ続けました。あるいは「あなたが願ったものは与えられる」と説く「引き寄せの法則」ブームも、アメリカ人のローン依存を後押しした一因ではないかと述べています。
「リストラに遭った? なんてツイてるんだHAHAHA」
では、2008年のサブプライム破綻とリーマンショックで、こうしたポジティブシンキング・ブームの熱狂は冷めたでしょうか? いいえ。モチベーショナル・コーチの需要と出番はますます増えるんですね。企業はリストラ対象者に彼らのセミナーを受けさせ、こう説得するわけです――「リストラは人生の終わりじゃない。新しいチャンスだ!」
そしてこうしたコーチたちは、残った社員の動揺を鎮めるためにも活用されます。これによって経営側は、解雇された社員の鬱憤や、残った社員の不安の矛先が自分たちに向かうのを回避したのだ――エーレンライクはそう言います。
いやはや、うーむ。エーレンライクの議論には若干強引なところもあるのですが、こういうのを読むと、ああ自分はネガティブ思考でよかったなあと、私なんかは単純に目の前が明るくなったりするのです(あ、これじゃ「非」合理的楽観主義者ですね)。
富川 直泰(とみかわ・なおやす)
1978年大阪生まれ。2006年早川書房入社。同社営業部、ノンフィクション編集部勤務を経て、2012年8月より飛鳥新社編集部に移籍。担当作はマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』『それをお金で買いますか』、マット・リドレー『繁栄』、イーライ・パリサー『閉じこもるインターネット』、ダンカン・ワッツ『偶然の科学』、ハロルド・ピンター『ハロルド・ピンターI〜III』など。
ザ・絶賛エディターズ
版元の規模やジャンルを問わず、ビジネスパーソンにいろいろな意味で役に立つ本を作っている編集者の任意団体。参加希望の方はぜひ、日経ビジネスオンライン編集部までお電話、お手紙、メール、ツィッター、コメント欄などでご連絡ください。熱い絶賛の原稿とそれに値する本、お待ちしております。(本欄担当:Y&Y)
絶賛!オンライン堂書店
本の面白さを一番よく知っているのは、その本を仕掛け、書かせ、売る人、あるいは、他人の作った本に心から嫉妬している人。つまり、書籍の編集者だ。このコラムでは、ベストセラーを生んでいる編集者諸氏に、自ら手がけた本と、他の方の手になるお薦め本を紹介してもらいます。自分の仕事も他人の本も絶賛!オンライン堂へようこそ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20121102/238980/?ST=print
ティム・ハーフォード「数学をやりませんか」
統計的証拠を扱うときの見当違いな自信が、実務上含意することは明らかであり、心配である
二つ一組の短いテストがある。一つ目は、医師になったと思って、”A”というある特定の癌のスクリーニング検査を患者に薦めるかどうかを考えるのだ。あなたはこの形のスクリーニングが、5年生存率を68%から99%に改善することを発見した(5年生存率は癌が発見されてから患者が5年後に生きている割合)。問題:スクリーニング検査”A”は命を救うのか?
二つ目。今度はあなたは別のスクリーニング検査”B”を考えている。あなたは検査”B”が癌による死を1,000人に2人から1,000人に1.6人に減らすことを発見した。問題:スクリーニング検査”B”は命を救うのか?
二つめの問題の方が簡単だ。スクリーニング検査”B”は疑う余地なく命を救う。正確を期せば、1,000人に0.4人の命を救う。それは多くように思えるかもしれない――そしてもし、その検査が高価だったり、不快な副作用があるならば割に合わないかもしれない――でもそれががんのスクリーニングの本質だ。ほとんどの人は検査対象のがんを患っていないので、ほとんどの人はその検査によって救われ得ないのだ。
スクリーニング検査”A”はどうだろうか?こっちの問題はもっと難しい。数字は素晴らしいように見える。しかし、生存率はスクリーニングプログラムを評価するのには危うい方法なのだ。70歳で死に至る治癒不能のがんを患っている60歳のグループを思い浮かべてみよう。彼らは67歳まではなんの症状もない、そして67歳で診断を受けた時の5年生存率は、残念ながらゼロだ。スクリーニングプログラムを導入しよう、そうすればあなたはずっと容易にがんを発見することができる、62歳で。5年生存率は今や100%だ。だが、スクリーニングは一人の命も救っていない:それは治療不可能な病気の早期の警告を与えてくれるにすぎない。
一般的に、スクリーニングプログラムは生存率によって評価した場合に素晴らしいように見える。なぜなら、スクリーニングの目的はがんをより早期に発見することだからだ。命が救われるか否かは全く別の問題なのだ。
これはずるい質問の組み合わせだって認めなくちゃならない。あなたが医師になっていたなら、この手のことを正しく理解するために、治療のための根拠をどう扱うかを徹底的に訓練してたはずだ。しかし、悪いニュースがある:医師はこの手のことを正しく理解してないんだ。
3月に内科学会の紀要において発表された論文で、関連する臨床経験のある400人以上の医師の集団にこれらの質問が与えられた。82%が、検査”A”が命を救う証拠を提示されたと――そうじゃないのに――考えた。それらの83%がベネフィットは大きいまたはとても大きいと考えた。60%のみが、検査”B”は命を救うと考え、3分の1以下がベネフィットは大きいまたはとても大きいと考えた――それは興味深いことだ、なぜならがんで死ぬコース上にいる人はわずかであることから、その検査は彼らの20%を救うのだ。要するに、医師はがんスクリーニングの統計の数字をまったく理解していない。
これが実務上含意することは明らかであり、心配である。医師は触れることになりそうな証拠を、臨床効果に基づいて解釈する多くの助けを必要としてるようであり、他方、伝染病学者と統計学者は彼らの発見をどのように発表するかを懸命に考える必要があるように思われる。
状況はもっと悪いかもしれない。王立統計学会の“getstats”キャンペーンにおける最近の調査で、国会議員にコインを2回投げた時に表が2回出る可能性を尋ねた。半数以上が正しい答えを出せなかった――不面目な労働党国会議員の4分の3を含めて。
答えはもちろん25%であり、恐ろしいほど基本的なことだ。数学の基礎学力(numeracy)の問題を読み書きの能力(literacy)の問題に言い換えるとすれば、医師の間違いはエリオットの「荒地」についての良質なエッセイを書く力がないことに相当する一方、国会議員の間違いは新聞を読む力がないことにより近い。
王立統計学会は約4分の3の国会議員が数字を扱うのに自信があると言っていると報告していた。この自信は見当違いだ。
Tim Harford Why aren’t we doing the maths?
http://econdays.net/?p=7585
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