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ある方のツイッターですが、いろんな方からの意見を聞いてみたいと思い勝手ながら転載いたします。ここ阿修羅でも『減価する通貨』は話題になっていましたが、その実用性はともかく、この方の(近代)経済観と問題意識は大いに共感します。
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キーワードとして「総需要」「デフレ」「合理的な経済活動(=自分の手持ちのカネが最も大きくなるべく取られる行動)」を意識して読んでいくといいです。
@我々が置かれている現状についてご理解いただくには、現在採用されている経済システムについての前提を共有していただく必要があります。まず、我々の生存に関する物的条件は、日本円をはじめとする通貨を用いなければ手に入らない、もしくは著しく困難であるということです。
A次に前提となるのは、そこで我々が用いている通貨が、減価しないという特質を用いているということです。これは、日本円やその他の通貨が退蔵(使わず貯めこむこと)が可能であることにつながります。単位や、流通量による価値の大小はあっても、一度手に入れたカネは基本的に消えません。
Bそして、もう一つの前提は、人の経済活動における体力を示す「購買力」の合計以上はものやサービスが売れないということです。これを「総需要」といいます。総需要は消費支出の合計であり、日本であれば、個々の経済主体が用いることのできる日本円の合計になります。
Cまず、退蔵可能な貨幣を用いていることで、必然的に起きるのが「最も合理的な活動は人にカネを渡して代わりに動いてもらうことになる」ことです。融資に置ける利息、株式投資における配当がこれに当たります。そして、借りた側は本来必要である限度を超えた通貨獲得を強いられることになります。
D特に、利子について言えば複利計算ですから、借りた側はよほど業績が上がらなければ、金利返済のために前年比プラスを達成しなければ経済活動が困難になるということが出てきます。借金が辛いのはそのためです。頑張って返せばいいじゃないかと思えますが、そこにも実は問題があります。
Eその問題とは、3つ目の「総需要」です。営利活動には、総需要という限界があるため、カネを稼いで利子を返すという活動は、すぐに頭打ちになってしまうのです。これは、各経済主体がレベルの高い努力をすればするほど顕在化することになります。
Fつまり、競争に勝って豊かになればいいという考えは、実は他人に行くはずだった総需要の一部を自分が獲得し、その他人の分が減ったということに他なりません。もっとざっくばらんに言えば、総需要を椅子とした「椅子取りゲーム」です。どんなに頑張っても椅子に座れない人が出てきます。
Gこのような状況を、ミクロな主体がなかなか理解できないのは、規模が大きくなるとこの奪い合いが見えにくくなるためと、不完全ながらも総需要を拡大する「やらせ」が行われているためです。そのやらせとは、財政出動と金融です。後者は利息を取る点で説明済みなので、前者について説明します。
H総需要は購買力の総合計という形で明確な限界があります。だから、その枠内で競争=イス取りゲームをやると、ものやサービスの生産性が向上してしまい、すぐに椅子に座れなくなる状態がやってきます。これが、デフレです。ものやサービスが増えすぎて、需要と吊り合わなくなっていることです。
Iこのデフレは、ミクロな経済主体が合理的な経済活動を続ける限り絶対に解消できません。いわゆる不景気の局面で、個々人や企業が取る経済合理的な活動は「節約」です。これによりその主体は楽になりますが、社会全体で見れば総需要が減少することになります。そして、デフレが更に拡大するのです。
Jこれを防ぐために、政府という経済合理性を考慮しなくてもよい(しかも巨大な)経済主体が、あえて合理的でないお金を使って総需要を拡大するのが、財政出動です。ないはずのものを作るわけですから、ドーピングなのです。。しかし、これをやらなければ経済活動は、特に地方で完全に死滅します。
Kしかし、これにも限界があります。一つは、日本政府は貨幣発行権を持っていない(日銀が持っている)ので、国債という利子付き証券で調達するしかなく、早晩財政危機を迎えるからです。そうでなくても、地球環境という限界があり、開発や資源消費はいつかどこかで止まらざるを得ません。
Kこのような状態を、競争力を強化し、輸出を拡大することで乗り切ろうという策は、必ず失敗します。なぜなら、他の国も似たような経済活動はしており、結局地球レベルで総需要の奪い合いになるだけだからです。その極致が、第二次世界大戦だったのです。
Lそのような限界に達しつつあるのが現在の世界、現在の日本です。しかし、実はそこまでの末期状態を迎える前に、同じくらい悲劇的な事態がある国、特に先進国の経済で起こっているのです。それが「グローバリゼーション」です。これを知れば、バブル崩壊以降の日本経済は完全に理解できます。
Mグローバリゼーションとは、国民国家としての枠を飛び越えて利益を極大化する動きです。たとえば、日本で1990年代に起きたことを見てみます。90年代に最も顕著だったのは、日本企業の中国進出です。人件費が安いというのが主な理由ですが、それ以上に総需要拡大の余地があったのが中国です。
N中国の人件費が低いということは、国民に給与という形で人件費を与えれば、それだけ購買力が容易に増加するということです。60年代の日本のように、何も持たない人々が購買力をつけ、高級消費財を買うというのが、最も効率の良い市場です。年増の日本は、若い中国に走った企業に捨てられたのです。
Oその一方で、本来であれば日本にあった生産設備等が中国へ出ていくわけですから、日本での雇用は減ります。これによって総需要が低下するので、国内ではますますデフレが進みます。それに対応すべく取られる「合理的な」行動が、中国からの廉価な製品の輸入だったというのは皮肉という他ありません。
Pそこに追い打ちをかけたのが、労働市場の規制緩和です。代表例が派遣労働者法制の改正で、正社員がやっていたことを派遣が代替できるようになりました。企業としては「合理的」な活動なのですが、これによって給与が減り、総需要は更に低下します。
Q企業はただでさえ利払いや配当で体力を吸い取られていくので、デフレ下ではこのような方策を取らざるを得ない面があるのです。反面、金銭収入によって生活に関わる物的条件を手に入れざるを得ない都市型の労働者は、どんどん生活が苦しくなっていくことになります。
Rとはいえ、減価しない通貨を採用する以上、退蔵したカネを他人に使わせて利益を得ている人々が、行動を変化させる合理的理由はありません。極端な話、地球が滅ぶならその前に宇宙開発して、カネでそこの居住権を手に入れればいい人たちです。政府の政策は、このような人たちに強く影響されています。
S以上のように、今の日本の状況は「カネで物的条件を入手する必要があること」「減価しない通貨」「総需要という限界」の3つから、論理必然的に生まれてきたものだということが分かります。これに抵抗する動きはほぼ全て潰され、むしろある種の人々の優位性を促進する動きが強まっています。
㉑このような状況で、考えられることは2つあります。一つは、総需要を拡大し、個々の国民に購買力を持たせようとする政治勢力を国民が応援し続けることです。しかし、その勢力=小沢一郎や亀井静香、鈴木宗男らに対する攻撃を見れば、なかなか難しい方策であるのは明白です。(それでもやるべきだが)
㉒もう一つの道は、「総需要」や「減価しない通貨」によって、人の生死が左右される社会とは別のルールに従って動く社会を作ることです。しかし、これもまた困難です。なぜなら、そのような社会の形成には、経済合理性が全くないからです。
㉓例えば、自給自足可能なムラを作ることを考えてみて下さい。そんなところに好んで暮らしたがる人がどれだけいるでしょうか。都市的な刺激がないのはもとより、生存に必要な物的条件を整えるカネがほとんど入ってこないのです。特に、将来のある若年層の女性は間違いなく拒絶するでしょう。
㉔だからといって、諦めていても仕方がありません。「国民寄りの政治勢力を勝たせること」と「減価しない通貨に頼らない社会づくり」とを、コツコツ気長に進めていきたいと私は思います。世界の崩壊に間に合うかどうかは分かりませんが…。
付け足し㉕実は、もう一つ方法があります。それは、ここで語られたような事実を無視し、ひたすら現実の経済システムに自分を最適化させることです。自分が生きているうちはなんとかなる、とお思いかもしれません。それでいいと思います。本当の崩壊が、原発事故のようにいつ来るかわかりませんが…。
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