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中央銀行に自己資本は必要か? 深刻化する日本の「ローカル化」 厚生年金基金制度見直し 渡辺由美子課長を応援しよう!
http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/423.html
投稿者 MR 日時 2012 年 11 月 07 日 12:08:03: cT5Wxjlo3Xe3.
 

【第81回】 2012年11月7日 森田京平 [バークレイズ証券 チーフエコノミスト],島本幸治 [BNPパリバ証券東京支店投資調査本部長/チーフストラテジスト],高田創,熊野英生 [第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト]
中央銀行に自己資本は必要か?
『会計規定第18条』に見る日本銀行のケース
――森田京平・バークレイズ証券チーフエコノミスト
10月30日の追加緩和は
「量的緩和」かつ「信用緩和」

 10月30日、日銀は9月に続いて2ヵ月連続となる追加緩和に打って出た。中身は

@「資産買入等の基金」(以下、基金)を80兆円から91兆円に拡大
A「貸出増加を支援するための資金供給」の導入に伴って「貸出支援基金」を創設
Bデフレ脱却に向けた政府と日銀の共通認識の明示

 の3本柱からなる。基金拡大の内訳は「長期国債5兆円」「短期国債5兆円」「CP等0.1兆円」「社債等0.3兆円」「ETF 0.5兆円」「J-REIT 100億円」(金額は全て概数)となった。

 日銀は同じ基金内で保有する資産であっても、長・短国債とそれ以外のリスク資産は買入目的が違うと考えている。前者はイールドカーブのブル・フラット化と流動性の供給を目的とした「量的緩和」、後者は市場のリスクを日銀のバランスシートに吸収することでリスク・プレミアムを抑え込む「信用緩和」が意図されている。この意味で、今回の基金拡大は「量的緩和」かつ「信用緩和」といえる。

日銀の損失は「直接的な国民負担」
と「間接的な国民負担」に

 しかし、リスク資産の買入枠の拡大が計1兆円に止まったことから、市場には一層の買い増しを期待する声が根強い。一方、日銀にリスク資産の買い増しを求めるのであれば、当然、損失が発生するリスクも考慮されなくてはならない。

 日銀に生じる損失は、最終的に国民負担となる。「直接的な国民負担」としては、@日銀による国庫納付金の減少、A日銀による法人税、法人住民税、法人事業税の納税額の減少、B日銀出資証券(注1)に対する配当の減少、などを経て政府の歳入が減り、ひいては国民負担(増税など)が生じる。

(注1)日銀の資本金1億円のうち最低でも5500万円は政府からの出資でなくてはならない(日銀法第8条)。

 また、仮に日銀に対する信用不安が円安を誘発することになれば、輸入物価の上昇を通じて国内物価が上がることも想定される。輸入物価の上昇は、日本から他国への所得流出を意味する。国内物価の上昇は国内の債権者(=民間部門)から債務者(=政府)への所得移転(=事実上の増税)という側面を持つ。これは日銀の損失に伴う「間接的な国民負担」と言えよう。

中央銀行に自己資本は必要か?

 中央銀行の損失、すなわち自己資本の毀損については、それをどの程度重視するかで見解が分かれる。たとえば、日銀の白川総裁は「中央銀行の自己資本は決して多額である必要はないが、国民の信認を維持するために一定水準の自己資本は必要となる」として自己資本を重視している(『現代の金融政策』日本経済新聞出版社2008年)。

 一方、岩田規久男学習院大学教授は、「唯一のハイパワードマネー(注2)の供給者である中央銀行は自己資本を持っていなくても営業可能」であるため「日銀のバランスシートの悪化は問題ではない」としている(『論争 東洋経済』東洋経済新報社2000年1月)。

(注2)「ハイパワードマネー」とは、中央銀行が供給する通貨を指し、「ベースマネー」「マネタリーベース」とも呼ばれる。日本の場合、日本銀行券発行高、貨幣流通高、日銀当座預金の合計と定義される(ただし厳密には、貨幣の発行者は政府であり日銀ではない)。

 岩田教授の見方に立てば、国内唯一の最終支払手段(決済手段の発行者である中央銀行には「solvency」(最終支払能力)の問題は存在しない(あるいは定義できない)。つまり中央銀行は、自己資本が毀損しても「going concern」(継続事業体)であり得る。この場合、日銀は損失(自己資本の毀損)を気にせず、どんどんリスク資産を買い入れることができる、ということになろう。

中央銀行を「単体」で
見ることの意味はあまりない

 確かに、中央銀行の「単体会計」に焦点を絞るのであれば、自己資本を重視する必要はないかもしれない。しかし、公的な役割を担う日銀のバランスシートを「単体」で評価すること自体に、あまり意味はない。

 日銀の損失が累増すれば、前述した「直接的な国民負担」が生じる可能性がある。また、人々が最終的に一定量(一定額ではない)の財・サービスと交換するために通貨を保有しているとすれば、「間接的な国民負担」である物価上昇(=購買力の低下)は交換可能な財・サービスの量(金額ではない)を減らすことで、事実上の通貨のデフォルトを意味する。こうした負担を考慮するのであれば、中央銀行の自己資本には一定の意義を見出すべきではないだろうか。

日銀の「会計規定第18条」と
「会計規定第18条の2」の違い

 やや抽象的な議論になってしまった。もう少し具体的に見てみよう。ここでは日銀の『会計規定』に注目したい。

 この会計規定の特徴は、同じ日銀の損失でも、債券と外国為替の損失引当金を規定する「第18条」が自己資本を重視する一方、株式、ETF、REITの損失引当金を規定する「第18条の2」が自己資本との関連に触れていないことにある。

会計規定第18条:
債券、外国為替に関わる日銀の損失引当金を規定

 まず「会計規定第18条」は、「債券取引損失引当金及び外国為替等取引損失引当金の積立て又は取崩し並びに法定準備金の積立ては、各上半期及び各事業年度の自己資本比率が、10%程度となることを目途として、概ね上下2%の範囲となるよう運営する」(下線筆者)としている。

 つまり自己資本比率が概ね8〜12%となる範囲で、日銀は債券や外国為替の損失引当金を計上できる。

会計規定第18条の2:
株、ETF、REITに関わる日銀の損失引当金を規定

 次に、「会計規定第18条の2」は「株式取引損失引当金、指数連動型上場投資信託取引損失引当金及び不動産投資信託取引損失引当金は、引当金の種類に応じ、株式、指数連動型上場投資信託受益権又は不動産投資法人投資口(金銭の信託の信託財産として保有するものを含む。)の時価の総額が帳簿価額の総額を下回る場合に、その差額に対して上半期末及び事業年度末に計上する」(下線筆者)としている。

 ポイントは株式、ETF、REITの損失引当金を規定する上で、自己資本比率に言及していないこと。これが債券と外国為替の損失引当金を規定する「第18条」との大きな違いだ。

「第18条」と「第18条の2」の違いの背景

 この『会計規定』を見ると、「中央銀行に自己資本は必要か?」という問いに対して、日銀は債券や外国為替などの取引については自己資本比率を一定程度、重視する(第18条)一方、株式、ETF、J-REITなどの取引については明示的には自己資本比率を重視していない(第18条の2)、と読める。

 これは前者(債券、外国為替)が中央銀行業務の本質をなす取引であるのに対して、後者(株、ETF、REITなど)はあくまで基金を通じた時限的なものが中心であり、日銀のsolvency(最終支払能力)を脅かす存在には構造上ならない、という判断があるからであろう。

1980年3月末以降の最低水準にある
日銀の自己資本比率

 しかし、基金が時限的なものとは言いにくくなりつつある。基金の残高を長期にわたって維持するというコミットメントを求める声が、市場で強まっているからだ。基金の継続期間が長くなれば、株式、ETF、REITの損失引当金も自己資本比率と関連付ける必要性が高まるはずだ。

 実際に、「会計規定第18条」で定義される日銀の自己資本比率を見ておこう(図表1参照)。直近2012年3月末の日銀の自己資本比率は7.22%と1980年3月末以降の最低水準にある。また2002年9月末以降は同第18条が想定する概ね8〜12%という範囲を下に抜けている。


 こうした中、基金の拡大と長期化が進めば、徐々に日銀の自己資本比率を金融政策の方程式に入れる必要が出てこよう。「中央銀行に自己資本は必要か?」という問いは、中長期的な観点から金融政策を考える際に、今後重要な問題提起をすると思われる。
http://diamond.jp/articles/print/27499

【第250回】 2012年11月7日 加藤 出 [東短リサーチ取締役]
政府・日銀の共同声明は重い
深刻化する日本の「ローカル化」
 特例公債法案が成立しないと日本版「財政の崖」が発生するのではないかと海外の金融市場関係者も関心を寄せている。10月下旬にシンガポールに出張したが、現地の市場関係者の目には、機能不全を起こして何も決められない日本の政府・議会はかなりお粗末と映っているようだった。投資対象としての日本の魅力のなさを再確認している空気が感じられた。

 それはそうだろう。彼らは、戦略的に政策を打って経済を成長させ続けてきたシンガポール政府を普段見ているからである。世界銀行・IFC(国際金融公社)は10月23日に、ビジネスを行いやすい国のランキングを発表した。世界185カ国の中で、シンガポールは7年連続で1位、日本は24位だった。「日本でビジネスを続けることは難しい」と言って、シンガポールに移った優秀な人材は数多くいる。

 この20年間でシンガポールと東京の関係は見事に逆転した。アジアの今後の成長に投資しようと世界から流入してくる資金のゲートウェイ(玄関口)は、今はシンガポールや香港であって、東京ではない。それは雇用機会の多寡の差としても表れている。差がついてしまった最大の要因は、市場を育成しようとする政策を当局が長年継続的に行ってきたか否かの違いにあると指摘する声は多く聞かれた。「東京市場はローカル化してしまったため、東京にいると投資のトレンドが見えにくくなる」といった冷ややかな声さえ聞かれた。また、「ブルーチップ企業(優良企業)がなくなり、高齢化が進む日本には、時間的余裕はもうないのではないか」と心配してくれる投資家もいた。

 日本経済の復活に“打ち出の小づち”はなく、シンガポールのように、中長期的視野で一つ一つ戦略を積み上げていく必要がある。10月30日に発表された政府と日銀の共同声明(アコード)は、デフレ脱却には金融政策だけでなく、政府による経済構造の変革も必要だとしていた。至極まっとうな見解である。しかし、日本経済が尖閣問題の打撃もあって失速すれば、この声明文は日銀に対して強い圧力と化す可能性がある。冒頭の「一体となってこの課題(デフレ脱却)の達成に最大限の努力を行う」という文章は日銀にとって重い。

 今週の週刊ダイヤモンド「挑戦する世界の中央銀行」でも書いたように、金融政策の効果には限りがある。政治からの追加緩和要求が強まれば、日銀のバランスシートの膨張には際限がなくなってくる。構造改革による潜在成長率の押し上げを狙っていかなければならない。

(東短リサーチ取締役 加藤 出)
http://diamond.jp/articles/print/27492

【第255回】 2012年11月7日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]
厚労省「厚生年金基金廃止案」の要改善点
注目の厚生年金基金制度見直し
渡辺由美子課長を応援しよう!

 11月2日、社会保障審議会の厚生年金制度に関する専門委員会(第1回)で、注目の「厚生年金基金制度の見直しについて(試案)」が発表された。厚生年金基金制度の問題点については、本連載の拙稿も参照されたい

 制度そのものの複雑さもあって、一読してすんなり頭に入るような文書ではないが、厚生年金基金制度を廃止するための具体案として厚労省が想定する手続きを初めて明らかにしたものとして、注目に値する(「概要」の説明が『日本経済新聞』11月3日朝刊の5面にある)。

 この問題を本連載で取り上げた際にも書いたが、過去に先輩たちが築いた制度を否定し、官僚OBの職場にもなっている、厚生年金基金の制度を廃止するという提議を行なうことは、当該分野を担当する官僚個人にとって大変勇気のいることだ。

 この問題の矢面に立っているのは、渡辺由美子氏(企業年金国民年金基金課長)だ。本件は、今後相当に難航することが予想される。内容も今後変化するだろうし、政治の状況を考えると決定に至るかどうかも疑わしい。

 後述するように、筆者は今回の「試案」に複数の批判点を持っているが、「厚生年金基金制度に問題あり」として、そのための施策を講じようとして立ち上がった彼女の行動を高く評価するし、基本的には応援したい。

 渡辺課長は(仕事なのだから当然だが)、今後多方面からの批判や妨害に晒されるはずだし、基金関係者の一部からは怨嗟の対象にさえなりかねない。もちろん、批判すべきは批判しなければならないが、政治家諸氏も年金問題を論ずる人々も、彼女がよりよい仕事を達成できるように応援するという気持ちを持って、この問題に関わるべきだ。

 たとえば、「厚生年金財政の悪化に歯止めをかけるという理由だけで、制度を全面的に廃止するのは思慮に欠けた判断だ」と批判した、自民党の佐藤ゆかり参議院議員に問うてみたい。

 貴女は、組織の中で(特に女性が)働くことがいかに大変なことか、身を以て知っているはずだ。加えて、多くの年金基金で自力の運用判断が無理なことも、彼らが金融業者のカモになっている実態も、よくご存じだろう。

 政策的主張と立場はあるとしても、渡辺課長を応援するスタンスに立ちながら、改善点を主張する方が生産的だし、政治家としても得策なのではないか(また、そもそも、エコノミストとして、「代行」に合理性があるとお考えなのだろうか?)。

何もしないよりははるかにいい
問題点をシンプルに考えよう

 筆者は、以下の拙文で今回の「試案」をいくつかの点で批判するが、それは最終的には、渡辺課長を応援するためだと申し上げておく。

 また批判の前に、この「試案」全体は「現状のまま何もしないよりもはるかにいい」と述べておくことがフェアだろう。これは確かだ。

 本来なら、どんなに遅くとも、2004年の代行返上開始の時期には、この問題に対する対応策が打ち出されているべきだった。渡辺課長は、手遅れの問題に対処しているのであって、彼女が手遅れを招いたのではない。また、この種の手遅れに対して、誰もが満足できる解決策などない。

 今回の「試案」は、これをもっと良くすることが大事なのであって、難点を挙げつらって改革を止めることがいいのではない。筆者も含めて、この問題の全ての論者はこの点をわきまえるべきだ。

 厚生年金基金は、制度も経緯も利害関係も複雑だ。これらの事情を反映して、「試案」も大変複雑なものになっている。

代行制度は非合理である、
実力を超えた運用をしない

 しかし、問題の核心はシンプルなのだ。要点は2つだけだ。(1)「代行」制度が非合理的であること、(2)年金基金が実力(基金と母体企業の)を超えた運用を行なうべきではないこと、これらの2つだけだ。

 もちろん、損失の穴埋めも不可避で大きな問題だが(前掲拙稿をご参照下さい)、これはいずれは必ず生ずる問題の後始末だ。まずは、問題の追加的な拡大を止めることが肝心だ。後始末が合意できなければ、問題の拡大を止められないというは本末転倒だ。

 そもそも、国の厚生年金の積立金の一部を細切れにして、民間の、しかも運用会社ではない主体にリスクを取らせて運用させる「代行」という仕組みに合理性がない。これはなくてもいいものだし、ない方がいいものだ。国の厚生年金にとって余計なリスクであり、基金と母体企業にとっては分不相応で、同じく本来余計な運用資金だ。

 基金の設立主体であり、運用リスクの負担者である民間の事業会社にとって、本業ではない「資産運用」でリスクを取らせる事は余計だし、現実に行なわれている年金運用について、多くの場合は、基金も母体企業の経営者も十分な理解を持っていない。企業から見て、年金運用のリスクは経営的に余計である。

 複雑な問題は、シンプルに考える方がいいことが多い。以上の2点から見ると、今回の「試案」はどうか。

 厚生年金基金が5年以内に解散する場合に特例措置を認める「試案」は、改正法施工後5年以内に、代行割れの基金に対して自主解散を期待すると共に、財政困難が大きな基金には厚労省の指示によって強制的に解散させる措置を提案している。

 自主的に解散してくれる基金を増やして、代行割れを解消し切れない「穴埋め」の問題を無難に縮小しようと考えているようだが、このやり方には、強制解散にさえも時間がかかること、強制のケースの基準が曖昧であること、そもそも5年も期間があると「運用での一発逆転狙い」をかえって助長しかねないことなどの問題点がある。

 税制適格退職年金の廃止にかけた10年ではなく、財政難のある基金に対して5年で問題の決着を図ろうとしていることはいい。ただ、「5年」は運用でギャンブルするには十分長い期間だ。

 組織としての基金の解体や、事務的な手続きなどには時間がかかるとしても、すでに「代行割れ」に陥っている基金にまでリスクを取った運用を続けさせるのは危険だ。

 また、現在代行割れしていなくても、上乗せ部分に大幅な不足金を抱えていて、今後に起こり得る運用損失で代行割れに陥りかねない基金は、十分「不健全」だと考えるべきだ。

借金漬けの厚生年金基金から
「ギャンブル」を取り上げろ!

 こうした「財政難基金」に対して、実質的に彼らの判断による運用を中止させることこそが急務だ。そして、この運用中止は速やかに、かつ経済的な損失を最小限に行なう必要がある。

 まず、法案成立後速やかに(1四半期以内に全基金で)積立金の資産額を確定させて、代行部分に相当する資産の運用を財政難基金から切り離すべきだ。この際、現金で清算すると一斉に換金売りが出るので、厚生年金が大損してしまう可能性がある(他方で、証券会社やヘッジファンドにはこれを利用して大儲けできる可能性がある)。

 運用会社との契約も含めて、たとえば企業年金基金連合会のような主体に代行部分の資産を移管してはどうか。この主体は、10年程度の期限付きの運用期間で、GPIFの利回りをベンチマークとして資産運用を行ない、運用期限終了迄にGPIFに代行返上を終えるというような役割でいいのではないか。

 運用技術的にはいささか高度だが、バラバラに処理するのは不利だ。それだけ問題がこじれてしまっているのだから、仕方がない。

 何はともあれ、借金漬けのギャンブラー的な状態にある厚生年金基金から、ギャンブルを「直ちに」取り上げることが肝心だ。

 代行割れに至るリスクが十分に小さい基金に対しては、ある程度の時間的余裕を与えてもいいかも知れないが、「代行」の制度終了は、「試案」にある10年よりももっと前倒しでいいのではないだろうか。

「企業が運用する確定拠出年金」は
イケていない

「試案」では、厚生年金基金を止めた後に、企業年金部分の受け皿として、新型の確定拠出年金を提案しているところが目新しい。仮称は「集団運用型DC」とされているが、「確定拠出年金の特徴(掛け金負担を固定、給付は運用成果を反映)を持ちつつ、企業単位で運用方針や運用商品の選択肢を決める新たな類型のDC」と説明されている。

 個人が自分で運用の選択肢を選ぶのではなく、「企業単位で資産運用委員会(労働組合や従業員の代表、資産運用に関する専門的知識・経験を有する者などで構成)を設置し、当該委員会を通じて加入者等に運用商品の選択肢を提示する」とあり「この場合、事業主は個々の従業員に対する投資教育は行なわなくてもよいこととする」と補足されている。

 まず、大筋の方向性として、DCすなわち確定拠出年金を推進することはいいことだろう。基金の組織を持たねばならないキャッシュ・バランス・プランの拡大よりも筋がいいと筆者は考える。

 DCなら個人の持ち分がはっきりしているし、その分受給権の保護がより万全だ。加えて、ポータビリティがあって、転職を阻害しない点もいい。

 しかし、会社ないし資産運用委員会が運用方針や選択肢を決める、という方式はいただけない。将来、従業員に恨まれる会社ないし運用委員会が続出することになるだろう。

 金融業者から見ると、営業相手、あるいは自社の息がかかった人物を送り込むターゲットとして、年金基金が資産運用委員会に変わるだけだ。

 投資教育の手間とコストを省くためなのか、確定拠出年金を導入した場合でも運用に関わる人と組織を温存しようとしているのか、真の意図がよくわからないが、「DCは自分で」という原則通りの運営の方がいいと筆者は考える。

 中小企業の社員が資産運用を自分で考えるのは無理だ、と言いたいなら、国が国債利回りかGPIF並みの利回りを保証する、実質的に国営の確定拠出年金制度でもつくればいい。

投資教育は普及させるのが本筋
個人型確定拠出年金的な公平な制度を

 また、投資教育は省略することを考えるのではなく、普及・拡大することを考えるのが本筋だろう。

 付け加えるなら、確定拠出年金を、企業を主たる単位にして方々に異なる制度をつくる必要はない。これは細切れの厚生年金基金をたくさんつくりすぎたことと同類の非効率の繰り返しだ。

 個人単位で、民間人も公務員も平等に入ることができるような、「個人型確定拠出年金」を発展させたオープンで平等な条件の制度が、好ましいのではないだろうか。たとえば運営主体は、国民年金基金連合会の発展形でどうか。

 いくつかケチもつけたが、非合理的な「代行」の仕組みを持つ厚生年金制度を解体しようとして、厚労省が動き出したことの意義は大きい。速やかに、前に進めて欲しい。
http://diamond.jp/articles/print/27500


 

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