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『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』
Q: この10年でリカバリーできたものは?
◇回答
□中空麻奈 :BNPパリバ証券クレジット調査部長
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■今回の質問【Q:1284(番外編)】
もし、「失われた10年」が実在したと仮定して、その後この10年で、何かリカバ
リーできたことがあるのでしょうか。
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村上龍
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■ 中空麻奈 :BNPパリバ証券クレジット調査部長
何も変わっていない、といえば変わっていないように思います。しかし、銀行のバ
ランスシート、金融機関の健全性はリカバリーしたと考えます。失われた10年という
定義はそれなりに自由度を持ちますが、ずっと冴えなかったのは、金融システムが不
良債権問題の処理で疲弊して、クレジットクランチが生じていたからだと言えます。
今欧州はロンドンにいます。欧州危機について、投資家と話しをしていると、EC
Bが設定したOMTによって、明らかに自信に変化が見られ、欧州問題が混乱するこ
とはない、リーマンショックのようにはならないといった安心感が蔓延していること
に気付きました。二ヶ月前の出張での印象とは完全に異なりました。しかし、結局の
ところ、日本の不良債権問題と同様、欧州危機もコストを支払わねば帳尻をあわせる
ことはできないと考えます。ソブリンリスクの収束のためには、必ずコストが支払わ
れなければなりません。日本的な方法で欧州問題が解決されていくとすれば、欧州は
これから失われた10年に突入すると考えるべきなのではないかと思います。
さて、日本の場合ですが、失われた10年の間に、銀行はバランスシートの調整をし
てきました。当初はドラスティックなことができずにいたため、不良債権処理の過程
で、日債銀や長銀を破綻させてしまいましたが、少なくとも、その後、金融機関の健
全性、資本の状況や収益環境は一定の回復を見せました。リスクアセットの削減も行
われ、流動性も確保され、リスク管理体制の徹底、不良債権比率の低下など多くの成
果を達成してきました。
そして現在、日本の金融機関はグローバルにみても相対的な優位性が確保されてい
ます。自己資本比率は他国の銀行も高いですが、何より、流動性懸念が浮上しなかっ
たこと、それに伴い調達コストに変化がなかったことなどは、日本の金融機関が相対
的に優位である証拠と言えます。不良債権についてもよくコントロールされており、
かつ、日本の景況感も相対的にはましであること(もっともこれからリセッションシ
ナリオがスタートする可能性が高いですが)を踏まえれば、潜在的に不良債権化する
リスクは相対的に低いと言えます。欧州などはたとえ大きなショックがないにせよ、
これから長い間の低成長というコストを払い続けるのだとすれば、かなり長期にわ
たっての当然の帰結として、不良債権比率があがっていくことになるでしょう。日本
の金融機関がさらに優位性を発揮できる可能性も出てくるというわけです。
だからこそ、欧州金融機関のデレバレッジに際して、日本の金融機関は、リスクコ
ントロールに慎重になりながらも、投資をしています。航空機リースなどへの進出や
欧州金融機関のアジアや米国での保有資産の売却先として手を挙げていることが、ま
さにそれです。おりからの円高もあり、日本の金融機関が再びグローバルにプレゼン
スを高める時が来ていると見ることも可能でしょう。
こうした優位性を確保したのは他でもありません、失われた10年の間のバランス
シート調整が効いているからだと言えるのではないでしょうか。そのため、失われた
10年の間に、リカバリーできたものとして、金融機関の健全性はあげられると思いま
す。
BNPパリバ証券クレジット調査部長:中空麻奈
■ 金井伸郎 :外資系運用会社 企画・営業部門勤務
「年次別法人企業統計調査」は、わが国の営利法人等の決算計数をとりまとめたもの
ですが、全産業(金融業、保険業を除く)の付加価値合計は平成23年度(2012年3月
期)275兆円となっており、平成12年度(2001年3月期)277兆円に並ぶ水準となって
います。さらに経常利益では、平成23年度が45兆3千億円と、平成12年度の36兆9千億
円を上回っています。
その背景として、付加価値に占める営業利益の割合は平成12年度の8,7%から平成23
年度の10,8%へと拡大していることが指摘できます。このように営業利益率が2.1%
改善した要因としては、人件費の低下により0.6%、同じく支払い利息等の低下によ
り1.5%、租税公課の低下により0.6%、それぞれ寄与しています。一方で動産・不動
産貸借料の増加は0.6%の悪化要因となっています。
この動きは、いわゆる「3つの過剰」、雇用、設備、債務の過剰の解消の動きとも整
合しているように見えます。雇用の過剰の解消には、人員削減と併せて、正規から非
正規雇用への転換によってまかなわれた面もあるでしょう。また、実際には負債全体
の規模では横這いですが、支払い利息等の削減には低金利の恩恵が大きいと考えられ
ます。さらに、動産・不動産貸借料の増加は、固定資産の規模が縮小していることと
併せてみますと、保有する事業用資産を売却し、そのまま貸借物件として借用する
リースバックの活用も背景にあると考えられます。これは、過剰設備の解消あるいは
不良資産の処分の過程での動きと捉えられます。一例としては、資産処分に伴う損失
の発生を保有資産の売却による益出しで相殺する、といった動きです。
この「3つの過剰」については、「経済白書」の1999年版で指摘され、同じく2005年
版で解消が宣言されています。
とはいえ、「失われた10年」で完結しなかった課題も残されています。例えば、同じ
法人企業統計調査でみても、全産業(金融業、保険業を除く)の売上高は平成12年度
1,435兆円から、リーマン・ショック前の平成19年度(2007年3月期)に1,580兆円と
ピークをつた後、平成23年度では1,381兆円に留まっています。デフレという要因も
無視できませんが、経済全体として新たな需要や成長分野を見いだせていない、とい
う問題がありそうです。
従業員一人当たりの付加価値についても、平成13年度との比較では約4%低下してい
ます。欧州では、2000年代にドイツはバブルを謳歌した南欧諸国とは対照的にデフレ
に苦しみ、ドイツの勤労者も低い賃上げ率を余儀なくされていました。結果としては
単位労働コストの低下を受けてドイツ産業の相対的な競争力は強化され、欧州内での
圧倒的な経済的地位を確立しました。しかし、日本では同様にデフレと賃金の実質的
な低下という状況ながら、むしろ経済的な競争力は低下しました。その背景には、日
本の製造業が新たな成長分野への展開で出遅れたことや、非製造業の分野ではITの分
野での技術革新を生産性の改善や新たな事業機会として取り込めなかったこと、など
も指摘できるでしょう。
さらに、その深層としては、従業員一人当たりの付加価値が伸び悩んでいることに象
徴されるように、われわれ日本人の生産性、経済的な価値を生み出すスキルが向上し
ていない、という根源的な問題があると思います。本来はこうした問題を「日本人」
というフレームワークで論じることには是非があるかもしれません。しかし、若年層
が良い就業機会に恵まれず、職業人としてのスキルを身につける機会を失うことは、
社会として大きな損失ですし、平均値として見た「日本人」の生産性やスキルの低下
につながっていることは否定できません。これは、優秀な人材についての、海外から
の流入と海外への流出という収支も影響してくる問題です。また、大学進学率の向上
の一方で、大学教育の質の低下についての議論もあります。
しかしながら、「日本人」というフレームワークでの議論から離れ、謙虚に振り返っ
てみて、自分自身の過去10年間での生産性や経済的な価値を生み出すスキルでの成長
があったのか、あるいは「失われた10年」であったのか、は厳しく問われなければな
らない点です。
外資系運用会社 企画・営業部門勤務:金井伸郎
■ 北野一 :JPモルガン証券日本株ストラテジスト
日本銀行の白川総裁は、2010年10月10日に行われた講演で、次のように仰いました。
「日本は1990年代初にバブルが崩壊し、本格回復に向かったのは2003年以降のことで
す。それまでの間、「失われた10年」の中で、2回の景気回復と3回の景気後退を経験
していますが、回復の動きが広がる都度、景気の本格回復が始まったのではないかと
いう期待が高まりました」。
ここで注目したいのは、2003年以降の景気回復を白川総裁が「本格回復」と捉えてい
ることです。白川総裁的には、10年は失ったものの、20年は失っていないということ
になるのでしょう。あくまでも景気循環という文脈においては、その通りではないで
しょうか。むろん、2008年のリーマンショック以降、日本も激しい景気後退に見舞わ
れましたが、これは外生的なショックによるものです。日本が20年失ったように見え
るのは、アメリカが日本の失われた10年に続いて、ITバブル崩壊後に10年を失ったか
らでしょう。私たちは、自分の責任において10年を失い、アメリカの巻き添えになっ
てさらに10年を失ったのだと思います。
では、今のアメリカの景気はどのような状況にあるのでしょうか。白川総裁は、「消
費者物価上昇率について、バブル崩壊後の日本と2007年以降の米国のグラフを重ねる
と、両者は驚くほど似ています」と前述の講演で指摘しておられました。要するに、
アメリカは本格回復には、ほど遠いということです。ただ、私はこの見方には反対で、
2009年以降のアメリカの景気回復は、2003年の日本と同様に、「本格回復」なのだと
思います。したがって、これから中国が新たに10年を失うといったことでもあれば別
ですが、基本的には、景気拡張局面は持続すると考えております。
ところで、我々は何かを失えば、その原因を探り、反省し、二度と同じ過ちを犯さな
いように自分たちの行いを改めます。それが、「構造改革」と呼ばれたものの実体で
しょう。金融市場の側からみれば、この「構造改革」とは、すなわち1990年代の
「ROE(株主資本利益率)革命」であったと思います。これは、バブルを繰り返さな
いための知恵であり工夫です。
日本経済新聞で記事検索すると、1980年代に「ROE」という言葉を含む記事は約90件
でしたが、1990年代にはこれが2000件を超えました。我々は、「失われた10年」のな
かで、「ROE」という言葉と概念を得たことになります。その結果、企業経営に資本
効率という規律が持ち込まれるようになりました。資本効率を意識すれば、バブル時
代のような脇の甘い無謀な投資を事前にチェックすることが可能になります。その意
味で、「リカバリー」出来たのは、経営の規律です。
しかし、ここで注意しなければならないのは、「ROE」という言葉を得たことで、全
ての問題が解決されるわけではないということです。高熱に冒されているときには、
解熱剤は効くでしょうが、体温が36度まで下がると、誰もそんな薬は飲まないでしょ
う。日本経済の最大の課題が供給過剰であるなら、「ROE」という経営指標は有用で
す。しかし、我々の問題が需要不足なら、「ROE」に固執することによってむしろ病
状をより悪化させる懸念があります。
「ROE」を改善させるために、いくつかの手段がありますが、多くの投資家が企業に
望んでいるのは、売上高純利益率の改善です。ちょっと頭のなかに、パイチャートを
思い浮かべてください。パイの大きさは売上高です。この売上高が変わらないという
前提で、利益率を高めるということは、それ以外の売上原価や人件費や利払費という
項目を減らすことになります。要するに、下請けをいじめて、従業員に泣いてもらい、
債権者にも我慢を強いて、政府には税金を払わないということです。それで、パイが
大きくなればいいのですが、そんなことは、現実には起こりませんでした。
パイが大きくならないということは、経済活動の停滞がずっと続いているということ
です。デフレも終わりません。我々は、バブル経済への反省から、失われた10年の間
にROEという言葉を得たように、デフレ経済への反省から、別の言葉と概念を得る必
要があるでしょう。それは「脱ROE」的なものになるはずです。たまたま、10月29日
の日本経済新聞の「経営の視点」というコラムに、三菱重工の取り組みが紹介されて
おりました。「株主重視にも従業員重視にも、ともに合理的な理由がある。三菱重工
は対立関係にあるとされてきた資本主義と人本主義の二兎を追う実験に入った」と。
要するに、三菱重工の実験とは、あらゆるステークホルダーの満足度を高めるような
経営を模索するということです。これは、パイそのものを大きくすることにほかなり
ません。こうした「脱ROE革命」は、まだ緒についたばかりですが、追加的に失われ
た10年に我々が得るべきものがあるとすれば、これではないでしょうか。そして「リ
カバー」すべきは経済成長です。
自分の宣伝になって恐縮ですが、11月6日に講談社より「デフレの真犯人 脱ROE〔株
主資本利益率〕で甦る日本」という本を上梓致します。詳しくは、この本をお読み頂
ければと思います。
JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一
■ 水牛健太郎 :経済評論家
失われた10年をだいたい1992年ごろから2001年ごろまで、その後の10年を2002年ご
ろから2011年ごろまでとして、この2つの「10年」の内実は大きく違っています。
失われた10年を特徴づけるのは不良債権が処理されず残り続けたことであり、それ
が経済の足を引っ張りました。一方、その後の10年は不良債権の処理が軌道に乗り、
ついにはこの問題を過去のものとすることができました。現在、日本の金融システム
は盤石と言ってよいものとなっています。
不良債権の問題は解決したものの、それに先立つ1997年ごろにアジア通貨危機と連
動して深刻な金融危機が発生したのをきっかけに、経済はデフレの様相を呈するよう
になり、2つ目の「10年」も低成長が続きました。一方、アジア通貨危機の克服後、
アジア諸国の経済成長はいよいよ目覚ましいものとなり、2つ目の「10年」の間に日
本経済とアジア経済の一体化が急速に進みました。日本経済の需要と供給の両方が物
価水準の低いアジアの影響を受けるようになったことが、デフレ継続の大きな原因の
一つとみられます。
この時期の日本経済は、円ベースでは低成長になるものの、デフレの進行のため、
ドルベースでは堅実な成長を遂げています。これは明らかにアジア経済との一体化の
果実と言えます。日本企業は韓国や中国の企業との厳しい競争にさらされていますが、
その一方で円の強さを利用して海外で積極的にM&Aを展開するなど、存在感を発揮
しています。
バブル崩壊以後の低成長時代をまとめて「失われた20年」と言うこともありますが、
その実態は「不良債権」と「デフレ」という2段式ロケットのようなものでした。2つ
目の「10年」はデフレに悩まされながらも、アジア経済との一体化を通じて大きな成
果もあった時期であり、キャッチフレーズを付けるならば、最初の10年は「不良債権
の10年」、次の10年は「アジアの10年」と言うことができると思います。
経済を巡る状況はここへきてまた大きな変化を見せています。反日デモに端を発し
た中国との関係の冷却化が経済にまで大きな影響を及ぼしています。もともと中国は
高度成長が限界に達し、成長が鈍化する時期を迎えていたこともあり、日本企業は今
後、中国と距離を取っていかざるを得ません。少なくとも、これまでの10年のような
緊密な関係は難しくなるでしょう。しかし市場規模、成長率等から言って中国の完全
な代替になる国は存在せず、結局、海外との関わりそのものを減らしていくことにな
りそうです。
しかし、国内市場は2005年以来人口が減少し、縮小しています。人口の減少傾向も
デフレの原因の一つと見られています。これを「解決」する方法は大規模な移民の受
け入れなのですが、これまた国内の政治情勢から言ってほぼ不可能という状況です。
「不良債権の10年」「アジアの10年」に続く時代がどんな10年になるのかはまだわか
りませんが、外需、内需ともに多くを期待できない状況の中で、かなり厳しいものに
なるかもしれません。
考えてみれば、日本社会にはまだまだ多くの問題があります。女性の地位向上・社
会進出の遅れ、子育て環境の不備、労働時間の長さ、非正規労働者の差別的待遇など
で、これらはすべて絡み合っています。これらの問題の解決は、少子化を防ぐために
も欠かせないものです。アジア近隣諸国との関係が冷え込み、移民の受け入れも難し
い状況であれば、これらの問題の解決にこれまで以上に真剣に取り組み、日本の人口
を再び増加基調に乗せることが、経済的な観点からも重要になってくると思います。
経済評論家:水牛健太郎
■ 真壁昭夫 :信州大学経済学部教授
「失われた20年」
“失われた10年”、あるいは“失われた20年”を考える時、それらの失われた
時期の出発点を、恐らく、1990年からと見るのが一般的かと思います。株価の推
移を見ても、1989年末に当時の日経平均株価が約3万9千円まで上昇した後、1
990年の年初以降、下落傾向が続いており、現在の株価は約9千円とピーク時の約
4分の一のレベルにあります。
また、物価水準の変化を勘案しない名目ベースのGDPは、1991年から今日に
至るまで殆ど増えていません。私たちが受け取る給与所得の水準も、その間、殆ど上
がっていない状況が続いています。それに加えて、1980年代、“世界の工場”と
して世界市場を席巻したわが国企業の半導体や電気製品などのシェアは、韓国や台湾
企業などの追い上げにあって大きく落ちこんでいます。
そうした経済状況を反映して、企業経営者も、事業拡大よりも守りの経営に徹する
姿勢が多くなっていると言われています。最近では、「わが国経済の復活は考え難く、
さらに長期低迷が続く」と考える人も多いようです。その意味では、“失われた10
年”よりも“失われた20年”の方が状況に適合した表現と言えるかもしれません。
ただ、過去20年の間に、わが国経済に大きな変化が生じていることを忘れてはな
らないでしょう。一つは、バブル崩壊に伴う大規模な不良債権処理を終えていること
です。大きなバブルが壊れると、必ず多額の不良債権が発生します。不良債権は、様
々なルートを通って必ず金融機関に集まってきます。金融機関はその不良債権の重み
に耐えねばなりませんが、どうしても耐えられなくなると、金融機関は破たんするこ
とになります。
それは、金融機関のバランスシート調整の最終局面です。わが国のケースでは、1
997年11月に起きました。北海道拓殖銀行、山一証券などが破たんした時です。
その時点から、わが国の金融機関は多額の不良債権処理に腐心し、公的資金の注入な
どの支援を受けることになりました。そして、2002年3月期の決算までに、おお
よその処理の目途が付いたと思います。
一方、一般企業でもバブルの後始末が必要になります。過剰債務、過剰設備、過剰
人員の整理が必要になるからです。わが国では、大企業中心に終身雇用制が一般的で
あったこともあり、人員整理には多くの時間を要しました。しかし、2000年代中
盤からの世界的な不動産バブル発生に伴い、世界経済が堅調な展開を示したこともあ
り、オリンパスのような一部の例外を除いて、主要企業はバブルの後始末であるス
トック調整を終えていると考えられます。
2000年代中盤の世界的な不動産バブルを謳歌した欧米諸国では、現在、そのバ
ブルの後始末をしている段階です。米国のバランスシート調整の最終局面は、200
8年9月のリーマンショックからと見ることができるでしょう。また、欧州では、フ
ランスとベルギーのデクシアが破たんしたのは昨年秋のことでした。スペインのバン
キアが事実上破たんしたのは今年に入ってからです。大手金融機関の破たんをバラン
スシート調整の最終局面の始まりと見ると、欧米諸国では、不動産バブルの後始末が
終了するまでには、もう少し時間が掛かることでしょう。
わが国のケースでは、2000年代の前半にバブルの後始末が大方終ったため、金
融機関や一般企業の業績は相応の回復を示しています。それにも拘わらず、経済活動
全般に活性感がないのは、一つには、80年代後半のバブルの時期と比較してしまう
ことがあるのではないでしょうか。また、わが国や世界経済の構造的な変化に、企業
やわれわれが十分について行っていないこともあると思います。
わが国経済は、少子高齢化の影響もあり既に安定成長期に入っています。また、韓
国・台湾企業などの急成長に対し、特に組み立て=アッセンブリー型の産業分野では、
人件費の高いわが国では劣勢は免れないと思います。わが国企業は、そうした環境変
化に迅速に対応できる戦略を考えることが必要です。
信州大学経済学部教授:真壁昭夫
■■ 編集長から(寄稿家のみなさんへ)■■
Q:1284への回答、ありがとうございました。また例年通り、キューバウィー
クがはじまります。5日月曜に、タニアとハイラという2大スターをはじめとして、
キューバ人ミュージシャンが来日し、レコーディングをして、クローズドなコンサー
トがあり、そして9日金曜夜、品川ステラボールの公演でハイライトを迎えます。
90年代初頭、はじめてキューバを訪れたわたしは、その音楽の質の高さに唖然とし
ました。ただのラテン音楽ではなく、民族音楽でもなく、アメリカ合衆国のブラック
ミュージック(ブルースからジャズ、そしてヒップホップまで)と同様に、体系とし
ての音楽があったからです。
NG・ラ・バンダという、当時人気絶頂だったオルケスタの演奏技術にびっくりして、
何となく成り行きで、日本に招聘することにしました。たぶん1992年だったと思いま
す。あれからずいぶんと時が流れ、招聘するオルケスタや歌手も変わりました。率直
に言って、コンサートのプロデュースは、面倒なことも多く、大変です。
2001年には、911があり、キューバ人ミュージシャンたちは、アメリカ合衆国での
トランジットをいやがり、急に、来日をキャンセルすると伝えてきました。わたしは、
コンサート直前になって、深夜、キューバ文化省に電話をしました。当時のキューバ
の電話事情は最悪で、10数回目に何とか電話がつながり、知っている限りのスペイン
語と、ときおり英語もまじえて交渉し、なんとか来日にこぎつけました。そういった
ことは、「今となってはいい思い出」などではありません。心の底から面倒で、もう
2度とやりたくないことです。
でも、キューバ音楽に飽きることは、絶対にありません。「ビートにおけるシンコ
ペーション」という1つのポイントだけをとっても、キューバ音楽は唯一無二です。
他に代わるものがないのです。
http://www.ryumurakami.com/rcn/
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■今回の質問【Q:1285(番外編)】
金井さんの回答にありましたが、ドイツは2000年代、今の日本と同じようにデフレ
に苦しみ、労働者も低い賃上げ率を受け入れざるを得なかったようです。しかし、そ
の結果として労働コストの低下があり、ドイツ産業の相対的な競争力は強化され、欧
州内での圧倒的な経済的地位を確保したのだそうです。みなさんは、どうお考えで
しょうか。ドイツは、日本と何が違ったのでしょうか。
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村上龍
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■ 真壁昭夫 :信州大学経済学部教授
「ドイツの労働市場改革」
ドイツは、1989年のベルリンの壁崩壊以降、90年の東西ドイツの統合という
一大イベントを経ています。その点に関しては、わが国とかなり事情が違っていると
思います。第二次世界大戦の後、西ドイツは自由主義圏、東ドイツは共産主義圏に属
する格好で、互いに大きく異なった政治体制の下で経済活動を行っていました。二つ
の国を、短期間に統合するのは口で言う程容易なことではなかったはずです。
統合前の東西ドイツの状況を振り返ると、西ドイツは既に強力な企業群を持ち、西
側自由主義社会の優等生の一つと言われる状態でした。一方、東ドイツは共産党体制
の下で、経済活動の低迷に苦しむ状況でした。1990年、その二つの国を統合した
わけですから、当初はかなり大きな混乱があったと考えられます。
特に、購買力が大きく異なる、西ドイツマルクと東ドイツマルクを1対1で交換し
たことは、一時的にドイツ国内にのみならず、金融市場全体にも大きな影響を与えま
した。当時、ドイツマルクの統合によって、金融市場でドイツマルクが一時的に大き
く振れ、不安定な状況になったため、西ドイツ国債の市場が大きく混乱したことを記
憶しています。
統合に係る特需の後、ドイツ経済は低迷期に入ります。東ドイツの経済は、元々、
共産主義体制にあったこともあり、効率が悪く競争力も劣後していたため、企業の倒
産や廃業が続き、ドイツ全体の失業率が上昇しました。
そのため、当時のシュレーダー政権にとって、最も重要な政策目標の一つは雇用を
安定させることだったと言われています。雇用を安定させるためにシュレーダー政権
は、労働市場の改革に積極的に取り組むことになります。この時の政策の基礎となっ
たのが、ハルツ委員会から提出された報告書でした。ドイツ政府が実施した労働市場
の改革は、その報告書の名前を採って“ハルツ改革”と呼ばれることが多いようです。
“ハルツ改革”は、何回かに亘って実行されましたが、基本的な理念は、労働市場の
規制をある程度改革して、雇用機会を増やすことが念頭に置かれていました。そのた
め、解雇規制の一部が改正されたり、雇用エージェンシーの創設などが行われました。
“ハルツ改革”の最終的な功罪については、労働経済学の専門家の研究に任せるとし
て、実際、“ハルツ改革”によって、それまでかなり硬直的であったドイツの労働市
場に柔軟性の余地ができたことは間違いないと思います。そうした労働市場の改革は、
ドイツ経済の競争力を強化した一つの要素だったと考えられます。
昔、ドイツ経済の研究者と話をした時、彼は、「一時期、ヨーロッパのお荷物とさ
え言われたドイツ経済が力を着けた背景には、“ハルツ改革”の意味を見逃せない」
と指摘していたことを鮮明に記憶しています。ドイツは90年の祖国統一という一大
事業をなし得た後、失業という大問題を解決するために、労働者を含めた社会全体で
そのコストを負担するという意識ができたのではないでしょうか。
2010年のギリシャに端を発したユーロ圏の信用不安問題が、依然としてくす
ぶっています。そうした状況下、ドイツの世論が南欧諸国に厳しい一つの要因は、ド
イツ国民が痛みを伴う労働市場の改革のプロセスを経て、今日の繁栄を築いてきたと
いう自負があるのかもしれません。
信州大学経済学部教授:真壁昭夫
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