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なぜ仕事しない社員が高い給料をもらうのか
城繁幸氏・岩瀬大輔氏 対談(上)
2012/10/30 6:30日本経済新聞 電子版
高度成長時代には合理的に機能していた日本企業の「年功序列制度」「終身雇用制度」が根本から揺らいでいます。特に、仕事の実力や成果よりも年功で評価される年功序列制度は、組織の新陳代謝を弱め、若い世代の閉塞感につながっているという指摘があります。では、何をどう改めるべきなのでしょうか。人事コンサルタントの城繁幸氏とライフネット生命保険副社長の岩瀬大輔氏が、新しい時代の仕事のあり方を語り合います。
人事コンサルタントの城繁幸氏(右)とライフネット生命保険副社長の岩瀬大輔氏(左)
■課長ポストは食い尽くされている
――会社で正規雇用と非正規雇用の間で待遇に差がつけられたり、正社員でも会社の将来に不安を抱える若手がいる一方で、高い給料をもらいながら働かないベテランがいたりといった不満があります。
城 そういう話はどんな会社からも聞きますね。通常の3倍くらいの採用が行われたバブル期入社の世代が40代半ばになって、組織の中で滞留してしまっているんです。課長職への登用といった幹部候補選抜は40歳前後で行われるのが常ですけれども、すでに課長ポストが食いつくされてしまっていて、バブル世代でもあぶれる人が出ている。「これって一体どうなんだ」という声は、30代後半くらいの団塊ジュニアあたりからはよく聞きますし、おそらく20代も同じようなことを感じていると思います。
岩瀬 僕の場合は、そういった話は身近なところでは聞いたことがないんです。というのは、外資系に勤めていたので、「働かない人材」がいなかったんですよ。仕事ができない人はどんどん辞めてしまうんですよね。そういう合理的な世界で働いてきたので、城さんのコラムなどで日本企業が抱える問題について読むと、「それは日本の会社は弱いよな、負けるよな」という感覚を持ちますね。
■名選手でなければ名監督にはなれない?
――高度成長時代に合理的だった大企業の終身雇用システムが、低成長時代になっても変えられないのが原因ではありませんか。
岩瀬 問題は終身雇用よりも年功序列にあるのかなという感覚があります。会社の立場からすると社員を大事にしたいですし、会社というコミュニティーが社会で果たしていく役割はこれからも必要だと思うんですね。だから、1つの会社でずっと働けることが、ある程度権利として認められるのは、必ずしもいけないことだとは思いません。ただし社会全体としての新陳代謝は必要ですから、社会における企業、企業における人も、ある程度の出入りはあったほうがいい。その意味でも、年功よりも仕事の結果や成果など実力で評価されるほうがいいと思います。
日本の会社では、平社員、係長、課長、部長、役員、社長という順に役職を務めます。社長は全役職の経験者で、今の課長は今の係長よりも「係長」が得意なわけです。だから、上司は部下よりも人格的にも能力的にも優れているという前提で、上司を全面的に尊敬しなければいけない感覚になってしまいます。一方、欧米の会社の場合は、役職は単なるファンクション(機能)です。だから社外の人が、いきなりマネジャーとして会社に入ってきても、受け入れられます。
僕は36歳で、小さなネットの生命保険会社の副社長をしています。社員の平均年齢は36、37歳ですから、ちょうど年齢としては真ん中です。僕は生命保険の仕事も、ネットの仕事もしたことがないので、特に専門性があるわけでもありません。ただ役割分担として副社長を務めているにすぎないんです。
たとえばプロサッカーチームの監督は、プロ選手として活躍した経験がなくても務めるケースはあるし、アメリカのメジャー球団であれば、若い人でもゼネラルマネジャー(GM)を担当できる。ところが日本のプロ野球などは、名選手でなければ名監督になれないといった風潮があって、そういうものが日本の雇用の仕組みの源泉になっている気がするんですよね。
■日本企業も複線型キャリアの導入を
城 まったく同感です。たとえば、ボストン・レッドソックスとか、ヤンキースなどは20代のGMを起用するケースもあります。一方、日本では、少し前に巨人が星野仙一さんを監督にしようとしたら、OBが反対したというんですね。その理由が、「星野さんは中日出身だから、監督ポストを巨人OB以外に流出させるな」ということだったらしいんです。過去に功績があった人間が監督に就いて、ヘッドコーチその他もOBから選ぶのがあるべき姿であると。それで話が流れてしまった。これが日本の体質ですよ。マネジャーが機能ではなくて名誉職になっているんです。
いろいろな中小企業の経営者の方に、「日産の最高経営責任者(CEO)のカルロス・ゴーンさんは、ルノーに新人として入って、ほどなく工場長になった」という話をします。すると、「そんなよそからきたわけのわからないやつにポストをやったら、社内秩序が崩壊してしまうだろう」とおっしゃる。
それに対しては、「20代であっても、あるいは社外からスカウトしてきた人であっても、優秀だという見込みがあれば、まずは役職を任せてみてはどうですか」と提案しています。それでも、「それはわかった。ただし、いきなり大金を払うわけにはいかないだろう」という話になってしまうんです。
多くの日本企業では、社内の序列に比例して報酬が上がるという単線のキャリア制度しかありません。だから現場で結果を出せる人であれば、マネジャーでなくても高い報酬を出せるような複線型キャリアとするような組織改革をすれば、組織に多様性が生まれます。
■会社を変えるにはまずトップから
岩瀬 アメリカだって、IBMについての昔の文献などを読むと、従業員みんなで朝は体操したりしていて、日本と一緒なんですよ。社員がロイヤリティー(忠誠心)を尽くしたり、福利厚生を充実させたり。これまでの日本企業のやり方も、大きな集団を1つの決まった方向へ動かしていくためとしては間違っていなかったわけですから、一概に否定するつもりはありません。
経営者の気持ちとしては、やはり社員に長く会社にいてほしいし、長くいてくれる人に報いたい気持ちもあります。ただし理屈の上では、報酬は在籍年数ではなくて、果たしている機能、仕事に対して支払われるものです。長く会社にいても、同じ仕事しかしていないのであれば、本来給料は上がらないはずですから。現在のように、同じことをより良くやることではなくて、既存のものを壊し新しいものを生み出すことが求められる時代において、これまでの会社のやり方は変えなければいけないと思いますね。
そして会社を変えるには、トップが変わらなければいけない。社長がサラリーマンの「あがりのポジション」である限りにおいては会社は絶対変わりません。では、なぜトップが変われないかというと、日本の経営者は、資本市場からのプレッシャーにさらされていないからなんですよね。社長にとって頭が上がらない存在っていうと、会長や顧問といった人たちだけになってしまう。実力あるトップ、成果を出せるトップを株主が選べるようになれば、会社全体が変わる。
■終身雇用は「社会保障の民営化」
城 でも僕は、日本の会社も変わりつつあると思っています。資本市場も変わって、会社同士の株式の持ち合いも崩れてきていますしね。僕の場合、変わらなきゃいけないのは国民の意識だと思うんです。ほかの国より40年くらい遅れている。
たとえば、今でも階級闘争の思考をする人がいる。「法人税を下げなければ」と言うと、「会社を肥え太らせてどうするんだ」という反論がくる。会社が太ったとしても、そのぶんは株主か従業員にいくだけなんですが。突き詰めていくと、会社という共同体が、従業員すべての面倒を見るべきだという考え方なんです。終身雇用なんて「社会保障の民営化」でしかありません。困っている人は、国が面倒を見るべきなんです。その上で、国がどこまで面倒を見るか、つまり大きな政府か、小さな政府かという議論をすべきでしょう。
それなのに、企業がきちんと従業員の面倒を見るべきだという議論で止まっちゃっている。そうなると政治も動きにくいし、企業の側も、たとえば金融機関が企業に対して「もっとリストラしろ」とも言いづらくなる。労働組合はもちろん頑固になる。だから国民の意識が変わるのがいちばんのキーかなという気がしていますね。
■労働組合員にストックオプションを
岩瀬 企業の(国際的な)競争力強化のために何が必要かというと、たとえば法人税の減税や、雇用コストを下げることだと思うんです。実質雇用コストを下げるというのは、たとえば会社に合わない人であれば、解雇しやすくするということもありうるわけです。雇用の流動性を高めることも、本来はいいことなのに、「それは企業優遇だ」となってしまいます。
これは1つのアイデアですが、労働組合員などにストックオプション(自社株を購入する権利)を強制的に持たせればいいんじゃないかと思うんです。そうすると株価が上がれば、みんな喜びますから。「時価総額経営」となると、文句を言われるじゃないですか。
アメリカでは、国民みんなが株主なんですよ。多くの人が、いろいろなかたちで資本市場に参加している、あるいは報酬の一部が株式形態になっています。だから組合員をはじめ、ストックオプションを相当に与えれば、みんなが時価総額を上げるように一生懸命考え、うまくいけば株主に還元されるようになる。
僕は海外に出る機会が多いので、日本がダメだってあまり言いたくない面はあります。アメリカだって、ヨーロッパだって政治はメチャクチャだなっていう印象がありますし。だから日本国民の意識が外国に比べて低いとも言い切りたくなくて、やっぱり人間って、どこの国でも、基本は自分のことが大事だし、短期的にものを考えます。だから政府は、社会の仕組みを長期的に考えるとか、国民ができないことをやらなければいけない。
――雇用市場の流動性を進めるといっても、解雇の条件が厳しすぎるという話を聞きます。
■解雇の条件は緩和したほうがいい
城 企業の経営が苦しくなったときに、従業員を解雇する整理解雇は、就業規則にない事由の解雇ですから、ある程度条件を厳しくしなければいけません。ただし、普通の解雇の条件はもっと緩和すべきだと思いますね。たとえば、会社にとって必要のない人にはなにがしかの金銭を払って解雇できるような金銭解雇は認めるようなかたちにしないと。
岩瀬 会社を経営していると、ルールが一律に適用されるのがよくないと実感します。たとえば、労働基準監督署の指導が厳しいから、従業員に残業をさせられないといったこともあります。過度に政府が個人の働き方に介入しすぎている気がするんですね。もちろんそうしないと強制的に残業させるような会社もあるから、強行法規にしている部分もあるとは思うんですが、多様な働き方に対応しづらいですよね。
僕らベンチャー企業は、将来世界で戦っていきたい。会社のみんなも仕事が面白くて仕方がないから働きたい。でも僕は、「残業するな、早く帰れ」って言わなければなりません。中には、もっと働いて残業代を稼ぎたいという人もいるかもしれないし、お金には関係なく、いい仕事をしたい、早くいいサービスを世に出したいと思って働きたい人たちもいるはずです。
もちろん健康を害するような働き方はいけませんが、それを守るにはまた別の仕組みでやるべきで、企業の競争力を高めるという面では、労働のルールが、間違った方向を向いているように思います。日本の経済をもっと活性化しなければいけないという現在の状況には合っていない面が多いのではないかと、日々感じています。
(撮影 有光浩治)
▼城繁幸氏(じょう・しげゆき) 1973年生まれ。97年東京大学法学部卒業、富士通入社。2004年に退職し、『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』を出版、以後、人事コンサルタントとして活躍。コンサルティング会社「Joe’s Labo」代表。著書に『日本型「成果主義」の可能性』『若者はなぜ3年で辞めるのか?』『7割は課長にさえなれません』『世代間格差ってなんだ』等。
▼岩瀬大輔氏(いわせ・だいすけ) 1976年埼玉県生まれ。98年東京大学法学部卒業。2006年ハーバード大経営学修士。外資系コンサルティング会社などを経て、現在ライフネット生命保険副社長。著書に『ハーバードMBA留学記』『生命保険のカラクリ』『入社1年目の教科書』『入社10年目の羅針盤』など多数。
[日経プレミアPLUS Vol.1の記事を基に再構成]
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO47770110X21C12A0000000/
「ネット予備校」が広げる教員格差
人気集中が招く画一化
2012年11月2日(金) 中川 雅之
suffice、serene、connote。
パソコン画面に表示された動画の中で、チョークを手にした講師が黒板にリズムよく英単語を書き付けていく。口調は歯切れがいい。「語尾にeがある場合は、子音の前が長母音になります。この法則を知っていれば、初めて見た単語でも、どう発音するか判ります」。
リクルートマーケティングパートナーズは10月、大学受験生向けの講義映像をインターネットで配信する「ネット予備校」事業を始めた。価格はおおむね1講座5000円。1講座は60分の講義10回分で、大手予備校の標準と比べて4分の1程度に抑えた。
サービス名は「受験サプリ」。同事業の松尾慎治編集長は「経済的な理由などで、予備校に通いたくても通えない学生に利用してもらいたい」と語る。
講義の映像はパソコンのほか、スマートフォンやタブレットなどでも見ることができ、近くにいい予備校がないという地方の学生に、首都圏の予備校で腕を磨いた講師の授業を受けてもらえるようにするのも狙いの1つだという。
伸びる「映像授業」
同社は英・数の2教科に限られている講座を、来春にも10前後に拡大し、サービスを本格展開していく方針だ。映像で講義を受けるという、こういったビジネスは今、急速に予備校業界に広がっている。
学習塾大手のナガセでは人気講師の講義をネット配信する「東進ハイスクール」などが好調で、高校生部門の生徒数が9万人弱と、2011年度に1割増加。セグメント別利益も前期比4割増の67億円だった。河合塾グループで、映像での授業を中心に手がける河合塾マナビスは、11年度の生徒数が1万4000人と1年前から3割増えた。
映像配信のコスト低減や、携帯しやすい電子機器の普及で、ビジネスを展開する素地が整ってきた。それに加えて少子化や景気低迷で学生の「現役志向」が強まっていることで、自分の都合に合わせて受けたい講師の講義を受けられるという映像のメリットが、生徒に支持されやすくなっている。
予備校側の事情もある。
「代ゼミサテライン予備校」の名称で講義の衛星中継をしている代々木ゼミナールでは、「中継授業の場合、最大で10万人弱の生徒が同一の講義を見ることができる」という。1つの教室に入る生徒だけを対象にするのと比べ、映像を使えば1人の講師が遥かに多くの生徒を相手にできる。
授業風景を生中継するのではなく、専用の映像を制作する場合、効率はさらに高まる。撮影などの手間がかかるため、通常の講義と比べ映像授業の制作コストは倍以上かかるという。だが生の授業と映像の受講料が同じだとすれば、倍の受講者数を集められれば収支は合う。同じ映像を複数年使いつづければ、損益分岐点はさらに下がることになる。
少子化の影響を直接受ける教育産業では、経営の効率化は至上命題と言える。講師らの給与をはじめとする人件費は、予備校にとって最大のコスト要因。映像化した教材の活用は、コスト削減の1つの有力な手段となりうる。リクルートが1講座5000円という破格で事業を展開できるのも、校舎などの運営費用がなく、人件費も抑えられるからだ。
映像授業がすぐに、従来通りの生身の授業にとって代わるわけではない。だが、アナログからデジタルへという社会全体の流れのなかで、映像教材の存在感は今後も高まると考えられる。
減少する講師のイス
一方で、1人の講師が多くの生徒を受け持てる映像授業が広がることは、看板講師への生徒の集中を進めることにもつながる。映像化によって講義の定員や地理的な問題が解消されれば、人気講師の授業を受けられない大勢の生徒らの受け皿となっていた講師は、その活躍の場が狭まる。
代々木ゼミナールでは、10年前と比べて講師の数は約2割減った。別の大手予備校関係者は「担当のコマを奪われた都内の講師が地方の予備校へ移ったり、大手予備校が講師の採用を絞ったりといった影響は既に出ている」と明かす。
「大手予備校での指導実績が豊富な実力派講師陣」
地方の予備校のホームページを覗くと、同じような謳い文句がそこかしこで見られる。大手予備校の講師採用試験の合格率は数%程度とされ、そこでの実績は数値で実力を評価しにくい講師の職にあって、数少ない有力な基準となる。そのため、激戦地である東京都内の校舎から“都落ち”した講師が、地方で生徒を集めるためにその実績を喧伝するケースなどが増えているのだという。
映像授業を手がける大手予備校の多くは「映像化しても、質問に対応する体制やテストの作成・採点などの人員は必要で、極端な削減にはつながらない」とする。だが教壇に立つチャンスが減れば、中堅以下のレベルの講師はおのずと腕を磨きにくくなる。長期的な視点で見れば、既存のトップ講師に人気がさらに集中することは考えられる。
高まる「画一化」の懸念
看板講師の影響力が強まれば強まるだけ、事業者側はその確保に神経を注ぎ、手厚い待遇を用意する必要にも迫られる。
リクルートは今回のサービス開始にあたり、「秀英予備校」で教壇に立っていた2人の講師を迎えた。2人はもともと秀英では社員の立場であったため、歩合制の他の講師などと比べ、生徒からの人気があっても待遇面などが限られる状況にあったという。
予備校にとって「他では受けられない優れた講義」は、何よりも重要な競争力だ。こういった状況が続けば、トップレベルの講師の囲い込みや引き抜きは、従来以上に熱を帯びていくだろう。実力のある講師を揃えられなかった事業者は淘汰され、講師の間の格差が広がっていくことも考えられる。
入学試験の突破を目的とすれば、そのための優れたノウハウを持つ講師のところに生徒が集まるのは必然だ。北海道と沖縄県の学生が、同じ映像で学び、試験では同じ解法で問題を解くということが、これからは起こりやすくなるのかもしない。画一化を避けようとするのであれば、より多様な学生を受け入れるための新しい選抜方法も必要になる。
著者プロフィール
中川 雅之(なかがわ・まさゆき)
日経ビジネス記者
このコラムについて
記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121030/238793/?ST=print
【第5回】 2012年11月2日 冨山和彦 [経営共創基盤(IGPI)代表取締役CEO]
常に「与党」の立場で考え、行動せよ
組織や集団の主流派にいる人間こそが、革命をなし得る。なぜなら、現状の課題や解決に向けた複雑さと、権力の使い方や限界をよく知っているからである。一見舌鋒鋭く批判ばかりして、自分は火の粉を被ろうとしない無責任野党は、問題の実態や責任ある立場で直面する矛盾を知らない。本気で改革やマネジメントをしたい人は、野党の批判など適当に聞き流し、常に与党に身を置かなくてはならない。
日本で反主流派が革命に成功するケースは殆どない
一般には、「革命は周縁から始まる」と言われる。大企業や大組織の中心にいて実権を握っている主流派は危機感が薄いため、革命を実行できるのは組織の周縁にいる非主流派だ、というわけだ。
しかし私に言わせれば、ある組織や集団の主流派にいる人間こそが革命をなし得る。なぜなら、主流派と呼ばれている人たちほど、このままの体制ではまずいことを実はいちばんよくわかっているからだ。主流派、言いかえれば与党的な立場にいるからこそ、権力の使い方や権力の怖さ、権力の限界もよく知っている。日本的革命というのは、得てしてその主流派の中にいて与党的に考え行動する人々から、体制内改革派が生まれて成し遂げられる場合が多い。
負け戦になっているかどうかは、組織の中心にいる人間がいちばんよくわかっている。明治維新を見ればわかるだろう。
あれは士族階級が起こした革命だが、結果として、士族階級そのものを解体してしまった。維新を主導した下級武士たちは幕藩体制に組み込まれながらも、このままの体制では日本はだめになる、欧米列強にやられてしまう、負け戦は間違いないと気づいていた。加えて、彼らはその藩の中では、まずは主流派になることで力を握り、その力で徳川幕藩体制を倒している。体制の一員でありながら、体制を否定するという強烈な矛盾の中で、維新の歯車を回していったのである。
日本では、主流派と反主流派が権力闘争をして、反主流が勝つことで体制が変わるケースは、あまりない。支配階級と被支配階級が分かりやすく階級闘争をして、被支配階級の革命軍が勝って体制が変わるというケースもない。
有史以降、大化の改新から源平の争い、南北朝時代、そして明治維新と、体制の転換の構図は複雑怪奇、どちらが守旧派でどちらが改革派か、コロコロ節操もなく入れ替わる世界だ。昨日まで尊王攘夷で、開国派の幕府を批判していた連中が、権力を握ったとたんに勤皇開国にコロッと変わってしまう。イデオロギーだの原理原則だのあったものではない。
さらに言えば、フランス革命のように市民階級が貴族階級を皆殺しにして権力を奪うような、直截な構図の革命は起きてこなかった、ということではないだろうか。武家階級が革命を起こしたからといって、貴族階級を皆殺しするわけではない。また、平氏も源氏も天皇の権威にエンドース(裏書き)された太政大臣とか征夷大将軍という肩書きで権力の正当性を主張しているだけであって、これは戦国時代を経て、江戸時代になっても変わらない。日本はそういう闘いを繰り返してきただけのことである。
日本で革命の契機となるのは、あいまいな空気のようなもの
実にムラ社会的、あいまいな人々の国なのだ。しかし、それでも江戸時代と明治期では、当時の西洋人がびっくりするほどのスピードで、まったく違う形の国家ができ上がってしまう。
これは企業経営でも同じで、会社が変わるとき、そこでイデオロギッシュなものがエンジンとなることは滅多にない。もっとあいまいな空気のようなもの、さらにはその背景にある個々人の実利と情緒、すなわち合理と情理が重なり合ったところにおいて空気が一変し、改革は付和雷同的に加速する。
この手の闘いにおいて、非主流、つまり野党的立場に身を置いていると情報が入ってこないから、戦局の全体像や根本的な問題点は見えてこない。それに非主流派というのは気楽なポジションで、主流派に向かって文句ばかり言っていればよい。リアルな政治、権力行使の現実というものを経験していないから、鍛えられていない。実戦に弱いのだ。
だから、組織改革をしたい、本当に組織をマネジメントしたいと思っている人は、先ほどの自民党清和会のケースのような潜在的なものも含めて、常に主流派、社内与党に身を置いていなければならない。
非主流派や野党は、文句ばかり言っていられる立場で、居心地も悪くない。責任は取らなくてよいし、好き勝手なことが言える。そういう人たちが、何かのきっかけで権力を握ってしまったらどうなるか。今の民主党がその最たる例である。
中間管理職でも野党癖が付いている人は多いが、この手の人材は、実践においては本当に使い物にならない。「上がわかっていない」「社長がだめだ」と批判ばかりしていて、自分は安全地帯にいて絶対に火の粉をかぶろうとしない。そういうやつには部下もついていかないから、業績も上げられない。
でも、そういう評論家タイプに限って、弁舌さわやかだったり、白黒ハッキリものを言ったりするから、周りの部下が「この人は本音で語れる人だ」とか「あの課長はほかの人とはちょっと違う」などと勘違いしてしまう。課長ぐらいのときに「改革派の旗手」と言われた人が、偉くなって上のポジションにいくとまったく冴えなくなるのは、このパターンである。いまの民主党と同じで、野党のときは威勢がいいことを言っていたのだけれど、与党になったら全然役に立たない。
そういう人が会社の中でも意外と多い。この手の野党タイプの人間は、他人のことを辛辣に批判するくせに、たまに自分が批判されるとそれこそムキになってピーピー、キャーキャー騒ぎ立てる。批判されるほど責任ある立場にいたことがないから、実は打たれ弱いのだ。だから権力者になると、急速に疲弊してしまう。
この点は繰り返しになるが、実社会で起こる現実の問題において、AとBの二元論で語れること、白か黒か単純に判断できることなどほとんどないと思ったほうがよい。難しい問題ほど従属変数が多くて、簡単には答えを出せない。もっと言えば、絶対的な解、みんながハッピーになれる答えは存在しないのである。
それを白か黒かで語るのは、無責任野党だからこそできることなのだ。責任与党というのは、常に矛盾にさらされている。Aという事業を止めると決めれば、必ずその事業に関わる利害関係者から批判される。だからといって、その事業を続けていてもやはり別の勢力から批判を受ける。八方美人で無責任なことは言っていられない。
野党の批判を聞き流す図太さを持て
本気で改革やマネジメントをしようと思う人は、野党の批判など適当に聞き逃す図太さがないとダメだ。批判のための批判にいちいち反応していたら、体が持たないのである。
さて、自分自身はどちらのタイプか、あるいは周りの上司や同僚、部下はどちらのタイプか、観察してみるとよい。リーダーを目指すなら、自分自身が与党・主流派タイプの人間であること、そして両者の見極め能力をもっていることが、人と組織を動かす時の基本要件である。
矛盾することを言うようだが、いざとなったら上司や社長とでも本気でやり合って、改革の志半ばで敗れたらクビにされてもやむなしと腹をくくれる覚悟も必要である。言わば、与党か死か、の覚悟である。そこで簡単に野党に回ったり、会社を飛び出して批判ばかりしていたら、結局は評論家と変わらない。
むしろ左遷されたときは野党化して騒ぎ立てるのではなく、少し離れた場所から与党の中の人々、実際に権力に関わっている人々の生態をじっと観察することだ。彼らがなにに突き動かされ、どこで躓くのか。
「自民党をぶっつぶす」と言って一気に改革の流れを作った小泉(純一郎・元総理大臣)さんは、もともと保守派の自民党清和会という名門派閥にあったが、親分だった福田赳夫が佐藤栄作の後継争いで田中角栄に敗れて以来、非主流派的立場にあったため、その間に人間観察を続けていたのだと思う。あくまで与党のマインドセットで。だからこそ、自分が総理総裁になったとき、党内基盤をほとんど持っていないにも関わらず、あそこまで党組織を思い通りに操れたのではないだろうか。
与党として考えて、行動する。リーダーたる者は、そこから逃げてはいけない。本当に最後の最後まで権力を保持し、その権力を使って改革をリードする努力をする。それこそ、職を賭してもやり遂げる、という気魄でやる。
その結果、本当に職を賭すことになるかもしれないが、そこまでやれば他の組織でマネジメントとして十分やっていけるだろう。
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結果を出すリーダーはみな非情である
30代から鍛える意思決定力
人間の醜悪さを内包する
リアルな経営を前提にした、
悪のリーダーシップ論!
明治維新も第2次大戦後の復興も、革命の担い手はいつの時代も、企業でいえば課長クラス、ミドルリーダーだ。日本も今の混迷期を脱するには、ミドルリーダーの踏ん張りが欠かせない。
社長も含めて上司をコマとして使い、最大の成果を上げる程度のハラは必要だ。自分がトップのつもりで考え行動するリーダーにとって不可欠な、合理的思考とそれに基づく意思決定力の鍛え方とは?
http://diamond.jp/articles/print/26734
【第12回】 2012年11月2日 ジョン・キム [慶應義塾大学大学院特任准教授]
不安は、将来に対する可能性の表れである。
【リブセンス村上太一×ジョン・キム】(後編)
好評の「媚びない人生」対談シリーズ。今回は、最年少上場記録を塗り替え、10月1日には東証一部上場も果たした25歳の起業家で、書籍『リブセンス<生きる意味>』でも話題になっている村上太一氏との対談、後編をお届けします。今、2人が読者に伝えたいメッセージとは。(取材・構成/上阪徹 撮影/石郷友仁)
群れから離れることが、最終的に自分を強くする
村上太一(むらかみ・たいち)
株式会社リブセンス代表取締役社長。1986年東京都生まれ。高校時代から起業に向けた準備を開始。2005年、早稲田大学政治経済学部に入学後、「ベンチャー起業家養成基礎講座」を受講し、そのビジネスプランコンテストで優勝。2006年に大学1年生でリブセンスを設立。2009年大学卒業。2011年12月、史上最年少25歳1カ月で東証マザーズへ株式上場。2012年10月、東証一部へ変更。ロングインタビューによる書籍に『リブセンス<生きる意味>』(上阪徹著)。
村上 高校時代から考え始め、大学時代はひたすら起業に取り組んでいた私は、よくストイックだと言われます。でも、もっとストイックな若い人はたくさんいるんですよね。それこそ受験勉強で、私が仕事に使ったのと同じくらいか、それ以上の時間を使った人もいるはずです。そうした何かの対象を与えてあげれば、若い人はものすごく頑張ると思うんです。頑張れる力は持っているのに、やりたいことを考えるきっかけが与えられていないのが、一番問題だと思っています。
キム 課題が設定されると、それに対してものすごくストイックに努力する。そんな学生が、日本の中にはいっぱいいる。それは事実でしょうね。でも、それは、模範生になるためのストイックさであって、イノベーターになるためのストイックさではないような気がするんです。
イノベーターであるとは、自分がどういう山を登るのかという、その課題設定、目標設定を自分がすることです。問題を与えられて、その問題をいかに早く解決するかではなく、そもそも自分にとって大切な問題とは何なのかを発見して、解決策を導き出し、それを実行して、解決していく。ここでは、ある意味、孤独な道のりが必要になります。
ジョン・キム(John Kim)
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科特任准教授。韓国生まれ。日本に国費留学。米インディアナ大学博士課程単位取得退学。中央大学博士号取得(総合政策博士)。2004年より、慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構助教授、2009年より現職。英オックスフォード大学客員上席研究員、ドイツ連邦防衛大学研究員(ポスドク)、ハーバード大学法科大学院visiting scholar等を歴任。アジア、アメリカ、ヨーロッパ等、3大陸5ヵ国を渡り歩いた経験から生まれた独自の哲学と生き方論が支持を集める。本書は、著者が家族同様に大切な存在と考えるゼミ生の卒業へのはなむけとして毎年語っている、キムゼミ最終講義『贈る言葉』が原点となっている。この『贈る言葉』とは、将来に対する漠然とした不安を抱くゼミ生達が、今この瞬間から内面的な革命を起こし、人生を支える真の自由を手に入れるための考え方や行動指針を提示したものである。
ただ、これは今の若者ができないのではなくて、すべての時代における、すべての国の若者がそうだったんですね。誰も孤独にはなりたくない。群れと同じことをして、そこから離れることには不安を覚える。自分自身の未熟さについて、誰よりも自分自身が熟知しているからです。しかし、群れから離れることが、最終的に自分を強くするのだ、ということに気づいて、自らそれを実践し、その経験を自分の力に変えていった人が、大きな成功を勝ち取っていったんだと思うんです。
村上 イノベーターがいないというのは、確かですよね。ゼロから1を生み出せる人は少ない。言われたことはちゃんとやるけれども、何をやるかまで決めていける人は、本当に少ないです。
キム ですから、ストイックさというのは、とにかくガムシャラに頑張るのではなく、それは頑張るに値するのかどうか、一度立ち止まる必要があると思うんです。
もっというと、若いときには、悩みますよね。本当にいろんなことで悩む。その悩みをどうすればいいか、と相談に来る人も多い。ただ、僕が言っているのは、あなたが前提にしているその悩みというのは、本当に悩むに値するものなのかどうか、ということです。あなたの人生の貴重な時間、大切な時間を使って、悩むべきことなのかどうか、と。どうして悩んでいるのか、その前提を疑ってみるべきなんです。
目の前に与えられた、いろんな任務などの目標に対しても同じです。自分自身で納得いくまで考えてみることが大切です。そしてもし、頑張る前提がなければ、自分で作り上げるというくらいの気概を持つ人間になろうとすることです。それが、孤独ではありつつも、イノベーターであり、革新者であるための必要条件だと思うんです。
やりたい目標は完璧である必要はない
キム そもそも、やりたいことというのは、そう簡単に見つかるものではないような気がするんです。簡単に見つかった気になっても困る。なぜなら、違うかもしれないから。だからこそ、いろんな体験をしていく中で、いろんな視点を手に入れたり、自らを成長させていくことが重要になるわけですよね。その結果として、同じ風景でも見え方がまったく違ってくる。やりたいことは、いずれ見えてくるんです。だから、この点については焦らないことが重要だと思います。
ただ、村上さんがそうであったように、意識的にやりたいことに近づくこともできると思っています。どの場面においても、常に自分と向き合う。自分はなぜ生きているのか、何をやりたいのか、自分を追求する気持ちを、すべての瞬間において、持つ。それは、極めて有効だと思います。
そして目標が決まったら、それを常に意識し続ける。目標が完璧である必要はないんです。それこそ明日、変わってもいい。でも、自分のいまこの瞬間をどこの方向に向けさせるかということについては、やっぱり最終的に自分が確認をして、目標設定をして、それに対して向かっていかないと、モチベーションはなかなか出せるものではないと思うんです。
やりたいこと探しに焦る必要はないんですが、常にそれを自問する姿勢というのは、自分に対する、ある意味信頼にもつながると思います。それは、自分の将来の可能性に対する、自分としての最低限のケアではないかと。
村上 日本では、いろんな体験ができる機会が少ないという印象があります。例えば、私は経営者になったわけですが、経営者をやってみようと思えたのは、身近に偶然、経営者だった二人の祖父がいたから、というのも大きいんです。一般的に生活をしていると、なかなか経営者と会う機会なんてない。大学4年になるまで、会社の社長と会ったことがない、なんて人も、もしかするといるかもしれません。そうした、閉ざされた環境に、学校自体がなってしまっているというのも、問題だと思います。
キム ロールモデルがなかったところはありますね。だから、村上さんのような若い起業家がもっともっとフィーチャーされて、こういう軌跡をたどれば同じような道が歩めるかもしれないんだ、ということに多くの人が気づくことができたら、とても意味があります。事業はまったく違っていたとしても、そこにある原理的な部分、共通する本質的な部分は読み取れると思うんです。
それこそ、自分に当てはめて考えると、どんな実行力があり、自分の24時間を、どんなことを心がけ、どんな行動を起こしていくべきか、とシミュレーションをし、単なる憧れではなく自ら村上さんの経験を活かしていこうと主体的に村上さんを知ろうとすれば、若い人には得るものはとても多いと思いますね。
危機かどうかではなく、危機感があるかどうか
村上 まわりの同世代を見ていると、漠然とした不安を持っている人が多いです。ただ、ちょっと気になっているのは、危機感があまりないことです。不安はあるけれど、なんとかなるだろうという感覚ですね。不安を、具体的な行動に昇華させていない。不安があるというだけで、何も行動はしていない。そういう人がほとんどなのではないか、と。危機感があったとしても、行動までは落ちているようには見えないんです。
キム 不安を持つ人には、3つのパターンがあると思うんです。ひとつは、不安を持っているけれど、そこに気づこうとしない人。不安に気づいているんだけど、そこに向き合おうとしない人、といってもいいかもしれない。
もうひとつが、不安が進んで、明日に対する心配になり、今日の生きる力を奪ってしまう人。しかし、何かの行動を起こすまでには、自分の思考が至っていない。
そして三つ目が、これはおそらく村上さんがそうだと思うんですが、不安というものが、ある意味では将来に対する可能性の表れとして捉える人。まだ実現されていない未知なるものに対して、人間は不安を持つのは当然なんですが、未知に遭遇したり、そこに飛び込むことによって、今まで見つけられなかった未知の自分や新しい自分に出会うことができたり、自分自身を生まれ変わらせたりすることができるんですよね。
その意味では、不安と直面したときの姿勢によって、人間は成長の角度、また衰退の角度が決まっていくのではないかと僕は思っているんです。ですから、不安を持っているのは、健康な証拠であると自分に言い聞かせると同時に、その不安というものを将来的な結果につなげていくのは、自分自身しかいないと気づくことが重要です。
不安を放ったらかしにしておくのではなく、心配に発展させてしまうのでもなく、不安というものを新しい可能性にしていくために自らが行動を起こしていく。そんなふうに建設的で、ポジティブに捉えていくことしか、人間は不安には対処できないと思うんです。
村上 不安は可能性、という言葉には共感しますね。一方で私は、危機感という言葉にも共鳴するんです。大きな成果を上げておられる経営者は、危機感という言葉をよく使われます。自分は、他の経営者に比べて、圧倒的な危機感を持っている。だから成長しているんだ、と。常に危機感があるからこそ、もっと頑張らないといけない、という思いだったり、こういうところを改善しないといけない、という意識につながっていくんだ、と。
キム おそらく経営トップは、放っておいても危機感を常に持って、最善を尽くそうとするんだと思うんです。ただ、組織が大きくなって、自分一人ではとてもカバーできないほどの範囲になったときには、ある種の達観が必要になります。人間というのは、弱くもろいということです。常に従業員に危機感を抱かせていないと、競争には打ち勝てない。一方で、危機感によって、可能性以上のものを発揮できることを知っているということでしょう。
満足した瞬間や、小さな成功が、実は組織にとっては最大の危機だったり、失敗の源泉になっていくのだということを、おそらくこれまでの歴史の中で学ばれているのでしょうね。その意味では、危機かどうかではなく、危機感があるかどうかは、本当に大事なことだと思います。
幸せは結果ではなく、瞬間、瞬間において感じるもの
村上 危機や不安に気づいていても、まわりもみんなそうだから大丈夫。そんな心理もあるような気もします。だから、どうにかなるんじゃないかと。
キム みんなと一緒、というのは、居心地がいいんですよね。その気持ちはとてもよくわかります。でも、短期的には居心地はいいけれど、中長期的にはそれが自分の人生を蝕んでいくことになるわけです。そのことにも、気づいているはずだし、気づいても気づかないふりをしているのかもしれない。でも、いずれ「みんな」というのは、終わっていくわけです。村上さんが、25歳の「みんな」とは違う成功を手に入れたように。
その意味では、これからの時代は、何が自分にとっての幸福か、成功か、というのを、自分でしっかり定義するところから始めなければいけない、選択の時代に入ってきていると思うんです。起業を目指すのか、社内で大きな仕事や出世を目指すのか、それとも仕事はほどほどにして趣味を追求するのか、もっと脱力的に生きていくのか…。正解はないんですね。そしてそのどれもが選択できる、ある意味で極めて贅沢な環境が、今の日本には許されていると思うんですね。
おそらく村上さんも心がけておられると思うんですが、この時代の特色は、他者に自分の価値観を強要しないことなんです。価値観は強要されない。しかし、だからこそ、しっかり自分で持っておかないといけない。例えば、同じ組織で、同じビジョンに向けて働いていくには、この価値観が合うか、合わないか、というのが極めて大事な時代になっていきます。組織内においては、ここは極めて本音ベースでの議論が求められるようになるでしょう。
村上 たしかに、私は起業という価値観を強要はしないですね。ただ、おっしゃる通り、精神的な豊かさを求めたい、というところでは価値観を同じくする人と働きたい。必死になって仕事をして、お金はあるけれどボロボロになってしまった、というのは、私自身にとっては幸せには見えないんです。お金を手にするというのは、幸せの形として、私は違う気がする。そうではなくて、精神的な豊かさを重視したいし、そういう価値が高まっていくと私は感じています。
ただ、精神的豊かさというのは、いろんな豊かさがある。家族との時間を大事にしたいという人もいるかもしれないし、私の場合は仕事が充実していることが精神的豊かさです。ここは、しっかり一人ひとりが整理しないといけないでしょうね。
キム 少なくとも、明日の幸せのために今日を犠牲にする、という幸せの捉え方は時代遅れだということに気づいておかないといけないと思います。でも、これが日本中に価値観として蔓延してしまったように思えるんです。今日、我慢することが、明日の幸せを保証してくれる、というような。
幸せは、あたかも今、我慢して、最終的に到達したところで自分を待ち受けているものなのではないか、と思いがちです。しかし、おそらくそこに到達しても、また次なる到達点が設定されてしまうものなんですね。ずっと追いかけるけれど、永遠に追いつくことができないような、無限スパイラルに入ってしまう。
そうではなくて、自分が今、幸せになるために努力している瞬間こそ、充実感を感じたり、幸せを感じたりすることができるんです。幸せは結果ではなく、瞬間、瞬間において感じるもの。もっといえば、幸せは“状態”なんです。そう捉えると、幸せを自分で見出すことができる。その見出せる権限や義務は、自分にあるんです。そこに気づけば、あらゆる物事の中から自分で幸せを見つけることができる。そういう人は、常に幸せだし、明日の幸せも手に入れられるんです。
村上 私は、適度に渇いている状況が幸せだと感じています。何かに満足していない。だから、幸せだ、という感覚です。これが、完全に満足してしまったら、この先、後は何があるんだろう、ということになってしまう。だから、常に一定割合、満足していない状況が、幸せなんだと思っています。
キム 鋭いですね。渇望は欲望の母のようなもので、渇望が完全に満たされてしまうと、人には欲望がなくなってしまいますからね。ちょっと欠如感を自分の中に残すというのは、村上さんにとってはつまり、どんどん目標を高くしていく、ということでしょう。やっぱりこの人は、本質を深いところで理解されています。まだ、若いのに、驚きです(笑)。
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場所 :東京 丸の内コンファレンススクエアM+
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定員 :200名
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◆「対談 媚びない人生」バックナンバー
第1回 媚びない人生とは、本当の幸福とは何か 『媚びない人生』刊行記念特別対談 【本田直之×ジョン・キム】(前編)
第2回 大人たちが目指してきた幸福の形では、もう幸福になれないと若者たちは気づいている【本田直之×ジョン・キム】(後編)
第3回 日本人には自分への信頼が足りない。もっと自分を信じていい。【出井伸之×ジョン・キム】(前編)
第4回 世界を知って、日本をみれば「こんなにチャンスに満ちあふれた国はない」と気づくはずだ。【出井伸之×ジョン・キム】(後編)
第5回 苦難とは、神様からの贈り物だ、と思えるかどうか【(『超訳 ニーチェの言葉』)白取春彦×ジョン・キム】(前編)
第6回 打算や思惑のない言葉こそ、伝わる【(『超訳ニーチェの言葉』)白取春彦×ジョン・キム】(後編)
第7回 いつが幸せの頂点か。それは死ぬまで見えない【(『続・悩む力』)姜尚中×ジョン・キム】(前編)
第8回 国籍という枠組みの、外で生きていきたい【(『続・悩む力』)姜尚中×ジョン・キム】(後編)
第9回 「挑戦しない脳」の典型例は、偏差値入試。優秀さとは何か、を日本人は勘違いしている【茂木健一郎×ジョン・キム】(前編)
第10回 早急に白黒つけたがる人は幼稚であると気づけ【茂木健一郎×ジョン・キム】(後編)
第11回 やりたいことがたまたま会社だった。だから、自然体で起業ができた。【村上太一×ジョン・キム】(前編)
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定価:1,365円(税込)
四六判・並製・256頁 ISBN978-4-478-01769-2
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