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長期雇用は必ず雇用の安定につながるのか 新型うつ語るタダ乗り社員 社員を安くこき使う華麗な手口 生活音トラブル予防法
http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/330.html
投稿者 MR 日時 2012 年 10 月 31 日 12:05:52: cT5Wxjlo3Xe3.
 

長期雇用は必ず雇用の安定につながるのか

日本型雇用慣行について考える(その2)

2012年10月31日(水)  小峰 隆夫

 日本型雇用慣行の議論を続けよう。日本経済の再生を考えていくと、いろいろなところで日本型雇用慣行が障害になっていることに気づく。したがってこれを変えていくことが必要なのだが、多くの人はこれを変えるつもりはない。むしろ続けてほしいと思っている。このギャップが非常に大きいというのが私の言いたいことだ。

 このギャップを埋めるのは大変難しく、私自身はやや諦めかけているのだが、地道に説いていくしかないのであろう。前回は、なぜ日本型雇用慣行が強固に存続し続けているのかについて考え、多くの人がこれを変えたがらないという実態を紹介した。今回からは、なぜ変えなければならないのかという問題点の方を考えることにしよう。

なぜ日本型雇用慣行は評判が悪いのか

 前回見たように、日本では多くの人が「日本型雇用慣行は望ましい」と考えている。「日本の伝統に即したものだ」「日本型雇用慣行こそが日本の力の源泉だ」とまで言う人もいる。

 しかし私の見るところ、(少なくとも私の身の回りの)経済学者の間では、日本型雇用慣行、特に正社員の身分保障が強い長期雇用(いわゆる終身雇用)の評判は芳しくない。どうしてだろうか。私から見ると、これは極めて自然なことである。

 経済学の基本は市場メカニズムに沿った自由な行動が、資源の最適配分をもたらすということだ。雇用についても、労働が不足している分野では求人が増えて賃金が上がり、逆に余っている分野では失職者が出たり、賃金が引き下げられたりする。こうした中で、経済主体が自由に行動すれば、足りない分野(成長分野)に人が集まり、余った分野(衰退分野)からは人が出ていくことになる。こうして労働の需要と供給がスムーズに調節されることによって、労働力の最適配分が実現する。

 こういう言い方をすると、経済的効率だけを考えているように聞こえるかもしれないが、これは働く側にとっても望ましいことである。労働力の最適配分が実現することによって、働く人々は自分の能力に見合って最大限の報酬を得られるようになる。また、長期雇用が支配的だと、たまたま入った企業で職業生活を送り続けなければならない。その企業が自分にフィットしていれば理想的だが、「こんなはずではなかった。他の企業の方が良かった」と考えている人も多いはずだ。それでも同じ企業にとどまるのは、そうしないと失業してしまうからだ。つまり、「雇用の安定」を得るために日々の不満を抑えているということである。

 この「雇用の安定」ということが日本型長期雇用の最大のメリットとされるのだが、この点については、次の二点に留意してほしい。

 一つは、「同一企業が雇い続けるという長期雇用制度でないと雇用の安定は得られない」というわけではないし、「長期雇用制度であれば必ず雇用の安定が得られる」というわけでもないということだ。例えば、専門的なスキルを持っており、そのスキルの評価に応じて、複数の企業を移動していくということによっても雇用は安定する。日本的慣行では、「企業に沿って仕事の内容を変えながらキャリアアップしていく」のだが、「専門的スキルに沿って企業を変えながらキャリアアップしていく」というやり方で雇用の安定を図ることも可能なのだ。

 どちらも雇用は安定するので、どちらがいいとは言えないのだが、前者の日本型雇用安定システムは、特定の企業に強く依存している分だけリスクが大きいとも言える。当の企業の業績が悪化すると、リストラされる可能性があるし、倒産してしまったら一巻の終わりである。ましてや、産業・企業の浮沈が急テンポで進行する現代の経済では、後者の「専門スキル」依存型の方が雇用は安定するかもしれない。

 もう一つは、企業依存型の雇用の安定は、「企業内の正社員」だけについての雇用の安定だということだ。雇用調整を迫られた時、日本では「新規採用を抑制する」という手段を取りがちだが、この場合は、企業内の雇用を守るため、若年層の雇用を不安定化させていることになる。また、企業内の正社員を強く守ろうとすると、企業は正社員の採用にかなりの決断が必要となるため、正社員になるためのハードルが高くなり、非正社員との格差が大きくなる。この場合は、正社員の雇用を守るため、非正社員の雇用を不安定化させていることになる。

日本型雇用慣行を変えるための提案

 もちろん長期雇用がすべて悪いというわけではない。企業の核として働き続けてほしい人材は長期雇用で一企業に特化して働き続けた方がいいかもしれない。要はバランスであり、日本では長期雇用か非正規かという二つの選択肢しかなく、長期雇用で守られている人々がそうでない人々に比べて守られ過ぎていることが問題なのだ。

 この点はOECDが、対日審査報告で繰り返し指摘していることである。例えば、2011年の報告では「1990年以降経済成長が著しく減速する中、長期雇用、年功賃金、そして60歳での定年といった伝統的な労働市場慣行は、ますます経済状況にそぐわなくなった」とし、特に、日本の労働市場は、強く保護された「正規労働者」と、賃金が低く、訓練の機会も少なく、社会保険制度によっても十分カバーされていない「非正規労働者」に二極化しており、労働市場の流動性がないため、非正規雇用から正規雇用へ移行が妨げられていると指摘している。

 こうした日本型雇用の問題に対応するためどうすべきかについては、多くの議論がある。前回紹介した「40歳定年制」もその一つだ。これは、「期限の定めのない雇用契約については、20年の雇用契約とみなすことにし、それ以外の長さが必要な場合は有期契約とする」というものだ。もちろん、20年以上の期間を契約期間としてもよい。

 つまり、40歳という年齢で定年になるのではなく、勤め始めて20年でいったん定年になるということであり、それが多分40歳前後になるということである。20年たった段階で、同一企業と再び雇用契約を結んでもよいし、他の企業に移ってもよい。ここで期限の定めのない契約を結ぶと、60歳前後で再び定年を迎えることになる。つまり、職業人として2回やり直しのチャンスがあることになる。この点は提案者である柳川範之先生自身が日経ビジネスオンラインで解説しているので、こちらを参照してほしい。

 この40歳定年制について、多くの人が抱く最大の懸念は、40歳前後で職を失うことにならないかということである。最近私は、大学の授業で、この40歳定年制を紹介し、意見を求めたのだが、学生諸君からは「40歳で収入がなくなるのは困る」「40歳以降仕事をしないなんて考えられない」というコメントが続出した。

 定年といっても、40歳で仕事をやめるわけではなく(やめたければやめてもいいのだが)、職場を変える機会を設けようということなのだが、どうしても「定年は仕事をやめる時」という先入観があるので、こういう反応が出るのだ。確かに、他の誰もがやらない中で一社だけ40歳定年制にすると、多くの人々が定年後に路頭に迷うことになるかもしれないが、多くの企業がこれを実施すれば、雇用機会は減らず、働く人がリシャッフルされるだけだから、失業者が増えるということにはならないはずだ。

 二極化した正社員と非正社員の間に中間的な雇用形態を広げるという提案もある。玄田有史東京大学教授は、正社員と非正社員の間に「准正社員」(別途、準社員という概念があるため「准」という言葉を使っている)という雇用形態を設けることを提案している(2010年2月18日、日本経済新聞、経済教室)。これは、異常時には柔軟な雇用調整の対象となるが、平常時には安定的な処遇が保障されるというものだ。これによって、働きながら能力・経験を積んだ非正社員は、「准正社員」→「正社員」とステップ・アップしていく道が開ける。企業の側も優秀な非正規の社員に長く働いてもらうことができる。

 同じような考え方で、特定の仕事がある限りは雇用が保障され、転勤はなく、労働時間も自分で決められる「専門職正社員」を設けるという案もある(八代尚宏「整理解雇の論点(上) 金銭保証ルールの明確化を」日本経済新聞、経済教室、2010年11月29日)。

 整理解雇についての条件が厳し過ぎることが雇用の流動性を妨げているという観点から、適切な金銭保証を軸として解雇規制を見直すべきだとする考えも多くの専門家が提唱している(例えば、前掲、八代論文)。

 前述のOECDの対日審査では、正規労働者に対する雇用保護を減らす一方で、非正規労働者の社会保険の適用範囲の拡大、職業訓練プログラムの充実などを図ることによって、二極化した正規・非正規の差を縮めていくことを提案している。

 以上のような諸提案は、それぞれについて多くの議論があり、いずれも簡単に実現できるわけではない。しかし、日本型雇用慣行が多くの問題を持っており、これをできるだけ円滑に変えていく必要があるという意識が強いからこそ、こうした提案が出てきているのである。

日本型雇用慣行のさらなる問題点

 さて、ここまでで述べてきたことはそれほど目新しいことではなく、おそらく経済学者の間では「常識的で何の変哲もない考えだ」と受け取られそうな気がする。そこで、以下、私の考えを付け加えておきたい。それは、日本型雇用慣行の問題点はかなり広範囲に及んでいるということだ。私が考えつく例としては、次の三つがある。

 第1に、公務員の天下り問題や縦割りの意思決定問題にも長期的雇用慣行が関係していると思う。

 公務員が自らが所属する省庁職員の再就職先の確保に熱心であることは事実である。これは、採用した各省庁が、ある年齢までの職員の雇用を保障しているからだ。キャリアの役人の世界では、入省年次に応じてピラミッド式に上位のポストに上がっていく。上位に行くほどポストは減るから、途中でポストに就けない人が出てくる。この時、首にして放りだすわけにはいかないから、何とか再就職先を世話することになる。これがいわゆる天下りである。現在は、役所のあっせんは禁止されているので、様子が違っているかもしれないが、私が勤務していたころはそういうことであった。

 役所の意思決定が縦割りになるのにも長期雇用が影響している。前述のように自分のキャリアは自分を採用した役所に依存している。するとどうしても自分が所属する役所の利害を真っ先に考えることになる。例えば、国家戦略室のような組織を作って各省から人材を集める。そんな時、多くの人は「骨をうずめるつもりで仕事をしろ」と言うのだが、やはり骨を拾ってくれるのは出身省庁なのだから、出身省庁の利害を考えてしまうことになる(かなり単純化して説明しています。例外的な人もたくさんいます)。

 この時、前述の「専門スキル依存型」で人材の流動化が進んでいれば、例えば、エコノミストという専門的なスキルを持った人が、役所、企業、大学等の組織を移りながらキャリアアップしていくことになるから、天下り問題も縦割り問題も発生しないはずだ。

 第2に、企業のダイナミズムにも長期雇用が影響していると思う。

 日本では、ベンチャー企業を輩出しにくく、企業の開業率も廃業率も低いと言われている。要するに企業の入れ替えが少ないのだ。ダイナミックな経済においては、企業もまた活発な新陳代謝を繰り返し、常に元気な企業が経済をリードすることが望ましい。こうしたことが言われて久しいのだが、現実にはなかなか企業の新陳代謝は進まない、進まないどころか、政策的には逆に、つぶれそうな中小企業を延命させる方向が志向されている。資金繰りに苦しむ中小企業を救うため、借入金の返済を猶予する中小企業金融円滑化法(2009年12月施行、いわゆる亀井法)がその典型例だ。

 このように中小企業をできる限り存続させようとするのは、中小企業が雇用の担い手になっているからだ。長期雇用の下で、企業が従業員の雇用の安定を担うという社会では、企業がつぶれると即失業につながるため、どうしても企業の存続を目指すことになりやすい。前述のようにスキル依存型の労働移動がやりやすい流動的な労働市場が形成されていれば、「企業の存廃」と「失業の有無」が切り離されることになるので、ダイナミックな企業の入れ替えが促されることになるだろう。

 第3に、長期的雇用は大学教育のあり方とも関係していると思う。

 もともと特に文系の大学では、大学生があまり勉強せず、大学がレジャーランド化していると言われている。これは日本の大学生が怠け者だからではなく、日本では、長期雇用慣行の下で、社会人としての能力形成が主に企業内で形成されてきたからだ。企業は「大学で何を勉強してきたのか」を問うことはなく「入社後鍛えればどれだけ伸びるか」を見て採用者を決めている。そもそも大学教育に期待していないのである(このあたりもかなり単純化して記述しています)。

 また、最近の大学事情を見ると、学部の学生は3年の後半になると就職活動に気が向いてしまい、学業に身がはいらなくなる。これも学生を責められない。長期雇用慣行の下では、卒業時の就職が人生で1回だけの勝負の時となる。それで一生が決まるとなれば、学業そっちのけで就活に励むのは当然のことだ。しかし、それによってせっかくの大学における勉学の機会が無に帰してしまっていることもまた事実である。

 もし、スキル依存型の流動的な労働市場が形成されていれば、新卒の段階で、ある企業に入っても、いくらでもやり直しの機会があるのだから、スキルの充実の方に力を入れるようになるはずだ。

 以上のように、日本型の雇用慣行はかなり広範にわたる日本の経済社会の諸問題と関連し合っている。もちろん、雇用慣行を変えれば問題がすべて解決するわけではないが、雇用慣行を変えていくことはこうした諸問題の解決のための負荷をかなり軽減することになるだろう。

(日本型雇用慣行は、人口オーナスへの対応という観点からも大きな問題となっています。次回はこの点について考えます。掲載は、11月14日の予定です。)


小峰 隆夫(こみね・たかお)

法政大学大学院政策創造研究科教授。日本経済研究センター理事・研究顧問。1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業、同年経済企画庁入庁。2003年から同大学に移り、08年4月から現職。著書に『日本経済の構造変動―日本型システムはどこに行くのか』、『超長期予測 老いるアジア―変貌する世界人口・経済地図』『女性が変える日本経済』、『データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問』、『政権交代の経済学』、『人口負荷社会(日経プレミアシリーズ)』ほか多数。新著に『最新|日本経済入門(第4版)』


小峰隆夫の日本経済に明日はあるのか

進まない財政再建と社会保障改革、急速に進む少子高齢化、見えない成長戦略…。日本経済が抱える問題点は明かになっているにもかかわらず、政治には危機感は感じられない。日本経済を40年以上観察し続けてきたエコノミストである著者が、日本経済に本気で警鐘を鳴らす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121029/238715/?ST=print


【第8回・最終回】 2012年10月31日 山田 久 [日本総合研究所調査部長]
わが国における「市場主義3.0」実現の道筋
前回、わが国における「市場主義3.0」の具体的な姿として、経済システム面、および、社会システム面における労使関係システム(雇用システム)について述べた。最終回となる今回は、前回からの続きとして、社会システムにおける社会保障システムのあり方を論じたうえで、わが国で「市場主義3.0」モデルを実現するための、政治プロセスの改革についてふれる。

成長促進的な「社会保障
システム」を構築する

 前回みてきた「労使関係システム(雇用システム)」の構築にあたって、密接不可分の役割を果たすのが「社会保障システム」の改革である。従来の社会保障システムは、「残余的な福祉」を基本にしてきたが、人口高齢化の進展に従って近年では「引退世代の生活保障」という性格を急速に強めている。ただし、いずれにしてもそれは、社会的弱者を「市場原理から守る」という基本的発想に基づいている点は変わっていない。

 しかし、「市場主義3.0」モデルにおける社会保障システムは、「市場原理に適応する」ためのものという要素を強めなければならない。より踏み込んでいえば、社会保障を経済成長に抑制的なものでなく、経済成長を促進するものとする必要がある。

 この点に関し、主要OECD諸国における社会保障と経済成長の関係を検証してみよう。経済成長率(1997〜2009年)を、@社会保障関連支出のGDP比、および、A社会保障関連支出に占める現役世代のための支出(家族政策および積極的労働市場政策)の割合を説明変数として回帰分析を行った(図表)。(t値は数値が大きいほどパラメータの信頼性が高く、p値とは、どこまで低い確率水準でパラメータの信頼性が失われることはないといえるかを示す統計値)


 それによれば、a)社会保障規模が小さいほど経済パフォーマンスは向上する、および、b)社会保障の中身が現役世代のための支出の割合が上昇するほど成長率は高まる、ことが分かった。つまり、社会保障と経済成長の関係は、社会保障の中身が重要であり、保育支援や就労支援といった「現役世代のための社会保障」は経済成長にプラスとなり、医療・介護・年金といった「引退世代のための社会保障」はマイナスに作用するといえよう。

 この分析結果からすれば、社会保障を経済成長に促進的なものとするには、保育や就労支援を増やす一方、医療・介護・年金はできるだけスリム化することが重要である。しかし、わが国は急速な高齢化の過程にあり、後者の膨張圧力は大きく、単純にスリム化すれば高齢者の生活が破綻を免れない。そこにこそ、「市場主義3.0」モデル――政府の関与を強める一方、民間事業者の力を活用する――の適応が不可欠になってくる所以がある。この点を踏まえ、主な社会保障制度について、具体的に基本設計のイメージをみれば以下の通りである。

 年金制度については、基本的には生活保護水準との整合性をとった基礎年金を、全額消費税で賄う形にしたうえで、厚生年金や共済年金は時間をかけて縮減していく。この間、年金支給年齢を引き上げながら、高齢者雇用が促進される政策を展開していく。その際、前回述べたような職種別労働市場が形成していくことで、シニアの多くが現場専門技能を身に付け、雇用されやすい状況になっていくことが重要である。

 医療制度については、現在、わが国の医療保険は、大きく組合健保、協会けんぽ、共済組合、国民健康保険(市町村国保+国保組合)に分かれ、その上に後期高齢者医療制度が乗っかる形にあるが、高齢者の制度を分けずに一気通貫型とする。そのうえで、ナショナルミニマム(政府が国民に対して保障する最低限度の水準)の医療サービス分の財源は、国税および全国共通の最低社会保険料で賄ったうえで、これを超えるサービスを各組合独自の保険料の上乗せで賄うこととする。

 ただし、この場合、加盟員の年齢構成などによって組合ごとの財政状況に大きな違いができてしまう。そこでこれを調整するため、ナショナルミニマム分について、「リスク構造調整」と呼ばれる、年齢構成の違いなどによる負担のバラつきを調整する健康保険組合間の財源移転の制度を設ける。また、ナショナルミニマムを超えるサービスの選択については、各健康保険組合ごとの自由に任せ、いわゆる混合診療の判断も組合に委ねられる。

 介護制度についても、上記の医療制度に準じ、国税および全国共通の社会保険料をナショナルミニマムのサービス分の財源に充て、保険者である市町村ごとに共通でこれを上回るサービスを付加したい場合は、独自の保険料の上乗せを行う。

 保育支援、就労支援については、十分なサービス提供力や質の確保のため、政府が基本フレームや監督制度を整備する必要がある(ただし、政府が直接行うよりも専門家を含めた第3者機関による実施が望ましい)が、具体的な制度設計や運営は地方自治体に委ねる(ここでも、重要な決定は地域のステークホルダー、専門家を入れた委員会が行う)。一方、サービス提供は民間事業者の競争入札とし、競争促進による効率化とサービス多様化を図る。財源については、ナショナルミニマム保障分は国費、地域ごとの上乗せ分は地方財源で、それぞれ賄うものとする。

 生活保護については、現在の入りにくく出にくい制度を改め、就労可能世帯の支給水準見直しと就労支援強化をセットで行う必要があるだろう。

国民生活の安定を誰が担うか
責任を明確にする仕組みの構築

 以上を要約すれば、社会保障の仕組みを「公助」「共助」「私助」に明確に区別し、国の役割=負担をナショナルミニマムに限定し、それを超えるものはコミュニティ(職域・地域)か個々人に任せることで、国民生活の安定を誰が担うかの責任を明確化しつつ財政悪化に歯止めをかけるのである。同時に、保育支援や就労支援に、政府が積極的に関与することで潜在需要を顕在化する一方、サービス供給は民間事業者に委ねることによって、新たな市場・雇用を創出させることが期待できる。

 以上のような、狭義の社会保障制度の改革と並行して、教育制度や住宅制度など、国民生活の基盤に関わる広義の社会保障制度についての改革も必要である。具体的には、奨学金制度の拡充や中古住宅市場の整備により、わが国中高年層の生活費の重荷になっている子弟の教育費や住居費の軽減を図るべきである。

 それは前回述べたような、市場原理に適応する労使関係システム(雇用システム)を構築するために重要である。そこでは、年功賃金カーブのフラット化により、正社員で賃金引き下げとなるケースが発生することが予想され、教育費・住居費が軽減されれば、実質的な生活水準引き下げは回避できるからである。保育支援や就労支援で老若男女ともに働くようになれば、家計収入源のリスクヘッジという面でも生活保障機能が強化されよう。

「市場主義3.0」実現に向けた
政治プロセスの改革

 これまで、わが国における「市場主義3.0」モデルの具体的な姿をみてきた。筆者は目指すべき経済社会モデルがみえなくなっていることが、現状の日本の閉塞感の底流にあり、政治の混乱の重要な背景にあると思っている。その意味で、本稿で提示した「市場主義3.0」を一つのたたき台として、日本の経済社会ビジョンが具体化していくことを切望する。さらに、そうした経済社会ビジョンをどう実現していくかについての、政治プロセスの改革も重要である。そこでこの点についての筆者の意見として、次の3点を述べておきたい。

 第1は、政策体系を軸とした政治サイクルの確立である。

 マニフェスト政治を謳って政権交代を実現した民主党政権が、マニフェストに縛られて必要な政策転換が遅れ、さらにはマニフェストを巡って党の分裂をもたらしたことで、国民の間にはマニフェストに対する不信感が高まっているように思われる。しかし、だからといって政権交代前の自民党時代のように、官僚主導政治への復帰を国民が望んでいるとは思えない。

 そもそも民主党のマニフェストが、十分な政策体系を有していなかったことに問題があり、さらに、状況に応じ、アカウンタビリティを果たせば、むしろ政策変更は必要なことである。来るべき衆院総選挙では、各政党は再度、ビジョンを練り直すとともに、マニフェストを起点とするPDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルを確立し、政策が進化していくプロセスを作り出すことが必要である。

 第2は、政労使合意を踏まえた官邸主導型政治である。

 民主党政権は、官僚主導を否定するものとして政治主導を掲げたが、そもそも官僚組織と政治主導は対立するものではない。真の政治主導とは、政治のビジョンに基づいて官僚組織を使いこなすということであり、民間にいる有識者や専門家の知見と官僚機構の経験を集約し、困難でも必要な改革を成し遂げることである。そうした政治主導の仕組みとしては、小泉政権下の経済財政諮問会議が極めてうまく機能した。

 ただし問題は、人選が産業界よりに偏った面が強かったため、分配政策面での課題への対応が十分でなかったことにある。野田政権のもとでも「国家戦略会議」が設置されているが、官邸主導政治の司令塔の役割を十分果たしているとはいえない。

 その意味では、名称はともかく、経済財政諮問会議のような仕組みを復活させ、そのメンバーには主要閣僚、経済団体代表、学識・有識者のほか、労働団体代表も含めることが重要である。なぜならば、「市場主義3.0」モデルの実現に当たっては、社会システムの改革がカギを握り、その両輪の一つである労使関係システムの変革には、労働組合の合意が不可欠であるからだ。

 第3は、専門家をコーディネーターとした地域主権に向けた仕掛け作りである。

 「市場主義3.0」モデルを実現していくためには、国が基本ビジョンを明示して改革に着手すると同時に、地方ごとに自治体が主導する形で改革に取り組むことが不可欠である。すでに述べた通り、自治体主導はとりわけ社会保障の分野で必要になる。今後の社会保障制度は、ナショナルミニマムは国が保障するにしても、どこまで手厚く行うかは、どこまで自分たちが負担して支えあうかを各地域で決めることになる。

 こうした地方主権の必要性を説くとき、最大のハードルになるのは地方にそうしたことを進める人材がいるか、という疑問である。このバードルを越える一つの仕掛けは、専門家をコーディネーター、アドバイザーとして活用することである。すでに、各自治体で取り組みを行っているところもあるが、なお一部にとどまっている。

 官僚および民間コンサルタントの人材バンクを作成するとともに、彼らをコーディネーターとして雇うことのできる原資としての資金を、特別助成金として給付することが考えられる。同時に、コーディネーター間の情報共有を行い、試行錯誤のなかからベストプラクティスを構築し、それを全国に広げていくという、全国ベースでの取り組みが重要であろう。

来るべき総選挙では
「市場主義3.0」構築を競え

 以上、本シリーズでは、わが国でなぜ「市場主義3.0」が必要で、その具体的モデルがどうあるべきかについてみてきたが、最後に、向こう1年以内には確実に行われる衆院総選挙に向けて一言付け加えておきたい。

 次回の衆院選はわが国の今後の進路を決める、極めて重要な選挙となる。それは、小泉改革後の政治的混乱に終止符を打つチャンスであり、そのためにはきちんとした政策論争を行うことが何よりも重要である。繰り返しになるが、国民はマニフェスト選挙にうんざりしているにしても、よりよい政治を選択する根拠が政策以外にない以上、政策体系をまとめたマニフェストをやはり判断根拠とせざるをえない。

 そうした政策体系・マニフェストの策定に際し、筆者は本シリーズで述べてきた「市場主義3.0」モデルが、一つのたたき台になるものと期待している。各政党には、本シリーズでみてきたような歴史的な流れを踏まえ、しっかりした政策体系を盛り込んだマニフェストを策定することを切に望みたい。

(以上の議論については拙著『市場主義3.0』〈東洋経済新報社〉もご参照ください)
http://diamond.jp/articles/-/27102


有休取り放題で社員のやる気をアップ 米企業の新たな取り組み
2012年 10月 30日 13:17 JST
 社員の創造性の喚起や離職率の抑制、燃え尽き症候群の防止に向けた取り組みの1つとして、一部の米企業では究極の福利厚生を提供している。取り放題の有給休暇だ。

 そうした企業の経営者によると、いかに社員を信頼しているかを示すことによって、さらに深い信頼感に根ざした企業文化を醸成することがその目的だ。新制度はまだ試験的に導入されているだけだが、乱用はほとんどみられないという。

Viktor Koen
 米イベント企画会社レッド・フロッグ・イベンツ(イリノイ州シカゴ)では、約2年前に初めて社員を雇ったが、彼らの休暇は一切管理していない。約80人の常勤社員の多くは、ちょっとした息抜きや友人の結婚式への出席などの個人的な用事のために、「時に応じて数日間の休暇を取得している」が、無制限の有給休暇制度を乱用する社員は1人もいない、と人事担当責任者のステファニー・シュローダー氏は話す。

 専門家によると、無制限の有給休暇を導入しているのはおおむね比較的スケジュールの調整がしやすい小規模な会社で、しかもまだ比較的まれだ。米人事管理協会(SHRM)が550人の人事担当者を対象に行った「2012年社員福利厚生調査」によると、現在そうした制度を導入している会社はわずか1%だ。大半の企業ではあらかじめ定められた日数の有給休暇を提供している。報酬データ調査会社ペイスケールが46万5000人の労働者を対象に行った分析によると、米国の常勤労働者が昨年支給された有給休暇は平均2.6週。

 企業の生産性に関する調査組織i4cp(Institute for Corporate Productivity)の調査担当責任者、ジェイ・ジャムログ氏は、無制限の有給休暇は社員の忠誠心を高めるための低コストな方法の1つであり、給与の低さや賃金凍結、ボーナス無支給などを補うための手段にもなると話す。すなわち、会社はワークライフバランスや社員の福利を重視しているという意思表示になる。「要は受けとめ方の問題だ」と、ジャムログ氏。

 だがそうは言っても、その制度が全ての企業に適しているわけではない、とジャムログ氏は述べ、導入には注意が必要だと指摘する。

 「高い信頼感に根ざした企業文化が必要だ」と同氏は述べ、「そうした文化がなければ、制度が乱用されるのは目に見えている」と話す。

 コンサルティング会社LRNのドブ・シードマン最高経営責任者(CEO)は、同社では無制限の有給休暇を3年前に採り入れたが、「間違った判断」をし、会議を欠席して休暇を取った社員が一部いたことを認める。だが、そうした過ちはまれだとし、「誰も4週間いなくなるようなことはない」と話す。

 また、制度を導入した結果、約300人いる社員は以前よりも休暇の取得に気を使い、配慮するようになったと指摘。今では多くの社員が、休暇の予定を立てる前に同僚に確認せずにはいられないと感じていると話す。

 さらに、生産性にも悪影響は出ていないようだ。制度導入前の平均的な社員が年に取得する休暇日数は3週間だったが、その数字は今でも変わらないという。

 「人は信頼されるほど正直になり、責任感を持つようになる」と、シードマン氏は話す。

記者: Leslie Kwoh

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われわれはなぜ病気でも出勤するのか
At Work
2012年 10月 25日 15:21 JST
 24日付の「Work & Family」のコラムでも書いた通り、病気の時に出勤する人々は、同僚や雇用主にとって多くの問題を引き起こす。

 それでも、社員が病気の時でさえ出社せざるを得ない事情がふんだんにある。

http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203406404578074643908621184.html?mod=WSJ_LifeStyle_Lifestyle_5


病気の時にも仕事に行く理由は様々
 デンマークのヘルニング病院の研究者による1万2935人を対象とする2008年の調査によると、職場でやることがあまりにも多くあるとか、時間に追われていると感じることが、70%以上の社員が少なくとも年に1回は病気でも仕事に行く主な理由だった。また、雇用情勢が厳しいなか、職を失う不安感を理由に挙げる社員もいた。

 また、スウェーデンのカロリンスカ研究所が実施した同国の労働者9763人を対象とする3年間に及ぶ調査では、労働者の多くは病気で出社できないと言えば、「虚弱だとか信頼できないとみなされる」ことを恐れていることも分かった。

 米シアトルの政府機関のあるマネジャーは、「ベッドから起き上がれないほどひどくなければ」病欠を取ることはないと話す。同僚に病気がうつるのではないかと思う時には自宅で働くという。10年前と比べたら、病気でも仕事に行く可能性ははるかに高いという。職を失うのではないかとか、非生産的とみなされるのではないかという懸念が前よりも強いからだ、と彼女は話す。

 また、自分自身が病気の時には病欠を使わずに、例えば、子供が病気の時など、家にいるしか選択肢がないときのために病欠を取っておくという人々もいる。病欠を取得するのを本人が病気のときだけに限る病欠ポリシーを取っている雇用主もいくつかあり、そのために子供が病気の時には「嘘をつかざるを得なくなる」ことにもなる、とフィリス・ハーツマン氏は話す。同氏はペンシルベニア州インゴマーの人材コンサルティング企業、PGHRコンサルティングの創業者兼社長。

 ジャーナル・オブ・オキュペイショナル・メディスン誌で発表された調査によると、病気の肉親の世話というのが、健康問題に絡んで仕事を休んだ全時間の6%を占めている。

 また、病気の時に、家族と家にいるよりも仕事に行く方がいいと感じるケースもあるようだ。デンマークの調査では、一部のマネジャーや専門職の人々は、「家での雑務のほうが、多くの自由やコントロールを兼ね備えた興味深い創造的な仕事よりも骨が折れると感じるかもしれない」ことが分かった。これは何年も前に社会学者のアーリー・ホックシールド氏が著書で説明した観点と一致する。

 読者は病気の時に出勤したことがあるだろうか。そうであれば、その理由は何か。出社する価値はあっただろうか。生産性は落ちただろうか、そうであれば、どの程度か。同僚に病気をうつさないような方法を見つけただろうか。

記者: Sue Shellenbarger

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メール印刷原文(英語)
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18571821
http://130.237.98.166/content/1/c6/05/39/47/does.pdf


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【第11回】 2012年10月31日 渡部 幹 [早稲田大学 政治経済学術院 客員主任研究員]
「新型うつ」を語るタダ乗り社員を探し出せ!
職場を悩ませる“なりすまし”の実態と対処法
――処方箋J「安易なうつ認定」は本人と周囲を苦しめるだけ
「うつ」をサボりの口実に使う
タダ乗り学生、タダ乗り社員

男子学生A 「授業、出なくていいの?」

男子学生B 「いいのいいの、俺、教授に話して『うつ』ってことになってるから、授業ほとんど出なくても、なんとかなるから」

男子学生A 「何? 最近流行りの『新型うつ』ってやつ?」

男子学生B 「そうそう、だからサークルとか飲み会とかはOK、授業だと『うつ』(笑)」

男子学生A 「お前、ひでーな(笑)」

 先日、某大学そばのバス停でバス待ちをしているときに、隣の学生たちが交わしていた会話だ。親類か知り合いに心療内科の先生がいて、診断書を書いてもらったらしい。企業の人事担当者だったら、絶対に採用したくないタイプだろう。

 最近、この手の「うつ」の話題を新聞や雑誌で頻繁に目にするようになった。多くはいわゆる「新型うつ」に関するものだ。

 昨日も、「うつで長期休暇を取っていた社員が、ハワイでゴルフをしてリフレッシュしてきた」とか、「スキューバダイビングの資格を取ってきた」という行為について、いかがなものか、といった論調の記事を目にした。

 これらの記事に記載されている新型うつとは、仕事などについてはうつ病症状を見せるものの、自分の好きなことについては病気であることが嘘のように積極的な人を指す。

 つまり行動だけ見ると、会社や社会に「甘え」、「タダ乗り」しているように思えてしまう人も含まれている。

責任を押し付けプレッシャーから逃避
「ディスティミア親和型うつ」の正体

 新型うつの症状について学術的に日本で触れられたのは、九州大学の精神医学者である樽味伸氏が2005年に発表した論文で「ディスティミア親和型うつ」として紹介されたのが最初である。

 それまでの日本人の典型的なうつは「メランコリー親和型」と呼ばれ、責任感が強く、全てのプレッシャーを抱えこみ、ストレスに負けまいと頑張った挙句になってしまうもので、戦後の生真面目な中間管理職のイメージそのままである。

 しかし、ディスティミア親和型うつは、責任を周囲に押し付け、プレッシャーからは逃げ、ストレスには極端に弱い。

 大きな特徴として、仕事のときはうつだが遊びのときは元気、というように「日和見的」な症状を見せる。さらに、失敗の原因を他人のせいにすることで自分を守ろうとする「自己愛」の傾向が強いことも、大きな特徴である。

 だが症状としては、極度の不安や不眠、食欲不振など、メランコリー型と同じ抑うつ症状を見せる。

 ディスティミア親和型うつ及びそれに類似した事例は、この数年で激増した。これらを総称して新型うつ、あるいは現代型うつと呼ぶ。しかし、実は医学界はまだその現実に追い付いていないのが実情だ。

 つい2ヵ月前、世界で最も権威のある医学雑誌の1つであるランセット誌において、九州大学の精神医学者である加藤隆弘氏らが、この新型うつの症状(およびひきこもり)は、日本特有のものではなく、欧米を含む世界中で広く見られることを指摘した。

 さらに加藤氏らが指摘していたのは、これだけグローバルに観察される症状にもかかわらず、新型うつについてはその概念がやっと整理されてきたばかりで、明確な診断基準や治療法はほとんど整備されていないことだ。

「新型うつ」の治療法は未確立
患者の自己申告だけで判断は困難

 現在、心療内科や精神科医は、メランコリー親和型の診断に用いる基準を応用する形で診断している。療法についても現場の医者は色々と工夫をしているものの、スタンダードな治療法は確立されていない。

 このような状況で、筆者が懸念しているのは、うつを利用したフリーライダーが増えることだ。

 冒頭の例のように、「うつ」であることを証明するには医師の診断書があればよい。しかし、前述のように診断基準がはっきりしていないため、医師の診断も恣意的にならざるを得ない状況だ。そうなれば、少数ではあるが、うつであることを「利用」する者が出てきてもおかしくない。

 真面目に仕事に向き合っていれば、健康な者でも「うつ」状態になることはある。その状態だけ見れば、「うつ」と診断される可能性もある。そのため医者は継続性を見る。つまり、うつ状態が継続して起こるかどうかだ。

 しかし、診断の際は、患者の自己申告に頼る場合も多く、正確な診断が難しい場合もある。つまり「うつ」になりすますことも可能なのだ。それが新型うつの場合、「なりすまし」はますます簡単になる。仕事のときだけ「うつ」で、あとは楽しんでいてもいいのだから。

 ここで筆者が一番問題だと思っているのは、本当にうつで苦しんでいる人々が、少数の「なりすましうつ」のために、世間から間違ったレッテルを貼られたり、「甘え」だと判断されたりすることだ。

 拙著『フリーライダー――あなたの隣のただのり社員』では、会社組織の中の「タダ乗り社員」に焦点を当て、その行動パターンを分析した。タダ乗り社員とは、自分の貢献度以上の待遇を会社から得ようとして、他の社員に迷惑をかけたり、負担を強いたりする社員だ。つまり他人に働かせておいて、自分は美味しいところを持っていこうとする人々だ。

「なりすましうつ」が増えると
本当の患者にも偏見が向きかねない

 そのフリーライダーと同じ構造が、新型うつの場合にも起こっている可能性を筆者は懸念している。新型うつの場合、仕事以外では普通に振る舞ってもおかしくないこと、診断基準が確立していないことから、これまでのメランコリー親和型うつに比較して、圧倒的に「なりすましやすい」のだ。

 会社側も、「なりすましかもしれない」という懸念があったとしても、もし本当にうつの場合、本人に与える悪影響は計り知れないため、慎重にならざるを得ない。つまり、長期の優遇休暇を与えるなどの福利厚生措置を一応取らざるを得ない。

 仮に、冒頭の例の学生のような人々が「なりすましうつ」として増えてくると、うつそのものが「社会に対する甘え」「単なるサボりの口実」として認知されてしまいかねない。そのときに最も苦しむのが、本当に現代型うつにかかっている人々だ。

 そのような事態を避けるためには、明確な診断基準を早くつくることだ。医学界は今それを早急に進めているが、現代うつの原因が、本人の周囲の環境ばかりではなく、現代社会全体を覆っているグローバル化、ネット社会化という社会経済要因も大きな原因となっている可能性があるため、診断基準の設定が非常に難しい。

 これらの要因までも考慮して診断しなくてはならないならば、これは従来の精神科や心療内科の領域を超えたものとなってしまう。

 これが、現代うつの診断治療を難しくしている最も大きな理由だろう。

 では、医学界が診断基準をつくるための努力をしている間、私たちはどうするべきだろうか。部下や同僚がうつになったかもしれない場合と、自分がうつになったかもしれない場合に分けて考えてみよう。

素人が勝手に判断してはいけない
専門医による継続的な診断が必要

 まず、両者に共通して言えるのは「素人が勝手にうつと判断しない」ことだ。医学者でも判断が難しいものを、素人が判断できるわけがない。

 したがって、信頼できる医者にできるだけ継続的に診療してもらった上で、判断を仰ぐことが必要である。理想は、自分の会社組織のことをよく知っている信頼できる産業医であるが、それが叶わなくとも、できるだけそれに近い医者を探すべきである。

 部下や同僚がうつになった場合、医師の診断書には敬意を払いつつ、しかし鵜呑みにしてはいけない。複数の医師からセカンドオピニオンをもらったり、その人物と長期的な付き合いのある社員や家族に本人の様子の変化などを尋ねるなどの、総合的な判断が必要だ。

 自分がうつかもしれないと思った場合は、まず専門家に相談することである。臨床心理家でもよいし、精神科、心療内科、信頼できる社内の人物でもよい。自分の状態を客観的に他人に伝えることそのものが、大きな意味を持つ。その上で必要ならば、本格的な診断をしてもらえばよい。

 新型うつがセンセーショナルにマスメディアによって語られることに、私はあまり良い心証を抱いていない。まだ診断基準があいまいな病気について、誤診かもしれない事例をことさらに取り上げて、フリーライダー扱いをすることは、本物の「新型うつ」の患者をフリーライダー扱いする可能性につながるからだ。

 うつの問題は、今の日本社会ではすでに避けられない問題となっている。このことをしっかり認識して対処することは、医学界だけではなく、ビジネスにおいても重要だと思っている。
http://diamond.jp/articles/print/27098

【第7回】 2012年10月31日 
騒音問題がこじれて殺人事件に発展したケースも!
マンションでの“生活音”トラブル予防法
近隣紛争は、私たちが日常的に経験する悩み事の一つだ。騒音、振動、悪臭、日照、眺望、通風、境界、隣地・道路使用、漏水、ペットの飼育、ごみ・廃棄物の処理、近隣からの監視・いじめ……。数えるときりがない。一見些細なことだが、問題をこじらせれば、裁判沙汰になることもある。そうなれば、近所付き合いもままならず、幸せな生活は一転してしまう。以下では、そんなトラブルを抱えないために、私たちが日ごろ気をつけるべきポイントを、代表的な事例をもとに考えてみたい。(弁護士・好川久治、協力:弁護士ドットコム)

わんぱく男子がドタバタ
階下の老夫婦は不眠で通院

 原田さん(仮名)は30代の会社員で、最近、都心から少し離れた住宅街に念願のマンションを購入した。家族は、妻と小学2年生の長男、3歳の次男の4人。間取りは3LDK、4階部分。室内は、畳部屋が一つあるほか、廊下、キッチンを含めてほとんどがフローリングだ。

 長年思い描いた理想のマンション――。そんなに広くはないが、ようやく一国一城の主となった原田さんは、ますます仕事に精力的に取り組むようになった。

 ところが、である。

 引越しをして3ヵ月が経ったころ、原田さん宅の真下に住む老夫婦がやってきて、薮から棒にこう言った。

「朝から晩まで廊下や床をドンドンしてうるさい! なんとかしてほしい! こっちは毎日うるさくて眠れない! 頭痛もして食欲もなくなり、通院しているんだ!」

 原田さん宅は、わんぱく盛りの男の子二人兄弟で、次男は朝6時には起きて騒ぎだす。長男とは、原田さんが夜に帰宅後、深夜まで一緒に遊ぶという生活が続いていた。

 その上、昼間は長男の学校の友達とお母さんが来ることがあった。同年代の子どもたちが集まるとどうなるか。当然、はしゃぎ回り、大騒ぎだ。

「子どもがいるから、仕方がないのに……」

 原田さんは、心のなかでそう思いつつも、「気をつけます」と言って老夫婦に引き取ってもらった。

 しかし、その後も老夫婦は、「スリッパで歩く音がうるさい! 椅子を移動させる音が気になる! ドンドン飛び跳ねる音がうるさい!」と、週に1度はインターホンを鳴らして、クレームを言ってくるようなった。最近では、うるさいと言わんばかりに、階下の天井を物で突き上げるような音がすることも何度もあった。

 理想のマンションを手に入れ、順風満帆だった原田家の空気は一変した。原田さんも妻も、子どもが音を立てるたびに、いつまた天井を突き上げられるかビクビクしながら生活をするようになった。次第に、騒がないよう子どもを叱りつけるようになり、毎日に大きなストレスを感じるようになっていた。

生活トラブルで争点となる
「受忍限度」とは何か

 住人同士の騒音問題は、マンション居住者の大きな悩みの一つだ。前記の事例では典型的な生活音が問題となったが、このほかにピアノなどの楽器による騒音や、一部住人が昼夜を問わず大声で騒ぎ、振動を出すといった苦情も見られ、これまでに裁判で争われた事例も少なくない。

 騒音の問題は、法律的には被害を受けた側が音を出す側に対し、慰謝料等の損害賠償請求や、音の発生の原因となるフローリングの撤去、防音仕様への変更などを要求するということが争われる。その際争点となるのは、「受忍限度」という考え方だ。

 人は日常生活を営むうえで、他人との関係抜きには考えられない。自分にとって必要で有益だと思っていることでも、他人には迷惑と感じることは沢山あるものだ。だからこそ実社会では、お互いに相手を思いやり、尊重しあいながら、「我慢すべきところは我慢する」ことが大切だ。そうすれば住人同士の調和がはかられ、秩序が保たれる。

 この「我慢すべきこと」の法律的な限界を意味するのが、「受忍限度」だ。では、受忍限度内かどうかは、どのように判断するのだろうか。

周囲への配慮とルールの遵守が
受忍限度を判断する上でのカギ

 多くの裁判例では、以下のように見解を示している。

「加害行為の有用性、妨害予防の簡便性、被害の程度及びその存続期間、その他の双方の主観的及び客観的な諸般の事情に鑑み、平均人の通常の感覚ないし感受性を基準として、一定限度までの騒音被害・生活妨害は、このような集合住宅における社会生活上止むを得ないものとして受忍すべきである一方、受忍限度を超える騒音被害・生活妨害は、不法行為を構成する」(東京地裁八王子支部平成8年7月30日判決ほか)

 つまり、当事者の置かれている具体的状況から、平均的な人の感覚と感受性をもとに、この程度のことなら許されるべき、と評価される範囲というものを事案ごとに判断していくということになる。

 過去の裁判例を見ると、歩行音、椅子の引きずり音、掃除機の音、戸の開閉音などは避けられない生活音だとしている。また、子どもが椅子などから床に飛び降りたり、飛び跳ねたり駆けずり回ったりする音なども、長時間にわたって続くものではなく、子どもが生活する以上、不可避的に発生することとして、これらは受忍限度の範囲内と判断し、慰謝料請求を棄却した事例がある(東京地裁平成3年11月12日判決、同地裁平成6年5月9日判決)。

 これらの裁判例は、いずれもフローリング床の騒音事例で、受忍限度の判断にあたり、以下の3点が重視された。

1、音の大きさ・程度、発生の不可避性
2、フローリングの有用性(ダニ発生の防止、清潔さ、掃除のしやすさ)
3、音を出す住人がテーブルの下に絨毯を敷き、音の出る子どもの遊具を制限するなどの配慮をしていた

 もちろん、騒音が受忍限度外であると判断したケースもある。

 マンションの既存床をフローリング床にリフォームした事例だ。この時は、以下の点で生活音でありながら受忍限度を超える騒音であると判断され、請求者二人に合計150万円の慰謝料を認めた(東京地裁八王子支部平成8年7月30日判決)。

1、フローリング床の有用性を認めつつも敷設の緊急性がなかった
2、フローリング床による階下への騒音等の影響を認識しながら管理規約に違反する形で、階下の住人や管理組合への正規の届出をせずに工事を実施した
3、遮音性能のある床材の使用にそれほど費用がかからない
4、工事の前後で防音・遮音悪化の程度が著しい
5、被害の程度が早朝から深夜にわたり多数回かつ継続的なものである

 などが考慮され、生活音でありながら、受忍限度を超える騒音と認定して、請求を認めた。

 また、音を出す居住者が、苦情を訴えてきた住人に対し、「うるさい」、「文句があるなら建物に言ってくれ」などと乱暴な口調で突っぱねるという不誠実な態度に出た点を考慮して、受忍限度を超えると判断し、慰謝料30万円(このほか弁護士費用相当の損害として6万円)を認めた事例(東京地裁平成19年10月3日判決)もある。

 これらの事案では、事前の対策の不十分さ、共同住宅の周りへの配慮を欠いたルール違反、不誠実な態度など、音を出す側に問題となる事情があったと言える。

 騒音問題は、特に当事者の感情的な対立が激しく、こじれると最後はどちらかが転居するしかない、というケースが多い。また、かつてピアノの騒音が原因で、上階の住人が階下に住む母子3人を殺害したという事件もあった。

具体的対策をする前に
相手の生活への尊重を

 騒音問題は、問題が生じた初期の段階で、お互いに相手の事情に配慮し、話し合いのうえで解決をはかっていくことが何よりも重要だ。

 話し合いの場として、管理組合に間に入ってもらい、マンション全体の問題として総会の場で音の問題について話し合い、ルールを定めることだ。さらに、中立的な第三者機関として、弁護士会の紛争解決センターや裁判所の民事調停などを利用することも考えられる。

 話し合いでは、感情的な衝突に発展しないように、客観的な状況把握も重要だ。たとえば、以下のようなことだ。

1、住戸の音のレベルを測定する
2、騒音の原因が、コンクリートスラブの薄さにあるのか、床のフローリングの材質・施工方法に問題があるのか、音を出す側の生活スタイル・様式にあるのかなど、騒音の原因を可能な限り突き止める
3、騒音の内容と発生の原因を前提に、防音対策をする。例えば……
・音の出る箇所を絨毯敷きにする
・遮音性能のあるコルクマットを敷く
・フローリングを防音性能のあるものに変更する
・テーブルや椅子のフローリング接地面にフェルトを貼る
・押し車など騒音の発生源となる子どもの遊具の使用に気をつける
・早朝、深夜のアクティブな活動を控えるなどの生活スタイルの変更等、改善に向けて努力をしていくことを確認する

 しかし、筆者はこうした対策よりも、共同生活をする際の、各人の心構えこそ重要だと考えている。騒音等に対する受け止め方は感覚や感受性に大きく左右される。それに、人が発生させる音は、気にすれば気にするほど我慢ができなくなるという性質があるのだ。このことをお互いに理解し、共同住宅で生活する者として、お互いに相手の生活環境に注意を向け、尊重していく意識をもつことがもっとも大切だ。

 また、話し合いで解決していくことが双方にとってメリットがあることに目を向け、解決に向けて真摯に努力していくことだ。ご近所さん同士で、裁判を起こして、法廷で戦うことを想像してみてほしい。生活は一変し、ストレスに満ちた日常生活を強いられるだろう。それを避けるために、ぜひ他人の生活を尊重することを心に留めてほしい。

 冒頭の事例では、階下の老夫婦の被害感情が強く、かなりこじれた段階でお互いに弁護士が介入したため、話し合いによる完全な解決は難しい状況であった。

 最終的には原田さん宅で床のフローリングに防音マットを敷くなどして対策を講じたため、ひとまず苦情は収まったが、あのまま苦情を放置し、開き直って対策を講じないでいると、訴訟に発展した可能性はある。

 次回も引き続き近隣紛争の事例を取り上げる。原因となったのはペットだ。いまやペットの数は15歳以下の子どもの数よりも多い。その意味では、今回取り上げたケースよりも、紛争に発展する確率は高いのかもしれない。

<弁護士ドットコムとは>

「弁護士ドットコム」は“インターネットで法律をもっと身近に、もっと便利に。”を理念に、現在4000名を超える弁護士が登録する日本最大級の法律相談ポータルサイトです。弁護士費用の見積比較の他、インターネットによる法律相談や、弁護士回答率100.0%(※)の法律特化型Q&A「みんなの法律相談」を運営。累計法律相談件数は 20万件を突破しています。2012年4月12日より、独自の法的ナレッジを活かしたニュースコンテンツ「弁護士ドットコムトピックス」を提供開始。話題の出来事を法的観点から解説した記事が大手ニュースメディアのトップページに取り上げられるなど、注目を集めています。(※)2012年8月22日現在


好川久治/よしかわ・ひさじ

1993年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、大手保険会社入社。97年、司法試験合格。2002年、保険会社を退職し、ヒューマンネットワーク中村総合法律事務所へ移籍、パートナー弁護士として現在に至る。
http://diamond.jp/articles/print/27097


現役ブラック企業社長が、社員を安くこき使う華麗な手口を暴露!
Business Journal 10月30日(火)7時13分配信
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『ブラック会社限界対策委員会』(パルコ/ヨシタケシンスケ)
 給与、勤務時間、休日など労働条件が労働法に違反している、もしくはその企業が行っている事業そのものがなんらかの法令に違反しているなど、決して他人に入社を勧められない企業のことを「ブラック企業」という。そんなブラック企業の実態に迫ってみた。

●入社して、この会社おかしいと思ったなら?

 どのような会社でも、入社前、外からでは、その内情をうかがい知ることはできない。では、もしブラック企業に入社してしまった場合は、どうすればいいのだろうか。できるだけ早く、まっとうな企業に転職するしかないだろう。決して我慢して長く勤めようと考えてはいけない。

 なぜなら、そもそもブラック企業の経営者は、社員の人生を背負っているという発想がないのだ。労働の対価である給与もできるだけ安く抑え、なんだかんだ理由をつけて、踏み倒すことさえ厭わない。

 事実、従業員30名程度を擁するあるIT企業経営者のA氏は、自らをブラック企業経営者と認めたうえで、「従業員は敵だと思っている。いかに安くこき使い。文句を言わせず、上手に辞めさせるかだ」と言い切る。従業員サイドに立ってみれば、こんな企業に長居し、忠誠を誓ったところで人生を空費するだけだ。

 A氏は採用時、労働時間、待遇などに文句を言わず、黙々と働きそうな「使い勝手のいい人材」のみを採用するという。A氏に詳しく話を聞いてみた。

●使い勝手のいい人間を採用して、こき使う

ーー「使い勝手のいい人材」の基準というか、見分け方は?

A氏 人の上に立とうとか、そういう野心がない人間。人に使われるしか能のない人間だ。学歴はあまり関係ない。真面目で、人を疑うことを知らず、そこそこ育ちがよくて、素直に人の言うことを聞く、それでいて責任感が強いかどうかだ。

ーー御社における社員の待遇は? 給与や、勤務時間、休日などを教えてください。

A氏 給与は月に13万5000円。残業代はない。勤務時間は一応、朝9時から夕方5時まで。昼休みも1時間ある。しかし社員はみんな、自発的に朝は8時には会社に来ている。夜も自発的に終電に乗れるまでは働いている。泊まり込みも自発的に行ってくれている。月2回は土曜日も出勤。そうしないと仕事が回らないからね。

ーー本当に、それだけの勤務時間を要するほどの仕事があるんですか?

A氏 ない。意図的に「仕事のための仕事」をつくって、長時間働かせているだけだ。

ーーなぜ、そのようなことを?

A氏 長時間働かせ、ピリピリした社内の空気に長く触れさせることで、余計なことを考えさせないようにするためだ。今の言葉でいえば「社畜」というのかな。そうすることが目的だな。

ーーそれにしても、条件面ではかなり厳しいですよ。社員の方は文句を言わないですか?

A氏 文句を言うような人間は採用していない。文句や不満を言わせないよう、社内の雰囲気を日頃からつくっている。また最初にガツンとやっているので、社員から不満だの文句だの出ない。

ーー最初にガツンとやるとは、どういうことをやるのですか?

A氏 仕事でミスがなくても、些細なことで厳しく叱責する。そしてそれをしばらく続け「このような仕事ぶりでは給与は払えない」と言う。「お前はこんなにミスが多いが、それでも給料を払ってやってる」と刷り込む。つまり経営者である私を怖いと思わせることだね。

ーーミスは徹底的に責めるというわけですね?

A氏 ミスに限らない。勤務時間中の私用メールや電話、新聞など読んでいても「私用」としてどやしあげる。これで社員へのにらみは利く。もっとも、褒めるときには褒める。「アメとムチの使い分け」も重要だ。

●劣悪な環境に慣れさせて、たまに優しくする

 このIT企業経営者がいう「アメとムチ」は、劣悪な環境、雰囲気に慣れさせ、たまに優しくすることで、社員の喜びをくすぐるというものである。

 例えば、この企業では、労働基準法で定められた休暇の取得すら、一切認めていない。休暇が認められるのは、風邪をひいたなどの病欠時のみだ。この部分がムチである。ただし、たまに仕事量が少なくないとき、1000円程度の昼食をおごる、3000円程度の夕食をおごり、早めに帰す……これがアメだという。A氏は、「日頃から厳しくしている分、たまにある『アメ』の部分で、社員は自分が認められていると思い込む。その心理につけ込むというわけ。これで社員は私の言うことを聞く」という。

 引き続き、話を聞いてみよう。

ーーもし社員が、労働基準監督署にでも告発したら?

A氏 そういうことを考えさせないために、仕事を増やし、拘束時間を長くし、にらみを利かせてプレッシャーをかけている。

●社員が定着しないための環境づくり

ーー長くいる社員の方は、やはりその方が定年を迎えるその日まで、大事にされるおつもりですか?

A氏 それはない。年齢が高くなれば、それだけ給料も上げなければならない。長くてもせいぜい5年、できれば3年くらいで出て行ってもらいたい。

ーー誰しも、せっかく就職した会社を3年から5年で退職したいとは思わないでしょう?

A氏 それは居心地がいいところなら、それでもいい。しかしうちは、まだまだそんな居心地のいい会社にできる余裕もなければ、するつもりもない。3年から5年で自発的に辞めてもらう。

ーー皆さん、そのくらいの期間で都合よく辞めてくれるものですか?

A氏 1年目、2年目で、とにかくどやしつける。ただし、少し仕事を覚えてきたら褒める。この頃が一番使い勝手がいい。でも、仕事の振り分けで、うちに長居しても同業他社で通用しそうなスキルなどは絶対に身につけさせないようにしている。それに本人が気づいて、休暇も認めていないので、転職するにはうちを退職するしかないと気づかせるのです。もちろん自発的に退職するときには、盛大な送別会はする。それが退職金代わりになるというわけだ。

ーー古株で、仕事を覚えているような方の場合は、どうやって辞めさせるのですか?

A氏 仕事の面で無視する。使い勝手がよくなると、ある程度権限を与えて、新人の指導もさせているが、些細なきっかけでいいので、新人の前で叱りつけ、それまでの権限を取り上げる。これで普通は辞めていく。

ーー起業家として、そうした経営に思うところはありませんか?

A氏 まったくない。今は一人一人が経営者という時代だ。社会保険料まで、こちらが支払って、その恩恵を受けているのだから、それで十分だろう。嫌なら自分が経営者になればいい。企業経営とは、従業員をいかに効率よく働かせるかだ。もっともそれは社員のためではなく、私の会社のためだ。そこを履き違えてはいけない。

●さっさと見切りをつけるにしても……

 これでは、とても企業として発展するとは思えないのだが、ある経営コンサルタントは、こうした経営姿勢について「確かに発展はしない。しかし経営を維持するという面では、あながち間違いではない」という。

 また、こうしたブラック企業、経営者の下で働いた経験のある人は、「少ないながらも貯金ができて、退職し、失業保険で食いつなぎつつ、再就職に向けた活動を行うと、労働基準監督署に告発しようという気もうせた」と話す。

 もしブラック企業に入社してしまった場合、さっさと見切りをつけて退職したほうがよさそうだが、一歩間違えればドツボにハマる可能性があるという。ある労働基準監督官は、次のような本音を漏らす。 

「早期退職で、きちんと仕事をしていない……、ゆえに会社に迷惑をかけたなどの理由で給与の支払いを拒んだり、逆に違約金を支払えという企業もある。あまりに労働者側に立った労働基準監督行政を行い、企業を閉鎖、倒産に追い込むと、それはそれで問題となり、我々もそうしたことを嫌う傾向がある。どのような仕事でも、給料をもらえる仕事をしている以上、従業員側が耐えてもらいたいというのが本音」

 いやはやブラック企業に入社してしまうと、泣き寝入りしかなさそうだ。
(文=秋山謙一郎/経済ジャーナリスト)

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最終更新:10月30日(火)7時13分

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121030-00000301-bjournal-soci  

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