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2008年のNY市場暴落の終わりは11月中、変化のスタートから53日前後と記憶する。
これはテクニカルアナリストの雄、ギャンが見つけた法則で、変化のピークから49〜55日で暴落の窓は埋まる法則である。
悪い事は秋、恐慌は10月からスタートして11月中旬には終わる勢いである。
今回の、その変化日を分析できればその収束日は決まる。
★来週からの暴落?は、11月上旬に終わる。(以下有料―松藤民輔)
(参考記事)
★政府が起こした大恐慌
http://blog.livedoor.jp/clj2010/archives/65748440.html
今月は大恐慌が始まつた月である。今から八十三年前、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」のニューヨーク株暴落をきつかけに、米國で長期にわたる深刻な不況が起こり、世界に廣がつた。現在の一般的見方では、大恐慌は自由放任的な資本主義が招いた「市場の失敗」とされ、經濟を安定させるには市場への政府の介入が必要だといふ主張の根據にもなつてゐる。しかし事實は異なる。大恐慌を引き起こしたのは自由放任主義ではなく、政府の介入政策だつたのである。
アメリカが暴発する! 大恐慌か超インフレだ
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大恐慌の原因が自由放任主義といふ通説に異を唱へた代表的な著作は、オーストリア學派の經濟學者マレー・ロスバードの『アメリカの大恐慌』(1963年、未邦譯)である。また大恐慌を脱するため實施されたニューディール政策についても、その效果を疑ふ見方が増えてゐる。金融實務家で、ロン・ポール下院議員の經濟顧問を務めたこともあるピーター・シフは近著『アメリカが暴発する! 大恐慌か超インフレだ』(渡辺博文譯、ビジネス社)で、これらの研究に基づき、通説の誤りを次々と指摘してゐる。
まづ、そもそもニューヨーク株が暴落したのは、それに先立つて株式市場に過剩な資金が流れ込み、バブルを生み出したからである。では過剩な資金を供給したのは誰か。事實上政府の一部門である聯邦準備銀行である。聯銀は第一次世界大戰後、不況に苦しむ英國の金利上昇壓力を和らげるといふ政治的目的で、大規模な金融緩和を行つた。シフは書く。「1921年半ばから1929年半ばにかけて、FRB〔=聯銀〕はマネーサプライを55%増加させた。この余剰資金こそ株式バブルや不動産バブルを支えたのである」(62頁)
次に、通説によると、不況が始まつた際、當時の大統領ハーバート・フーヴァーは自由放任主義にこだはり、經濟を救ふため何もしなかつたといはれる。だがこれは事實と正反對である。フーヴァーは當時廣がり始めた介入主義の信奉者で、株が暴落するとすぐ、「主要な企業経営者と会合し、賃金を下げるペースを緩め、新しい建設プロジェクトを進めるという言質を取った」(64頁)。フーヴァーは「今までの政府では、そのような時期〔不況期〕にリーダーシップに対する非常に広い責任を政府が持っているとは考えたこともなかっただろう」(63頁)と述べ、介入政策を自畫自賛してゐる。
しかし、むしろそれが不況を惡化させることになる。賃金の下落を人爲的に妨げると、企業のコストが下がらず、ただでさへ不況で苦しい經營がさらに苦しくなるし、市場の需要を無視して鐡道や工場を建設しても、長期の成長に結びつかないからである。
また、ミルトン・フリードマンのやうに、聯銀が通貨供給量を減らし、不況を惡化させたと非難するのも間違つてゐる。「FRBは、1929年の崩壊に続く2週間でマネーサプライを10%増やした。フーバー大統領の期間を通じて、FRBは何度もマネーを増やした」(65頁)。それにもかかはらず、民間銀行が融資に愼重になつたことから、現預金全體の量は減つたのである。かといつて、もし聯銀がこれを補ふためさらに大量のマネーを注入してゐたら、バブルを引き起こした時と同樣、經濟資源の配分を歪め、不況をより長引かせただらう。
そしてニューディール政策である。フーヴァーの後任であるフランクリン・ローズヴェルトは、ニューディールで大恐慌の進行を食ひ止めたと信じられてゐるが、實際は「フーバーの失敗した政策を拡張し、大恐慌を激しいものにした張本人」(65頁)である。具體例をトーマス・ウッズ『メルトダウン』(古村治彦譯、成甲書房)から補足すると、獨占禁止法の適用を一時停止し、これによつて大企業にカルテルを結ばせ、販賣價格や生産量を事實上統制した。税率を引き上げ、公共事業への支出を増やした(同書198頁)。これらはいづれも自由な經濟活動の足かせとなり、經濟の恢復を阻害した。
シフが強調するのは、ニューディール政策で生まれた諸制度が現在に至るまで長期にわたつて米國經濟に惡影響を及ぼしてゐる事實である。その典型が政府の預金保險である。預金保險がなければ、リスクを取りすぎる銀行は預金者が集まらず、銀行には安全に經營しようといふ動機が働く。しかし預金保險があると、預金者は銀行に資金を預ける際の心配がなくなる。このため銀行は健全性を維持するよりも高いリスクを取つて利益をあげようとする(119頁)。これは金融を不安定にする。
2008年の米國金融危機は、規制緩和が原因だつたとしばしば非難される。ニューディール政策で制定されたグラス・スティーガル法が1999年に「廢止」され、銀行・證劵業務の兼營を解禁したことで、銀行が證劵業務で過大なリスクを取るやうになつたといふ。しかしグラス・スティーガル法が定めたのは銀行證劵の兼業禁止だけではない。預金保險もこの法律によつて創設された。1999年に廢止されたのは兼業禁止の部分だけで、預金保險は廢止されなかつた。規制緩和そのものが惡いのではなく、預金保險といふ政府の保護をそのままにして、高いリスクを取れるやうにしたのが問題だつたのである。
したがつて「金融の安定化を図る第一のステップは、完全にFDIC〔聯邦預金保險公社〕を廃止すること」(125頁)だとシフは適切に述べる。しかし現實の政治の動きは正反對である。2010年に成立したドッド・フランク法では、預金保險の對象が預金額二十五萬ドルまで引き上げられた。これでは金融危機の再來は防げないだらう。
"Rothbard's excellent history of the Great Depression"(ロスバードの優れた大恐慌史)を「ロスバードの著書『大恐慌の素晴らしい歴史』」(63頁)と譯すなど、細かい誤譯やこなれない譯が目立つのが玉に瑕だが、大恐慌が「市場の失敗」だといふ嘘を見破るために役立つ本である。
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