http://www.asyura2.com/12/hasan78/msg/265.html
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【第95回】 2012年10月26日 高田直芳 [公認会計士、公認会計士試験委員/原価計算&管理会計論担当]
シャープを襲う「キャッシュフローの空洞化現象」
単純な資本注入では再生計画は確実に頓挫する
モラル・ハザード(倫理の欠如)という用語がある。『マンキュー経済学Tミクロ編』653頁によれば、依頼人(プリンシパル)が代理人(エージェント)の行動を完全には監視できない場合、代理人による「不適切もしくは『道徳的でない(モラルのない)』行動がとられるリスク、すなわち危険(ハザード)」をいう、とされている。
最近、地方の金融機関の活動で、「それって、モラルハザードではないか」と懸念される噂をいくつか聞いた。金融機関が中小企業に対して「対前年比売上高を5%以上(または10%以上)減らした決算書を提出して欲しい」とセールスして回っているというのだ。
単純な例で説明するならば、前期(2011年7月〜9月)までの売上高の合計額が1億円であった場合、翌2012年7月〜9月までの売上高を9500万円以下(または9000万円以下)に抑えた決算書を「提出してくれ」というものである。
金融機関が、そうした奇妙なセールス活動を行なうにはワケがある。東京信用保証協会の「セーフティネット保証」を参照すると、確かにそうした制度融資が導入されているのだ。
対前年比売上高が5%以上(または10%以上)減少したので → 信用保証協会のセーフティネット保証に申し込む、というのであれば、話はわかる。ところが、セーフティネット保証を利用するために → 対前年比売上高を5%以上(または10%以上)減らした決算書を「提出してくれ」と、金融機関が中小企業にセールスして回るのは、本末転倒だ。
地方の金融機関に広がる
モラルハザード
低利の融資を受けられる中小企業としては、金融機関からのセールスに否やはない。そこで中小企業からあちこちの会計事務所に対して、「対前年比売上高を5%以上(または10%以上)減らした決算書を作成し直して欲しい」という要請が行なわれることになる。
それに従って行なわれる会計処理を「逆粉飾決算」という。粉飾決算とは、売上高や利益を「先食い」すること。上記の例は「先送り」になるので、逆粉飾決算になる。
信用保証協会のサイトから、中小企業庁のサイト(セーフティネット保証)へ移動すると、「外部の専門家(金融機関、税理士等)の力を借りながら」と掲示されていた。筆者は一瞬、外部の専門家の力を借りて「逆粉飾決算をしてくださいよ」と、オカミがアドバイスを与えているように読めてしまった。
融資には必ず金利という負荷がかかり、きちんと返済していくのであれば、ハザード・ランプは点滅しない。一見したところ、首を傾げる話ではない。
ところが、そこへ、地方自治体という「善意の第四者」が絡むから話がややこしくなる。冒頭に紹介した「プリンシパル」は、信用保証協会ではなく、地方自治体を指す点に注意してほしい。代理人契約を結んでいなくても、金融機関は「エージェント」になる。
なぜ、地方自治体が「善意の第四者」となり「プリンシパル」になるのかは、読者各位で調べていただきたい。おそらく、全国の自治体のほとんどで、大なり小なり似たような「利子補給制度」が導入されているはずだから。
今回のテーマは、
キャッシュフロー分析
地方の金融機関のセールス活動に、ハザード・ランプが点滅しているように見えるのは、都市銀行が地方に攻勢をかけているからに他ならない。2012年9月5日付の日本経済新聞『大機小機』によれば、「上場企業の4割以上が実質無借金状態」にあるという。大口融資先を失いつつある都市銀行が、中小企業融資や住宅ローン市場に食指を広げるのは当然だ。
そうした中で、みずほコーポレート銀行や三菱東京UFJ銀行などの金融機関が、シャープに対して3600億円ものシンジケートローン(IRトピック一覧)を行なうことになったのは、中央回帰の大口案件だ。とはいえ、都市銀行にしてみれば、「おっかなびっくり」かもしれない。
そのシャープについては、第89回コラムにおいて、ファナックやルネサスエレクトロニクスとともに、収益性分析を展開した。経営分析はこの他に、キャッシュフロー分析や生産性分析などがある。
そこで今回は、第94回コラム(パナソニック編)で紹介した「オプション・キャッシュフロー活動表」を用いて、そこへ客観的な数値を当てはめながら、シャープに対するキャッシュフロー分析を展開してみることにする。なお、以下ではキャッシュフローを「CF」と略称する。
世間の関心を集めるシャープについて、「数学嫌い」や「会計嫌い」が蔓延しているせいか、文章だけで同社の業績や経営戦略を批判するものが多い。以下ではクールに、数値に基づいた分析結果を紹介していくことにする。
東京商工リサーチの『データを読む』を参照すると、筆者の住む栃木県は、シャープにとって、東日本における唯一の生産拠点だ。同社の動向には心穏やかならぬものがあるが、ここは淡々と話を進めていくことにしよう。
フリーキャッシュフローは
業績悪化のシグナルを示すのか
最初に注意しておきたい事項がある。通常、業績悪化というのは、売上高利益率などの「収益性」に着目して指摘されることが多い点だ。CFが悪化したからといって、それが業績悪化に結びつけられることはない。
その証拠に、シャープのフリーCFの推移を〔図表 1〕で描いてみた。黒色の曲線がそれである。
フリーCFは、教科書やメディアなどで頻繁に登場する。絶対的通説と呼べるほどの指標であり、次の式で計算される。
〔図表 1〕の黒色の曲線は、〔図表 2〕に基づき、四半期移動平均で描いた。〔図表 1〕の右半分を見ると、黒色の曲線は2012年以降、急降下しており、シャープの業績悪化を裏付けているといえるであろう。
フリーCFは、実務・理論・制度の
いずれにもその役割を果たさない
しかし、ちょっと待ってほしい。その解釈は、おかしい。
〔図表 1〕の全体を見渡してみると、10/3(2010年3月期)と10/6(2010年6月期)のフリーCFが、わずか10億円のプラスであった以外、フリーCFはずっとマイナスなのである。フリーCFで業績悪化を推し量るのであれば、シャープは〔図表 1〕の左端にある08/3(2008年3月期)以降、ずっと業績悪化と評価されるべきなのだ。
ところが、シャープの業績悪化が話題になり始めたのは、2011年後半になってから。〔図表 1〕において黒色で染めたフリーCFを、業績悪化のシグナルとするのは、おかしいといわざるを得ない。ましてや、フリーCFを業績評価の一助とするのは、企業を見誤ることになる。フリーCFに関する第1の(実務上の)欠点だ。
また、フリーCFを、使途自由のCFと定義するのであれば、資金運用表や資金移動表などに組み込んで、〔図表 2〕で求めた金額が、流動資産・固定資産・流動負債・固定負債・純資産の間でどのように流れるのかを説明すべきであろう。これは、第94回コラム(パナソニック編)でも指摘した。
ところが、そうしたことを解明した経営分析論や管理会計論は存在しない。これがフリーCFに関する第2の(理論上の)欠点だ。
第3の(制度上の)欠点は、現在の連結CF計算書は、第2と第4四半期しか開示されないことだ。第1と第3の四半期は、その開示が省略される(四半期連財規則5条の2)。半年に一度しか把握できないフリーCFでは、分析の用をなさない。
実務・理論・制度のいずれにおいても、フリーCFは、その役割を果たしていないことがわかる。
タカダ式フリーCFの基礎となる
最適キャッシュ残高を求めかた
〔図表 1〕ではもう一本、赤色の曲線を描いている。筆者オリジナルのものであり、オプションCF(タカダ式フリーCF)と名付けている。これは次の式による。
〔図表 3〕右辺第1項にある「実際キャッシュ残高」は、連結CF計算書がなくても、連結貸借対照表や連結損益計算書から導出できる。先ほどの第3の(制度上の)欠点を有しない。
〔図表 3〕右辺第2項の「最適キャッシュ残高」は、次の方程式を用いている。変数などの詳細は、拙著『会計&ファイナンスのための数学入門』で確認していただきたい。
〔図表 1〕を見ると、〔図表 4〕で計算したオプションCF(赤色の曲線)は、一貫して右肩下がりの傾向を示している。過去4期にわたり、シャープのオプションCFは「何か」を訴えかけていたのだ。絶対的通説として君臨するフリーCFとは異なる視点である。
話の始まりは
2011年3月期を見ることから
そこで、〔図表 3〕のオプションCFをベースに、シャープのオプションCF活動表を、筆者自製の原価計算システム『原価計算工房Ver.6』を用いて、次の〔図表 5〕で作成してみた。本コラム公開時より1年半前の、2011年3月期に係るものである。なお、以降の図表は、項目や金額を要約したものであり、億円未満の端数調整は行なっていない。
〔図表 5〕の最上段にある「タカダ式内部留保」とは、〔図表 3〕で計算したオプションCF(の増減額)を含めていることによる。
オプションCF活動表の構造については、第94回コラム(パナソニック編)で紹介した。その基本は「上から下へ」、すなわち「タカダ式内部留保 → 固定資金 → 経常資金」へと、キャッシュが流れることを「是」とするものである。下から上への流れを「非」とする。
現在の会計制度が定めるキャッシュフロー計算書(連結を含む)は、下(財務活動CF)から、上(投資活動CFなど)への逆流現象を認めている。だから、キャッシュフローを読み解くのが難しいのだ。逆流現象を認めるようでは、「フロー」とはいわないであろう。
税務署と株主は、
企業のために何もしてくれない
第94回コラム(パナソニック編)のときは、タカダ式内部留保の貸方にある減価償却費が、なぜ、自己金融(内部金融)の効果を持つのかを説明した。今回は、タカダ式内部留保の借方に、なぜ、法人税等や剰余金の配当等(会社法461条)があるのかを説明しておこう。
タカダ式内部留保は、(オプションCFを除けば)キャッシュの出入りが行なわれず、企業内部に蓄積されるものから構成される。企業にとって「自立エネルギー」と呼べるものだ。
そうしたなかで、法人税等と剰余金の配当等は、企業の自立エネルギーをひたすら消耗させる。なぜなら、法人税等と剰余金の配当等には“ give and take ”の原則が成り立たないからだ。
税務署へ税金をたくさん納付したからといって、税務署職員が、企業のために何かをしてくれるわけではない。株主へ配当金をたくさん支払ったからといって、株主自身が企業のために汗をかいてくれるわけではない。
税金も配当金も、企業の側からすれば支払う一方であり、企業の自立エネルギーを削ぐだけなのだ。故に、両者を合わせて「社外流出」と呼ぶ。それを明らかにするために、オプションCF活動では、法人税等と剰余金の配当等を、タカダ式内部留保に計上している。
連結CF計算書では、法人税等は営業活動CFに計上され、剰余金の配当等は財務活動CFに計上される。社外流出としての扱いがバラバラだ。
まれに、フリーCFを「内部留保」と誤認している例がある。それは大きな間違いであることを、第4の欠点として指摘しておく。そもそもの話として、〔図表 2〕のフリーCFを内部留保に組み入れることは、「簿記の貸借問題」として不可能なのだ。
フリーCFは、
企業に対する評価を誤らせる
〔図表 5〕では、法人税等や剰余金の配当等に対峙する形で、オプションCFをタカダ式内部留保の貸方に計上している。フリーハンドのキャッシュとして位置づけているからだ。
オプションCFは、固定資金の設備投資として使用しても構わないし、経常資金の仕入債務の支払いに充当しても構わない。使途自由なものとして「上から下へ」と流れていくのが、オプションCFの意味するところである。
〔図表 5〕の自慢は、〔図表 3〕で求めたオプションCFを、図表の中に組み入れている点だ。
それに対して、〔図表 2〕のフリーCFのほうは、どうであろうか。上場企業の決算短信や有価証券報告書などでは、「フリーCFの改善」は経営課題の一つとして、しばしば取り上げられる。
ところが、経営分析などの世界でしばしば登場する「資金運用表」や「資金移動表」に、フリーCFを組み込んで、分析の用に役立てている事例を筆者は見たことがない。先ほど第2の(理論上の)欠点として指摘したとおりである。
相互に関連性のない分析道具を単に並べただけでは、企業に対する評価を誤らせる。フリーCFに関する第5の欠点として挙げておこう。
2009年3月期にも大幅な赤字に
陥ったのに経営不安の声はなかった
〔図表 5〕を大局的に見るならば、「タカダ式内部留保の余剰4105億円」で、「固定資金の不足2301億円」と「経常資金の不足1804億円」を賄(まかな)っている。2011年3月期は、健全な状態であったと評価できるであろう。
では、翌2012年3月期は、どうであったか。この期は、税金等調整前当期純利益で▲2384億円を計上した。
と、その前に、いまから3年半前の2009年3月期のオプションCF活動表を〔図表 6〕に掲げて、露払いを行なっておきたい。
税金等調整前当期「純利益」の場合、その金額は貸方に計上される。〔図表 5〕の2011年3月期は「純利益」であったので、貸方に計上されていた。
ところが、〔図表 6〕の2009年3月期では、貸方に2041億円が計上されている。これは「純損失」を意味する。この期は、2008年9月期に起きたリーマン・ショックの影響で、上場企業のほとんどが減収減益を余儀なくされた。
その3年後の2012年3月期でも、ほぼ同額の純損失2384億円を計上することになるのだが、2009年3月期の時点では、シャープに経営不安の声は起きなかった。当時、「赤信号、みんなで渡れば〜」であったわけではない。
〔図表 6〕で重要なのが「タカダ式内部留保の余剰1110億円」だ。「減価償却費3051億円」という自己金融効果が働いている。
2009年3月期では、「タカダ式内部留保の余剰1110億」だけでは「固定資金の不足1667億円」を賄いきれないので、コマーシャル・ペーパー1775億円に頼った面もあるが、長期借入金93億円や社債488億円なども利用して、有形固定資産2369億円への設備投資を補っている。
赤信号を無事に渡りきったということだろう。
自転車操業に
陥った12年3月期
そこで問題となるのが、2012年3月期のオプションCF活動表だ。〔図表 7〕に示す。
〔図表 7〕から読み取れることを、いくつか指摘しておく。
1つめは、2012年3月期の税金等調整前当期「純損失」2384億円が、2009年3月期のとき(純損失2041億円)とほとんど変わらないことだ。「収益性の悪化」だけでは、2012年3月期を語れない。
何が異なるのか。
2012年3月期では、減価償却費2484億円などの自己金融効果が吹き飛んで、「タカダ式内部留保の余剰」が218億円へと激減していることだろう。企業としての「自立エネルギー」が枯渇している。
2つめは、固定資金の貸方にある。真っさらだ。ぽっかりと穴が空き、「キャッシュフローの空洞化」が起きている。
シャープの連結CF計算書には、定期預金収入や長期借入金収入などの貸方項目が計上されているので、それらを〔図表 7〕の固定資金に埋める方法もあるだろう。
ただし、オプションCF活動表の目的は、「上から下へ」の流れを見るところにある。項目同士を要約すると、借方の「固定資金(キャッシュ・アウト・フロー)」がそれらをすべて飲み込んでしまった。少なくとも、固定資金内部では、資金の融通は行なわれなかったのだ。
「タカダ式内部留保の余剰218億円」では、「固定資金の不足1999億円」を当然、賄えない。その結果、経常資金でコマーシャル・ペーパー2119億円の調達が行なわれている。
資金回収に長期間を要する固定資金を、短期の経常資金(コマーシャル・ペーパー)で調達すると、どうなるか。返済期限に追い立てられるのは明らかだ。これでは完全な自転車操業である。
〔図表 7〕の貸方に計上されたコマーシャル・ペーパー2119億円に係る返済期限を、数カ月ごとに繋いでいき、それをどこまで続けていけばいいのかが、みずほコーポレート銀行や三菱東京UFJ銀行などにとって最大の悩みであろう。
固定資金に難渋するだけでなく
経常資金もままならぬ
シャープにおいて、もう一つの不安材料は、経常資金の借方にある棚卸資産だ。〔図表 5〕の2011年3月期と、〔図表 7〕の2012年3月期を見ると、棚卸資産が借方に登場する。これは「キャッシュ・アウト・フロー」を表わす。
シャープの連結財務諸表に計上されている棚卸資産について、その四半期移動平均を算出したところ、4000億円から5000億円の間で安定推移していた。また、2011年後半以降、棚卸資産の残高自体は減少傾向にある。
ところが、である。
次の〔図表 8〕で回転期間を解析してみたところ、奇妙な波形が現われた。
〔図表 8〕の右端を見ると、12/6(2012年6月期)の棚卸資産回転期間が3.5カ月を突破してしまった。固定資金の調達に難儀するだけでなく、日常の運転資金もままならぬ、といったところか。
志の低い経営分析で
シャープを語ってはならない
筆者のキャッシュフロー分析は、オプションCF〔図表 3〕 → キャッシュフロー方程式〔図表 4〕 → 〔図表 5〕から〔図表 7〕までのオプションCF活動表へと、すべてを関連させ、体系立てて展開している。連結CF計算書やフリーCFなどを「つまみ食い」したような、志の低い経営分析で企業を語るのは失礼だ、という思いがあるからだ。
その体系の中で、結論をまとめよう。第89回コラムでは、ファナックにあり、シャープにないものとして、「顧客創造力(需要)」を挙げた。今回のキャッシュフロー分析から浮かび上がるものは何か。
シャープが、海外の経営ノウハウや販売網などを必要とするかどうかは、他の論者に委ねる。
筆者が示す実務解は、〔図表 7〕の「キャッシュフローの空洞化」を埋めてくれる「何か」だ。都市銀行などの金融機関が、シャープを支援するのであれば、同社の再生は可能であると、筆者は推測している。
ただし、第89回コラムで指摘したように、シャープや金融機関などが、「作ったものはすべて売れる」ことを仮定するCVP分析(損益分岐点&限界利益分析)に基づいて、「資本注入すれば必ず黒字化する」と考えているのであれば、シャープの再生計画は確実に頓挫する。損益分岐点や限界利益(または貢献利益)を用いて分析を行なうことは、「是」でもなければ「非」でもなく、「偽」の結果を招くことを改めて指摘しておく。
金融機関が見限るならば、液晶技術などを、台湾などの海外勢へ手放すしかない。金融機関の覚悟が問われる、といってしまえば、荷が重すぎるか。ニッポン経済にとって、日本航空の再生よりも、シャープの再生のほうが重要案件のような気もするのだが、液晶技術は政治家にとって「票」にならないということなのだろう。
http://diamond.jp/articles/print/26893
【第90回】 2012年10月26日 週刊ダイヤモンド編集部
【鴻海精密工業】
巨大化する“アップル工場”が抱える
利益低下の憂鬱と次なる野望
今年3月、経営危機にあるシャープとの資本提携で一躍注目を集めることになった鴻海精密工業グループ。たたき上げの創業者が率いる世界最大の“黒子”も、事業モデルの曲がり角にある。
9月23日夜、電子機器生産の世界最大手、台湾・鴻海精密工業(通称フォックスコン)の中国・山西省の太原工場で、従業員のいさかいが発生した。「2000〜3000人規模の暴動に発展した」との現地報道に、電機業界には大きな衝撃が走った。
それもそのはずだ。アップルは2日前にスマートフォンの最新作「iPhone5」を発売したばかり。出荷台数は年間約1億台超、売上高7兆円を超える大ヒットシリーズの生産を、この鴻海グループの工場群と100万人を超える従業員が支えているのだ。
同グループの郭台銘(テリー・ゴウ)会長は翌日、飛行機で現地入り。「アップルのiPhone5の生産は死守する」と、即座に生産再開をアナウンスした。その対応でわかる通り、同社のアップル向けのビジネスは、社運を左右する特別な存在だ。
同社の2012年の売上高(予想)は10兆5300億円(1台湾ドル=2.67円換算)と、10年間で10倍超に成長した。ソニー(6兆4932億円、11年度)を優に超えて、韓国サムスン電子の11兆8000億円(11年)に迫る(バークレイズ・キャピタル証券推定)。
同社の売上高を顧客ごとに分類すると、アップル向けビジネスの比率が著しく高い(図1)。
今年、アップル向け事業は全社売上高の約4割に達する。iPhoneシリーズや音楽プレーヤーのiPodを手がけるデジタルポータブル部門は前年比46%増、iPadとMacを担当するデジタルシステム部門は前年比24%増と、売上高を牽引する。
iPhone5の生産ピークとなる今年9〜12月期は、ついに比率が5割を超えるとの見方もある。
一方で、パソコン業界が頭打ちになっており、ヒューレット・パッカード向けのパソコン製造の伸び率は前年比5%ほど。またゲーム機のビジネスも然りで、ソニー(プレイステーション3)や任天堂(Wiiなど)向けの売上高も6%の成長にとどまっている。
では絶好調のアップル向け事業で、甘い果実を得られているのか。
拡大画像表示
右肩上がりの売上高に対して、実は営業利益率は低下の一途をたどっている。2000年に10%超だった営業利益率は、目下2%台に(図2)。過去最高益(営業利益3270億円)を記録したのは、意外にも5年前のことだ。
主な理由は二つある。
一つ目は急騰する中国の人件費だ。鴻海グループの生産拠点の90%は、中国と台湾にある。沿岸部では2000年代半ばは月々の賃金が900元(約1万2000円)だったが、10年には工場内で労働環境を原因とする自殺者が相次いだとの指摘を受けて、一気に賃金を2倍の1800元(約2万2000円)に引き上げた。さらに毎年15〜20%で上昇中だ。
相対的に安価な労働力が集まる内陸部へのシフトも、莫大な支出を伴っており「最先端の製造技術を、人件費の安い中国に持ち込み、ブランド品として輸出する」というビジネスモデルが曲がり角に来ているのは間違いない。
二つ目は、アップル向けのEMS(電子機器受託製造サービス)の競合メーカーの存在だ。
例えば、台湾のパソコン大手、エイスースから分社したペガトロンは10月にも登場する小型のタブレット型端末「iPad mini」の生産を大量受注したもようだ。アップルは常に複数メーカーからの供給でコストダウンを図る。それによる鴻海の収益面への影響が注目されている。
部品ビジネス吸収で
新たな“果実”狙う
そこで、iPhoneに使われる液晶ディスプレイやタッチパネル、カメラ用レンズ、リチウムイオン電池などの部品事業の利益を“丸呑み”する戦略に出ている。
調査会社のIHSアイサプライによると、売価617ドルのiPhone5の原価は207ドルだ(図3)。最もおカネがかかっているのは、タッチパネル式の液晶ディスプレイ(44ドル)で、通信用半導体チップ(34ドル)、カメラ部分(18ドル)、リチウムイオン電池(4.5ドル)と続く。
一方、鴻海グループの利益の源泉となる組み立てのコストは、わずか8ドルと3.8%にすぎない(子会社が手がける筐体を含めても7.1%)。これでは人件費高騰などを吸収し切れない。
そこでアップルと培ってきた太いパイプを利用して、「上流工程」のビジネスを、なんとか取り込もうとしているわけだ。
実は過去数年にわたり、試行錯誤を続けてきた(図4)。
09年には台湾の液晶パネルメーカー、奇美電子に出資。液晶テレビの市況悪化や、スマートフォンに必要な高精細化への技術的なハードルは残っているが、タッチパネルの製造もすでに可能で、着実に液晶パネル関連事業に触手を伸ばしている。
さらにリチウムイオン電池やカメラ用レンズ、音響部品にも注力。同社に詳しいバークレイズ・キャピタル証券の楊応超アナリストは「来年はアップル製品の部品コストの10%ほどを供給するにすぎないが、14年に20〜30%近くまで上がっているはず」と指摘する。
目下、経営危機にあるシャープとの提携交渉が注目を集めている。シャープの再建のカギであると同時に、鴻海グループにとっては高付加価値の液晶パネル事業を取り込むという、ビジネスモデルの転換を懸けた失敗できない理由があるのだ。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 後藤直義)
http://diamond.jp/articles/print/26375
第128回】 2012年10月26日 桃田健史 [ジャーナリスト]
九州北部の自動車産業集積3大エリア訪問記
――日本製造業の空洞化を防ぐ「最後の砦」
九州自動車産業の実情【後編】
九州北部に位置する
3つの自動車産業集積エリア
福岡で九州自動車に乗る前、縦118cm×横84cmの大きな地図を、ドバっと広げた。
「九州の自動車関連企業立地マップ」(九州自動車・二輪車産業振興会/平成24年2月作成)である。
それによると、九州全土で合計989社。その約半分は福岡県にあり443社。次いで、大分県153社、熊本県118社、佐賀県92社、鹿児島県87社、宮崎県67社、そして長崎県が29社だ。
これら各社の分布は、福岡県内と大分県北部に多い。これは至極当然のことだ。その地域に、トヨタ自動車九州宮田工場、同苅田工場、同小倉工場、日産自動車九州、日産車体九州、そしてダイハツ九州大分(中津)工場、同久留米工場があるからだ。
そうした自動車メーカーの工場を軸に、この地図を改めて見た場合、北部九州の自動車産業集積地は、筆者の見立てでは大きく3つのエリアに分かれる。それは、@福岡県京都郡苅田町(かんだまち)エリア、A福岡県宮若市エリア、B大分県中津市エリアだ。
なお、熊本県内で熊本市と阿蘇市の中間、菊池郡にホンダの熊本製作所がある。同所では2012年10月1日から、埼玉県朝霞市の二輪車開発・購買部署が合流し、二輪車開発・製造の新体制が敷かれる。今回、取材目的が四輪車を中心としており、同所周辺エリアを取材対象としなかった点はご了承いただきたい。
またここで、補足として「九州は他地域と比べて、本当にコストは安いのか?」、つまり「九州シフトのメリット」についてご紹介しておく。
まずは、「製造業における一人あたりの現金給与」(平成21年度経済産業省・工業統計)。
全国を1.00とすると、北海道0.78、東北0.81、関東1.04、中部1.07、近畿1.03、中国1.00、四国0.90、九州0.89、そして沖縄が0.63だ。
これを、九州を1.00としてみると、全国が1.12。そして自動車製造業が多い関東が1.17、中部が1.20となり、それぞれ九州に比べて20%近くも高い。
また、福岡県の土地の平均価格(国土交通省・平成23年度都道府県地価調査)は、工業地の平均価格が東京の11分の1以下、準工業地では同5分の1以下、商業地では同6分の1以下と大幅に安い。
民営家賃(総務省統計局「小売物価統計調査(平成24年5月)」)では、1坪あたりの月額が東京都区部8820円に対し、大阪市が5721円、名古屋市が4791円、そして福岡市が4331円、北九州市が3929年と東京の半額以下だ。車庫賃料では、東京都区部の2万6400円に対して、福岡市が1万167円、北九州市が8133円とこれも大幅に安い。
このように、固定費となる人件費、土地代などで、関東、中部の企業にとって「九州シフト」によるコスト削減効果が大きいことは明らかだ。
では、ここから先、北部九州3つの自動車産業集積エリアを順番に訪問してみよう。
炭坑とセメント、
さらに最新型自動車へ
「なんとも、エネルギッシュだな!」
セメント、金属、自動車等、様々な産業の巨大建造物が立ち並ぶ工場群。火山地帯特有の豪快な形状の山々。そして、波穏やかに広がる周防灘(すおうなだ)。その海上左側には、全長2.1kmの北九州空港連絡橋。さらにその奥には、山口県宇部市が見える。
ここは、福岡県東部、人口3万6102人の福岡県京都郡苅田町(かんだまち)。筆者が立っている場所は、町の海岸線にある工業地帯のほぼ中央、九州電力・苅田(ここでは「かりた」と読む)発電所の屋上だ。
視線を手前に向けると、2つの石炭貯蔵所。その隣には、オーストラリア・クイーンズランド州から運行する石炭船の船着場。その石炭が米粒状に粉砕され、この建物の真下のボイラー内で下から巻き上げられ燃焼。その熱を蒸気タービンへ、さらに排気ガスでガスタービンを回す。これが同発電所の特徴である、加圧流動床複合発電方式だ。
同発電所は1956年、石炭火力発電所としてスタート。それには、苅田町が1944年、筑豊炭田からの石炭積出港として整備されたという関係がある。その後、石油火力へと転換するが石油ショックを経て事業転換。2001年には世界的にも珍しい石炭の複合火力発電を導入した。
この見晴らし最高の屋上で、海側を見る状態から180度振り返ると、周辺の山肌が削られ、そこが白っぽく見える。ここは、石灰石が採取される平野台、日本有数のカルスト大地だ。その豊富な資源により苅田町には1964年から現在に至るまで、麻生セメント、宇部興産のセメント工場が操業している。それらはこの屋上から海側を向いて右側にある。その少し山側には日立金属・高級機能部品カンパニー・自動車機器事業部・九州工場がある。
九州電力・苅田発電所屋上からみた風景。手前から麻生セメント、宇部興産、その奥に日産自動車九州のバース。積載台数5500台の自動車船が2隻停泊中 Photo by Kenji Momota
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そうした素材、部品の大企業群の先に、2000年に専用外航バース(貨物船の積下ろし用着岸場所)となった日産自動車九州バースが見える。ちょうど、最大積載台数5500台の大型自動車船が二隻停泊している。この一帯、236万2000m2が日産自動車九州だ。1975年、日産自動車九州工場としてエンジン生産を開始、翌年「ダットサントラック」で完成車生産を開始した。そして近年、日本国内自動車産業の「九州シフト」が加速するなか、2009年には敷地内に日産車体九州を設立。2011年に日産自動車九州工場から日産自動車九州となった。総従業員数は3509人(平均年齢44歳)、期間従業員は500人強だ。
日産自動車九州、正面入口 Photo by Kenji Momota
年間生産台数は、日産自動車単独で同九州工場時代の2003年が53万台でピーク。リーマンショック後の2009年には32万台となった。その後、日産車体が加わり2010年に48万台、2011年が59万台と躍進。2012年は昨年と比べて生産の増加傾向が明確だ。現在の生産能力は年産65万台で「現在、生産能力の限界に近い状態で稼働している」(同社関係者)という。
輸出拠点としての色合い濃厚
今後は国内向け拠点として重要度上昇
製造ラインは3本。日産自動車九州・第1工場の1ライン(タクトタイム《工程作業時間》約62秒)、では「ムラーノ」、「デュアリス」、「セレナ」、「ティアナ」を生産。同第2工場の1ライン(タクトタイム約57秒)では「エクストレイル」、「ノート」。また「ローグ」は両工場で。そして日産車体九州の1ライン(タクトタイム133秒)で、「キャラバン」、「パトロール」、「エルグランド」、「クエスト」、インフィニティ「QX56」を製造している。
日産自動車九州、ウェルカムセンター。毎年秋は、地元の小学生の社会科見学ツアーが多い Photo by Kenji Momota
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こうした車種構成から分かるように、ここは輸出拠点としての色合いが濃い。主体は北米向けで生産総数のうち約57%を占める。この他、欧州向けが約5%、アジア向け等のその他が約16%である。そして日本国内向けは約23%。だが同工場は今後、日本国内向け製造拠点として重要度が上がるのは確実だ。
その理由は、日本市場での需要がまだ高まると考えられる中型ミニバンで、旧型と価格据え置きで低燃費を実現した「S-Hybrid」搭載の新型「セレナ」が販売好調なこと。さらには、これまでの追浜工場(神奈川県横須賀市)を主要拠点としてきた小型車ラインの一部を、世界戦略車「ノート」から九州へ移管したことだ。同車は日本国内向け年産12万台(同車発表時、志賀俊之・日産COOのコメント)を目指すとしている。
国内生産全体を見ると、日産では「国内生産100万台」の維持を打ち出している。その6割以上を担う生産拠点として、九州の重要度は極めて高い。また、日産国内製造拠点のあり方という観点では、日本全拠点が連携したカタチで「グローバル市場に対するマザー」を目指している。
そのなかの役割分担として、@栃木工場・いわき工場は「品質領域でのリーダー」、A関東(追浜、横浜工場、日産車体、テクニカルセンター等)は「EV、新技術、新工法開発でのリーダー」、B東海(ジャトコ、愛知機械工業等)は「トランスミッション等開発生産でのリーダー」、そして、C九州は「地域の優位性を活用して、コスト領域のリーダー」とし、それぞれの地域が目指す方向性を明確に打ち出している。
こうしたなか、コスト削減の観点から、サプライヤーも含めた「九州シフト」が進み、ティア2、ティア3など九州地場企業の掘り起こしと育成を進めている。と同時に、海外部品調達についても検討を進めている。現在、日産自動車九州での現地調達率は金額ベースで50%。残りの50%は海外を含む九州以外だ。
この他同社では、より効率的な製造を目指し、全6班の週間でのシフト体制を工夫する試みも実施している。
では、再び、九州電力苅田発電所の屋上へ戻ろう。
雰囲気はトヨタ自動車東北に近い?
新トヨタ城下町の拡大
今度は、周防灘を正面に、左手前方に視線を移す。そこに三菱マテリアル九州工場がある。同所は1920年(大正9年)、同社の全身である三菱鉱業苅田工場として設立された。そこからさらに海側、新北九州空港連絡道路沿い、同連絡橋の手前の新興工業団地が見える。ここに、トヨタ自動車九州・苅田工場がある。敷地面積32万m2で鋳造工場、機械加工・組み付け等のラインを備える。第1ラインが2005年12月、第2ラインが2008年4月に製造を開始した。従業員数は約680人(2010年9月時点)。製造しているのは、排気量3.5リッターV型6気筒「2GR」エンジンだ。生産能力は年22万基。
トヨタ自動車九州小倉工場付近。北九州空港に向かうこの道を真っ直ぐ行くと、右手に同苅田工場がある Photo by Kenji Momota
また、同工場から新北九州空港道路を約2.5km、内陸部側に戻ると、そこにトヨタ自動車九州・小倉工場がある。ここで、ハイブリッド車用のトランスアクスル(トランスミッションとデファレンシャルギアの一体構造品の総称)を製造している。敷地面積は34万m2。住所では北九州市小倉南区だが、エリアとしては苅田町に隣接している。2008年8月に製造開始、従業員は約250人(2010年9月時点)。生産能力は年8万4000基だ。
これらふたつの工場の生産品を載せたトラックは、新北九州空港道路が直結する東九州自動車道・苅田北九州ICに入り、トヨタ自動車九州・宮田工場を目指す。
苅田北九州ICから8.2km北上すると、九州自動車道・北九州ジャンクション。そこから西へ26.1km、宮田スマートICを降りる。と、その目の前が、トヨタ自動車九州・宮田工場だ。宮田スマートICは2011年3月26日に、西日本初の高速道路本線直結型スマートICとして開通。北九州方面からの出口、北九州方面への入口であり、まさに「トヨタのためのインターチェンジ」だ。
IC開通前は、2.8km西寄りの若宮ICを利用し、一般道を約3.5kmを走行していた。その周辺ではいまも、大規模な道路拡張工事が進んでいる。こうした各種のインフラ整備は、先日取材したトヨタ自動車東北の近隣に新設された東北自動車道大和(たいわ)IC周辺の状況と似ている。
トヨタ自動車九州・宮田工場。全景写真と、施設案内図 Photo by Kenji Momota
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トヨタ自動車九州・宮田工場がある宮若市は2006年、宮田町と若宮町が合併して誕生。
現在、同市内には、トヨタ自動車九州のある宮田団地(有木団地)を軸として、同(若宮地区)、桐野A、桐野B、壱丁田、飯之倉、万ノ浦、四郎丸、咲原、徳丸、鶴田など工業団地に自動車部品や半導体関連メーカーが進出している。また、同市に近い、鞍手郡鞍手町、同小竹町、直方市、宗像市、飯塚市、田川市等に自動車関連部品企業が多い。宮田工場周辺の山間部であり、大きな産業がない。1991年12月に操業開始した同工場により、現在の宮若市周辺はトヨタ城下町へと大きく転換したのだ。同工場、操業からの累計生産台数は450万台を突破している。
トヨタ自動車九州宮田工場から、新門司港へと向かうとみられる、レクサス各車を積載したトラック Photo by Kenji Momota
同工場の敷地面積は113m2。前述の日産自動車九州の約半分の広さだ。第1工場では、「サイ」、「ハイランダー」、レクサス「RX」、同「HS」、同「CT」。2005年9月に稼働した第2工場はレクサス専用となり、「RX」、「IS」、「ISコンバーチブル」、「ES」を生産する。同工場での生産能力は年産43万台、従業員総数は約6800人。勤務体制は6:00〜14:40、14:50〜23:30の二直だ。
新門司港、トヨタの専用自動車船。対岸には、神戸、徳島、東京等へ向かうフェリーが停泊 Photo by Kenji Momota
今回、第1工場を見学した際、同日の計画生産数は270台。ちょうど、尖閣諸島問題で中国販売について今後の対応策が同社内で検討されていた頃だった。工場内は、多数のメインラインとサブラインが巧妙に連動し、ライン上にはトヨタらしい総合アンドン、工程アンドンが見える。
完成車を積載した輸送トラックは、宮田スマートICから九州自動車を東へ40.1km、新門司ICを降りて新門司港へ。トヨタ輸送の自動車船で名古屋港等へ運ばれる。また、中国、韓国向けの輸出では、九州自動車道・若宮ICから30km程の博多港の香椎パークポートのトヨタ自動車輸出ターミナルで船積みされる。
また、福岡県や九州経済産業局が進めている、自動車関連の研究開発について、トヨタ自動車九州では「2010年代前半に宮田工場敷地内に、車体開発拠点の新設」を表明しており、地元企業も新しいビジネスチャンスに対して期待を寄せている。
では最後に、北部九州自動車産業「第三の集積地」へ向かってみよう。
「唐揚げ日本一」、
スモールカー世界No.1へ
大分県中津市(人口8万5876人)、地元の飲食店店主がこう漏らす。
「まあ、確かにダイハツができたことで、周辺の部品メーカー進出も含めて、街は活性化した。でも、このあたりは航空自衛隊(築城基地)を含めて公務員が多いので、基本的に生活が安定した人が多い。それに最近、中津は「からあげの聖地」として、全国から注目されています」
中津市は大分県の北部、周防灘に面している。前述の苅田町からは国道10号線と有料道路の椎田道路を経て、約36km南下する。この区間では、東九州自動車道の建設工事が進んでいる。同道は全線開通すると、北九州から九州の東側を一気に抜け、鹿児島まで約436kmに及ぶことになる。
中津市中心部から、海沿いの県道23号線を5kmほど走る。このあたり、苅田町周辺と比べると山が海からかなり奥にあり、平野部が広い。
ダイハツ九州・大分(中津)工場、正面入口 Photo by Kenji Momota
左手に真新しい工場が見えてきた。2004年12月操業開始、敷地面積130万m2のダイハツ九州大分(中津)工場だ。同工場の各所に、「世界一のスモールカーメーカーの実現」というスローガンが目立つ。
ダイハツ工業(大阪府池田市)には現在、この中津工場を含め全国に製造拠点が4箇所ある。@本社(池田)工場で、「コペン」、「ブーン」、トヨタ「パッソ」、「クー」、トヨタ「bB」、「ビーゴ」、トヨタ「ラッシュ」。A滋賀(竜王)工場で「ムーヴ」、「タント」、スバル「ステラ」。B京都工場でトヨタ「プロボックス」、「サクシード」、「シエンタ」。そして、Cダイハツ九州大分(中津)工場では、第1工場で「ミラ」、「アトレーワゴン」、「ハイゼットカーゴ」、「ハイゼットトラック」。2007年11月稼働の同第2工場で、「タントカスタム」、「ミラココア」、「ムーヴコンテ」。さらに、「第三のエコカー」としてヒット中の「ミライース」はボディ色により、同第1・第2工場双方で作り分けられている。この他、保冷車、CNG(圧縮天然ガス)車、車椅子用の乗車スロープのついた「ハイゼットスローパー」などの特装車を同第1工場で製造している。
こうした人気車種・生産車種の多さから分かるように、生産能力・年産46万台の中津工場はまさに、ダイハツの国内事業の中核なのである。
なお、ダイハツ九州の前身は、1960年に群馬県工場誘致条例第1号となった、ダイハツ工業の子会社、「ダイハツ前橋製作所(1977年にダイハツ車体に商号変更)」だ。同社は2004年11月、軽四輪生産累計400万5809台をもって前橋工場を閉鎖。その翌月には、ダイハツ九州大分(中津)工場が稼働するという、見事な「九州シフト」を成し遂げた。旧前橋工場から中津工場には約350人が転属し、現在でもそのうち約200人が就業している。
そして2008年8月、ダイハツ九州・久留米工場(福岡県久留米市/建屋面積約1万8000m2)で、中津工場生産車向けのエンジン生産を開始。生産能力は年産約21万6000基。
2012年9月6日の同社発表では、約70億円の設備投資により、建屋面積を約2万7000m2に拡大し、製造ラインを2本化。これにより生産能力が年産32万4000基へ増強される。これまで中津工場向けの不足分は、滋賀工場から輸送していたが、その分のコスト削減につながる。なお、CVT(無段変速機)は、久留米工場にほど近い福岡県朝倉市にある、ダイハツの子会社・明石機械工業・九州工場(2009年10月操業開始)からトラック輸送している。
また、ダイハツ九州の車体設計・開発拠点として「開発センター(仮称)」を2010年代に、福岡市の西約25kmの九州大学伊都キャンパスの近隣地に進出する予定だ。このように、ダイハツの「九州シフト」はまだまだ続く。
第1工場のコンセプトは「クリーン」
「コンパクト」「コンファタブル」
ダイハツ九州・大分(中津)工場の航空写真 Photo by Kenji Momota
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さて中津工場、そのコンセプトは「C・C・C WAVE(3つの大きな波を起こす新時代の工場)。この3つのC、「クリーン」では環境モデル化(地球環境保全対応)とし、国内車両組立工場で初の排水設備を導入(最大で排水40%を再利用)。「コンパクト」では、高効率化(超低コスト、リードタイム短縮等)。そして「コンファタブル」で、良好な作業環境づくりと地域環境への万全の配慮だ。
これらのなかで、最大のファクターは「コンパクト」だ。工程別では、物流(中津港を使った完成車海上輸送)、プレス(高生産性大型プレス/1時間あたり800枚)、ボディ(多車種対応汎用溶接ライン)、塗装(水性塗料の省エネ塗装ライン/中塗り、ベース、クリアで水性3ウェット塗装)、そして組立(モジュール方式の採用等で、工程数ミニマム化)とした。
では実際に、工場内で「コンパクト」の様子を見てみよう。今回は第1工場の、ボディと組立ラインを見た。
まず最初に感じたのは、従業員が若い。聞けば、平均年齢は30歳。前述の日産自動車九州の44歳と大きく違う。操業開始からまだ8年なので、当然かもしれないが、この若さにおける人件費低減のメリットは絶大だ。従業員数は約3000人で、その8割が大分県出身。
2直のシフトは、6:30〜15:10と16:10〜0:50 だ。
溶接では自動化率が高い。川崎重工、不二越、そして地元九州の安川電機(北九州市八幡西区)のロボット合計450基が稼働している。
組立ではライン構成を「太く短く」とし、メインラインとラブラインを効率的に分業する。混流の基本的な仕組みとして、「トラック」、「商用軽」、「乗用軽」を3台ひと組で流す。これは、工程数が徐々に増えるので、最初の2台で余った時間を「乗用軽」に振り分けることができる。尚、このラインで最大、9車種の混流が可能だ。タクトタイムは66秒。
さらにメインラインでは架台の上下で同時に部品組み付けを行なっている。トヨタ自動車九州や日産自動車九州では、車体全体を持ち上げるアコーディオンリフトなどを使い、車体下の部品取り付けを行う。それを、この中津工場では、事実上の地下に潜り込むエリアがあり、同時に地上部分で車内部品等の取り付けを行う。
またその際、車内には車種別で黄や青など色分けされたいくつかの箱が置いてある。それは部品箱だ。中は各部品の形状にくり抜かれており、部品の入れ間違い、取り間違いを防いでいる。この部品箱へ部品を入れるのは女子従業員で、各部品箱に部品入れ込み担当者の顔写真が貼ってある。尚、全従業員中、女子社員は約120人。
「スリム・シンプル・コンパクト」
を掲げる第2工場
こうした様々な工夫を凝らした、第1工場。それをさらに大幅進化したのが第2工場だ。
コンセプトは、「スリム・シンプル・コンパクト」。今回は見学できなかったが、第1工場内でDVD映像や資料により、その凄さを感じた。
第2工場の建屋面積は、第1工場(約11万m2)の半分以下で、約5万3000m2。にもかかわらず、両工場の生産能力はともに、年産23万台なのだ。その秘密は、@溶接ロボットを超効率的に配置。設置密度は第1工場の実に3倍という、ギュウギュウ詰め。A塗装で、車体の向きを横向きで搬送。コンベア長さを第1工場の半分に短縮。など、スーパー製造技術テクを駆使した。尚、プレス工程は第1、第2工場で共用だ。
こうして完成した各車は、2009年4月に輸出の直接乗り入れも可能となった中津港へ。同工場から約2kmの専用道路が整備されている。自動車船は積載台数280台のダイハツ専用船と、トヨタと合同配船の大型船を使う。
また、中津工場全体での部品調達は、九州現地調達率が約70%。同工場から半径100km以内にサプライヤーがいる。残りの約30%が関西、中京から輸送されてくる。この他、同工場敷地内に、サスペンション関連部品等を納入する葵機機械工業(滋賀県湖南市)の中津工場が進出している。同工場敷地内にはまだ空き地があり、今後、他のサプライヤー関連施設の新設も考えられる。
ダイハツ「ミライース」報道陣向け試乗会の際の資料。九州の現地調達について Photo by Kenji Momota
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なお、2011年9月、ホテルニューオータニ幕張(千葉県千葉市美浜区)で開催された「ミライース」の報道陣向け試乗会での商品プレゼンで、九州での部品現地調達についての説明があった。それよると、「ミラ」の場合、プレス部品を岡山から、シートベルト周辺部品と愛知から、ドア部品を広島から中津工場へ搬送していた。その場合、金額ベースで九州の現地調達率は62%だ。
それを「ミライース」では、福岡、佐賀、大分の地場メーカーからの納入に切り替え、同65%の達成。今後さらに+3%の同68%を目指すとした。今後、福岡県内に「開発センター(仮称)」が開設されると、地場企業との設計段階から連携することで、さらなる現地調達率の上昇が期待される。
九州のポテンシャル、
まだまだある!
本稿では前編、後編で、九州自動車産業の実情をてんこ盛りにご紹介してきた。
取材時、さらには取材後の資料整理から執筆にかけて、筆者の一貫した感想は「やはり、九州が『最後の砦』になるな」だった。
筆者は過去、日米欧、BRICs、Next11など、世界各地で数多くの自動車関連の製造拠点を実際に見てきた。そうした体験のなかで、「現時点での九州」には、他地域ではなかった「自然体のなかでジワジワと湧き出してくるようなパワー」を感じた。地理的条件、コスト要件だけでなく、自動車製造と九州は、相性が良いように思えるのだ。
今後、韓国・中国などからの輸入部品が増える可能性は高く、現状以上の技術・品質・コストの競争が活発化する九州自動車産業。だが、九州にはそうした戦いを勝ち抜いていくだけの、力強さがある。
これからも九州、大いに期待したい。
http://diamond.jp/articles/print/26663
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