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結婚とは人生で最大の修業場である
第4部(その5)〜「不安定な時代だからこそチャレンジせよ」
2012年10月25日(Thu) 森川 友義
今回でこの連載は最終回です。
第2部「なぜ結婚はうまくいかないのか?」の理由その10「家事の寡占は腐敗を招き、共同作業はただ乗りを招くから」において、夫婦生活では、家事の独占は「腐敗」を生み出し商品の劣化を招き、他方、夫婦の共同作業はどちらかの「ただ乗り」を生み、どちらの場合もうまくゆかないということを解説しました。
従って、夫婦関係を継続するには難しいとの結論を出しました。
でも、腐敗しようが、ただ乗りを生もうが、夫婦関係は継続しなければなりません。どちらの方がよりマシなのか、という問題が存在します。
「幸せな結婚」への解決策、最後の(5)として、この問題の答えを出します。答えは、21世紀にあっては、「補完」よりも「重複」です。
男は外に出て経済的資源を安定的に獲得し、女は家庭にとどまり、炊事育児を担当するという時代は終わりました。
夫の職業が公務員といったような超安定的で、なおかつ年収が手取りで1000万円を超えていれば、夫が経済的資源を、妻が家庭内労働を担当する専業主婦でもやっていけるでしょう。
しかし、経済的な先行きが不透明な21世紀では、このような分業は「幸せな結婚の継続」とは必ずしも結びつきません。お互いにないスキルを補完し合う仲より、同じような行動をして重複する仲へと移行するのが正解です。
「20世紀型夫婦像」のメリット・デメリット
夫に経済的資源の安定供給を担当させ、妻に家庭内労働を担当させるといった「20世紀型夫婦像」には確かに大きなメリットがありました。
まず夫側。
戦後から20世紀末までは、年功序列、終身雇用に裏打ちされて、60歳定年までは、給料は年齢とともに上昇し、定年まではよほどのことがない限り解雇されることもありませんでした。
低リターンではありますが、低リスクの雇用制度だったと言えます。先が見えて将来設計が容易な分、子供2人、郊外一戸建てといった「平凡な家庭」を望む女性にとっては、結婚とは安定であり、将来に不安のない永久就職だったのです。
ところが、1980年代後半にバブルが弾け、グローバル化(米国化)が促進された21世紀に入ると、年功序列、終身雇用といった日本の伝統的雇用体系が崩れて、会社に勤めることが必ずしも低リスクではなくなりました。かといって低リターンから脱却したわけでもありません。
さらにはデフレによる消費マインドの冷え込み(大盤振る舞いするはずのデートもしょぼくなっています)、若者の間で顕著になっている非正規雇用者の大量生産(2012年6月現在、日本には正規雇用者3370万人に対して非正規は1775万人もいます)という状況になるに及んで、20世紀的な平凡な家庭が構築しにくくなってきました。
夫の収入に頼って家族が生きる・・・。これほどリスクが大きいことはありません。20世紀に比べたら、明らかに高リスク低リターンです。
他方、妻の家庭内労働の独占。
確かに、家庭内の仕事は多岐にわたりたいへんです。家庭内で行われている仕事に専門的な名称をつけるとするならば、妻の役割は、ファイナンシャルアドバイザー(CFO)、心理カウンセラー、コールガール、シェフ、バトラー、教師、レジャーコーディネーター、保育士、家政婦、おかかえ運転手、秘書、メンテナンススタッフ・・・、場合によってはCEOにもなったりしています。
このように家庭内で多岐にわたり、独占的な企業経営となると、すべてに精通した万能選手でない限り、メリハリをつけて仕事をするわけですが、最終的には何をしても「褒めてくれない夫」では、徐々に労働のレベルが劣化していくことは必定です。
カスタマーサービスをしようとしても、カスタマーが無反応ですから。「ありがとう」も言ってくれないし・・・。
最終的にどうなるかと言うと、良い意味でも悪い意味でも「補完」し合う関係となります。完全分業とは、良い意味では、お互いがお互いを必要とする関係です。
悪い意味ではビジネススキルを失った妻と、「妻がいないと何もできない、料理したくてもコンロの使い方も知らない」夫・・・。
両者の関係は20世紀だったら、1つの理想的関係を構築していたことになります。何しろ、お隣さんとの多少の比較はできても、お互いは独占的に所有し合い補完し合う仲なので、自分にはできないものを提供し合う間柄だからです。
しかし、21世紀の日本社会では、その補完関係もデフレスパイラルと同じように負の連鎖になっています。デフレで給料が減り、給料が減った分、家庭内労働の質量も悪くなる・・・。
さらに、やっとの思いで購入した一戸建ての「うさぎ小屋」も、人口減を背景に不動産価格が下落してローンの残債が売却金額より多くて売るに売れず、夫は減収か左遷か解雇かのじり貧人生・・・。
他方、夫との関係が希薄になった妻は、愛情の向かう先が子供に集中して子供べったりとなる・・・。また両親ともに子供にリスクを取らせないから大志を忘れて小さくまとまり、挙句の果てに結婚せず、親の遺伝子は途絶えてしまう、という事態になっているのです。
補完する関係とは、一方のスキルだけ持ち、他方のスキルを持たないというわけですから、21世紀のような不安定な時代には、そぐわないのです。
21世紀は共同作業の時代
それでは打開策はあるのか?
21世紀において「幸せな結婚」を継続するためには、万が一に備えて、「重複」しておくことです。経済的資源の獲得を重複させておけば、激動の時代のリスクヘッジになります。一方が倒れても他方で生き延びることが可能になるのです。
そのためにも、まず、女性は結婚したとしてもビジネススキルを手放さないことです。つまり、仕事を継続する。
21世紀は、子供をつくりつつ、男女ともに共働きする時代です。夫は仕事だけに専念し、妻は仕事と家事の両方をこなすという男にとって都合のいいふうにはいきません。
共働きを前提で夫婦像を探ろうとすると、結婚の新しい形が見えてきます。先に「共働き」を既定のものと決めてしまうわけです。そのあとに最適の関係を考えるという手法です。
まず、妻が継続して経済的資源を獲得しようとするわけですから、当然、夫もそれなりの家事を行わなければなりません。フィフティ・フィフティの関係です。これができるかどうかは、両者の仕事の軽重によるのでしょうが、子供がいなければ可能なはずです。
というわけで、子供問題。共働きをしているからといって子供をつくらないというのは小物、前時代的考え。キャリアと子供の両方を取ってこその21世紀型夫婦像です。
出産・子育ては大変ですので、現実的には家事の一部を外注せざるを得ません。家政婦を雇うか、あるいは妻の母に育児を手伝ってもらうかとなります。
テレビドラマ「家政婦のミタ」以降、家政婦を供給する民間システムが加速しているようなので朗報です。仮に妻の給料をすべて家政婦に投入しても、ビジネススキルはずっと継続しているわけですから、子供に手がかからなくなった後に、その点が生きてきます。
妻の母に育児を手伝ってもらう場合には、新居は妻の実家の近くにするのが効率的です。夫としては、妻の親との同居は嫌でしょうから。このような形ならば、3人子供をもうけることは難しいでしょうが、2人くらいならば可能です。
共働きのメリット
夫婦間のリスクヘッジのほかにも、夫婦共働きのメリットはいくつかあります。
第1に、女性の労働力が日本を救います。いままでの専業主婦方式では、女性が長い間培ってきたビジネススキルを放棄することを意味していました。
例えば、女性が、中学受験、高校受験、大学受験して、多額の教育を支払い高い学歴を獲得して、大企業に入り、ビジネスに精通しても、結婚して家庭に収まると、それまで獲得した知識やスキルのほとんどが無駄になってしまうといった事態を招いていたのです。
日本という国をマクロ的見地から見ると、女性が結婚後も労働市場にとどまるならば、その分だけ知識・スキルの総和が積み上がっていくことになります。
第2に、夫と妻の結婚偏差値の上昇を意味します。離婚しても「セカンド市場」での商品価値が高くなります。仕事と家事の両方に精通した夫、妻。
仮にバツイチになっても、夫はモテるでしょうし、妻の方も、見かけ的魅力は落ちてもほかの部分での価値が上昇しているわけですから、永久就職してビジネススキルを持たない女性よりも、再婚の可能性が高いはずです。
夫婦ともに結婚偏差値がアップすると、「じり貧の中での補完」から、「高いレベルの補完」へとなります。仕事と同じです。誰でもできる仕事の給料は低いですが、難しい仕事の給料は高いです。それと同じで交換するものの程度が高いと代替が利かなくなります。
代替が利かない補完、いつでも離婚できるように自分の価値を高めることが、逆に夫婦の離婚をしづらくしていくのです。
離婚か、我慢か
以上で連載終了です。
今年の1月24日から開始し、今週までに35回連載してきました。長い間、ありがとうございました。
第1部では、結婚に至る恋愛のメカニズム、第2部では、どうして結婚がうまくいかなくなるのか(10の理由)、第3部では、結婚がうまくいかないのになぜ離婚しないのか(同じく10の理由)、そして第4部として、幸せな結婚を長引かせる方法を5つ考えました。ご参考になりましたら、幸甚です。
結婚生活は、最終的にはいずれ「離婚か、我慢か」の選択になります。人生が大変長いので、離婚して別の幸せを目指すか、現在の結婚という形はそのままにしつつ、その中でやりくりして我慢という形を取るかにならざるを得ません。
一夫一婦制とは人生30年だった時代に作られた社会制度ですから。ただし、うまくいっている期間が長いか短いか(我慢が短いか長いか)の違いはあります。第4部で述べた通り、夫婦間の努力次第だと思います。
離婚へのアルゴリズム
一生のうちいずれかの時点で訪れる離婚への決断。離婚への意思決定は以下の方程式で計算できます。
離婚への意思決定=
{(結婚中の利得の総和)−(結婚中のダメージの総和)}−{(離婚して得られる将来利得)−(離婚して被る将来ダメージ+離婚手続き)}
上記の意思決定がプラスなら結婚を継続し、マイナスなら離婚に進みます。意思決定アルゴリズムは簡単なようですが、将来予測が入るとなかなか踏み切れないものです。
夫にとっては、子供の親権を妻に渡すと子供の成長過程が見られないし、孤独にもなり、料理ができないとその日の食事にも問題が生じます。
他方、専業主婦だった妻の方は、ビジネススキルが不足していると良い仕事に就くことは難しいです。
結婚前に、どれほど学歴が高かろうが、どれほどビジネススキルを持っていようが、子育てに費やした期間にビジネススキルの形成ができなかったロスは大きく、従って、会社側としては雇用しづらいという状況があります。
また、離婚した後に再婚の可能性がある「セカンド市場」が、我が国では必ずしも整っていないという問題もあります。とにかく人材のアンバランスが激しいので、再婚は非常に難しい。
例えば、セカンド市場に参入してくるバツイチ男は、より若い女を獲得しようとします。例えば50歳で離婚する夫婦の場合、男には30代の女性との結婚が可能ですが、バツイチ女にはそれが難しいです。
もちろん60歳以上の独身男を再婚相手にすることは可能なのですが、現実的には、男の余命や介護の可能性を考えると、女の方が尻込みしてしまうようです。
ですから、第4部の解決策その(5)で述べたように、セカンド市場で自分を高く売るためにも、女性は専業主婦になることなく、会社にとどまり、夫婦で働くことが、21世紀型の夫婦像だと申し上げました。
一度しかない人生、その中で最も高い買い物は、海外旅行でも、一軒家でもありません。人生で最大の買い物は結婚です。ですから失敗してほしくないのですが、実際にはなかなか難しいシステムになっていることは、以上述べた通りです。
でも、結婚とは、人生で一度はしてみた方がよいものではあります。失敗しようと成功しようと、最も多くのことが学べる人生修業ですから・・・。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36387
結婚を成功させる唯一の方法、「ありがとう」
独占禁止法のない世界でカイゼンの実行は難しい
2012年06月07日(Thu) 森川 友義
「結婚がなぜうまくいかないのか?」の10大理由の最後です。「家事の寡占は腐敗を招く、共同作業はただ乗りを招くから」です。前回はどちらかと言えば、夫に起因する問題でした。今回はバランスを取るために、妻側の問題です。
私は、結婚生活を継続させる最大の力は、相互補完だと考えています。「いろいろあっても、この人がいないと立ち行かない」という気持ちが共有できていれば、恋愛感情は冷めても楽しく一緒にいられます。
それこそが、夫婦の最大の資産価値。「おしどり夫婦」と呼ばれる人たちは、きっとそんな関係が築けているのだと思うのです。
でも、これがたいへん難しい。難しいのには理由があるのです。
家庭内では市場経済メカニズムが働かない
夫婦関係に入ると分業を行うことになります。童話の「桃太郎」ではありませんが、「お父さんは山へ柴刈りに、お母さんは川へ洗濯に」行くといったように分業体制が出来上がります。
「山へ柴刈りに行った」お父さんの方の客観的評価は、勤める会社でのステータスや年収に反映されるので数値化が可能です。
昇進したり年収が上がったりしたら勝ち組、左遷されたり、クビになったり、年収が下がったりすれば負け組。このように、世間でも家庭内でも評価されてしまいます。
夫の仕事では、市場経済メカニズムが働いていますので、勝ち負けがはっきりして、客観的評価は容易に行うことができるのです。お父さんが何と弁解しようと、現実に月給が下がれば、お母さんは評価を下げるしかありません。
他方、「川に洗濯に行った」お母さんの方はどうでしょうか?
家事・炊事・洗濯は、お母さんの独占的仕事です。独占状態にありますので、市場経済メカニズムは働かないし、客観的評価がないばかりか、腐敗の温床にもなるものです。
日本には「独占禁止法」という法律があるくらい、市場での独占はいけないことになっています。独占になると価格は上がったり、品質が下がったりするためです。
まさに、夫婦関係における家事・炊事・洗濯・子育て、主婦のする仕事のほとんどは独占状態にあります。もし主婦が2人いて、良い仕事をした方により多くの給料を支払う制度だとどうなるかを考えると問題点が明確になってくるでしょう。
より多くの給料をもらうために一所懸命働き夫に認められようとします。手抜きをすれば、すぐに給料に反映されます。このような市場経済メカニズムが働くような制度では、品質は保たれるものなのです。
しかし、独占状態では、客観的評価は夫が下すにしても、質が徐々に低下していきますので、気がつかない場合も多い。
そのうちなにかがおかしいと思ったときはすでに遅く、「最近、手抜きじゃないかあ」と自覚症状が出る頃には、かなりの重症になっているものです。
直接手抜きを指摘したとしても、最初は「ごめん」としおらしいでしょうが、そのうち「ごめん、忙しくて」とか「ごめん」が消えてしまいます。
「こっちも忙しいのよ」
になり、子供がいると、子供を盾に取り、
「子育ては大変なのよ」
になり、挙げ句の果ては、
「そんなに言うんだったら自分でやってよ」
になります。自分でやれと言われても、分業ですから、お父さんとしても自分ではしたくないし、しなくてもいいのですけれどね。
妻が手抜きをしたとしても、独禁法のような罰則規定はありませんので、ずっと手抜きの状態が続いてしまうことになります。
どんなに不平不満を抱いてもやすやすとは解雇(離婚)はできない。
市場経済メカニズムが存在しなかった社会主義国ソ連が崩壊したのも同じ理屈でしたが、だからと言ってソ連のように崩壊(離婚)するのには問題が小さすぎて、一人泣き寝入りするのが通常のパターンのようです。
共同作業と「ただ乗り」問題
「家庭内の問題は2人で解決するもの」。このフレーズ、理想的ではあります。愛し合う夫婦が家事を共同で行う。このような独占状態から共同作業への方向転換は、問題を解決するのでしょうか?
こちらも不可能です。むしろさらにタチが悪いです。なぜか?
「ただ乗り」問題が生じるからです。
例えば、トイレの掃除はお互いの責任で、というルールを作ったとします。トイレをきれいに保ちたいのは家族全員の願い。従って、ルールを作った当初は、ハイレベルでトイレは隅々までこぎれいに保たれるものです。
しかし「三日坊主」という言葉があるように、最初の熱意はどこへやら、トイレの掃除をさぼる人が出てきます。
そもそも美意識は人によって異なるものですから、汚さへの許容範囲も十人十色です。汚くてもさほど気にしない人もいれば、病的と思えるくらいのきれい好きもいます。トイレの共同掃除という場面では、きれい好きが負け組になります。
一方は「まだきれい」と思っても、他方は「もう汚い」となります。「もう汚い」わけですし、「共同責任」となっている以上、先に汚いと感じた方が掃除をすることになります。従ってきれい好きが常にトイレをきれいにする方程式が出来上がってしまうのです。
トイレに限ったことではなく、また家庭内に限ったことでもなく、この世の中のすべての共同作業(私たち学者は「公共財」と呼びます)には、この「ただ乗り問題」(free rider problem)が生じてしまうものなのです。
日米安保にしても、地球温暖化といった地球環境問題にしても、「ただ乗り議論」が生じる環境は、誰もが参加できて参加者の誰にも責任がない(ある)状態です。地球環境といった世界的問題が解決していないのです。当然、家庭内のトイレ問題も解決しません。
ですから、家庭内問題の解決としての共同作業は避けるべきです。つまり、「ただ乗り」の議論からすると、完全分業体制が家庭内の問題を救うのですが、完全分業体制にすると今度は独占による質の低下問題が生じる。
どうあってもこの問題、解決不可能なジレンマです。
解決策はないのか?
共同作業の弊害と独占による弊害を天秤にかけると、自分に負担をかけない分、夫にとっては、独占的に家事をやってもらう方を選ぶことは明らかです。夫としてみれば、解決策は、完全分業制の中で見つけたいというのが本音です。
それでは、分業制を確立し、家事・炊事・料理・子育ての独占が行われたときに、質の低下はどの程度食い止められるのか、という話になります。
愛情は冷め、幸せにも慣れ、自分が家庭内で一番忙しいと思い込んでいる妻は、家でごろごろしている夫が許せないです。仕事で疲れていて休養しているだけなのに・・・。
夫が実際の仕事で毎日苦労している姿を見ていないですからね。見ているのは給与明細だけですから。
さて、解決策。最も簡単にできる努力は「奥さんを褒める」ことです。良くできた時に褒める。良くできなかった時には褒めない。でも貶してはだめ。毀誉褒貶の褒めが必要ということです。
言葉は無料です。ありがとうもタダ。お金はかかりません。時間やエネルギーもほとんど使いません。努力度でいったら最小の努力の部類に入るものです。
人間、褒められるとうれしいのでさらにやろうとします。手料理がおいしいと言えば、さらにおいしい料理を作ろうとするものです。
家事や炊事が独占であるがゆえに、他者との比較ができません。ですから、夫の給料に見合う以上のことをする可能性があるということです。その起爆剤になってくれるのが「褒め」だと思うのですが、いかがでしょうか?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/35389
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