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世の中は情報化によって、見通しが良くなったのか? いろいろな情報を手に入れることができるようになって、物事は判断しやすくなったのか?
答えは「ノー」だ。
情報化が進むことによって社会が複雑化し、世の中で何が起きているのか、誰もが分からなくなってしまった。
様々な情報を手に入れることができるようになって、物事が複雑化する方向に進み、事実関係が判断できなくなってしまった。
その情報化の行き着く先は何か。それは、世の中の複雑化の加速であり、その複雑性による「自壊」である。分かりやすく言うとこのようになる。
(1)情報化が社会をさらに複雑化させる。
(2)その複雑化で全体像が見えなくなる。
(3)予期せぬ事態を引き起こす。
(4)複雑すぎて問題が解決できなくなる。
(5)複雑化した社会が自壊する。
***** 複雑化した社会は、自壊してしまう
インターネットで全世界がリンクした。グローバル化によって全世界がリンクした。
これによって、世界の片隅で起きている事件が全世界に悪影響を及ぼすことになってきた。
ギリシャの緊縮反対デモは世界を崩壊させるかもしれない。尖閣諸島の問題は世界を崩壊させるかもしれない。
あるいは、アメリカの膨大な累積債務が世界に影響を与えて世界経済を崩壊させるかもしれない。中国のバブル崩壊が世界を激震させて世界経済を崩壊させるかもしれない。
今後、世の中がさらに発展し、様々な事象が絡み合って互いに影響を与えるようになると、世の中がまったく「予測できない」ものへと化していく。
なぜ予測できないのか。あまりにも、世の中に変動を与える要素が複雑に絡み合ってしまっているからだ。
考えなければならないこと、注意しなければならないこと、分析しなければならないことが山のように増える。
その結果、超高性能コンピュータを駆使しても、世の中がシミュレーションできなくなるのである。
これは、国家や行政が、自らの手で社会をコントロールすることができないということを意味している。複雑化した社会が暴走して、誰も止めることができなくなるのである。
その結果、この複雑化した社会が「自壊」してしまうのは、必然的な結末であるとも言える。
福島の原発事故を見ても分かるはずだ。不測の事態で行き着くところまで行くと、最終的に爆発して、後片付けすらできない状態になってしまう。
***** 国も企業も対応できなくなってきている
世の中がどうやら「行き詰まり」になりつつあるのは多くの人たちが感じている。
10年ほど前まで、日本人は国際ニュースにはまったく興味なかったはずだ。
しかし、今ではその日本人も、アメリカの問題からヨーロッパの問題から中国の問題まで、毎日のように海外の動向を見つめている。
そうなった原因はもちろん社会がグローバル化したからである。ほとんど海外に無関心だった日本人も、無関心のままでいられなくなってしまった。
海外の動向が、自分たちの命運を決めるようになっているのだ。だから、どうしても海外に目を向けざるを得ない。
そして、とても皮肉なことなのだが、やっと日本人が海外に目を向けるようになった頃から、資本主義は暴走しはじめた。
2008年9月15日にはリーマン・ショックとなって襲いかかって、各国政府は巨大な金融緩和をして銀行の不良債権を抱え込み、今度はそれが元で国家(ソブリン)そのものが揺らいでいる。
これが現在のギリシャやスペインの断末魔の姿である。
グローバル社会になって世界がリンクして、ギリシャという小さな国の苦悶が、全世界に影響を与えるようになっている。グローバル経済の中では何も関係がないとは言えない。すべてが関係ある。
そして、あまりにも多くの要素・問題・検討事項が関連するようになって、国も企業も対応できなくなってきていることが観察できるようになってきた。
世の中がグローバル化して、何もかもが密接に関連し始めた。これによって、すべてが複雑化した。そして、誰も全体像が見えなくなった。だから、何が起きるのか分からなくなった。
**** 物事が複雑になっているからプロでも負ける
昔、商売というのはご近所だけを相手にしていれば良かった。そのときは誰が醤油を欲しがっていて、誰が何の魚を食べたがっていたか、商売人は知っていた。
しかし、企業は全国を相手にするようになり、やがては世界を相手にするようになる。
そうなると、売れれば巨大企業になるが、見通しを誤るとすぐに莫大な赤字を抱えて存続の危機に陥るようになる。
製品の寿命が短くなり、企業の寿命が短くなった。フェイスブックやグーグルやアップルは、今でこそ時代の寵児だが、10年後どうなっているのか誰も知らない。
なぜか。
すべてが複雑化してしまったので、何が起きるのか誰も分からないからである。
ひとつのイノベーション、ひとつのパラダイムシフトによって、フェイスブックやグーグルやアップルは吹っ飛ぶ可能性がある。
巨大企業であっても、巨大シンクタンクであっても、複雑化した世の中のすべてを見通せるわけではない。
2012年5月11日。投資銀行大手のJPモルガン・チェースがデリバディブ(金融派生商品)の取引で失敗して1600億円ほどの巨額赤字(評価損)が生じたと発表して、この日だけで10%近くも株価が暴落する騒ぎになった。
JPモルガンと言えば、ジェイミー・ダイモンCEOが率いているが、このCEOは銀行規制を痛烈に批判していて銀行もリスクを果敢に取りに行くべきだという持論を展開していた人間だ。
そのJPモルガンが失敗した。注目すべきはプロの中のプロであるJPモルガンですら、情報を読み違えて資金を吹き飛ばしていく。
物事が複雑になっているからプロでも負ける。複雑になればなるほど、その複雑さに対応するためにコストがかかり、コストを維持するためには金がいる。
複雑さの対応をすればするほど莫大なコストがかかり、それでいて「何がどうなっているのか分からない」状態に陥っていく。
***** 一瞬にして名門企業を破壊することもあり得る
現在、株式市場では秒速取引が当たり前になっており、取引の80%近くはすでにアルゴリズム取引(コンピュータによる自動売買)になっているとも言われている。
「秒速1500万トランザクションまでの処理が可能」なコンピュータが、市場で暴走しているのが今の世の中だ。
コンピュータ売買は、コンマ1秒で勝負する世界になっているのである。人間はもはやそこに立ち入ることができない。アルゴリズムに則ってコンピューターが売買を繰り返し、人間を置いてけぼりにして暴走しているのである。
だから、アルゴリズムが「予測不可能な突発的な現象」に落ちると、いくら損失を積み上げる取引だとしても止まらないで突っ走っていく。
ジェイミー・ダイモンCEOがいくら有能でも手に負えない。
ジェイミー・ダイモンは、コンピュータのアルゴリズム(プログラムソース)を責任者としてきちんと読んで把握していると思うだろうか?
あり得ない。
そうなるとどうなるのかというと、うまく動いているときは問題ないが、一度躓くと莫大な資金を飲み込んだまま暴走して資金を吹き飛ばして行く。
複雑さが、存在そのものを自壊させていくのだ。JPモルガンだろうが、ゴールドマン・サックスだろうが関係ない。
複雑化が一瞬にして名門企業を破壊することもあり得る世の中になった。
***** とても危険な世の中になってしまっている
経済が世界中でリンクし、どこかが倒れれば一瞬にしてドミノ的な連鎖反応が起きて、人間がまったく対応できないまま破局に向かう。
複雑化した世の中がさらに高度化していく。それが進歩だと思うかもしれないが、その「進歩」は複雑化ゆえに崩壊していく。これは世の中すべてに対して言える。
昔の固定電話は修理屋が直せたが、今の iPhone は近くの修理屋に持って行ったところで手も足も出せない。
複雑化していくというのは、対応できなくなるということなのである。最後は、その複雑化によって自壊しても驚くことはない。とても危険な世の中になってしまっているのである。
そして、複雑になることによって、世界中で起きる問題をどのように解釈すればいいのか、誰も意思決定ができなくなりつつある。
それを一番痛感しているのは、恐らく企業経営者ではないだろうか。
マネージャーの意思決定は、もう昔のように単純ではない。今は、自社のそれぞれの部門の数字と、全体の財務諸表のデータだけを見ていればいい時代ではなくなった。
インターネットの動きに精通し、マーケティングに精通し、欧米社会の動きに精通し、自社のポジションに精通し、金利に精通し、為替に精通し、他社の動きに精通しなければならなくなっている。
それも、非常なスピードで意思決定が必要になっている。スピードが求められているのに、複雑さは増す一方である。
しかし、いくら優秀な人間がいたとしても、1秒間で1500万の仕事をするコンピュータが暴走したらどのみち対応などできはしないから、複雑化を極めた業界から自壊が始まる。
**** ひとつひとつ無駄を削ぎ落としていくべき
シンプルでないものは、いずれ壊れる。
いつ自壊するのかなど誰にも分からないが、世の中の複雑化がどんどん加速しているのだから、それほど遠い未来の話でもない。
だから、これからの破滅的な世の中でサバイバルするというのは、シンプルになっても自分が生きていけるようにするということだ。
迫り来る社会の崩壊劇の中で生き残るためには、複雑化する世の中とは裏腹に、自分自身の生活そのものは極限までシンプルにしていくことが望ましい。
複雑なものは壊れやすく、いったん壊れたら修復ができない。しかし、シンプルなものは長持ちする上に、壊れたとしても修復しやすい。これは物だけではなく、生活環境にも言える。
インターネットがなくても、携帯電話がなくても、情報がなくても、石油が手に入らなくなっても、ライフラインが停止しても、それで生きていけるのであれば、それはシンプルであるということだ。
日頃、こういったものを利用していても、文明が死んだら自分も死んでしまうことのないように、ひとつひとつ無駄を削ぎ落としていくべきなのだ。
自壊した社会では、流通さえ止まってしまうから、食糧を金で買うことすら難しい世の中になる可能性もある。
世の中が複雑化していくにしたがって、警戒心を高めていき、むしろ自分の生活そのものはシンプル化していくようにしたほうがいい。
生き残りのコツは、複雑化よりもシンプル化のほうにある。
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