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【第64回】 2012年10月16日 出口治明 [ライフネット生命保険(株)代表取締役社長]
たった2週間で昨年1年分を上回る売り上げ
前評判の高い「厚生労働書白書」を読んでみよう
10月11日の読売新聞(朝刊)に、面白い記事が載っていた。「東京・西新宿の書店で、異例のブックフェアが開かれている。一般になじみの薄い2012年版厚生労働書白書をテーマとしたフェアで、この2週間で白書は昨年1年分を上回る部数が売れたそうだ」「今回の白書は、厚労省の20〜30歳代の若手職員が斬新な感性を生かして執筆した。マイケル・サンデル教授の『正義論』を引用、各種制度の歴史も詳述し、『社会保障の教科書』との評価も受けている」。
筆者も、常時、生きた情報(数字・ファクト)の宝庫である各種白書を愛用しているが、では、つとに前評判の高い今年の厚生労働書白書(以下「白書」と呼ぶ)を読んでみることにしよう。
国語ではなく
算数で考える
筆者は、常々、世の中のことは押し並べて「国語ではなく算数で、即ち、数字・ファクト・ロジックで考えなければ、何も分からない」と考えている。よく例にあげるのが、「大きな政府」の話であるが、国語で「大きい政府は税金をたくさん消費するのでけしからん」と言ってしまえば、議論はもうこれ以上先には進まないような気がする。
国語を算数に直して、例えば、大きい政府の1つの指標であるわが国の公務員の数は本当に多いのか、あるいは政府の大小と国際競争力との間には本当に相関関係があるのか等を、数字・ファクト・ロジックで丁寧に検証していかない限り、およそ、建設的な議論は行えないのではないか。 http://diamond.jp/articles/-/19522
嬉しいことに、今年の白書には、数字・ファクト・ロジックを一目瞭然にさせる優れた図表が多く見られる。例えば、次ページの画像は社会保障支出と国民負担率の関係を図示したものであるが、社会保障と税の一体改革の必要性を、これ以上、雄弁に物語る図表はあるまい。
OECD諸国における社会保障支出と国民負担率の関係(2009年)
また、年金については、世間では一般に、世代間における給付と負担の関係が著しく不公平であるかのように喧伝されている。白書は、この問題にどのように答えているのか。
例えば、1950年生まれの人の保険料負担額は1300万円、年金給付額は5200万円で、負担給付比率が3.9倍であるのに対して、2000年生まれの人は、7700万円の負担、1億7600万円の給付となり、その比率は2.3倍である。一見、高齢者が得をしているように見えるが、まず、白書は「高齢世代は、現役時代に(年金が少ない)親を私的に扶養しながら、自分たちの保険料を納め、社会をつくってきた。これに対して、若者世代は、扶養のための経済的負担が軽減されている」と説明している。
これに続けて、「生活水準や経済規模を考えれば、高齢世代の負担は実質的に必ずしも低い負担ではなかったのではないか」「社会資本の蓄積の享受という側面もあり」「前の世代が計算上、負担が少ないからといって、当時の生活状況や社会インフラも含めて、前の世代になりたいと思っている若者世代は、少ないのではないだろうか」と結論付けている。傾聴に値する指摘といえよう。
白書は、「社会保障は、民間の保険商品が『支払い損』とはいえない側面があると同様、社会保険も単純に『支払い損』とはいえない」と述べ、そのリスクヘッジ機能を強調している。その上で、公的年金を「民間では、ほとんど保障できない『終身』で、かつ『老後生活の実質価値の保障』が確保されている保険である」と位置付けている。全く同感である。そうであれば、一定以上の資産を持つ、あるいは所得を得ている高齢者は、自ら生活の実質価値を保障している訳であるから、マイナンバー制を確立し、各自の資産や所得を把握した上で、公的年金を給付しないことが、将来の方向としては、理に適うのではないか。
格差・貧困問題に
もっと目を向けよう
生活保護制度は、憲法で定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(生存権)」を、国が最終的に保障するための制度であって、「社会保障の最後のセーフティネット」であるが、昨今、何かと俎上に載せられることが多い。
しかし、例えば、相対的貧困率(国民を所得順に並べて、真ん中の順位「中位数」の人の半分以下しか所得がない人の比率)を見ると、わが国はOECD加盟国30ヵ国中、27位(14.9%)の劣位となっており、特に、ひとり親家庭の相対的貧困率は58.7%(30位)と、加盟国中、最も高くなっている。生活保護問題を論じる上では、こうしたわが国の実態をよく踏まえた上で、議論を行う必要があろう。
少し気になったのは、「所得の格差を縮めるのは、政府の責任である」と思う人の割合は52.1%であり、ドイツ(東)の78.8%やフランスの77.2%、英国の60.6%等、アメリカ(32.6%)を除く他の先進諸国の結果と比べると、その割合が低くなっていることであった。また、「どちらともいえない(≒よく分からない)」と答えた人の割合が28.9%と、先進諸国の中では最も高い。これが、「この問題をよく考えていない」ということの裏返しでなければ幸いである。
同様に、「政府は貧しい人たちに対する援助を減らすべきだ」という見解について、「そう思わない」と答えた人の割合は42.5%と、アメリカ(65.4%)を含めた先進諸国の中で最も低い水準となっており、「どちらともいえない」と答えた人の割合がこれまた38.9%と、先進諸国の中では群を抜いて最高位を占めている。
これらを社会の弱者に対する視線が弱まっているのではないかと危惧するのは、深読みのしすぎだろうか。何れにせよ、私たちは、市民の所得や貧困問題について、もっと真摯に向き合うべきではないかと考える。
男女間賃金格差(男女間のフルタイム労働者の賃金の中央値の格差を、男性の賃金水準で割った値)は、32.0であって、韓国(39.8)を除く先進諸国の中では、最も高い。これも、決して褒められた話ではあるまい。因みに、OECD諸国の平均は18.3であった。
白書は、日本社会の長所として、「経済水準の高さ、就業率の高さ、教育水準の高さ、長寿社会を実現した質の高い保険医療システム」を挙げる一方で、日本社会の課題として「所得格差、男女間格差、社会的つながり、社会保障の安定財源確保(≒社会保障と税の一体改革)」を指摘している。白書の中では、このような認識に至る思考のプロセスが、数字・ファクト・ロジックで丁寧に語られているので、ぜひ一読してほしい。筆者は大変勉強になった。
子どもの健全な育成こそ
最優先されるべき事柄
以上、白書を読んで気がついた点について、いくつか触れてきたが、白書も指摘した社会的な信頼感やつながりについて、最近気になったことを最後に述べておきたい。
新聞で、「『保育園で子どもたちの声がうるさい』という住民のクレームが役所に寄せられ、対応に苦慮している」という記事を読んだが(10月14日朝日新聞朝刊)、これはまさに少子高齢化社会の病理現象の1つではないか。子どもがうるさいのは、ごく自然な当たり前の現象である。それを十分に考慮することなく、目先の対応として、ペアガラス「開かずの窓」や園庭使用制限に走る。そういった閉じ込められた空間で、私たちの将来を担う次の世代の子どもたちが果たして伸び伸びと育つだろうか。
クレームを寄せた住民が働けなくなったときに支えるのは誰であろうか。こういった、社会的なつながりを欠いた(と筆者には思われる)一部の市民のわがまま(エゴ)を、役所は本当に聞く必要があるのだろうか。役所は毅然として、保育園の窓を全て開け、園庭で子どもたちを自由に遊ばせてほしい。夜になれば、子どもたちは大人より早く眠るのだ。
筆者もとうに還暦を迎えたが、高齢者の生きる意味は、次の世代を健全に育てることにあり、沈む船からボートを降ろす時は、「子ども・女性・男性・高齢者の順」という古今東西の真理を片時も忘れることなく、人生を全うしたいと考えている。繰り返しになるが、次の世代を担う子どもたちを、健やかに育てるという視点こそが、国の社会保障政策の立案に際しては、全てを差し置いて最優先されるべき事柄なのだ。
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(文中、意見に係る部分は、すべて筆者の個人的見解である)
http://diamond.jp/articles/print/26333
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