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トヨタがやっとの思いで中国で売りだしたHV車カムリ(「トヨタHP」より)
トヨタが中国でうまくいかないのはケ小平の呪い? レアアースと引き換えにHV技術を中国に売るトヨタ・ホンダ
http://biz-journal.jp/2012/10/post_787.html
2012.10.03 ビジネスジャーナル
暴行事件は9月15日、陜西省西安市で起きた。買い物を終えた中国人男性が、妻、息子、息子の婚約者とトヨタ自動車のカローラに乗っていたところ、反日デモ参加者が棒、石、鉄製の鈍器を振り回しながら襲ってきたと、中国紙・北京青年報はこう伝えた。
妻は夫を傷つけないように懇願し「日本車を買ったのは間違っていました。もう買いませんから」と言ったという。だが、男性は頭を殴られ、一時、意識不明となった。
日本政府が尖閣諸島を国有化したことに反発する反日デモは、現地に進出する日本企業を標的とした。工場は壊され、日本車はひっくり返され、火をつけられた。
日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は9月20日の定例記者会見で、トヨタ車などが破壊されている映像を、「見るに堪えない。自分の体が痛めつけられているようだ」と嘆いた。
トヨタにとって中国は鬼門だ。2011年の中国の自動車市場でのトヨタの販売台数は88万台で、シェアは5%前後。米ゼネラル・モーターズ(GM/販売台数254万台)や独フォルクスワーゲン(VW/同225万台)に大きく引き離され、日産自動車(同124万台)の後塵を拝してきた。業界では“ケ小平の呪い”と囁かれている。
中国の最高指導者、ケ小平(当時・副首相)は78年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初めて来日し、昭和天皇や政府首脳と会談した。新日本製鐵の君津製鉄所、東海道新幹線やトヨタ自動車、松下電器産業(現・パナソニック)などの先進工場&技術の視察を精力的にこなした。この訪日でケ小平が目の当たりにした日本の躍進ぶりが、後の改革・開放政策のアクセルの役割を果たしたといわれている。
ケ小平の要請で新日鐵は、上海の宝山製鐵所の建設支援を決定。松下電器は、北京でブラウン管のカラーテレビの合弁工場をつくった。
だが、トヨタは中国進出の要請を断った。これに対し、帰国したケ小平は「今後30年間、中国大陸でただの1台も(トヨタの)車を作らせるな」と部下に言い渡したと伝えられている。トヨタ首脳が「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体、何年かかるでしょうか」と冷笑したのが原因とされる。
もちろんトヨタは、こうした噂を否定しており、これは一種の都市伝説だったのかもしれないが、“ケ小平の呪い”が一定の説得力を持つほど、中国とトヨタの関係は友好とはほど遠かった。80年代、中国からの再三の進出要請にもかかわらず、トヨタは中国に目を向けなかった。トヨタが最優先したのは北米市場だった。ソデにされた恨みを中国側は決して忘れなかったようだ。
●中国による国ぐるみの交渉に譲ったトヨタにホンダ
トヨタが中国で出遅れた理由ははっきりしている。中国政府が合弁事業を許可しなかったからだ。同社が天津汽車集団との合弁会社、天津トヨタを設立できたのは00年。だか、結局天津汽車は赤字続き。02年に中国自動車最大手の第一汽車集団が、天津汽車を買収して仕切り直しとなった。その後、04年にどうにかカローラの生産にこぎ着けたが、時、すでに遅し。中国市場で同社は、独VWと米GMの2強の背中さえ見えなくなっていた。
欧米のライバルに大きく水を開けられたトヨタもこの時、巻き返しに一歩踏み出した。中国第4位の広州汽車集団との間で合弁会社、広州トヨタを設立した。北米市場で大ヒットしたカリムを生産して、中国市場参入の突破口にするつもりだった。だが、エンジン製造の許可は得たが、乗用車製造の許可は下りなかった。
一方で、独ダイムラークライスラーのベンツの生産は、北京汽車集団との合弁が異例の早さで許可され、当初06年の予定だったベンツの生産開始が05年に繰り上がった。広州トヨタがカムリの生産を開始するのは06年5月。08年の北京五輪に先立つ“乗用車特需”に乗り遅れてしまった。中国の自動車市場が爆発的に伸びるなか、トヨタだけがシェアを落とし続けた。中国政府によるトヨタのいたぶりかと疑われるほどの事態だった。
それでも中国は、日本メーカーのHV(ハイブリッド車)やEV(電気自動車)の技術が喉から手が出るほど欲しかった。そこでHV技術の取り込みの切り札としたのは、レアアース(希土類)である。レアアースはHV車のモーターなどハイテク製品の生産に欠かせない。日本は、そのほぼ全量を中国からの輸入に頼っていたが10年、同国が大幅な輸出規制に乗り出した。レアアースの輸出を対日外交カードとして切ったのである。
日中経済協会訪中団の張富士夫団長(トヨタ自動車会長)と最高顧問の米倉弘昌・日本経団連会長らは11年9月6日、中国の李克強・筆頭副首相と会談。レアアースの中国側の供給削減に懸念を表明した。これに対して中国側は、安定供給の見返りとして、レアアースを使う製品の現地生産を求めた。ハイテク製品を中国で生産すれば、レアアースを供給するという交換条件を出してきたのだ。充電池メーカーから技術流出を懸念する声が挙がったが、日本勢は中国側の提案に乗った。
12年4月23日に開幕した「北京モーターショー2012」で豊田社長は、HV車の現地での一貫生産を表明した。ホンダもHVの基幹技術を中国の自動車メーカーに供与すると明らかにした。トヨタ、ホンダという2強が、中国政府の要請を受け入れたのである。
中国側の魂胆はわかっていても、「中国で出遅れていると言われるたびに、悔しい思いをしてきた」という豊田社長は、巻き返しを図るためにお家芸のHV技術を投入するしか道はなかった。15年までに基幹部品からの現地での一貫生産に踏み出す。
中国政府のお墨付きを得たトヨタは今年9月、反転攻勢に出た。新美篤志・副社長は四川省成都市で開かれた自動車の国際会議で、「15年をメドに中国での新車販売台数を11年の2倍の180万台に引き上げる」方針を明らかにした。
新工場を含めて生産能力を大幅に拡充する。低価格の中国専用車は13年から2つの現地の自動車メーカーとの合弁会社である一汽トヨタ、広州トヨタから発売。先行する米GMと独VWを追い上げる体制を整えたのである。
だが、日中関係の悪化で、出足からつまづいた。反日の不買運動にともなう販売の落ち込みと在庫累積などの被害は当初予想を大きく上回る。トヨタは今年、中国市場で100万台を販売する計画だった。トヨタの全世界の販売量の10%だ。この目標は、現地の雰囲気を見る限り、達成は難しそうだ。
中国政府は国内自動車産業育成のために、中国企業との合弁という条件を飲んだ外国企業の参入しか認めてこなかった。利益の半分は中国側に渡さなければならず、しかも技術などが流出する危険がある不平等条約だが、13億人という世界最大の人口を抱える巨大市場の魅力は大きい。日本の自動車メーカーは次々と中国市場に参入していった。中国側は、合弁会社で得た利益と技術を元に、中国資本の自動車メーカーを育成したのである。
中国側の狙いがHV技術にあることはいうまでもない。「これを手に入れたら、トヨタに難癖をつけて中国から締め出すハラではないか」(自動車担当アナリスト)との観測もある。トヨタにとって、中国はやはり鬼門なのだろうか。
(文=編集部)
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