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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1209/19/news016_3.html
改正貸金業法の施行を受け、貸金業者はわずか6年で6分の1に激減した(2006年3月末に1万4236社→2012年3月末に2350社)。仕事があるのに、融資を受けられないがために仕事を請けられない……。こんなケースが出てきているのだ
■多重債務問題のその後
それでは、改正貸金業法のそもそもの立法趣旨であった多重債務者問題は、果たして解決したのだろうか。
多重債務者の定義は5社以上の借り入れがあるかという形式的要件で決めていた。しかし、実際のところ、返済の可能性はその人の借り入れしている社数のみと必ずしも相関するものではない。3社であろうが2社であろうが、あるいは1社であっても返済不能に陥る債務者は発生しうる。
また、日弁連は「金利が高いから多重債務に陥る」と主張してきた。だが、果たして金利が多重債務の原因なのだろうか。
実は、返済不能に陥るかどうかは社数からだけでも金利からだけでも判断はつかず、金利と支払い能力の関係をきちんと見極めることで判明してくるものである。いわゆる「破たんの臨界点」といわれる一線を超えるかどうかを見る必要がある。
これは当然の話のようであるが、その人が破たんするかどうかは単に金利が高いかどうかではなく、借りたお金に対してその人の返済能力がどの程度あるかという関係で決まってくる。 月5万円返済できる人にとって、改正前の29.2%の金利下で返すことのできる限度額は205万円。これが改正後、例えば15%に下がった金利で借りることのできる限度額は400万円に増える。この人にとって、この金額を超えて借りてしまえば実は「破たん」なのだ。
この考え方ではっきりと分かることは、返済能力が一定であるならば、金利が下がることで借り入れできる限度額は増えるということだ。しかし、その限度額を超えるところまで借りてしまうような破たん予備軍は、何社からも借りる「多重債務者」という言い方よりも「過重債務者」という言葉がふさわしいと思われる。
例えば、「新たな多重債務者」を出さない点に力点を置きすぎたことで、既存の債務者の実情を調べずに「総量規制」を決めた。「総量規制」が既存の債務者に適用されるのは法律が完全施行される3年あまり後に発生する新規融資からであり、その間に不具合は調整されると思っていた。しかし、完全施行直前の2009年に行われた調査では、約半数が収入の3分の1を超える借り入れを受けていたことで、「総量規制」の対象となることが判明した。改正時の見込みは大きく外れ、失敗に終わったことを大いに反省しなければならない。
それに、もう1つ重要なことだが、本来「多重債務者問題」という社会問題に対しては、経済原則の働くビジネスの側面と、社会福祉政策の側面とがあり、対策も分けてアプローチしていかなければならない。しかしながら、経済的側面からの対応を超えることができなった。
「多重債務者」の問題のなかには、貸し手側の問題だけでなく、そもそもとても返済能力があるとは思えないような方が利用者に含まれているという借り手側の問題も多々存在している。そういった利用者は本来であれば生活保護、生活福祉資金貸付などのセーフティーネットの分野に誘導していくべき借り手であり、そのような対策をもっと真剣にやるべきであった。政府に働きかけて「多重債務者対策本部」を設置させ、さらに私が内閣府の副大臣の時には「消費者庁」を新設(全党一致)した。だが、今現在外から見ている限り、消費者庁が中心となりながら、国民生活センターや地方の消費生活センター、法テラス、社会福祉協議会、警察庁、金融庁、貸金業協会等がネットワークを張って、問題ある借り手をセーフティーネットへ誘導する対策に努力しているとの動きは聞いていない。
■「弱者保護」がさらなる弱者を生んでいく
2006年3月末に1万4236社あった貸金業者数は、2012年3月末には2350社まで、法改正を受けてわずか6年で6分の1に激減している。(貸金業者数が最大だったのは1986年の4万7504社)。仕事があるにもかかわらず、融資を受けられないがために仕事を請けられないというケースが生まれている。「弱者保護」がさらなる弱者を生んでいく一例である。
これは、派遣切りに代表される弱者を救済しようという旗印のもとで提出された「改正労働者派遣法」(派遣業者への規制を強化する法案)や、「最低賃金法」(最低賃金の上昇は企業経営の悪化を招き、廃業や解雇、雇い止め等労働環境の悪化をもたらしかねない)、「借地借家法」(借り手の権利が強過ぎることで貸し手の家賃収入や土地再利用に過度な不利益が生じかねない)といった、第数々の規制をめぐる議論とまったく同じ構図だ。
また、海外の事例ではあるが、米国で採用されている、黒人や有色人に向けた大学など教育機関への進学優遇措置や連邦機関や自治体などへの雇用優遇措置「アファーマティブ・アクション」や、マレーシアの「ブミプトラ政策」も似たような弱者救済策であると同時に、その救済策がさらなる弱者を生んでいるという弊害が指摘されていれる。
「ブミプトラ政策」は、先住民で国民の65%を占めるマレー人がイギリス植民地時代にイギリス人や華僑から搾取され不利な立場に追い込まれていたことを踏まえ、独立後、マハティール政権下で推進された一連のマレー人優遇政策である。
結果としてマレー人の優位性は回復されたものの、一方でマハティール前首相自身、その著書で「マレー人には勤勉さが足りない」と述べており、優遇政策には懐疑的な面があることも示唆している。(抜粋)
実際はマレー系民族間でも貧富の格差が大きくなっており、優遇措置の恩恵を被っているのはマレー系実業家といった富裕層が中心となってしまっていて、本来の弱者優遇の目的から現実が乖離してきているという見方もある。
過大な優遇政策が国民から「独立心」と「勤勉さ」をそいでいる可能性を暗示しているのではないか。
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