サムナーのブログより、”The problem with New Keynesian models of optimal policy rules”(16. September 2012)。ウッドフォード祭りをご存知ない方はご一読の前に本サイトのこれ、himaginaryの日記におけるこれやこれに目を通しておくことをお勧めします。
多くのニューケインジアン達が、NGDP目標よりも(厚生の観点から)よい結果を上げるフレキシブルインフレ目標ルールがあると指摘している。それは正しい。私も一つ前のポストにおいてNGDPLT(名目GDP水準目標)が常に最適な政策ルールというわけではないというウッドフォードの主張に同意した。しかしいくつかのコメントを読むとあのエントリは修正する必要があるようだ。私はフレキシブルインフレ目標がNGDPLTより優れているとするニューケインジアンモデルの有効性を認めているわけではないのだから(そう読めてしまうのは失敗だった)。私が理論的に最適だと見ているのは全く別のルールで、名目賃金目標だ。
先ほどジョージ・セルギンのコメントに気づいたのだが、ニューケインジアン金融モデルに対する私の異議申し立てをうまく述べてくれている。
スコットもみんなも「名目GDP目標は最適ではないが実践的に良い解決策だ」論を余りにも易々と受け入れ過ぎている。今回のウッドフォードの文章と彼の同系列の仕事を詳細に見直したのだが、それらの中にはいつも物価の変動を「悪いもの」として扱う損失関数があった。それはいつも非明示的なものというわけではなかった。しかしそのように扱うための説得力ある根拠は書かれていない。単に「最適ではないが実際的には正当化される」のような表現でのごまかしがあるだけだった。(ところで同様なことはゼロインフレが最適だと扱うヴィクセルの議論にも言える。ゼロインフレを達成する政策は、金利を「自然」水準に保つことと同じだとするのだから。実際にその議論が成り立つのは生産性成長が一定の場合だけで、もちろん通常はそうではない)
もちろん、NGDP(または名目収入)目標が特に「最適」なものではないことはほとんど間違いない。しかしそれは他の通常の選択肢に比べて「最適」さにおいて劣るということを意味しない。今やDSGEなど多くの研究がこれを補強している通りだ。
ジョージに100%同意。私は「インフレの厚生損失」を想定することは、NGDPの変動や行き過ぎにおける厚生損失を考えるよりも良いとしょっちゅう言ってきた。このことはマーケットマネタリスト陣営が「モデルを欠いている」と見做されていることとも深く関係している。私とてモデルを示してきたのだが、他の経済学者たちはモデルの何たるかをわかっていないのでそれをモデルと認識できていないのだ。彼らはモデルとは方程式の束だと誤解している。誤解なきよう、方程式は有益だ。私も 方程式を使ったモデルで賃金ターゲットの最適性を示した論文を公にしているしNGDP先物目標についても同様。しかし正直なところ、これらの論文の方程式群は単にモデルの仮定から直感的に明らかなことを述べているだけなのだ。
ここが多くの経済学者がわかっていないところだ。われわれはいかなる政策が最善かを数学モデルで示せるような段階にまだ達していない。インフレの厚生損失についてさえ十分に知ってはいない。CPIがインフレの厚生損失の代理変数たりえると考える人の推す最適政策ルールにおいて、インフレが重要な役割を果たすのは当然のことなのだ。そしてジョージや私のようにインフレの厚生損失をよく表すのはNGDPだと考えるならば、政策ルールの中でNGDPが重要な役割を果たすことになる。常識的なことだ。
1970年代にミルトン・フリードマンはマクロ経済学がヒュームを超えたのは一点のみ — 名目の変化の一階微分の扱い方を知っていること — しかないと言った。1920年代の経済学者たちはマクロの問題を方程式ではなく言葉で議論していたものだ。そのアプローチに戻るのは無意味なことではない。
http://econdays.net/?p=7105
ウッドフォード「名目GDP目標は妥協案」
経済 |
Mark Thomaやサムナーが賛意を表しつつ紹介しているWaPoインタビューで、ウッドフォードがそう述べている。
We proposed what we called an “output gap adjusted price level target”. The idea was to talk about a price level, as opposed to the inflation rate, but a corrected price level target where you add to it some multiple of the real output gap. In various models you could show there were ideal properties to this kind of proposal. But in only relatively special circumstances would that coincide with nominal GDP. I thought there was a strong case for having the nominal level variable, but not just a price index, to also take into account the level of real economic activity. But it’s not just real economic activity. It has to be corrected for potential growth. There are a lot of things to discuss about the ideal level of the target variable, but I was mostly arguing for the desirability of schemes that involved a level variable.
The thing about the Jackson Hole talk this year is that probably the most practical version of such a proposal that you can imagine the Fed adopting is an NGDP target. That is a compromise relative to the theoretical ideal. It’s worth asking what you could imagine the Fed actually going for, which is not going to be what, in an ideal world where everyone understood economics perfectly, you would want to do.
(拙訳)
(Woodford=Eggertsson(2003)で)我々は「生産ギャップで調整した物価水準目標」というものを提案しました。インフレ率ではなく物価水準を対象にする、という話ですが、その際、実質生産ギャップの何らかの倍率を加えた修正済み物価水準目標とする、ということです。この目標政策は、様々なモデルにおいて理想的な特性を有することが示せます。しかし、それが名目GDPと一致するのは、比較的特別な状況下においてのみです。名目水準変数を対象とすべき強力な理由があるというのが私の考えでしたが、それは単なる物価指数ではなく、実体経済の活動水準を取り入れるべき、と考えていたわけです。潜在成長率で修正を掛けるべき、ということです。目標変数のあるべき水準という点についても論じるべきことが数多くありますが、私は専ら水準変数を伴う政策スキームが望ましいということを論じていました。
今年のジャクソンホールで話したことは、そうした提案でFRBが採用すると考え得る最も現実的なバージョンは、おそらく名目GDP目標だろう、ということです。理論的な理想から言えば、それは妥協案です。FRBが実際にどんな政策を採用できるか、と問うことは意味のあることです。その政策は、皆が経済学を完璧に理解している理想的な世界で実現したいと考えるような政策にはならないでしょう。
またウッドフォードは、1990年代末に日本に対して政策提言を行った際にも、既にバーナンキと微妙な意見の違いがあった、と述べている。
We certainly talked about the issue then, because both he and I were interested in the Japanese situation and writing things about it. There was always some difference in emphasis in our preferred advice back then. He gave a lot of emphasis on the idea that purchases as such were the key, or at least that’s something he would give a lot of emphasis to as opposed to being committed to particular targets. I thought future policy and the targets of future policy was the correct thing to talk about. He also talked about the desirability of commitments to keep interest rates low as a policy tool that could also be used but he never pushed it as hard as I would have pushed it. So there was probably some difference in preferred approach even then.
(拙訳)
確かに当時、我々はその問題について話し合いました。彼も私も日本の状況に興味を抱き、それについて書いていましたので。当時、各人がそれぞれの政策提言において重視した点には若干の違いがいつもありました。彼は購入自体が重要だ、という考えにかなりの重きを置いていました。少なくとも、ある特定の目標にコミットする、ということに比べれば、彼はそうしたことにかなりの重きを置いていました。私は、将来の政策と将来の政策目標こそが主題となるべき、と考えていました。彼も、金利を低く留めておくというコミットメントも望ましい政策ツールとして使える、という話をしましたが、私ほど熱心にそれを推奨することはついぞありませんでした。ということで、当時においても、推奨する政策には若干の違いがあった、と言えるでしょう。
ちなみにウッドフォードは、名目GDP目標を取り上げるに当たってサムナーの影響はあったか、という問いに対し、にべもなく、無かった、と答えている。それについてサムナーは、インタビューで言及してもらっただけで光栄、とコメントしている。
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20120917/woodford_interview
ウッドフォードがやってくる!
経済 |
ジャクソンホールで提示した論文でマイケル・ウッドフォードが名目GDP目標支持を表明したことで、市場マネタリスト界隈がちょっとした祭り状態になった:
もちろん、大物経済学者の発言だけに、市場マネタリスト以外の注目度も高く、WSJブログがバーナンキ以外で最も注目される講演と評したほか、クルーグマンも「Important stuff」と評している。
そうした中で、ロバート・ワルドマンとStephen Williamsonという経済学者としてはおよそ両極に位置する2人が、ウッドフォードに批判的なコメントを寄せているのが興味深い(言うなれば、オールドケインジアンとニューマネタリストが、ニューケインジアンの代表的な金融学者を挟撃する、という構図になっている)。
ワルドマンはマシュー・イグレシアスのブログエントリとツイートを足掛かりに*1、論文の結論部しか読んでいないと断りつつも、以下のように論じている。
- ウッドフォードは名目GDP目標がGDPに顕著な(もしくは少なくとも検出可能な)影響を与えるか否かについて明確な見解を示していない。
- ウッドフォードは将来の政策に関する約束の無いQEの無効性について大いに論じているが、遠い将来の政策が効果を発揮するという証拠を何ら示していない。その理由は単純で、期待インフレ率を上昇させようと試みた中央銀行は未だ存在しないからだ。
- ウッドフォードは、中央銀行の中長期の政策ガイダンスがもたらす効果についての情報を我々は事実上有していない、と示唆するが、期待インフレ率の上昇ではなく低下についてならば、そうした情報は大量に存在する。70年代終わりから80年代初めに掛けて金融当局は、自分たちが低インフレを真摯に達成しようとしていることを人々に納得させようと必死に試みた。もし期待経路が(他の経路が塞がれている場合においても)機能するというならば、短期リスクフリーレートの高騰や深刻な景気後退や歴史的な高失業率といった直接的な効果抜きでも、そうした金融銀行のコミュニケーションにより低インフレが達成できたはずだ。即ち、金融当局の中期目標に関する声明が、期待経路以外の政策抜きには決して達成できなかった、という証拠は大量に存在する。
- ウッドフォードもイグレシアスも、こうした歴史的な証拠が自らの主張に対する反証にはならない、という点については説明できていない。
- イグレシアスは、ウッドフォードは雇用創出法を分かっている、とツイートしたが、数学的な証明もしくは証拠の提示が無い限り、分かっている、とは言えない。
一方のWilliamsonは、この96ページの論文は、時間価値がゼロで無いならば読む必要無し、と痛撃している*2。その上で、FRBが苦労して培ったインフレ抑制のコミットメントを放棄するべきではない、と論じ、以下のように結んでいる。
Woodford seems not to think much of QE, and goes off on an extensive discussion of forward guidance, most of which made me happy that Woodford is not in charge of forward guidance at the Fed. If he were, we would never understand what they are up to.
(拙訳)
ウッドフォードは量的緩和をあまり評価していないようだ。その上で将来政策のガイダンスについて大いに論じているが、それを読むと、ウッドフォードがFRBで将来政策のガイダンスに関与していないことが喜ばしく思える。もし関与していたら、FRBが何をやろうとしているのか我々は決して理解できないだろう。
また、批判というほどではないが、上記のNunesがリンクしているEconomist’s ViewエントリでMark Thomaは、ウッドフォードの名目GDP目標支持にばかり注目が集まっていることに異議を唱えている。
MT 2012/09/04 07:56 ワルドマンが反証として挙げている、期待経路が機能するならコミュニケーションによって期待に働きかけるだけで、失業等を伴わずにインフレを低下させられたはずだ、というのは、期待NGDP水準目標を唱えている人たちのロジックを誤解した上でのものになってませんか?すでに高いインフレという予想が形成されている以上、どんな手段であれそれを低いインフレ予想へと変化させれば、その時点で引き締め効果が発揮されてしまう(つまり期待経路が機能しても、というより機能するがゆえに高失業が発生する)というロジックなはずです。だからこそ、現在の低いレベルで形成されている期待インフレ(NGDP)を引き上げるだけで景気が回復し、その後に期待インフレ(NGDP)を安定させることで景気が安定する、と主張しているはずですから。
anti-libertarian 2012/09/04 08:58 >MT氏
それは、FFレートの引き上げを伴わなくても、低インフレのコミットメントでインフレ退治ができたはずだということになるだろうか。(ほんとうにそんな方法があるならボルカー先生も大喜びだっただろうけど・・・)
でも流動性の罠でより高いインフレをコミットしようっていう考えは、FFレートを上げなくても低インフレに出来たはずだって考えと完全に対称的。そういう意味でワルドマンの指摘に意味はある。
MT 2012/09/04 10:18 >FFレートの引き上げを伴わなくても、低インフレのコミットメントでインフレ退治ができたはずだ
FFレート以外にも政策手段がありそれを使って低インフレのコミットを信用してもらえる可能性がある、そうすれば高失業と低インフレが訪れる、という意味ではその通りではないでしょうか。
ただ、市場マネタリストのロジックは、(FFレートの引き上げかどうかは別として)なんらかの景気を引き締める政策なしにはインフレ退治が出来ない(というか、期待インフレの低下自体が景気を引き締める)、ということを意味しているので、別に「夢のような」ものではありません。
市場マネタリストが、期待NGDPの引き上げが望ましいと言うのは、いま既に期待NGDPが落ち込んでしまっているからそれを引き上げる余地があるためです。
anti-libertarian 2012/09/04 19:31 FFレートは例示に過ぎない。要は期待以外のパスが存在しないときに、期待以外のパスが存在していたときと同じことが・・・総需要の調整が出来るという話は根拠薄弱だっていうのが、多くのケインジアン(とその他)の懸念なのだ。
期待以外のパスが存在しないときとは? それが今、流動性の罠だ。
流動性の罠において、ベースマネーを供給することそのものに意味がないことは、マーケットマネタリストのサムナーすら認めていることである。そこで彼はターゲティングと期待を持ち出すわけだけど、「効果を持たない政策に対し期待を要請する」というのは(少なくとも、マーケットマネタリスト以外にとっては)非常に奇妙なものに見える。
その奇妙さを克服するために、例えばスヴェンソンは為替介入による対外収支改善(これはちょっと規模が小さすぎ)、クルーグマンは財政出動による需要創出(政治的ハードルが高い)を"必須"とするわけだが、サムナー、あるいは多くのマーケットマネタリストにとってはそれは不要らしい。