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日本型経営に異変 いよいよリストラが正社員に波及
2012.9.2 19:15
VRIO分析
人員削減と大型投資を同時に行う企業が増えてきた。社員は企業の構造改革や戦略転換における駒の一つとみなされる傾向にある。経営者が戦略的な意思決定をするためには、人という経営資源のもつ複雑さを考える必要があると筆者は説く。
日本の経営者の人材への考え方は変わってしまったのか
3年前、私は、コラムで以下のような文章を書いた(2009年3月2日号)。
《企業業績が急激に悪化する中で、企業による素早い雇用調整が始まった。もちろん、バブル経済崩壊直後に比べれば、いまだ大規模ではないし、また、これを書いている時点では、雇用調整の主なターゲットは、派遣労働者、期間従業員など、いわゆる非正規労働力が中心だ。
ただ、正直にいえば、今回非正規雇用に手をつけるスピードと、その徹底ぶりについては、私自身も少し驚いている。そしてそこから受ける印象として、バブル経済崩壊からの回復過程で、わが国の経営者の人材とか雇用に関する考え方が少し変わってしまったのではないかという感覚がある。
(中略)
もちろん、これはあくまでも非正規労働者に対しての考え方であって、本当に守りたい存在である、正規従業員の場合は違うという主張も成り立つ。非正規労働力は需要変動に対応するためのバッファーであって、人的資本としての正規従業員の雇用は守り抜くという予想もできる。本当にそうなのだろうか》
リーマンショック直後に企業が行っていたいわゆる「派遣切り」など、非正規社員の削減を目の当たりにしての感想だが、現在、今度は正社員がターゲットになっている多くのリストラを見ると、再びこの問いが頭をもたげてくるのである。
現在、規模はそれほど大きくはないが、人員削減を行っている企業は多い。実際、東京商工リサーチが毎年行う上場企業を対象にした調査によると、今年1月以降、6月7日現在で希望退職・早期退職者の募集を実施した主な上場企業は、具体内容が確認できたものだけで33社を数え、前年同期の31社に比べ2社増となっている。調査は、12年1月以降、希望退職、早期退職者募集の実施を開示し、具体的な内容が確認できたケースを抽出している。
情報公開日で見ると、募集実施企業は4月が9社、5月が8社の2カ月間で半数の17社を占め、直近にきて増加の兆しを見せている。
予想されることだが、産業別で最も多かったのは電気機器の8社で、次に小売りの5社、情報・通信の3社、精密機械の3社である。
ソニーは赤字なのにオリンパスへなぜ出資するのか
また今起こりつつある人員削減の特徴は、1つは中規模企業において早期退職者募集などの動きが活発化していることである。東京商工リサーチ調査でも報告されている事例としては、ホンダの子会社で、従業員2500人ほどのジャスダック上場企業八千代工業の700人規模の削減があり、そのほかにも2000人未満の企業で、全従業員の10〜20%を対象とした早期退職制度などの募集は5月以降増えてきた。だが中堅企業が多いことで、逆にマスコミでの報道は多くはない。
またもう一つの特徴が、以前と比較して、若年層までが早期退職の呼びかけの対象となることが多いことである。例えば、ベスト電器のケースでは、35歳から対象とされたと報道されている。バブル経済崩壊期ほど注目をあつめてはいないが、業績不振の多くの中堅企業が、対象を若手にまで広げながら、人員削減を深く静かに進めているという印象である。
ただ、同時に注目すべき動きも起こっている。例えば、今話題のオリンパスの資本提携である。報道によれば、これを書いている時点では、資本提携先としてソニーが有力だそうである。パナソニック、富士フイルム、テルモなどとの競合の中で、ソニーが約500億円を出資して筆頭株主になる見込みだという。
私は、この報道を聞いて、少々あれっと思った。ソニーって赤字でリストラ中じゃなかったんだっけ? そして、よくよく聞いてみると、ソニー以前に有力視されていた企業の一つが、パナソニックだという。
12年3月期決算で、パナソニックの連結最終赤字は約7700億円、ソニーの連結最終赤字は約4500億円だった。そのためパナソニックは本社約7000人の中からかなり多くの人員を削減するリストラを計画しているといわれており、ソニーもグループ全体で1万人近くを削減する計画を発表している。ソニーにしても、パナソニックにしても、多額の赤字を出し、人員削減を進めていこうとする中での、大きな投資なのである。同様のことが、電気機器大手を中心に多くの企業で起こっている。
別に人員削減と大きな投資とを両方同時に実行するのが悪いといっているわけではない。経営の中でそうした決定をしなくてはならない場面も出てこよう。またオリンパスとソニーの場合は、資本提携だから、理屈ではソニー自体の雇用には影響しないはずであり、オリンパスの雇用を間接的に支えるのみである。
ただ、意識しておかないとならないのは、企業経営の中で、縮小するところと拡大するところが明確に区別され、一方では人員削減を行い、もう一方では投資を行い、人を雇う。こうした戦略的な選択がこうした構造改革の背後にはあることである。
つまりこれらの企業は自社の雇用を守るという選択と、他社へ投資し、その事業に参加することで間接的にその会社の雇用を守るという選択とをバランスさせ、資源配分を決定したのである。自らの構造改革の中身として、自社における一定の雇用削減と、他社への投資を組み合わせるということが選択されているわけである。
米国で行われた研究によれば、米国では1980年代の不況を境目に、多くの企業が構造改革のために、縮小部門の人員削減と拡大部門での採用を同時に行うことが一般化したことがわかっている。
上記のような事例を見ると、これに類する決断に対して、日本の企業が、以前よりも前向きになった感覚をもってしまうのである。
企業の構造改革には、しばしば「資源の再配分」が伴う。構造改革では、戦略の変化と事業の再編成に伴い、ある事業に投資した資金などを引き揚げ、他の事業に移動することが行われるのである。またある事業の人員を削減し、別の事業に移しかえることも多い。逆にこうしたアクションがなければ構造改革は進まない。そして人を含む資源の再配分においては、多様な資源の価値が比較され、最も企業にとって好ましい組み合わせが選択される。
だが、ここで重要なのは、こうした資源の再配分を決定し、実行する中で、お金に換算した価値は同じであったとしても、多面的な見方をすると、すべての資源は同等ではないということである。
例えば、経営学者ジェイ・バーニーの提唱したVRIOの枠組み(図参照)を用いれば、経営資源の価値は、その資源がそのビジネスでもつ経済価値(Value)、希少性(Rareness)、模倣可能性(Imitability)、資源組織化の程度(Organization)などで評価することができる。
経済価値とは、顧客に価値を提供するビジネスモデル内のその資源の位置づけであり、模倣可能性とは、同レベルの資源人材をつくり上げるのにかかる時間と手間がどれだけかであり、希少性は、どれだけ外部(市場)から調達することが可能なのかに関する評価である。また組織化の度合いは、その資源と他の資源の関連の度合いがとどれだけ密接であり、資源間の相乗効果が高いかどうかである。人に置き換えると、スキルは同じでも、特定の人とタッグを組むと、すごいパフォーマンスが出るケースなどを考えれば理解しやすいかもしれない。
心のマネジメント不足による「失われたマザー工場」
そして、こうした基準に立つと、人材は他の資源とは違うのである。単純な例をあげれば、調達可能性について、よい人材は、市場からそう簡単には調達できない。もちろん、違うから別扱いせよということでは必ずしもないが、再配分の意思決定にあたって、他の資源(例えば、カネやもの)より深く考える必要がある資源なのである。
さらに人的資源には多面性があることも重要である。なかでも重要なのは、人材というのは、単にスキルだけではない。心理的な側面まで含めて初めて人材であることだ。
意欲や心意気、会社に対するコミットメントなどが伴って、人は企業にとって価値ある資源になるのである。やや文学的な表現になるが、人材は心をもった経営資源である点で他の資源と大きく異なる。
もちろん、こうしたことはよくわかっているという反論もあるだろう。日本企業は、これまで人を大切にする経営をしてきた。だから多くの企業では、そうした点であまり心配がない、という声も聞かれよう。人材のマネジメントについては、昔も今も同様の注意を払っていると怒られるかもしれない。
だが、今多くの製造業企業で問題になりつつある中国での状況を考えると、私は日本の企業といえども、人的資源の複雑性を考えて意思決定することの難しさを感じてしまうのである。それは「失われたマザー工場」の問題である。
ご存じのように製造業の多くの企業は、しばらく前から日本国内の工場をマザー工場として使いつつ、中国への生産移管を進めてきた。いうまでもなく、中国の安価な労働力が最も大きな誘因であった。
だが、現在中国の賃金は上昇しており、中国の安い賃金が競争力を維持する時間はそれほど長くないといわれている。それと同時にタイ、ベトナム、フィリピンなどのさらに賃金の低い国が台頭してきた。その次にはミャンマーなどがいる。当然日本企業としては、そこに進出することを考える。
そのときマザー工場になるのはどこか。もはや日本国内には教えることのできる人材は、残っていない。マザー工場というべき工場は国内には残っていないからである。したがって、中国工場をマザー工場として活用するしかない企業が多い。
では中国工場には、ベトナムなどにいって工場を立ち上げることのできる人材が育っているだろうか。私が訪問した企業では、技術面ではなんとかなるというところが何カ所かあった。努力の結果、一定の技術移転が行われ、少数ではあるが、人に教えるレベルの技術をもった人材が育っている。
だが、問題は、そうした中国人に、昔の日本人と同様に、家族と離れ、長期出張して、工場立ち上げまで頑張ることをどこまで期待できるかである。昔、日本の熟練工たちは、言葉もわからない環境に赴き、会社のために頑張ったのである。だから、中国工場は立派に立ち上がった。
つまり、多くの企業が、生産を中国に移転し、人的資源のシフトを行ったとき、企業が失ったのは技術だけではないのである。長年かけて培ってきた技術だけではなく、これも長年かけてつくりこんできた、会社のために頑張る従業員やコミットメントも同様に失ってしまった可能性が高い。そしてそれは必ずしも中国人のせいではなく、中国人従業員の心をきちんとマネジメントしてこなかったことが背景にある場合も多いだろう。回復にはかなりの時間がかかることが予想される。
今、人材という資源が、企業の構造改革や戦略転換における駒の一つになる傾向がある中で、経営者がこの資源のもつ複雑さを深く考えて戦略的な意思決定をしているか少し不安になるのである。(一橋大学大学院商学研究科教授 守島基博=文)
レノボ、HP……PCメーカーの「Made in Japan回帰」はなぜか
日産工場長の「新型ものづくり、人づくり」
普通の働き方で長期雇用のメリットを 〜隠れた優良企業の探し方
http://www.sankeibiz.jp/business/print/120902/bsg1209021916003-c.htm
経費削減という“錯覚”と「使い捨て社会」の暗鬱
人件費の削減が長期的には企業の競争力を低下させる事実を直視せよ
2012年9月4日(火) 河合 薫
経営者の方たちとお話をしていると、暗たんたる気分になることがある。「雇用は絶対に増えない」――。そう思ってしまうのだ。
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ストレートに明確な言葉を聞いたわけじゃない。ただ、「人材じゃなく、人財なんですよ」という言葉を聞くたびに、「ごくごく一部の優秀な人が欲しいだけで、それ以外はいらないというのが本音なんだろうなぁ」なんてことを思わずにはいられない。
だって二言目には「グローバルな人材でなきゃ、これからはダメだよ」というセリフが続くし、「タイやベトナムの人材は優秀」などと、低コストで雇えるアジアなどの外国人の魅力についても大いに語る。
挙句の果てに、「最近は大学を出ても仕事に就けないっていうけど、そもそも全入時代でしょう。大学生の質が低下しているんだから仕方がない」なんて辛口のコメントまで出る始末……。
野田佳彦首相は就任時の所信表明演説を皮切りに、「分厚い中間層の復活」を何度も繰り返し主張しているが、このままだと日本も米国と同様に、1%の富裕層と99%の貧困層という極端な2極化へと突き進んでしまうような気がしてならないのである。
大卒者の5人に1人が安定的な職に就いていない
最初から矢継ぎ早に懸念を記したが、それには訳がある。先週に発表された文部科学省の学校基本調査の速報値に「やっぱりそうなんだ」と、気分が重くなったのだ。
非正規労働に4万人 新卒調査「正社員になりたい」
これは、この調査の結果を紹介した8月28日の日本経済新聞電子版の記事に付けられた見出しである。内容は以下の通りだ。
「文部科学省が27日公表した2012年度の学校基本調査速報で、今春の大学卒業者のうち、契約・派遣社員やアルバイトなどの雇用期間に限りがある非正規労働に就いた人が、計4万人を超えることが分かった。(中略)
同調査によると、週30時間以上働く派遣社員や契約社員などになったのは2万2千人。アルバイトなどの一時的な仕事と合わせ、非正規で働く新卒は4万2千人に上る。
非正規でも仕事に就ければいい方で、内定を得られないまま今春卒業し、就職活動を続けている人は少なくとも新卒者全体の9%弱にあたる4万9千人に上る」
さらに、これらの数字をまとめてみると、進学も就職もせず、あるいはアルバイトなど一時的な仕事に就いた例と合わせると、卒業者の22.9%が「安定的な雇用に就いていない」ことになる。文科省の担当者は「ほとんどの学生が正社員として社会に出たいと望んでいるはず。安定的な職に就いていない人が5人に1人もいる状況は改善するべき課題だ」と話しているという。
この日経新聞の記事では、都内の私立大を卒業し、首都圏のテーマパークに接客担当の契約社員として就職した女性(23歳)の状況を紹介し、給料が勤務日数で決まるため不安定であることや、産休や育休制度が利用できないうえに、1カ月以上休むと解雇される状況にあるため、「結婚や育児まで考えると、安定した正社員になりたい」と将来に不安を抱く様子を伝えていた。
朝日新聞でも、霞が関の中央省庁で総雇用期間1年の非正規職員で働く女性(22歳)や、「役職がつけば、正社員になれる」と言われて、総合職であるにもかかわらず非正規で働く男性(23歳)などを紹介していた。
最初に就く職業はその後のキャリア人生をも左右する、とても深刻かつ重要な問題だ。
なのに、正社員になりたいけどなれなかった人たちは、解雇されないために子供をあきらめ、「正社員」というニンジンをぶら下げられて、役職をもらえるまで走らされる。
新卒社会人が組織に適応するために必要な、組織での明確な役割も、組織との心理的な契約も全くない状態で、“社会人”になることを求められるだなんて、過酷というか、冷酷というか、適当な言葉が見つからない。
非正規社員は偏見によるストレスにさらされているが…
いや、それだけじゃない。彼ら、彼女たちは、
・非正規社員=正社員になれる能力のない人
・「新卒では契約社員だった人」ではなく、「新卒で正社員になれなかった人」
・「前の会社では非正規だった人」という受け取り方ではなく、「前の会社で正社員になれなかった人」。
といった世間の「非正規社員」に対する偏見によるストレスの雨にもずぶ濡れになる。
日々の生活も、将来も不安だらけ。「非正規」というカテゴリーに入れられることによるストレス。
企業のトップの方たちは、こうした状況に対してどのような思いを抱くのだろうか?
「あれはいや、これはいや、といって仕事をえり好みしなければ、正社員の仕事はあるんじゃないのかね」
「こっちもギリギリでやってるから、最低限の質を保っていてくれないと採用はできないし」
「そうだよ。3年以内で辞めちゃうかもしれないのに、最初から正社員で雇うのはリスクが大きすぎるよ」
少しばかり意地悪な見方かもしれないけれども、まるで人ごとだと考えているのではあるまいか。
いずれにしても、やはりたとえどんなきれいごとを言おうとも、多くのトップたちが「デキる人“だけ”しか生き残れない時代なんですよ」と暗に格差社会を助長し、イヤな言い方ではあるが、「1%に入れない人は使い捨てても構わない」と考えているようにしか思えないのである。
前置きが長くなってしまったが、そういうわけで、今回は、「使い捨て社会の未来」について、考えてみようと思う。
「うちの会社でも、数年前から新卒の非正規社員を増やしました。ところが現場のマネジャークラスからクレームが相次ぎましてね。非正規で入社した社員のモラルが低いと言うんです。中には正社員以上の仕事をする優秀な人もいます。でも、全体的にモラルが低い。仕事のミスも多いし、平気で休む」
ある大手企業の役員の方に話をうかがった時のことだ。彼はこう切り出し、次のように続けた。
「時間給ではなく1年更新の年俸を支払っていたので、有給休暇を完全に消化しようする。もちろん有給は彼らの権利ですから、使ってもらっても構わないんですけど、月末の忙しい時に平気で休んだり、とにかくモラルが低い。非正規と一緒に働くのを嫌がる正社員もいたほどです」
「ただ、だからといって非正規採用をゼロにするのは現実的ではない。コスト面から考えても、正社員をこれ以上増やすのは難しい。そこで契約期間を以前の1年更新から、半年更新に短縮したんです」
ここで私は次のような質問を投げかけた。「それって、質の低い新入社員やモラルの低い人を切りやすくするためですか?」と。すると、次のような率直な答えが返ってきた。
「そういうわけではないですけど、選別はしやすくなりましたよね。それに契約を更新された人はモチベーションが上がりますから、結果的に良かったと思っています」
モラル低下を招くのは非正規雇用という「環境」
う〜ん。これってどうなのだろう?
非正規社員はモラルが低い──。果たして本当にそうなのだろうか?
非正規社員はモラルが低いのではなく、非正規雇用だからモラルが低下してしまうんじゃないだろうか。
だって、1年、あるいは半年先には解雇されるかもしれないわけで。ポイと使い捨てにされるかもしれない状況で、いったい誰が仕事を懸命に覚えようとしたり、知識を習得しようと努力したり、技術を磨こうとしたりするだろうか。
半年後に契約更新になった社員は、モチベーションが上がる?
彼らが毎日どれほどのストレスと不安を感じ、ぶら下げられたニンジンを得るために、身を粉にして働いたのかを知っても、そんなたわけたことを言うのだろうか。
私の知人のお嬢さんは新卒で非正規雇用となり、「1年後に成績が良ければ、正社員になれる」とニンジンをぶら下げられた。残業代が一銭も出ないにもかかわらず、彼女は毎晩サービス残業をし、上司や先輩に嫌われないようにと、どんなに体が疲れていようとも、頼まれた仕事を抱え込んだ。
そして1年後。彼女は正社員になれたのか?
答えはノー。いや、正確には自分の意思でならなかった。もともと持っていたアレルギー症状が過労とストレスでひどくなり、仕事を続けること自体が困難になってしまったのだ。
そもそも企業が正社員ではなく、非正規雇用を選択するのは、コスト削減が目的である。「非正規社員の賃金は正社員よりも低くて当たり前」などという“常識”が日本人の経営者に広がっているために、「経費削減のためには、正社員採用ではなく、賃金が安く、いつでも解雇しやすい非正規にしよう」と考える。
だがこの、働く人たちが“人”であることを無視した考え方が、企業を潰すことになる。
「企業経営で一番の問題であり、経営者が気をつけなくてはならないのは、経費削減が実際には錯覚でしかないことだ。この錯覚こそが企業の力を弱め、将来を台無しにする」
こう説いたのは、米スタンフォード大学経営大学院教授で、組織行動学者のジェフリー・フェファーである。
彼は、「人件費を削るなどの経費削減が長期的には企業の競争力を低下させ、経営者の決断の中でもっともまずいものの元凶であることは歴史を振り返ればわかる。経営者が新しいと思っている大抵の決断は、ちっとも新しいものではなく古いものである場合が多い。歴史の教訓を全く生かさないと、過ちが何度でも繰り返される」とし、経営学を労働史から分析した。
人件費を抑えるほど「費用対効果」は下がる
例えば多くの企業がパートを雇い、その数をできる限り減らし、給与をできるだけ抑え、労働コストを切り詰めようとする。だが、歴史を振り返るとそのやり方が、いかに間違っているかが分かる。デパートチェーンのエンポリウム・キャンプウエル・カンパニーは、人件費削減を徹底した結果、倒産したと、フェファー教授は説明する。
このデパートチェーンで売られている商品に問題はなかったが、安い給与で雇われる従業員は、知識や技術を習得しようとする意欲に乏しく、結果的に生産性は低下した。商品よりも質の低い従業員にお客も嫌気が差して離れていき、倒産に追い込まれたというのである。
一方で、今や一流デパートとして名をはせているノードストロームは、業界平均よりも高い給与を払い、正社員雇用を徹底したことで、業績を伸ばした。
低賃金で、不安定な雇用形態では、労働者のモチベーションが低下し、無責任で意識の低い行動に陥る。だが、高賃金で、安定した雇用形態では、労働者の責任感は高まり、自分の技術を磨くために勉強したり、自己投資をしたりするようになる。従業員1人当たりの人件費を抑えれば抑えるだけ、費用対効果は悪くなるとしたのである。
そういえばフォードの創業者で同社を世界的な企業に育てたヘンリー・フォードは、「1日5ドル」という、当時としては破格の賃金を払ったとされているが、彼は取材を受けるたびに好んで、次のコメントを繰り返したという。
「我々が考案した中で、最高の費用削減の手段の1つが、1日5ドルの賃金を決めたことだ」と。
賃金抑制の経費削減が、錯覚であることを教えてくれる歴史は、日本にもある。ホンダの創業者である本田宗一郎氏が、「こんな冷えたまずい飯を食わせて、いい仕事ができるか」と従業員の働く環境におカネをかけることを厭わなかったのは有名な話だ。
松下電器産業(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏も「松下電器は人をつくるところでございます、あわせて商品もつくっており ます」と常々語り、「給与が適切であるか否かは、会社にも従業員にも、その安定と繁栄にかかわる重大な問題であり、同時に社会の繁栄の基礎ともなるものです。お互いに十分な配慮のもとに、絶えざる創意と工夫を加えて、その適正化をはかっていかなければならないと考えます」との言葉を残している。
やはりおカネは最も重要な報酬の1つ
「ん? ってことは、結局はカネさえ出せばいいっていうのか?」
そう苦言を呈する人もいるだろう。
もちろん人間の行動は、おカネだけで変わるわけじゃない。
実力を発揮できたり、能力を高めることができる機会や自分の仕事が正当に認められる機会、発言の機会があること、自分でコントロールできる裁量権や責任が与えられていることなどを通して、「報われている」という感覚を持てるかどうかに左右される。
だが、おカネも大切な要素。おカネだけが報酬ではないからといって、企業の都合でいくらでも下げていいというわけじゃない。
世の中には、「いやぁ、従業員に働きがいを聞いたら、お客さんに感謝されることがトップで、給料は3位だったので給料は下げます」などと、「おいおい、マジですか?」というようなことを平気でするトップもいる。
しかし働く人にとって、おカネは欠かすことのできない大切な報酬の1つ。ましてや賃金以外の報酬が期待できない、非正規雇用では、なおさらである。
とはいえ、矛盾するように思うかもしれないけれども、賃金を高くさえすれば従業員はいい働きをするというわけでもない。
奇しくも松下幸之助氏は「適正な給与」という言葉を使っているが、もらっている所得が高額であればあるほど、“金のため”だけに働く人が増え、会社のためではなく、自分の利益のためだけに働く人が増えることもある。
人間の自己利益を最大限守るという欲求と、慣れるという感覚が、会社の利益にはつながらない行動を生み出すのだ。
そこで大切となるのが「賃金の絶対的レベル」ではなく、「賃金の公平感」だ。
賃金公平感とは、「自分が要求できると考えている金額が支払われているかどうか」に相当する感覚のこと。この感覚は、職務内容や本人が負っている責任、自己意識、過去の賃金といったかなり主観的な考えに基づいていて、たいていの場合、世間の相場との比較で決まる。
平たく言えば、「まあ、私の仕事ならだいたいこれくらいだろう」といった賃金に対する期待度だ。同時に、組織の場合では周りの社員との比較が強く影響を及ぼす。
正社員と非正規社員、男性と女性、高卒と大卒、といった具合に、自分に近い“他人”との属性の違いで、賃金を比較し、そこに格差が存在すると「賃金公平感」がグッと低下し、「どうせ自分はこれだけしかもらえないんだから、適当にやっておけばいい」とか、「あいつは自分よりもたくさんもらっているんだから、アイツがやればいい」となるのである。
この賃金公平感は、おカネ以上の感情をも左右する。非正規社員という雇用形態に潜む、「人をただのコストとしてしか扱わない不条理」を、非正規の立場に置かれた人は敏感に察知する。それは本人にとっては、ストレスの雨であるとともに、質の低い行動を引き起こす引き金でもある。
人間というのは、相手との関係性の中で行動を決める厄介な動物だ。「自分を信頼してくれている」と感じる相手には信頼に値する行動を示そうとするし、「自分を大切にしてくれている」と感じる相手には精一杯の誠意を示そうとする。「自分は非正規だから、ただの調整弁だ」と感じる相手には、それなりの働き方しかしないのだ。
また、世の中には、「新卒の質の低下が非正規という簡単に解雇できる仕組みを助長しているんじゃないか」という意見を述べる人もいる。言い換えれば、問題は雇用される側にあるという見方だ。全体的に新卒の質が低下しているからこそ、厳しい状況に置かれている企業が、「使ってみたけどダメだった」と判断できる雇用形態(=非正規雇用)を取っているのでないかというわけである。
似たような指摘は、1990年以降、高卒の市場が急速に縮小していった時にもあった。高卒の求人倍率が1992年3月卒業予定者の3.08倍をピークに急激に低下し、2003年には0.50倍まで落ち込んだ。
当時、求人倍率の低下を招いた原因に関する研究が、労働経済学や教育社会学の専門家が中心となって行われた。その結果、いくつかの原因が明らかになり、その中の1つに、「厳しい経済状況に加え、人的投資の対象として、高卒の若者の相対的な魅力が低下した」との結果が示されたのだ。
人材の側も「大切にしてくれる職場」を選別している
ところがそれらの研究の対象が、高卒を採用しなくなった企業に限定されていたため、2000年代に入っても1990年代初頭と変わることなく高卒を採用し続ける企業も対象に加えた分析が行われた(出所:「新規高卒者の継続採用と人材育成方針」)。
その結果、高卒採用を継続している企業には、人材を長期的な視点でとらえ、育成する方針を徹底しているという共通点があり、さらには高卒者の育成に積極的な企業ほど、新規高卒者の質が低下したと判断しても採用を減らすことなく持続させ、質の高い人材を採用できているという結果が認められたのである。
つまり、質が悪いから雇用を減らすとか、質が低下しているから非正規にするとか。それは自分たちの保身のための、単なる責任転嫁でしかない。私自身、いろいろな企業を取材したり、講演会などでお邪魔した時に話を聞いたりする中で、「元気な会社は、社員におカネをかけている」と感じることが多い。
新入社員からマネジャーに至るまで、社員教育を徹底していたり、非正規雇用を採用している場合でも、それは会社側の事情というよりも、結婚や出産などの理由で転勤のない働き方のためのものであり、福利厚生や年金については正社員と同様に扱うなどしているケースがほとんどだ。
「非正規になって賃金は下がりました。でも、それは私の都合でそうしてもらっているので、会社には感謝しています」
非正規雇用20年というパートの女性は、そう話してくれた。雇用形態の主役は、あくまでも従業員。企業ではない。
「いやぁ、でも会社も大変なわけで……」。そうやって言い訳をしながら経費削減の錯覚にとらわれ続け、使い捨て社会を容認するトップたちが居座る会社に未来はあるのか?
人は「自分を大切にしてくれている」と感じられたことのお返しとして質の高い行動を取るだけでなく、「あの会社は自分を大切にしてくれそうだ」と感じられる会社を常に探し、優秀な人材ほどそういう魅力的な職場に吸い寄せられるように集まってくる。企業が「質の高い人材」を求めているように、人も「質の高い会社」を探している。質の高い会社を選択するか、質の高いわずか1%を血眼になって探すか? どちらを選択するかは、トップ次第だ。
「それも問題かもしれないけど、冒頭の調査で新卒ニートが3万人もいることの方が問題でしょ?」という意見もあるかもしれない。そのことについては、改めて考えます。
日経ビジネスオンラインの看板コラム
「河合薫の新リーダー術 上司と部下の力学」がついに書籍化!
本コラムで読者の皆様から高い評価を得た記事を加筆・修正して再構成した河合薫さんの最新刊『上司と部下の「最終決戦」 勝ち残るミドルの“鉄則”』(日経BP社)がついに発売になりました。
「読者の皆さんと一緒に作りたい」という河合さんの意思を反映して、収録するコラムの選定に当たっては、日経ビジネスオンライン上で読者の皆様による投票を実施。上位に入った記事を再録しました。
さらに、フェイスブック上のファンページを通して応募された方の中から4人の読者に参加していただき、中間管理職のミドルが抱える問題や悩みについて河合さんと語り合っていただいた座談会の内容も収録しています。
河合さんが健康社会学者として500人以上に行ったインタビューを通して、上司と部下との狭間で思い悩むミドルたちの気持ちに寄り添い、紡いできた珠玉のコラム13編。そこに描かれたミドルの生きざま、そして掟とは──。ぜひ本書を手に取ってご覧ください。
■目次
はじめに
第1章 部下との心理戦
第2章 上司との消耗戦
第3章 社会との持久戦
第4章 いざという時の撤退戦
第5章 読者と語り合う現代ミドルの実情
終章 心を開けば光も差し込む
あとがき
【詳細はこちら】
河合 薫(かわい・かおる)
博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『<他人力>を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20120903/236293/?ST=top
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