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http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=267854
戦後高度経済成長期以来、いわゆる「大企業」が産業界の主流であることが当然のように捉えられてきたが、ここに来て状況が大きく変わろうとしている。
大企業という組織形態は、大量生産・大量消費の時代(物的欠乏に応える工業生産の時代)、資本効率の最大化に価値を置く時代にのみ適応的であった。市場縮小の時代、共認充足の時代にはそぐわないものとなりつつある。
最近、いわゆる大企業が大幅なリストラを迫られ、苦境にあえいでいる。
経団連企業もおかしい。共認原理への転換と全く「逆走」するかのように自己利益の追求に向かっているが、こんな姿勢は長続きするはずもない。
「大企業の時代」は明らかに終焉を迎えつつある。
一流大学を卒業後、一流企業を目指すのは、失業へ向けてのベルトコンベアーに乗ったのと同じことである。
なぜか?
大企業の時代が終焉を迎えているからだ。
もちろん、全ての大企業がすぐに倒産すると言うのではない。
19世紀に始まった産業革命の到達した最終段階が、大企業の時代であり、それが今最終局面を迎えているのだ。
今、大型製造業は苦悶している。
その存在基盤が消滅しつつあるからだ。
巨大な資金が金融機関を通して集められ、投資され、巨大企業を作る。そこでは良質の商品が大量に作り出される。このシステムを成立させるためには、その商品を消費する巨大市場が存在していなければならない。
・・トヨタの生産ラインだが、これが19世紀型の大企業のたどり着いた最高の理想形態。
社員は終身雇用、年功序列、退職金、各種保険、厚生施設、これらが保障されているのは、良質の商品を大量に生産するためだ。
消費者が欲しがる共通の商品を手際よく開発し、同じ品質のものを大量に作る。
この方式が成立しなくなりつつあるのは、消費者がすでに全ての商品を所有しており、代替需要しか存在しなくなった成熟社会の結果だ。
そこで企業は新しい分野を探す。
なければ、未開発国へ出てゆく。そこで、戦後の日本がたどった道を再度やりなおす。
こういった国へ出向き、自動車を売り込むわけである。
生産ラインごと輸出してしまう。
そこで産地生産・産地消費をやろうというのだ。
それらを可能にしているのが、デジタル革命であり、獲得された生産のノウハウである。結果、先進国で作ったのと同じような商品が安くでまわる。
それは、先進国に逆輸出され、またたくまに先進国を駆逐する。
結果、日本の大企業は非常にキビシイ状態にあり、行きぬくために今までの方式を放棄しつつある。
50代・・・逃げ切りライン
40代・・・微妙なライン
30代・・・あきらめライン
20代・・・夢なしライン
大企業に勤める社員を年代別に見ると、上記のようになる。
日立電気や、朝日新聞にいる50代の社員は、定年までなんとか現状維持が可能だろう。
しかし40代以下は、もう絶望しかないのが現実だ。
まして今年の新卒入社など、話にもならない。
これは悪いことではありません。
フツーの状態に戻っただけです。
人類の長い歴史を見れば分かるが、大企業が存在し、終身雇用が実行されたのは、ここ50年間ぐらいの短い時間に起こった、特殊な出来事に過ぎないのです
にも関わらず、特殊を一般と勘違いしたのが悲劇の原因です。
一生懸命勉強して一流大学を卒業して、一流企業へ就職する。
本人も、それ以上に両親は大喜びだが、それはぬか喜びだ。
むしろ面白い時代が始まった。そう捉えた方が楽しい。
だって、永い人類の歴史、みんなそうやってなんとか工夫して、あれやこれやをやりながら生きてきたわけで、終身雇用なんて江戸時代のサムライぐらいでしょ。
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