★阿修羅♪ > 経世済民77 > 148.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「古き良き湯の街の誇りを蘇えらせる」 報道されない財政危機宣言の“その後” 熱海市の“街の灯”は輝きを取り戻したか?
http://www.asyura2.com/12/hasan77/msg/148.html
投稿者 MR 日時 2012 年 7 月 25 日 05:46:14: cT5Wxjlo3Xe3.
 

http://diamond.jp/articles/-/22024
ニッポンの地方再生”再生物語
【第2回】 2012年7月25日
「古き良き湯の街の誇りを蘇えらせる」報道されない財政危機宣言の“その後”熱海市の“街の灯”は輝きを取り戻したか?
観光地として全国的に有名な静岡県熱海市。「高級温泉街」「お金持ちの別荘が並ぶ保養地」といった華やかなイメージがあるが、足もとでは日本の地方都市が抱える課題が集まったような街になっている。現市長による「財政危機宣言」から6年、当時は大きく報じられた熱海市の危機も、後日談はほとんど紹介されていない。再生への取り組みは進んでいるのか。多くの観光客を魅了し続けた熱海の「街の灯」は、再び輝きを取り戻したのか。(取材・文/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)
「住むならやっぱり地元かな」
若者たちが熱海を選んだ理由
海と山の街・静岡県熱海市。海岸から丘陵にかけて温泉旅館やリゾートマンションが建ち並ぶ光景は美しく、壮観だ。熱海湾では年間12回、市内全体で年間17回の花火大会が開催され、年間約29万人が集まる。
「地方都市ですから、客足は厳しいと言えば厳しいですよ。でも今年は、ゴールデン・ウィーク頃から、夜、街へ飲みに出て来るホテルのお客さんが増えてきた気はします。観光シーズンが本番を迎える夏にかけて、これからが稼ぎ時です」
 静岡県熱海市の夜の商店街――。海にほど近い路地の奥に佇む小さな料理店で、マスターの本庄誠さん(仮名・34歳)はこう語る。
 本庄さんは、もともと首都圏出身で、数年前まで東京の大きな飲食店で働いていた。しかし、引っ切りなしに訪れるお客に“食べ物”を提供するだけの日々に疲れ、「お客さんとじっくりコミュニケーションがとれるお店を自分でやりたい」と店を辞めた。そんな彼が新天地に選んだのはここ、熱海だ。
 理由は「静岡出身の友人に『いいところだよ』と勧められたから」。海が穏やかで気候が暖かく、時間がゆっくり流れるこの地を気に入っているという。
「ここはいいお店ですよ。儲けは少ないけどね」
 カウンターでそう笑うのは、この店の常連客である神田美穂さん(仮名・27歳)。熱海市出身の美穂さんは、近隣の学校を卒業後に「東京に出ようか、それとも名古屋へ行こうか」と迷った末、地元に残ることにした。潮の香りを嗅ぎながら、温泉街を歩いた幼い頃の記憶が忘れられず、「住むならやっぱり地元かな」と思ったという。
 自称「温泉美人」の美穂さんは、この地で特別に大きな夢を思い描いているわけではない。将来は、何でもいいから、地元の人が集まり、皆が楽しめるアットホームな店を自分で持ちたいという。
次のページ>> 華やかなイメージからは意外? 地方都市の課題を凝縮した街
 日本の地方自治体では今、猛烈な勢いで少子高齢化、人口減少が進んでいる。若者が故郷を捨てて次々に街を出ていき、高齢者ばかりが取り残され、地域が活力を失っている。
 この地も例外ではない。美穂さんの友人たちも、地元の学校を卒業すると大都市へ出て行き、父母だけが地元に残っているケースが多いという。そんなご時世に、あえてこの地を生活の場に選んだ本庄さんや美穂さんのような若者たちは、地方自治体にとって貴重な存在と言える。
華やかなイメージからは意外?
地方都市の課題が集まった街
(上)熱海駅前の風景。(中)熱海の象徴である温泉が、駅に降りたばかりの観光客を出迎える。(下)駅前から伸びる商店街には多くの土産物店が並び、観光客がくつろぐ。
 尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の舞台として、古くから全国に名を知られている熱海市。面積は約61.6km2、静岡県の最東部に位置し、東京から新幹線で1時間以内という便利さから、国内有数の観光地として賑わってきた。
 観光客を魅了するのは、1年を通して「常春」と言われるほど温暖な気候、自然が溢れる美しい景観、そして何より、江戸時代には徳川家も好んだという良質の温泉が楽しめることだ。
 7月上旬のある日の昼前、本庄さんの店に行く10時間ほど前に、記者は熱海駅に降りた。駅前からいくつも伸びる商店街には、土産物店がところ狭しと軒を並べている。店頭では温泉饅頭が湯気を上げ、甘い香りが漂う。昔ながらの温泉街の風情に、何とも言えず懐かしい気持ちになる。
 熱海市は、山と海に囲まれた坂の街。商店街を下り、海に向かう途中には、いくつもの温泉旅館が立ち並ぶ。あいにくの曇り空だったが、初夏の温暖な気候に誘われたのだろうか、平日だというのに、商店街や海沿いには観光客の姿が少なくない。その様子を見る限り、日本列島を覆う不況の影は感じられない。
 しかし、今やこの街に往時の勢いはない。本庄さんや美穂さんの話からもうかがえる通り、熱海市は日本の地方都市が抱える課題が集まったような街になっているのだ。「高級温泉街」「お金持ちの別荘が立ち並ぶ保養地」といった華やかなイメージを持っている人にとっては、意外かもしれないが――。
次のページ>> 「財政危機宣言」の背景に、地域の活力低下と市財政の悪化

そんな熱海市の窮状を、全国に知らしめた出来事がある。現在2期目を務める齊藤栄市長が、就任直後となる2006年12月に発表した「熱海市財政危機宣言」だ。
 当時、熱海市の財政は、複合的な要因によって危機的状況にあった。少子高齢化や長引く景気低迷の影響で事業者の疲弊や地価の大幅下落が起こり、市民税、都市計画税、固定資産税などが減少、市の収入は頭打ちの状態だった。
 さらに、三位一体改革によって財源が実質的に減少しているにもかかわらず、扶助費をはじめとする社会保障費は増加していた。収入が増えずに支出ばかりが嵩むなか、市は基金を取り崩して赤字を補填していたが、それも底を尽きつつあった。
 齊藤市長は財政危機宣言を通じて、「このままいくと熱海市は破綻し、財政再建団体へ転落してしまう。現状をしっかり理解してもらい、市の改革に協力して欲しい」と市民に訴えかけたのである。
 しかし、これに対して市議会や地元の観光業者が反発。「観光で生きている熱海市がこんな宣言を出したら、イメージが悪くなり、客離れを招くではないか」という批判が出たのだ。また、市議会は宣言撤回の決議を行なった。その模様は全国に報道され、当時、記者もこのニュースを興味深く聞いた。
 財政危機宣言は、翌2007年1月に「熱海市財政再建スタート宣言」と名称変更された。齊藤市長は、「官民が一体となって熱海の再生に取り組もう」と表明し、改めて結束を呼びかけた。
 あれから6年、当時は大々的に取り上げられた熱海市の危機も、後日談はほとんど報じられていない。再生への取り組みは進んでいるのか。多くの観光客を魅了し続けた熱海の「街の灯」は、再び輝きを取り戻したのか。今回、記者がこの地を訪れたのは、それを取材してみたいと思ったからだ。
次のページ>> 少子高齢化はワーストクラス、宿泊施設の客数はピークから半減

 そもそも、熱海市の活力はどれほど失われつつあるのか。地域の活力低下と市財政の悪化を具体的な数字で分析してみると、現状はやはり深刻と言わざるを得ない。
 まずは、地域の活力を計る大元の指標となる人口。「これだけ有名な温泉街なら、10万人は下らないだろう」と思われるが、これが意外に少ない。人口は1965年の5万4540人をピークに、2010年には3万9611人まで減っている。
 活力の低下を表すかのように、高齢化、少子化、生活難などに関する指標は、いずれも県内ワーストクラスとなっている。たとえば、出生率は静岡県平均の1.44に対して1.14(県内最低の35位)、高齢化率は同23.8%に対して38.9%(県内3位)、生活保護率は同7.59‰に対して17.86‰(県内2位、‰は千分率〈パーミル〉)だ。
 高齢化率が高い背景には、仕事をリタイヤした60代以上の高齢者が、保養地として名高い熱海のケア付きマンションなどに流入しているという特殊要因がある。また、生活保護率が高い背景には、住民の平均所得が高い静岡県の中で、伊豆半島に位置する自治体の世帯収入が相対的に低い(300万円未満)という地域柄も影響しているようだ。
ホテル街の風景。熱海市は宿泊施設が300軒以上あり日本第2位の宿泊客数を誇る観光地。
 そんな状況に追い打ちをかけるのが、主力の観光業に影を落とす不況。全国的に見れば、旅館やホテルの入り込み客数は第4位、宿泊客数は第2位と多いが、バブル崩壊やリーマンショックを経て、その数は減り続けている。
 宿泊客数は、新婚旅行や社員旅行が全盛だった1969年のピーク(約530万人)から、2010年までの間に半減(約262万人)。それに伴い宿泊施設数も、1980年のピーク(859軒)から同じく6割以上減っている(322軒)。
 景気の影響を被りやすい観光産業への依存度が高い熱海市にとって、この状況は厳しい。業種別生産額では、旅館・ホテルが全体の約24%を占め、最も多い。
 海と山に囲まれているため、観光収入が減少しても、漁業や農業である程度補えるのではないかと思うが、実はそうでもない。熱海市の専業漁業従事者は今や100人に満たず、しかもそのほとんどが地元出身の漁師ではないという。農業も一部の柑橘類を除き、あまりさかんではない。観光以外の目ぼしい産業と言えば、リゾートマンション需要などを背景にした建築・不動産業くらいだ。
次のページ>> 「入り」が減り「出」ばかりが増える。公営企業会計の赤字も

 近年続くこうした苦境が、市の財政に大きな負担を与え、6年前に財政危機宣言が出されるベースとなった。一般会計の市税収入は、1996年度の約139億円をピークに、2005年度は約109億円と、10年間で2割も減少。それを補ってきたのは、市の貯金とも言える基金だが、こちらも1995年度末に約132億円あった残高が、2007年度末には約12億円まで減ってしまった。もはや基金を当てにした財政運営は、できない状態にあった。
 それに対して、「入り」を増やしたり、「出」を削ることは難しかった。熱海市では基幹産業である観光業への配慮から、水道料金や温泉料金の値上げは見送られてきた。
 一方で、職員給与費や議員報酬などの人件費、生活保護などの扶助費、大規模事業のための借入金に充てる公債費など、「義務的経費」の割合は増え続けた。その割合は、2005年度末に全経費の約54%に達した。
 さらに、不況や少子高齢化とは関係のないリスク要因も、別に存在した。公営企業会計の赤字(不良債務)である。熱海市では、公営企業として水道、下水道、温泉の3つの事業を運営している。一般会計とは別に設けられ、独立した経理管理が行なわれる特別会計と似た性格を持ち、実態が見えにくい公営企業会計の赤字は、温存され続けてきた。気づけば、2005年度末の不良債務が約41億円にも上っていた。
 なかでも、不良債務が約33億円と圧倒的に多かったのが下水道事業。背景には、伊豆山地区と南熱海地区において、人口規模に見合わない約115億円もの過大な先行投資が続けられてきたことがあった。公営企業会計の悪化は一般会計で補填することが認められているものの、2002年以降、病院誘致をはじめとする一般会計の施策が優先されるようになると、一般会計による支援は難しくなった。その結果、公営企業会計の苦しい実態が明るみに出てきたわけだ。
 地域の衰退と市財政の悪化は、こうして進んできたのである。やり方に賛否両論はあるかもしれないが、齊藤市長が財政危機を住民に周知させようとしたのは、むしろ当然のように思える。
次のページ>> 齊藤栄市長が明かした胸の内。「行財政改革プラン」の3つの柱

 しかし、市民や経済団体に大局的な見地から厳しい改革に理解を示してもらうことは、どの自治体でも難しいもの。当時齊藤市長は、どんな思いで宣言を出したのか。また、どんな改革を行ない、足もとで改革の成果は出ているのか。記者は熱海市役所に向かった。
齊藤栄市長が明かした胸の内
「行財政改革プラン」の3つの柱
齊藤栄・熱海市長。1963年生まれ、東京都出身。国土庁(現国土交通省)、学校法人滋慶学園、岩國哲人氏の政策担当秘書を経て、2005年に熱海市に移住。06年9月熱海市長に就任、10年9月より2期目を務める。
「財政危機宣言がこれほど波紋を広げるとは、思っていなかった。熱海市の財政建て直しを選挙公約にしたので、市民に対する情報公開のつもりでしたが、当初は市議会や経済団体から厳しい批判を受けました。『外から来た市長が地元の団体ともめている』と面白おかしくメディアで紹介されたこともありましたね」
 齊藤栄市長はこう振り返る。
 もともと出身は東京都品川区。国土庁(現国土交通省)の官僚だったが、権限と予算を抱えた中央に対して、地方が陳情行政に明け暮れている様子に疑問を感じていたという。そして、「中央集権の弊害を打破して、地方主権を進めたい」と思い立ち、霞ヶ関を出ることになった。
「細川護煕氏(元熊本県知事)と岩國哲人氏(元出雲市長)の共著『鄙の論理』を読み、地方主権の重要性を意識した」と語るとおり、国土庁を辞めた後は、国会議員をしていた岩國氏の秘書を務めながら、地方行政の知見を深めた。2005年に熱海市へ移住したことをきっかけに、翌年の市長選に立候補したのである。
「当時は夕張市が破綻した直後ということもあり、私の中では『熱海が第二の夕張になるのではないか』という危機感が強かったのです。自治体が破綻すれば、国の管理下に置かれ、自治を失うことになる。何としても、このことを避けなければならないと思いました」(齊藤市長)
 こうした危機感から宣言を出し、2007年度から2011年度までの5年間で財政の健全化を図る「行財政改革プラン」を策定、大鉈を振るうことになる。改革の柱は、人件費抑制、歳入増、歳出減の3つだった。
次のページ>> 基金残高は約16.6億円増加、不良債務残高は約24.1億円減少

 第一に、普通会計における割合が約28%と、県下市部において2番目に高かった市職員の人件費を、大幅にカットした。一般職については、2006年に約41.9億円だった給与総額が今年は約32.4億円まで減る見込みで、6年間で約23%の削減となる。
 一般職員ばかりではない。市長自ら毎年最大30%の給料をカットし、副市長、教育長、管理職にも同じく最大10〜20%のカットを求めた。また、採用の抑制や早期退職勧告などを通じて、職員の数も2006年の634人から今年は514人まで、約20%減る見込みだ。
 第二に、長らく行なわれていなかった公営企業の料金を二十数年ぶりに改定し、歳入増を目指した。水道料金は2007年、2009年、2011年に計3回(平均6%、9%、4%)、下水道料金は2009年に1回(平均8%)、温泉料金は2008年と2012年に2回(平均18%、12%)値上げした。また2008年以降、国保税の税率改定、市が所有する非効率な遊休地の売却、ごみ処理の有料化なども行なっている。
 そして第三に、多額の資金が注ぎこまれていた投資事業の凍結。主なものは、市庁舎の建て替え工事、熱海市・湯河原町し尿等共同処理施設建設事業、初島漁港施設改修事業、中部横断道路改良等事業、熱海駅舎改築計画及び交通バリアフリー計画事業などだ。
 加えて、在宅老人福祉事業(バス券購入助成、はり・灸マッサージ助成)、敬老の日記念事業(敬老祝い金及び敬老大会)など、住民福祉の一環として行なっていた事務事業の多くも廃止した。
基金残高は約16.6億円増加、
不良債務残高は約24.1億円減少
 まさに「聖域なき改革」と言えよう。足もとで、改革の成果は着実に出始めている。
 毎年度の見直し作業を経て、5年間の行財改改革プランが終了した2011年末の状況を見ると、一般会計の基金残高は、2006年末の約12.6億円から約16.6億円増加し、29.3億円となった。一方で、公営企業会計の不良債務残高は、2006年末の約40.9億円から約24.1億円減少して、約16.8億円となった。
次のページ>> これまでの旅館・ホテルには、ホスピタリティが足りなかった

 とはいえ、痛みを伴う改革への反発は根強かったと思われる。なぜこれまで改革を推し進めることができたのか。
 それについて齊藤市長は、「まず『市役所自らが身を削る』姿勢を見せたことが、市民の理解を得られた最大の要因ではないか」と分析する。前述のように、市長は身内だけでなく、自らも給料を大幅に削減し、退職金ももらわないことを宣言している。公務員制度改革が進まず増税ばかりが議論される今の国会と比べれば、齊藤市長のポリシーには確かに説得力がある。
 また、夕張市の破綻以降、地方公共団体の財政の健全化法に基づく自治体の財政指標がメディアで頻繁に取り上げられるようになり、市民が危機感を募らせたという、外部要因も考えられる。
 財政の全体像を見る上で、最も重要視される指標は「連結実質赤字比率」。これは、一般会計収入の標準額に対する、公営事業を含んだ全会計の赤字額の割合を示すものだ。齊藤市長就任直後の熱海市の連結実質赤字比率は、「再建団体へのイエローカード」と呼ばれる早期健全化基準の約18%を大きく上回り、30%を超えていた。あるメディアで「熱海市の連結実質赤字比率は全国でワースト6位」と報じられたこともあり、市民の多くが改革の必要性を感じたに違いない。
 こうして軌道に乗り始めた熱海市の再建だが、まだ大きな課題が残っている。それは、地元の産業や市民の生活基盤をいかに蘇らせるかということだ。それらを視野に入れた草の根的な取り組みなくして、地域を活性化させ、健全な財政状態を維持することは難しい。
 リーダーたちは、どのような取り組みを進めているのか。一般社団法人熱海市観光協会へ赴き、市が寄って立つ観光再生への取り組みを聞いた。
これまでの旅館・ホテルには
ホスピタリティが足りなかった
「リーマンショック後の宿泊客数や客単価の減少は、バブル崩壊後よりも深刻。昨年の東日本大震災後も、熱海が計画停電区域に入ったことや、世間で自粛の風潮が強まったお蔭で、厳しい状況が続きました。しかしその反動で、昨年夏前から客足が戻りはじめ、足もとではようやく震災前と近い水準まで回復してきたところです」
次のページ>> 旅館と商店街との連携作戦は、「オンたま」「旅コン熱海」
森田金清・熱海市観光協会代表理事。「月の栖 熱海聚楽ホテル」の経営者でもある。熱海市の観光活性化に邁進する。
 こう語るのは、熱海市観光協会の森田金清・代表理事である。自らも「月の栖 熱海聚楽ホテル」を経営する、観光活性化の旗振り役だ。
 森田代表理事は、これまでの客層が変化しつつある現実を指摘する。長い間、熱海の観光は接待、宴会、社員旅行などの法人需要に支えられてきた。観光客は夕方熱海に到着し、一風呂浴びた後は夜中まで宴会。そのまま寝て、翌朝になるとすぐに帰ってしまう。それに対して宿泊施設側も、いかに大きな宴会場を用意し、1部屋に1人でも多くのお客を泊めるかという効率を重視し、お客へのホスピタリティに重きを置かなかったきらいがあるという。
 だが、少子化、不況、格安パック旅行を企画する競合観光地の増加などの影響により、団体客や家族客が減り続けている今、もはや昔ながらの商売は通用しなくなった。今は個人客、とりわけ旅行需要を盛り上げている女性客のニーズにいかにきめ細かく応えるかについて、ホテル関係者は知恵を絞っている。
「熱海には、観光名所が何もないと言われ、近隣の箱根などにお客をとられてきました。特に、最近の女性客の選別眼は厳しい。今のままでは街そのものの魅力が伝わらず、リピーターが増えません。団体客を取り戻すことは重要ですが、個人客が街歩きを楽しめる環境づくりの必要性も、感じています」(森田代表理事)
旅館と商店街との連携作戦
「オンたま」「旅コン熱海」
 そこで、これまであまり進んでいなかったホテル・旅館業者と商店街との「連携作戦」が始まった。たとえば、2009年にNPO団体atamistaと組んで始めたのが、温泉、食、工芸などを通じて地元の店と観光客とを結びつける体験交流プログラム「オンたま」(熱海温泉玉手箱)。干物づくり体験、ピザ焼き体験、バー巡りなどをはじめ、今では70近いプログラムを揃え、参加者も年々増えているという。
 また、今年10月に企画しているのが、全国で盛り上がる「街コン」にヒントを得た宿泊型イベント「旅コン熱海」。若い男女300名ほどを募り、数十店の飲食店が出会いの場を提供して絆を深めてもらうというイベントだ。評判がよければ、ゆくゆく熱海を「出会いの聖地」にしたいという。
次のページ>> これからは市民の暮らしを重視。市が目指す「新生熱海」プラン

「かつては旅館・ホテル業者の立場が強かった熱海ですが、今や関係者による会議の場では、宿泊施設も商店も対等の立場で、遠慮なく意見をぶつけあっている。観光活性化への手応えを感じています」(森田代表理事)
これからは市民の暮らしを重視
市が目指す「新生熱海」プラン
 翻って、市の取り組みはどうか。前出の齊藤市長は、「熱海市では、約半世紀にわたって宿泊客数や人口の減少が続いている。このため、基幹産業である観光業や街の整備のあり方を、長期的な視点で根本的に考え直す段階にきている」と力説する。
(上)熱海市を代表する観光スポット「熱海城」。歴史上実在したものではなく、観光向けとして1959年、錦ヶ浦の山頂に建てられた。(下)海開きを待つ海水浴場。
 齊藤市長の分析はこうだ。熱海の黄金期は明治・大正時代。東京の奥座敷として政財界の要人や文人墨客が保養とする場として発展してきた時代だ。その後、昭和9年に丹那トンネルが開通し、昭和30〜40年代には熱海が一世を風靡する時代が到来する。しかし、同時にこの時期に大衆化が進み、もともと熱海が持っていた保養地としての良さを失った時期でもあった。
 また、これまで基幹産業である観光業を重視した結果、住宅、子育てなどの市民生活に関わる整備が相対的に遅れ、若者が地元を離れ始めたのではないか――。
 実際、熱海の人口動態を見ると、社会増では過去5年間で転入者が6062人、転出者が4553人と、意外にも転入が転出よりも圧倒的に多い。ところがフタを開けてみると、転入は高齢者ばかりで、転出は若者ばかりというのが現実。冒頭で紹介した、美穂さんの友人たちのケースも同じである。
「若者が誇りを持って住めない街に、観光客も来たいとは思わないでしょう。住民の生活の質を高めると共に、温泉街そのもののよさを復活させ、『住んで良し、訪れて良しのまちづくり』が、再生への根本理念です」(齊藤市長)
 行財政改革プランを終え、財政再建が一里塚に差しかかった今、市は蓄えた資金を基に、「新生(リニューアル)熱海」の実現へと動き出した。2011年3月から始まった10年に一度の「第四次熱海市総合計画」において、「住むひとが誇りを 訪れるひとに感動を 誰もが輝く楽園都市 熱海」をモットーに、市民の暮らしを重視する方針を打ち出したのである。
次のページ>> 新生熱海へ向け、変化の根底に見える「融和」の意識

 主な取り組みを紹介しておこう。まずは、今後3年間にわたる生活インフラの整備だ。中身は、61年ぶりとなる市庁舎の建て替え、43年ぶりとなる中学校の統合と校舎の改築、駅前広場のリニューアルを軸とした熱海駅の整備など。市庁舎の建て替え、熱海駅の整備などは、行財政改革プランにより凍結していた計画を、予算を見直した上で再開するものだ。
 また、「営業する市役所」を掲げて市が積極的にセールスを行ない、保有する遊休地などに民間投資を誘致する。現在は、静岡銀行、三島信用金庫、ぐるなびらの企業とパートナーシップ協定を結び、熱海に関心のある企業を紹介してもらうなど、市役所にないノウハウやネットワークを外部との連携で補完しようとしている。
 足もとでは、民間投資による産業振興計画の第1弾として、海沿いの市有地に海が一望できるオープンデッキフロアを備えた「ゲートウェイローソン」を誘致することが決定した。
 都会の家族世帯などをターゲットにした移住の促進も行なう。熱海市では、中学生までの子どもは医療費が無料。今後は中央保育園の建設、不妊治療費の助成金などにも予算を割いていく予定だ。市はウェブサイト「熱海時間」などを通じて、都会の若者たちに熱海で暮らす魅力やライフスタイルをPRする。
伝統ある温泉街の誇りを取り戻す
変化の根底に見える「融和の意識」
 取り組みの真価は、数年先になってみないとわからない。だが、財政危機宣言後の熱海市が、変化を続けていることは確かだ。その変化の根底にあるのは、「融和」の意識ではないだろうか。記者は、地元の人々と深く接し、その声を詳しく知っているわけではないので、これはあくまで主観なのだが――。
 1つは、地元市民と市外から来た者との融和。都会から来て改革を進めようとする齊藤市長の問題提起に理解を示さない市民も、当初は多かったかもしれない。しかし、身を切る改革を目にして、今では人々は変化を受け入れ、観光業界関係者も地域再生への意識をさらに高めているように見える。
次のページ>> 熱海の「街の灯」は、かつての輝きを取り戻し始めたか?

2つ目に、前述した地元関係者の融和だ。これまで協力体制が十分ではなかったと思われる旅館や商店の関係者は、苦境を乗り切るべく、タッグを組んでお客の誘致に励むようになった。
 そして3つ目は、世代の融和。高齢化が進む熱海市で改革を主導しているのは、齊藤市長や森田代表理事をはじめとする若い世代だ。経済産業省から招へいされ、副市長に就任した田邉国治氏に至っては、34歳と日本最年少級の副市長である。
 市のベテラン職員や地元の有力者たちが、若いリーダーたちに地域の再生を託す姿からは、新しい息吹が感じられる。
 こうした価値観の転換は、ここ十数年の間に多くの自治体で見られるようになった。しかし、新しい価値観で古い価値観を一新するだけの改革は、その土地が本来持っている「良さ」や「強み」を壊してしまうリスクもある。
「温泉街そのもののよさを復活させたい」と齊藤市長が語るように、大切なのは、目新しい観光施設をたくさんつくることでも、他の自治体のマネをすることでもない。くすんでしまった古き良き伝統を新しいアイディアで蘇らせ、地域ならではの魅力を育て、住む人や訪れる人の「心」に訴えかけていくことだろう。人の心を再生することなくして、地域の再生は考えられない。
地方再生のモデルケースになれるか?
輝きを取り戻し始めた熱海の「街の灯」
(上)海に近い夜の商店街。レストラン、居酒屋、バーなどの飲食店が軒を並べ、観光客をもてなす。(下)「100万ドル」と呼ばれた熱海の夜景。海辺から見ると、山頂の熱海城がライトアップされ、幻想的な光景だ。
 熱海市が改革を完遂し、地方再生のモデルケースとなるための試金石は、まさしくそこになりそうだ。本庄さんや美穂さんのように、地元の暮らしを選ぶ若者や、新たに熱海のファンになってくれる観光客を、今後どれだけ増やしていけるだろうか。
 本庄さんの店を出た後、記者は1人で夜の海辺を歩いてみた。丘陵にホテルやリゾートマンションがブロックを積んだように立ち並び、そこから浮かび上がる無数のネオンが海に反射している。そよ風が水面を撫でる度に光が揺らぎ、今まで味わったことのない幻想的なムードに浸る。
 最盛期に「百万ドルの夜景」と呼ばれ、人々を虜にした熱海の街の灯は、今も確かに燃え続けている。そして、再びかつての輝きを取り戻しつつある。

質問1 熱海の名物と言って、まず思い浮かべるのは?
温泉
豊かな自然
穏やかな海
商店街の土産物店
リゾートマンション
その他


>>投票結果を見る
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2015年3月13日 16:31:24 : 5IgKSHEVqs

熱海市役所

市長のプロフィール

齊藤 栄(さいとう さかえ)
http://www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=297

市長の詳しいプロフィール
http://www.city.atami.shizuoka.jp/page.php?p_id=299

======================================

銀座のうぐいすから
http://blog.goo.ne.jp/amesyun-goo/e/66e8a295490594fc509acf37af348d89

自殺や焼死ではなくて、熱海市長や鎌倉エージェントによって汚された土地、

2014-09-13 08:55:28 | 政治


 前報は、初めてそこへ入った『大島てる』という事故物件情報サイトを中心に語っております。ところで、そこには、個人的な不幸の歴史が大量に搭載されているサイトでした。ただ、そこで、不動産物件という話題に入って行ったので、そこから、急に私固有の政治に入って行きたいと思います。いつも、問題にしているのはそれですから。

 ところで、今は、13日の夜八時ですが、今から下の文章の遂行と加筆を始めます。その最先端は、@@@@罫線で示します。なお、急に副題9から始まっていますが、副題1〜8までは、前報をご参照くださいませ。

副題9、『熱海市の市長<斎藤栄という若い男性>が異常な杭を、個人の私有地に入れている謎を、今、はっきりと、解き明かしましょう』

 しかし、熱海市の物件と、横須賀市の丘の上の物件では、だまされに近い損失を与えられましたが、敵さん達が裏で蠢動をしたから、そうなったのはわかっていますから、道程としては、仕方がなかったのです。金銭としては、違約料とかを、取られたものもあって、交通費や宿泊代を入れれば、全般で、300万円近い出費でしたが、それを経ての今のブログがあるわけですから、仕方がないです。敵との戦いは、損失を強いられる過酷なものです。「5億円の被害があります」と言っている一環です。

 特に、13日に、この鎌倉雪の下の山で、AEDを課題にした町内会があります。そして、銀座では秋山裕徳太子氏の3人展がありました。そして、秋篠宮佳子様がAO入試でICUに転校なさいます。また、イスラム国の従事者が、現在3万人であると、NHKが、12日にお昼のニュースで、言いました。

 こういう事が、このブログと全部関係がありますので、丁寧に書いていかないといけません。

 本日は、熱海市長が個人の農地110坪内に、入れたとされる異常な杭について述べます。それは、三方に、他人の家がない、という環境は抜群の場所です。伊豆半島の多賀と言う地域で、平地化した部分が、40坪程度、だが、変形であって、花畑程度にしか利用できない土地が、70坪あると言う地形です。だが、田舎も田舎で、道路の拡張予定もないのに、不思議な形で、熱海市が入れたとされる杭が、道路より3mも内側に入ったところに打ってあり、実際には、希望通りの間取りの家は建てられない物件でした。
 しかも土地の種目は農地であって、それをもし、農家以外の人が買う場合には、買ってから3カ月以内に、家を建てないといけないそうです。持ち主は、世田谷に店舗を持っている不動産会社(ただし、社長は立教大学出身のモダンでおしゃれな紳士であった)で、その人がどうして、数年間も、農地のまま、保持できたかは不思議ですが、私の場合は、特権もなく、いじめられ切っていますので、法をかいくぐって、家を建てないで、農地を持っていると言うのも、無理でしょう。売値は、110坪で、660、万円でした。

 環境としては、海が望めるし、桜の大木が敷地ないにあるし、(それは、北久里浜にもあるのですが)二級河川ながら水量の多い清流が、そばを流れています。別荘風のコテージを建てて、終の棲家とするには絶好の土地と見えました。タクシーの運転手は、有名人を名指しであげ、あそこに誰それが住んでいて、こちらには、誰それが住んでいると言っていました。しかし、もし買いでもしたら、熱海市の異常な杭のせいで、建物は自由に建てられないし、かつ、農地の宅地化の規則で、3カ月以内に建てろと責め立てられたら、にっちもさっちもいかなくなって、建築確認の申請やら税金やらで、900万円程度を、どぶに捨てる事となったでしょう。しかも交渉過程で、振り回されきって大消耗をして、金銭には換えられない、損失も被ったはずです。これは、一種の罠でした。庶民の人気を青がないといけない熱海市長が、非常に悪辣な罠に、自分の名前を貸したというわけです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

副題10、『熱海、鎌倉、世田谷に拠点を置く、エージェントたちの、三つの連携を、見事に感じた一件だった』

 誰に頼まれたからでしょうね? 可能性としては、第一に考えられるのは、鎌倉市長・松尾崇氏が、「それを頼みこんだ」という線で、その裏に、伊藤玄二郎がいる?
 第二の路線は、ここの社長が、相当に深い美術愛好家であるので、今回の熱海の土地売買の関係者が、世田谷美術館とは懇意であって、酒井忠康氏と、昔から知遇があり、その路線で、今回不動産会社が、この罠を私ん対して仕掛ける様に依頼をされた。無論、酒井忠康氏の裏には、伊藤玄二郎がいるわけです。伊藤玄二郎がどうしてそこまでの事をやりたいかというと、この鎌倉雪の下の町内会のあれこれに、彼が首を突っ込み過ぎていて、また、それをすべて私が文章化していますので、やはり、追いつめられていると、言う事になっているのでしょうかね。

 そう言う事で、次から次へと悪さを、考案するのですが、この熱海市長名で、入っていた異常な杭も、かれか、この山の例の安野氏か、前田氏の発案である可能性は強いです。または、そういう連中が、動かした、警察関連か、または、松沢茂文氏あたりが動いたと、みなせます。
 私はどんな罠でも瞬時に、その因果関係等はわかります。で、

 電話で「お話を受けない。今回は買いません」と、連絡を入れました。こちらは、金銭的な違約金を取られる事はありませんでした。というのも扱い不動産会社の社長が、美術愛好家で、資産30億円程度のインテリ紳士だと推察され、かつ土地の持ち主も似た様なタイプだったからです。だから、しみったれでは無かったのです。世が世なら、また、普通のケースであって、私の敵たちが暗躍しなければ、一生お付き合いできる筈の安心なタイプでした。後で、その二人の実名を入れておく必要もあります。

 だから、『数百万円といえども、違約金をください』という種類の、いぎたなさがなかったのです。これは、後で、横須賀市汐入二丁目の土地は、全く異なっていたので、それに関して、重要なファクターとなってきます。元軍人のお嬢様木村さんに、138万円ふんだくられてしまったのですが、そちらも、むろんのこと、木村さんといお嬢様・奥さまが、けちだったわけではなくて、私の敵たちがそういう風に書く策をしたと、みなせます。で、木村さんの陰に誰がいたかの謎ときに役立つので、熱海の方も、きちんと書いておかないといけません。こちら、木村さんは、私のブログの事を一切知りませんでした。だから、誰からから教唆を受けたら言うなりに、動いたのです。

 そのとんでもない138円を、払うか、払わないかの瀬戸際に、前田祝一氏がお隣の小野寺夫人に、聞かせるのを主たる目的にして、『あんたを刑事訴訟にかける』と言うとんでもない恫喝をしかけてきたのです。それは、2013年5月27日の夕方でした。これも後でリンク先を見つけておかないといけませんが、すべて、裏側では、連携があり、悪辣な手法を、とっては、『やーい、成功したぜえ』と、おお喜びをしているわけなのでしょう。

 だけど、この多賀の土地で、損をしなかったのは、ただ、関係者が紳士だったというわけだけでもなくて、私が同時進行的に子の罠の裏側をブログで書いていた事もプラスしたはずです。不動産会社の社長と、その農地の実際の持ち主が二人とも世田谷を余点とする紳士であって、インテリだった事が幸いをしました。今は学歴は関係がないとよく言いますが、私大の名門校をで血手、お顔もいい人は、育ちがいいです。だから、安心できる部分はあります。ただ、2012年にブログを書いていた時は、関係者(=動産会社のと、持ち主)の名前は、明らかにしていませんが、熱海市長との名前は、明らかにしています。

 だから、熱海市長の、斎藤栄さんが、そういう異常な事をなさったのは、ここにアップしてある写真込みで、逃れられない事実なのです。数年後インタビューをして、<<<裏に何があったから、そういう事をしたのか>>>>という事は、知りたいところです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

副題11、『静岡県全図という熱い地図本を、一瞬で盗み取ったのは誰だ?』

 
 まず、熱海市長斎藤栄氏という人物が、非常に若い事は、その2012年の時点ではまだ知りませんでしたが、この前テレビニュースで出て来て、現・鎌倉市長の松尾崇氏と、年齢的に近い事を知りました。

 また、警察の関与も見事に察知できます。というのも、大部の静岡県地図が盗まれたからです。そのやり口が、以前、横浜駅ジョイナスの公衆電話御を利用した際に、住所録を忘れた時、

 また、大阪市ない、大阪城北詰め口の切符売り場で、ビデオカメラを忘れた時に、瞬時に持ち去られた経緯と、そっくり同じだからです。そのビデオカメラには、醍醐イサムの醜態(および醜悪なる二重人格ぶり)が記録されているものでした。彼は、理不尽ないじめをしかけてきた男性ですが、その理不尽ないじめは、例の美術9条の会などを利用して、井上ひさし発でのいじめであろうし、それが、警察の尾行によって、大阪で盗まれたという事は、伊藤玄二郎が、警察まで、コントロールできる大物エージェントである事を証明しています。

 という事は、また、そこに戻るのですが、この雪の下のおバカさんな夫婦、石川和子+柳沢昇の、私の猫の事で、警官を呼んだ大騒ぎ、いや、バカ騒ぎと言っていいものだが、が、原初に横たわっていうという事も証明されます。その騒動の時に、そのおバカさん達が、警官を呼び、また、その警官二人が柳沢たちに輪を掛けた大失敗をしたので、それが、後を引いているものだからです。綿k氏はその陰に、それだけではない大被害があるので、とうとうそれを書き始めたら、伊藤玄二郎が、『こりゃあ、大変だ。僕は早く、石川和子さんとの愛人関係を否定しなくてはいけない』いと思ったらしくて、そのために、酒井忠康氏とか、石塚雅彦さんを巻き込んで、さらに大騒動に発展をさせているものの発露なのです。それが醍醐イサムの私に対する無礼の源泉だし、だからこそ、醍醐イサムの醜態を録画した動画は、警察によって、抹消をされたのでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

副題11、『警察が泥ぼうをしている可能性に、関する傍証を、ここでは熱海駅に集中して語ろう』

 地図そのものは、3000円以内で買えるものですが、御殿場線の異常な放送(それこそ、京急内のと同じもので、私をテロリストと擬している、超・不当であり、人権侵害なものですが)、など、および、沼津の東横インが、朝の五時に、大音響を発して、眠りを妨げた件など、すべてを勘案しても、動機というか、目的はいつもと同じなのです。悪人たちの悪行を書いていく私を抹殺したいと願っている伊藤玄二郎と、その一派の裏工作の反映でしかないのでした。

 しかし、どうして、警察が、悪人の見方をするのですか? 泥棒は、ほとんど、警察と合致しています。それが解せないのです。ただし、日本の警察(現在の警察庁長官は、吉田某氏=最近テレビに出てものを語ったので、記憶に新たであるが)が、CIAの配下のパペットであり、伊藤玄二郎が、これもCIA配下の、一級エージェントであるとすると、伊藤玄二郎の方が、警察庁長官より偉いということになります。それで、泥棒が、いつも後ろにいて、すこしでも隙を見せると、私のものを盗って行ってしまうという事になっているらしい。

 だから、警察が、熱海駅で、私を尾行していて、私が、公衆電話を使う時に、ふと、持ち帰るのを忘れてしまった、大型の静岡県地図(バス停まで、記載をされている本の形である)を瞬間的に盗んでいくのです。警察がですよ。

 我が家からもですよ。父が絵が上手で、中国の遺跡を油絵で描いて1943年に、新聞11社に取材をされた事があります。満鉄の調査部、中央試験所というところで、石油の、特に今でいうオイルシェールの研究をしていたので(当時は頁油岩=ケツユガンと呼んでいた)戦時中でも、戦争画を描かないで、済んでいたのです。月給が出る身だから。特に国家にとって、生命線である石油の研究をしているので、徴用をされても、すぐ返されて来ました。しかし、それらの新聞記事の切り抜きが盗まれています。
 私は、いいわ、どうせ、国会図書館にえか、資料がコピーとシエ手に入るはずだと考えました。だが、朝日毎日などの、大新聞の縮刷版には、東京都版しかついておらず、そこから再現するのは不可能でした。しかし、満州独自の新聞はあるはずでと思ったら、それは、3種類だけ、が、マイクロフィルム化されており、それ以外は廃棄されたと言う事でした。

 父は11枚の切り抜きを持っていたわけですから、本土で、威勢を放っている新聞が5紙あって、後の6紙は、満州独自の新聞だったとみなせます。そのうち、3紙しかないのかと、屋や、残念に思いながら、それでも期待を持って、マイクロフィルムの画面を覗くと、なんと悪意のある事に、文化面だけ、削除されて、マイクロフィルム化されていたのでした。
 新聞の切り抜きだけではなくて、品が良くてイケメンのサラリーマンだった、父の写真も母の写真も、もう、ないのでした。

 そして、それに気がついて、メルマガとか、このブログにそれを書いて以来、私が、国会図書館に行くたびに、パトカーとか機動隊のバスが待っています。
 その動機と目的は良くわかります。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2447820です。


02. 2015年3月13日 17:22:19 : 5IgKSHEVqs

国立国会図書館

リサーチナビ
満鉄の調査と研究 : その「神話」と実像

青木書店/2008.7
http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000009430524.html


当館請求記号:DK55-J7

分類:軍事

(略)


第4章

事業化された調査—資源・鉱産物調査とオイルシェール事業

山本裕

はじめに

228


第1節

満鉄傘下組織による資源調査の概要—地質調査組織と中央試験所を中心に

231


第2節

「燃料国策」とオイルシェールの地位の推移

240


第3節

満洲国建国以後におけるオイルシェール資源調査

249


おわりに

256

(略)

__________________________________

阿部ブログ
日々思うこと

満鉄におけるオイル・シェール事業 〜シェール革命の本命はオイル・シェール〜

2012年07月20日

カテゴリー: 日記
http://blog.goo.ne.jp/abe-blog/e/96e7b5c46d2ef036c4da2c23490dc640

_____________________________________

中華人民共和国に継承された満洲化学工業 - 東京大学学術機関リポジトリ
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/26299/1/305.pdf#search='%E6%BA%80%E9%89%84%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E9%83%A8%E3%83%BB%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E8%A9%A6%E9%A8%93%E6%89%80%E3%81%A7%E3%80%81%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6'


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民77掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 経世済民77掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧