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働けるのに働かない人に、お金をあげてはいけません!
鈴木亘・学習院大学経済学部教授と生活保護問題を考える
2012年7月19日(木) 広野 彩子
高所得なお笑いタレントの母親が生活保護を受給していたことをきっかけに「炎上」した生活保護受給問題。弱者を支える心の余裕がなくなった世相の反映か、それとも不届き者のモラルが低下したのか。そもそも、生活保護はどんな人を想定して作られた制度なのか。また、現在の不正受給が爆発的に増加した原因は何だったのか。制度の問題点と改善策について、社会保障問題のエキスパートである鈴木亘・学習院大学教授が斬る。(聞き手は広野彩子)
高収入のはずの芸能人の親族が生活保護を受給していたということで、世間を賑わせました。しかし、どうしてこんなにも簡単に生活保護を受給できてしまうのでしょうか?
そもそも穴だらけの生活保護制度
鈴木:生活保護申請が通った後、毎年の継続手続きをする時の要件確認が甘く、穴だらけだからです。これは以前から何度も指摘されていたことです。その代わりに、自治体の福祉事務所は「入り口」の時点で、怪しい申請があっても受理しないよう、過剰とも言える厳しい審査をしてきました。しかし、これはこれで問題で、生活保護が本当に必要な人までを追い返す「水際作戦」として批判をされてきました。
鈴木亘(すずき・わたる)氏
学習院大学経済学部経済学科教授。1970年生まれ。94年上智大学経済学科卒業、日本銀行入行。2000年、大阪大学大学院博士後期課程満期退学、同大学社会経済研究所助手。大阪大学大学院国際公共政策研究科助教授などを経て現職。著書に『だまされないための年金・医療・介護入門』(東洋経済新報社)など多数。
(写真:大槻 純一、以下同)
ところがリーマンショックで「若者の職がない」ということから、緊急措置として、生活保護の申請を働く能力がある人にまで認めることを促す通達が出され、堰を切ったように若者の生活保護受給をぐっと増やす方向に行った。言わばパンドラの箱が開いてしまったのです。
箱を開けて、救われた人々もいますが、同時に不正受給者という「お化け」も多く出てきてしまった。でもお化け対策を事前に考えていなかったのです。生活保護を受ける基準を緩和すれば、必ず不正受給への動きが出てくることは分かっていたはずだと思いますが、現実にはそういう仕組みが存在しないまま門戸を開いてしまった。
そもそも日本の生活保護は、伝統的に「尾羽打ち枯らせて、もはや何も手立てがない、どん底になった人」を救う制度です。いわば「働く能力も意志もある元気で若い人は、生活保護の対象にするべきでない」という考えの制度設計でした。
一方で、生活保護を受給するための指南本も、たくさん出版されています。
鈴木:「ハウ・ツー・ゲット生活保護」という感じの本を、色々な方がたくさん書いておられますね。「派遣村」で知られる湯浅誠さんをはじめとする社会運動家は、「低所得者は全て生活保護で救うのが正義」、とお考えのようですから。
鈴木: 確かに、日本の生活保護は、生活保護にかかってもおかしくないような低所得者の数に対して、受給している人の割合が先進国で一番低いといわれている。だから「貧しい人は全部政府が生活保護で食べさせるのが正義だ 」という極論を言う人がいます。しかし、生活保護が低所得者を救う唯一の方法ではありません。ほかにもたくさんの方法がありますし、その方が生活保護よりも適切な場合があります。また、生活保護をかけるべきという低所得者の定義も実はあいまいです。
鈴木: 厚生労働省の統計に基づく推計では、生活保護を受給できる可能性のある低所得世帯のうち、生活保護を受けている人の率は32.1%で、7割近い人が保護を受けていないとされています。ところが、総務省の統計に基づく推計では68.1%となり、保護を受けていない人の割合は3割となります。ずいぶんと幅があるのです。
保護を受けていない人の割合について、対象者の7割なのか3割なのかでは、かなり開きがありますね。
鈴木:さらに日本では、この「生活保護を受給できる可能性のある低所得者世帯」の実態そのものが明確に分かっていません。一口に「低所得者」と言っても、それは「フロー(所得)がない」という事実が分かっているだけで、「ストック(資産)があるかどうか」はほとんど分からないからです。低所得で働いている人ももちろんいるし、一方で資産をたくさん持っていて働く必要のない「低所得者」もいますし、色々です。
実は「誰が貧困か」は、今の調査では分からない
すると誰が本当に貧困で、誰が貧困ではないかというのは、今の調査では分からない?
鈴木:それが実情です。先ほどご紹介した「低所得世帯の3割〜7割が生活保護を受けていない」という数字も、「全国消費実態調査」や「国民生活基礎調査」など、既に存在する別の目的の統計から推計しているだけで、信頼度が低いと言えます。銀行預金や不動産などといった資産をきちんと把握しているわけではありません。資産がどれだけあるか分からないままで「低所得世帯」とくくっている。だから、自営業で所得を見かけ上赤字でマイナスにして、一方でたくさんベンツのような外国産の高級車を乗り回しているのに、低所得者と分類されている人が大勢いるかもしれないのです。
OECD(経済開発協力機構)の統計に(相対的)貧困率という指標がありますが?
鈴木:それは、所得額(所得を世帯人数で調整したもの)の人数分布を金額の高い方から低い方まで並べ、全体のちょうど真ん中にあたる人の所得額を取り、所得がその半分に満たない人が全人口に占める割合をとるというもので、各国比較をする研究者のための指標です。日本でこれが本当に貧困ラインと呼べるのかという点には、かなり異論があります。
ですので、この数字は生活保護を考える上では全く関係がないのです。生活保護は先ほど紹介した、生活保護で支えられている人の率、専門的な言葉で「捕捉率」(生活保護を受ける可能性のある低所得者のうち生活保護を受けている人の割合)と呼んでいる数値を使います。しかしこれがあまりに幅がありすぎるのです。
捕捉率の計算では、金融資産は全く調べていないのですか。
鈴木:実態としては正確に分からないのです。推計の根拠としている「全国消費実態調査」はそもそも家計簿の調査ですし、「国民生活基礎調査」は健康や生活状態を調べる目的に沿って、所得も調べているといった性格の調査です。金融資産については一応聞いていますが、正確に答えているかどうかは分からない。土地や住宅などの不動産は全く把握していません。
つまり厚生労働省は、そういういい加減なデータをもとに、捕捉率を3割とか7割とか言っているわけですよ。まともな貧困調査をしていないのに、そうした数字を主張するのはかなり問題があると思います。
米国や英国では、資産まで調べるのでしょうか。
鈴木:もちろんです。「誰が貧困か」ということについて調べるので、本格的に立ち入るのです。国勢調査以上の本格調査をします。それくらい貧困調査というのは、大変重要な調査なのです。それもなしにどうやって貧困対策をするのかというくらいの話です。資産が把握できないということは、所得が把握できないということに等しいですからね。
資産の把握から始まる制度改善
鈴木:先ほど例に挙げたような、自営業者が売上高と経費を同じにして所得をゼロですと報告した場合でも、資産を見ればすぐに分かります。預金を把握していれば、「所得ゼロなのになんで今年、預金残高が1000万円も増えたのか」と聞くことができるでしょう? 米国のように国民の1人ひとりにSSN(社会保障番号)があれば、それも分かるのです。米国ではSSNがなければ銀行口座を作れませんから。
番号制度は大事ですね。消費増税に先立つ低所得者向けの給付付き税額控除の議論でも、「所得を正確に把握するため、番号制度の導入がまず前提だ」という意見を聞きました。生活保護を申請した人について、資産の調査はしていないのですか。
鈴木:もちろん生活保護を申請すると、その本人については資産や所得を徹底的に調べることになっています。ただ調査権限が強くないため、資産の調査を完全にすることは中々難しいようです。ましてや、その家族・親戚については調査がほとんどできていない。問題になったタレントの母親のように、家族に関することまで調べ上げる権限はないからです。悪用しようと思えばいくらでも悪用できます。
偽装離婚などもよくあります。旦那さんと世帯を分けると、奥さんは収入がないことになるから生活保護を受けられる。でも実際は、夫が通ってきているという状況です。この場合も通常、夫の資産までは調べません。
なるほど。「子供を認可保育園に入れるために偽装離婚した」という風説は、昔よく聞きました。
鈴木:生活保護も同じですよ。保育園も、生活保護も、母子家庭は認められやすいですから。
抜け道だらけですね。社会保障に関する査定が全般的に甘い。
鈴木:甘いです。これだけ税金を投入しているのに非常に甘い。だからこそ、税金を払う側ともらう側で、大きな不公平を感じるわけです。本当に困っていたら、助けてあげたい、あるいは仕方がないと思う人は多い。けれど、誰が本当に助けるべき人で、誰がそうではないのかが非常にあいまいで、いい加減になっているのが、今一番懸念されるところです。これでは、払う方ももらう方も、両方にモラルがなくなっていくように思います。
自治体によって差がある生活保護支給基準
モラルが低下すれば、真面目に歯を食いしばって頑張っている人まで悪影響を受けて、「ああ、生活保護をもらえばいいんだ」と堕落していく。
鈴木:しかも生活保護の支給額は、支給されていない側が「こんなに努力して、嫌な仕事して稼いでいるのに、生活保護より俺の収入は低いのか」と感じる水準ですから。ならば無理して働かず、生活保護を受けた方が良いと思う人が出てくるのも無理はありません 。ついこの間まで一緒にネットカフェに泊まっていた知人が生活保護を受けていたら、自分もそっちに行こうと思いますよね。
自治体によって対応に差があるということでしたが、そういう情報もそこで口コミが広がるわけですね。
鈴木:そういう情報はあっという間に広がるんです。それこそ支援団体があって、情報を提供していますから。例えば「都内のN区はハローワークに何回か行って断られると生活保護を受け入れるらしい」というと、よそから移ってくる。実際N区のケースワーカーの話では、若くて、働ける年齢の方が自分から「今月××回断られたので参りました」と、N区の目安としている判断基準と同じ数字を言ってきたそうですよ。
とても困っている状況下で、雇用保険が頼りにならなくて生活保護しかないとなったら、誰だって当然そういうことは調べます。
生活保護を受給すると働く気がなくなるという話をよく聞きますが、もともと、働けない人のための制度を働ける人に適用しているからなんですね。
鈴木:そうです。特に若い方は適応力がありますから、あっという間に受給している状態に慣れてしまう。生活保護を受給している若い方を調査しているときに、では1カ月後にもう一度会いましょうと言って別れ、ひと月経ってお会いすると、明らかに目から光が失われています。だから、私の知っているケースワーカーたちは「生活保護から脱却できるかどうかは、受給を始めてから1カ月が勝負だ」と言っています。
1か月ですか。短いですね。
鈴木:長くても3カ月ですね。3カ月引きこもっていたら、さすがに立ち直りにくい。1回生活保護を受けるようになると、もうやる気がなくなってしまうのですよ。頑張って働いても、その分だけ生活保護費が減らされるので、いわばタダ働きになってしまうんです。タダ働きの制度で頑張れる人なんて、まずいないですよね。
そこから立ち直るには、制度をどう変えればいいんでしょうか。
鈴木:生活保護を受けている若い人たちに話を聞くと、夢みたいなことばかり言うのです。どんな仕事がしたいの、と聞くと、「IT(情報技術)産業がいい」とか、「真夏でもクーラーが効いている部屋でパソコンを使う仕事がしたい」とか。でもそんな求人、彼らにはないですよ。
就労積み立てによる自立支援が不可欠
鈴木:ただ、彼らが時給500円、600円でもいいと思えるのなら、IT産業も求人を出すかもしれないですよね。クーラー付きのオフィスで働ける仕事の求人も出てくるかもしれない。だから、生活保護受給者に限って、企業から彼らへの求人が出るぐらいまでに最低賃金が下がればいいわけです。
最低賃金以下でも受給者は生活保護で生活が保障されていますから、十分生活していけるわけで、問題はない。安い時給であっても生活保護費より働いた分は積み立てるなどしていけばいい。これを実現するのが、働いた分は自分の収入になるけれど、生活保護期間中は使えないようにして貯蓄させ、脱却のための初期資金にするという「就労積立制度」です。
また、彼らが引きこもらず、働いてくれればその分、公費が減ります。さらに、この制度は企業に対して一種の人件費補助金を出すことと同じわけですが、人件費補助金と違って、生活保護受給者に限って最低賃金を下げるだけですから、新たに税金を投じる必要が全くない。
働いたら生活保護費を減額する論拠は、何なのですか。
鈴木:これもまた「そもそも働けるような人間は、生活保護受給者にはいない」という発想からきていると思います。もう1つ、日本では働いても生活が苦しいワーキングプアが大勢いることも関係している。ワーキングプアが641万人というのが厚生労働省の推計です。生活保護受給者は210万人ぐらい。働くことのできる層は「稼動能力層」と言われていて、リーマンショック後これがとても増えたのですが、まだ生活保護のおよそ2割、40万人ぐらいです。40万人対641万人の戦いになるわけです。
641万人のワーキングプア層が現在進行形で増えているのですけれども、その641万人は生活保護よりも低い収入しか得られていない。ここの人たちとの不公平感を考慮して、生活保護受給者はその分減額して、実質的にタダ働きという風にしているわけです。
しかし、働ける「稼動能力層」を生活保護の対象にしてはいけないというのが問題の本質ですよ。下手すると、この641万人が全員生活保護に入ってくるという話になってしまいます。
生活水準が近い低所得世帯と生活保護世帯の間で「手取り」に格差が生じているわけですね。
鈴木:生活保護に対する批判をする人は、意外に貧しい人たちが多いのです。だから、貧しい人たちが、別の貧しい人たちの生活がよくなることに対して足を引っ張っている。しかし、本当は、批判する人たちも批判される人たちも、両方とも底上げを図らなければなりません。つまり格差対策が必要だということです。だから給付付き税額控除(所得税の納税者には税額を控除し、控除しきれない人や課税最低限以下の人には現金を給付する制度)というのは、いいアイデアだと思います。
今の仕組みでは生活保護対象だけが救われてしまいますが、これなら対象にならない低所得者には現金を給付し、高所得者からは少し徴税した上で還付するという形で再分配が可能になります。色々な国がこの制度を実施していますが、全て働くことを条件にしているのがポイントです。ところが日本では、消費税を引き上げるための、消費税のキックバック制度という形に話が矮小化されてしまいました。これは財務省の陰謀ですね(笑)。
日本は、消費税を支払ったレシートを持っていくと返してくれる、カナダ型を目指しているということでしょうか。
鈴木:多くの国が採用している給付付き税額控除とは、カナダのような消費税のキックバック制度ではありません。カナダは特殊な例です。給付付き税額控除は英語の正式名称はEITC、アーニング・インカム・タックス・クレジット。アーニング(earning)だから、稼がないとだめなのです。
生活保護でも携帯もインターネットもOK
鈴木:給付付き税額控除は「働けど、働けど、わが暮らし楽にならざり」という人を助けるための制度なので、日本で今、計画されているような、働けるのに働かない人まで助けてしまう制度じゃだめですよ。
そして現状も、働けるのに働かない人に対してお金をあげているということですね。しかし話が戻ってしまいますが、生活保護って、生活のいろいろな自由が制限されますよね。それは負担にならないのでしょうか。
鈴木:いや、実はかなり自由度が高いんですよ。パソコンを持っていても全く問題ないし、インターネットも使えるし、携帯だって持てます。賃貸住宅の敷金、礼金もタダ、税金もタダ。保育料も無料ですし、お受験塾はさすがに無理ですが、補習塾であれば塾代も出ます。大学には行けないけれど、専門学校は大丈夫です。NHKの受信料もタダです。
だから母子家庭なんて、いったん生活保護を受けたら、なかなか抜け出ようとしない。医療費だって全部タダですから。問題は、生活保護から脱した途端に生活水準が下がってしまうことです。われわれはこれを「貧困のわな」と呼んでいます。それを乗り越えるために、先ほどご紹介した、保護を受けている間に初期の生活資金を積み立てる「就労積立制度」をぜひ導入すべきだと思います。
これは法律を改正しなくてもできますか?
鈴木:いえ、生活保護法の改正が必要です。実は今の生活保護法というのは、1950年に1度改正して以来、一度も改正していないのです。
ええっ?
鈴木:62年も変えていない法律なので、時代に合わない部分がたくさんある。例えば「身内が生活に困ったら、3親等まで扶養しろ」と言っているのはやはりやりすぎでしょう。みんな仲良く同居しているサザエさんみたいな家庭を想定している時代の法律ですから。
てんでばらばらに住んでいるのに、突然、ある意味見ず知らずの親戚の面倒を見ろというようなものですね。
戦前の家族制度を求める考え方まで出てきたが…
鈴木:自民党はそういう戦前の家族制度に戻す、というようなことを言っていますね。そんな人たちの作った法律を民主党が丸飲みしたら、現実の状況との乖離が激しすぎて大変なことになりますよ。そういう考えがあるのは認めるけれども、それはもはやマイノリティーだから。
僕は、2親等か1親等でもいいと思います。かつ、その中でも実際の交流の度合いなども考えて、2親等であっても例えば親が離婚して以来交流が途絶えていたなどの場合は、扶養をさせられないこともあるでしょう。受給を受けるまでに3親等まで全ての親族に扶養を求めても認められないという確認が必要、となると、真面目な人ほど、本当はとても困っているのに「そこまでしなければいけないのなら生活保護はいりません」と思って、追い詰められかねない側面もあります。
戦前のような状況に戻すことを主張する人たちは、法律や制度で「戦前の常識」に強引に戻せば、人々の意識が「子どもは親の面倒を見るし、仕事に就いたらどんな仕事でも一生懸命働く、あるいは子どもがきちんと勉強します、精神的にも強くなって病気になりません」、という風に変わるとでも思っているのでしょうか。
鈴木:というより、そういうところに投票基盤を求めざるを得ないくらい自民党も追い詰められているのでしょう。浮動票は当てにならないけれど、一部のそうした価値観の層からは、確実に支持されますから。
しかし政府が「家族とは何か」ということを議論しているのは、ムダに時間を浪費しているだけだと思います。家族の定義の話は民法改正の論議でゆっくり議論すればいい。生活保護に関して実質的に誰が扶養義務を負わなければいけないかは、生活保護法の中で議論して、客観的な基準を決めればいい。つまり、どのような所得があり、どのような資産を持つ家族に扶養義務があるのかについて、具体的なガイドラインを作るべきです。その方が、本当に困っている人たちに手を差し伸べるための近道だと言えるでしょうね。
広野 彩子(ひろの・あやこ)
日経ビジネス記者。1993年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、朝日新聞社入社。阪神大震災から温暖化防止京都会議(COP3)まで幅広い取材を経験した後、2001年1月から日経ビジネス記者に転身。国内外の小売・消費財・不動産・保険・マクロ経済などを担当、『日経ビジネスオンライン』、『日経ビジネスマネジメント』(休刊)の創刊に従事。休職してCWAJ(College Women’s Association of Japan)と米プリンストン大学の奨学金により同大学ウッドローウィルソンスクールに留学、2005年に修士課程修了(公共政策修士)。近年は経済学コラムの企画・編集、マネジメント手法に関する取材、執筆などを担当。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120712/234420/?ST=print
「まとめサイト」としての池上さん
情報を取捨選択して伝える編集力に価値と対価を
2012年7月19日(木) 橘川 幸夫
ここ10年くらいでメディアの世界で大きく才能を輝かせたのは、池上彰さんだろう。NHKに記者として入社し、自ら希望して地方局で経験を積み、本局のキャスターになり、子どもたちに時事解説をする『週刊こどもニュース』で、経験と能力が開花した。僕も時々、見ていたが、国際情勢や経済原理など難しく説明すればいくらでも難しくできるテーマを、子どもたちに理解できるように図解したり、ユーモアをきかせた話術で説明したりするスタイルは独特のものであった。この番組で、子どもたちにレクチャーするという体験が、その後のテレビのバラエティーニュース解説番組のスターになる時の財産になったのだろう。
東京・杉並区の和田中学校の民間校長だった藤原和博さんが校長に就任した頃、よく言っていたのは「いやあ、子どもたちの講義というのは大変だ。子どもは正直だから、いくら権威のある文化人でも、つまらなければ、すぐに顔に出る」と。大人向けの講演会だと、肩書や、はったりでごまかすことができても、そんな権威のことを知らない子どもにとっては、教えてくれる中身だけが問題なんだろう。
池上さんのニュース解説は、女性たちに人気がある。アラサーのOLも、アラフォーの主婦にも人気が高い。情報化社会においては、歌手や俳優だけがタレントなのではなく、事件そのものもタレントとして扱われる。「アラブの春」も「再生可能エネルギー」も、言葉として話題になっているけど、その実体は分かりにくいことが多い。そうした人気テーマを、背景から掘り起こして丁寧に説明してくれる。おそらく、池上さんの番組を見ている時、視聴者の多くは、小学生だった自分に戻っているのではないのだろうか。
それで池上さんとは何者なのか、と考えていて、ふと思いついたことがある。それは「池上彰とは、まとめサイトである」というフレーズである。インターネットが普及したことによって、僕たちは、膨大な情報ソースにつながった世界で生きている。探す気になれば、たいていの情報はたどり着くことができる。情報だけではなく、意見についても、さまざまな角度からの意見に触れることができる。膨大なコピペ情報と、悪意のあるインチキ情報も混ざっているが。池上さんが教えてくれる情報も、自分で探せば探せる情報であろう。しかし、それを探す手間や、真贋を判断する能力を多くの人が持っているわけではない。多くの人は、信頼できるフィルターであり、分かりやすくまとめて解説してくれる池上さんを好きなんだと思う。
「見えないもの」に価値を認められない工業化社会
「まとめサイト」に必要な能力とは何であろうか。それは大量の情報から必要な情報を選別する識別眼だが、同時に不要な情報を捨てる力である。さらに必要な情報に脈絡を見つけて一本の道筋において整理する力である。それは編集という能力である。
あらゆるものが情報として扱われ、企業においても情報の扱い方が企業の存続にかかわることもあるぐらいなのだが、情報を扱うための編集という能力が、あまりにないがしろにされてはいないだろうか。編集作業というのは、最終的な商品の中で、編集者がどう作業したかは見えにくいものなので、編集に理解のない人たちには仕事の意味が伝わりにくい。
大手印刷会社の見積書のフォームには「編集費」という項目が存在しない。原稿を書けば原稿枚数×単価で表記され、イラストを書けばイラスト点数×単価、写真を撮れば写真枚数×単価で表記される。デザインも表紙×単価、本文デザインページ数×単価でよい。ところが編集というのは、具体的な成果物が見えない。原稿の内容をコントロールし過ちを直し、最適なイラストレーターを選びコンセプトを説明して絵を描かせるという重要な仕事なのに、その重要さが評価されない。だから実際の編集費は、他の項目に分散してもぐりこませるしかない。
企画費というのも同じである。多くの場合、企画費が独立したコストとして認められていないので、企画だけ出して不採用になった場合、よくて、プレゼンの実費が出る程度である。企画費は、あくまでそれで採用されて納品作業まで完了したら、そのコストの中に企画費という名目が許されるということだ。企画が独立した価値としては認められていないのだと思う。
単純な工業化社会においては、下請けが作った部品を組み立てて最終プロダクトが価値のすべてであった。しかし、社会が情報化されるにつれて、デザインやコンセプトが重要になってきた。しかし一部のスターコンセプターでもない限り、一般的には、企画もデザインも、下請け作業の部品作りでしかなかった。工業化社会においては「見えないもの」に価値を付与するという発想がないのである。
編集作業にもっと価値を認めるべき
そもそも日本人には、そうした「見えない作業」に対価を感じる体質がないのではないか。米国では、ビジネス上のことで友人を紹介しても、ビジネスが成功したらコミッションが支払われるという。有名な寓話がある。80年代に米国に出張した日本人サラリーマンが、たまたまホテルのボーイと意気投合し、仕事が終わったら一杯飲むかとなり、お互い人生のことや家族のことなどを徹夜して本音で話しあった。日本人は、異国の地で生涯の親友になれるかもしれない友だちと出会えたと喜んだ。明け方になって、ボーイが帰る時に、話し相手のチップを要求したのである。
日本人的な、なあなあの信頼関係など意味のない世界である。しかし、逆にいえば、そうした、見えない価値=やすらぎみたいなものにも対価を払うという考え方ができないと、工業化社会の次の時代ではビジネスが成立しないのではないか。具体的な「量」に価値を置く時代から、見えない「質」に価値を置く時代へとシフトしていくのだろうから。
僕自身は「なあなあの関係」が嫌いではない。相互の信頼関係があれば、こまかいことまで金銭に換算するような仕事はしたくない。しかし、それは閉鎖的な日本の内部だけで生きていくには大切な素質だったかもしれないが、これからの国際化の中では、一方的に利用されるだけではないか。今の日本の疲弊は、本来なら対価を要求すべきノウハウを、ごっそりと海外に持っていかれているからではないかと思う。
日本国内でも、メディアの経営者たちが、本来ならもっと価値を認めるべき編集作業とかプロデュース作業を、単純な時給に換算して、肉体労働の範囲でしか見ていない風土を改める必要があろう。
ビッグデータを調理する人材がいない
インターネット以前の社会と以後の社会の根本的な違いは、情報というものが密室の中の秘密情報ではなく、公開され共有されているところである。個人でも企業でも国家でも、アクセスする能力は平等である。大事なのは、検索能力や、データマイニング能力であり、センスと経験が要求される。日本は、データの蓄積能力が得意な企業は多いが、データマイニングのノウハウを蓄積してきていないのではないか。「ビッグデータ」が話題になればなるほど、そのデータを調理する人材がイメージできない。
米国の中央情報局(CIA)というと、スパイの諜報活動や政権転覆活動などをイメージするが、大半の仕事は各国が公開している情報の分析である。特に冷戦終結によって余った人材を使い、それまで「国家」だった調査対象を「企業」「業界」にシフトして、データマイニングを行い、政府に資料提供している。日本の企業や業界がまるはだかになっていることは想像に難くない。米国は、経済においても国家をあげて戦争をしている。それは自国民を経済的に守るという近代国家としては当然のことなのであろう。
データマイニングには、統計学的な数量分析が必要なのと同時に、人間臭い直感と洞察力のある編集者的人材が必要なのだと思う。統計学の知識は大学で教育できるが、後者のような人材は、必ずしも教育機関で育てられるわけではなく、社会全体の環境が大事である。社会が「見えないけど大切な仕事」である編集者やプロデューサーの仕事を理解しつつ、その価値を認めなければ、人材は集まらないし育たない。
自然には恵まれているが資源には乏しい日本では、生産の量を追求していく産業には限界がある。人間の質を高めて、世界で活用できるような人材が、次の社会の基幹産業を支える存在になるべきだと思う。そのためには、人間が考えたり、イメージを膨らませたり、思いを編んだりすることに価値を認めなければならないだろう。
ネット時代だからこそ仲介者が必要
インターネットが普及しはじめた頃、ある大手企業の依頼で、新しい旅行代理店の創業を手伝ったことがある。当時、インターネットによる「中抜き」のせいで、ユーザーは直接、ホテルや航空会社にアクセスして契約するから、旅行代理店というビジネスは崩壊するだろうと言われていた。
僕が提案したコンセプトは、インターネットは個人と企業のダイレクトな関係を促進するけど、実際は、自分で情報を分析して最適なホテルを選び、最良な交通手段を選択できる人は、当分、少数派である。むしろインターネット環境が進めば進むほど、その環境に対応できない人たちが増える。旅行代理店が中抜きされるのは、それが宿泊施設や交通機関の会社の側の代理店であるからだ。旅行者の側に立った代理店になれば、新しい旅行コミュニティーができる。それを「中抜き」の反対で「中入れ」と名付けた。インターネットによって中抜きされたビジネスシーンであればあるほど、ユーザーの側に立った、新しい代理店が成立する可能性があると思う。
そこにおいて必要なことは、企業の側からの情報を一方的にユーザーに流す代理店ではなく、ユーザーの側に立って、膨大なインターネットの情報の中から、その人に最適な情報を整理してまとめて提示できる、編集者としての旅行代理店員ではないだろうか。システム化が進んだ業界ほど、新しい人間力が必要となってくるのだ。
インターネット利用代行業だって成立する
先日、僕の知り合いが田舎に帰った際、母親が欲しい家電があるというので、その場でノートパソコンでamazonにアクセスして注文したという。翌日、商品が届いて、その母親は驚いた。さらに、消耗品も追加したいというので同じように注文したら、やはり翌日届いたために、母親はさらにびっくりしたという。
インターネットの環境は、どんどん精度と効率を高めているが、実際にそうした環境変化の速度に追いついている人は、まだ少数なのではないかと思う。だとしたら、インターネット環境を知らない人のための、インターネット利用代行のような仕事があり得るのではないか。パソコンを使わない人たち向けのサービスだから、いくらシステムを簡易にしても意味がない。重要なのは、オペレーターであり、その人の、人間力と編集力にあると思う。
インターネットは、誰もが情報発信ができて、ブログやツイッター、フェイスブックなど、さまざまなツールが開発されている。その結果、ありとあらゆる個人の思いや知識があふれかえっている。まさに玉石混交の世界だが、それは玉もあれば石もあるということではなく、膨大な石の中に数少ない玉があるということなのだ。しかも、その玉の価値は、人によって変わってくる。多くの人が情報発信するスキルは身につけた。次は、その情報の海から、豊穣な幸を回収するスキルと、それを誰にも分かりやすく説明できる、池上彰さんのようなスキルが求められているのではないか。
橘川 幸夫(きつかわ・ゆきお)
デジタルメディア研究所代表。72年、音楽雑誌「ロッキングオン」創刊。78年、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。その後も、さまざまな参加型メディア開発を行う。83年、定性調査を定量的に処理する「気分調査法」を開発。80年代後半より草の根BBSを主催、ニフティの「FMEDIA」のシスオペを勤める。主な著書に『一応族の反乱』、『生意気の構造』(ともに日本経済新聞社)、『21世紀企画書』(晶文社)、『インターネットは儲からない!』(日経BP社)、『暇つぶしの時代』(平凡社)『やきそばパンの逆襲』(河出書房新社)、『風のアジテーション』(角川書店)、『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。』『希望の仕事術』(ともにバジリコ)、iPhone、iPadアプリ『深呼吸する言葉の森』(オンブック) ほか共著、編著、講演多数。Twitter「metakit」
橘川幸夫の オレに言わせれば!
地方の小さなビジネスから日本の官僚システムまで、あらゆるテーマについて自らの足を使って拾った、“誰も知らない話”を毎回展開する。ゆっくりと崩壊していくかに見える日本と、先が見えない閉塞感から、内に閉じこもりがちな企業やビジネスマンに檄を飛ばす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120712/234418/?ST=print
日本の挨拶は「距離」が大事?!
日本語を勉強したこともないのに日本勤務が決まった
2012年7月19日(木) モナハン・ディラン
わたくし、ディラン・モナハンは、米空軍に勤務しています。日本に住み、軍のパイロットとして、日本とアメリカの関係がより深くなるように仕事をするうちに、気が付いたら、もうすぐ20年がたちました。
日本での勤務が命じられたことがきっかけで日本語を独学し始めました。最初は簡単な挨拶だけを覚えるつもりでした。それが、いつの間にか、日本語に夢中になっていました。日本人の魅力なのか? 漢字の魅力なのか? 日本の文化か? 何だろう? とにかく日本にはまりました。
わたしが、どうやって日本語を身につけたか、をこの連載で紹介していきます。この試行錯誤の経験は、日本人のみなさんが英語をはじめとする外国語を勉強する際にきっと役立つと思います。では、始めましょう。
カリブのきれいな島育ち
まずは自己紹介から。わたしは1969年、ニューヨーク市で、白人の父と黒人の母から生まれました。その後、母の故郷、カリブ海に浮かぶアメリカ領セントトーマス島で育ちました。山と、きれいなエメラルドグリーンの海に囲まれた、のんびりとした島です。
15歳になったころ、祖父が住むニューヨークに行くことになりました。セントトーマス島での勉強に物足りなさを感じたからです。ニューヨークにはより良い学校がたくさんあります。大都会での生活はカルチャーショックの連続でした。ニューヨーク郊外の高校を卒業し、その後マサチューセッツ州のウォルセスター・ポリテクニック・インスティチュート大学(WPI)で電気工学を勉強しました。
WPIを卒業した後、米空軍パイロット学校に入り、見事に卒業。最初の勤務地が、日本の横田基地に決まりました。
パイロットになった!日本勤務が決まった!
1993年10月14日、日本に到着しました。海外勤務は初めてのこと。成田空港周辺の風景、高速道路、アメリカにはないタイプの車やトラック、何もかもが新鮮でした。
看板を見ても、わけの分からない文字ばかり。車のナンバープレートも、東京は大都会なのに、数字が4桁しかない。マジックかと思いました――今にして思えば、漢字とひら仮名が目に入っていなかったのです。
横田基地に着いた時、「ああ、これが日本だ」と思いました。周囲はキリでぼやっとしてて、金木犀の香りがして、静かで。
ちなみに、基地の中は日本じゃないということにはすぐ気づきました。そこはアメリカでした。なので、「日本」に住むことを希望しました。福生市の新築マンションを賃借して入居しました。
横田基地での仕事は、「空を飛ぶ救急車」の異名を持つ「C-9ナイチンゲール」という飛行機のパイロットでした。太平洋地域において、患者を運ぶのが主な任務です。
とりあえずは日本語で挨拶を
米空軍輸送機のパイロットですから、日本語ができなくても仕事に支障はありません。ただ、私は、人と直接コミュニケーションをとるのが大好き。なので、挨拶ぐらいは勉強したほうがいいと思いました。
しばらくして、挨拶だけでは足りなくなってきました。言葉の壁が、周囲の日本人とのコミュニケーションの妨げになっていることに気づいたからです。そこで、どうやって日本語を勉強すればよいかと考え始めました。思いついたことは、なんでもすぐに試しました。
職場には、日本語が分かる人はほとんどいませんでした。当時、私が知っている日本語ペラペラのパイロットは、お酒飲まない数人のモルモン教徒だけでした。他のパイロットには「日本語は難しすぎる。勉強するやつは不真面目だ」と冗談半分に言われました。なので、仲間に内緒で勉強することに決めました。
とにかくフライトが忙しいので、日本語を勉強する十分な時間はありませんでした。なので、分からないことがあったら、基地で仕事をしている日本人にすぐに聞きました。町のレストランでも、コンビニでも、いつでもどこでも日本語を吸収するように力を入れました。時には迷惑にも感じた人もいるかもしれませんが、日本人は親切に教えてくれました。
しかし、いくら勉強しても、話せるようになるには相当の時間がかかると感じました。日本人に向けて簡単な挨拶をしたり、単語をぶつけたりすることはできました。でも、相手からの返事がチンプンカンプンで分かりませんでした。聞き取り力はゼロ。キャッチボールに例えれば、投げることはできるけど、相手が投げ返したボールはファンブルするばかりでした。
挨拶だけでは物足りない
本屋さんに行って、日本語の教科書を、学校を作れるぐらい何種類も買いました。CDも買いあさりました。電子辞典も何種類も買いました。覚えられない単語をメモ用紙に書いて、家中のあちこちに貼りもしました。
でも、本を読んでも、どう発音するのか、会話の現場でどう使かわれるのかは、分かりません。なので、基地の中にあるメリーランド大学の日本語コースに通うことにしました。しかし、飛行機を乗っている時間が多いので、クラスにはほとんど参加できませんでした。成績も良くありませんでした。
福生コミュニティーセンターで、日本人ボランティアが日本語を教えてくれるサークルがありました。ここにも参加してみました。でも、そこでびっくり。参加して他の外国人は、全員、日本が話せたのです。話せない私はさらにがっかり。ここでも着いていけなかった。
勉強している間に、漢字に興味を持つようになりました。漢字字典を何冊を買って、意味や読み方などを深く調べました。勉強のために、周囲にある看板の写真を何枚も撮ったりしました。しだいに、クルマのナンバープレートの漢字が目に入るようになりました。人の名前も読めるようになった。自分の名前も漢字で書くと面白いと考え、基地にいる知り合いと、「猛名帆」(モナハン)「大乱」(だいらん)という当て字を考えました。でも、駐車場の名ネームプレートに使っていたところ、中国人と間違えられたので、やめてしまいました。
隙間の時間を使って、覚えたことをいつも復習していました。しかし、本や学校で習う日本語は町であまり役に立ちませんでした。「なま」の日本語は何かが違うのです。レストランで聞く日本語、駅で聞く日本語、スナックで聞く日本。テレビで使われる日本も違いました。どこが違いうのかは分からないが、何か違う。今から思えば、勉強のために用意された決まり文句と、会話の中で自然に話される日本語に差があったことが分かります。しかし、日本人に赴任したばかりで慣れていない私には、その区別がつきませんでした。
なかなか日本語が理解できるようにならないので、何度も、勉強をやめようと思いました。ただ、親切な知り合いが次第に増え、勉強を手伝ってくれるようになりました。彼らがいたから、やめなかった。でも、近所迷惑ですよね。
「どこに行くの」と聞かれた時は…
少しでも彼らに迷惑をかけないように、日本人が会話するところを一生懸命観察しました。でも、それでも、分からないこと数多くありました。
ひとつ例を紹介しましょう。ある日、近所のおばさんに「どこ行くの?」と聞かれました。おばさんが言った言葉を辞書で引き、教科書で学んだ通りの返事をしました。「銀行にいきます」。初めて会話に成功したかと思い、良い気分で家に帰りました。しかし、改めて調べたら、「ちょっとそこまで」と答えたほうがよかった、と分かりました。
別の日に、こんなこともありました。遠くの方に知り合いをみつけました。私は即座に挨拶を始めました。手を振ったり、「こんにちは」と叫んだり。でも、相手は反応してくれない。でも、ある程度距離が近づいたら、「あっ!」とあいさつが始まりました。なるほど、挨拶をする距離も考えないといけないのか! そして、気づいていなかったことをアピールするために、「あっ」をつける。なるほど!
「はじめまして」の法則
よし、距離の感覚が分かった。返事の決まり文句も覚えた。でも、挨拶はさらに奥深かったので。
同じマンションに住む人に会った時、覚えたことを実践しました。「はじめまして!」と元気に挨拶をしました。あちからも「はじめまして」と返事がありました。でも、その後に彼が何と言ったのかは分かりませんでした。会話はそこでおしまい。
次の日、同じ人をみつけたので、再び私から「はじめまして!」。しかし、相手の反応は「。。。」。変な目でわたしを見つめるばかり。さらに何日かして3回めの「はじめまして!」。すると突然、相手は半分怒りながら「何度も会ったでしょう!」。なるほど、「はじめまして」は1回しか使わないんですね。
* * *
さまざまな経験を積み重ねて、失敗しながら、日本語を勉強してきました。語学の勉強は長距離走です。しかも、競争ではない。敵は自分だけです。マイペースで、でも休むことなく、新しいことをどんどん身につけていくべきです。
次回から、私が試行錯誤の末、身につけた外国語の勉強法をお話しします。まずは、発音がパーフェクトになる秘密を公開します!
モナハン・ディラン(Dylan Monaghan)
米空軍パイロット。1969年ニューヨーク生まれ。カリブ海で育ち、1991年、ウォルセスター・ポリテクニック・インスティチュート(WPI)大学電気工学部卒業。1992年、米空軍に入隊。1993年に日本に転勤しました。横田基地でC-9型ナイチンゲールとC-130型輸送機のパイロットとして勤務。航空自衛隊小牧基地でC-130交換幹部教官パイロットとしても活躍しました。
9.11同時テロの時、自衛隊とともにクウェート派遣されました。米軍兵士と自衛隊員がうまくコミュニケーションできるようになることを目指して、危険地域で日本語の講座を開きました。これが功を奏し、米軍と自衛隊がスムーズにミッションを行うことができました。東日本大震災の時には在日米大使館で勤務していました。東北にも出張しました。ボランティアで、コンテナハウス(簡易型の仮説住宅)造りを手伝いました。
現在は米政府空軍対外有償軍事援助FMS(Foreign Military Sales)プログラム部長としてアメリカ大使館に勤めています。米国が持つ機材や飛行機、教育、訓練などを、自衛隊がスムーズに導入できるよう、外交官として支援する役割を務めています。
人柄はとても明るい。笑顔で皆に挨拶を交わしながら、元気に生活しています。2009年に日本でアメリカンフットボール連盟を設置しました。現在 は4つの小中学生チームで監督をしています。家族は日本人の奥さんと子供3人。世田谷で暮らしています。
米軍飛行士の「体当たり」式外国語習得法
モナハン・ディランです。米空軍のパイロットが、何も知らない日本に来て、ゼロから日本語を独学しました。「継続は力なり」とのことわざ通り、約20年間、何とか勉強を続けてきました。おかげで日本語はぺらぺらです。周りの人の協力のおかげです。
勉強方法はいろいろ。思いついたらなんでも試しました。この経験を、皆さんにお伝えしたいと思います。さまざまなエピソードを、ジョークを交えて紹介します。笑ったり、考えたりしながら、語学の勉強のヒントをつかんでもらえたらうれしいです。「人間はだれでも外国語を話せるようになる」と信じてください。応援します!
http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20120711/234354/?ST=print
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